33.王都を見て回りました。見えなかったものが見えるようになってきました。
神殿は王都の中央に位置している。
このため、少し足を伸ばすだけで、色んなものを見ることができた。
右手には壮麗な王城、左手には貴族たちの邸宅が立ち並ぶ。
わたし達の目的地は、後手に広がる商店街だ。
商店街っていっても、国一番の大きさを誇るから、原宿とか渋谷みたいなイメージである。そのくせ人が多すぎず、とても過ごしやすい。
もちろん、西洋風の出で立ちで、色合いも造りもごちゃごちゃしていないから、見ていてとても可愛いし、癒やされる気がする。
(って! ガラじゃないわ、そういうの)
うっかり見惚れそうになりながら、わたしは気持ちを引き締める。
けれど、そんなこと、セドリックにはお見通しだったらしい。
「可愛いでしょう? 癒やされるでしょう? 神殿とはまた違った雰囲気ですもんねぇ」
「…………はい」
悔しいけど、否定できない。恥ずかしさのあまり頬が熱くなった。
「このお店なんかどうでしょう? ジャンヌの好みだと思いますよ」
セドリックは街の様子に詳しく、色んなところを案内してくれた。
アンティーク家具の店とか、手頃な値段の雑貨屋とか、アクセサリーや服、靴屋など。
わたしが嫌がるだろうって分かっていたらしく、高級店は案内されなかった。全部、これまでの貯金や給料で買えるお値段だから、見ていてとても安心するし、地に足がついている感じがする。
セドリック本人は『高給取りだ』って自分で豪語していたぐらいだし、そもそもが王弟という身分だ。こういった庶民的な店はあまり利用しないだろうに。
「貴女に楽しんでもらうために、ちゃんと予習したんですよ」
「ああもう! 言わんで良いんですよ、そういうことは!」
お願いだから。ちゃんと自分で察するから! これ以上無駄にドキドキさせないでほしい。
けれど、わたしの憎まれ口にもめげず、セドリックは嬉しそうに目を細めた。
「それだけ貴女のことを大切に思っているということです。黙っていても十分に伝わりませんから、きちんと言葉にしたほうが良いでしょう?」
「うぅ……」
大切とか、そういう単語をあんまり出さないでほしい。恋愛関係は前世で懲りてるから、耐性を全部どこかに置いてきてしまっているんだもの。これまで意地を張りまくっていた分、どうしていいか分からないし。
「ねえ、セドリック。あの大きな建物はなにか知ってる?」
ずっと甘々の雰囲気でいるなんてわたしにはとても耐えられない。適当に目についたものを指差し、話を逸らすことにする。
「ああ、あれは病院ですよ」
「え、病院?」
この世界にもちゃんと存在していたの? ……って、そりゃ当たり前か。聖女不在の時とか、ないと困るもんね。そういえば、母の病気が酷くなったときは、父が街から医者を呼んでくれたんだっけ。
「気になるなら、少し中を覗いてみましょうか」
セドリックはそう言って、わたしの手を優しく引いた。
「えぇ? だけど、患者でもないのに迷惑になりません?」
「平気ですよ。神殿からの視察と言えばいいですし、邪魔にならないようにすれば良いだけですから」
正直気になるので、そう言ってくれると嬉しい。
だけど、現世の病院って一体どんな感じだろう?
恐る恐る中に入ってみたら、ホテルみたいに上品で高潔な空間が広がっていた。
「うわぁ……」
これは決して感嘆の声ではない。むしろ逆。
建物内の様子を見たら分かるけど、現世では一部の富裕層しか、満足に病院を利用できないのだ。
(でもまあ、仕方ないのかな)
海外ではものすごい高額な報酬を払わないと病院にかかれないって聞いたことがあるし、たとえ移植手術が必要でも、お金がないと土俵に乗れないだとか、リストの順番が下になってしまうだとか、命の重さは皆同じっていうのが幻想だっていう話も聞いたことがある。
高名な先生じゃなければできない手術もあるっていうしね。
健康保険制度が整っているのも、わたしが住んでいた国の話であって、任意加入だからとお金をケチって、いざという時に病院を受診できないだとか、そういう話はごまんとある。
だからこそ、マリアが必要とされている。報酬も受け取らず、見返りも求めず、人々のために笑顔で尽くす聖女の存在が。
「本当にそれで良いのかな?」
みんなを助けてあげたいっていうマリアの気持ちは分からなくはない。それは尊重されるべき感情で、否定しようっていう方がおかしい。
だけど、幼いマリアに頼るよりも先に、するべきことがあるんじゃないか。
できることが存在するんじゃないか。
少なくともわたしは、どうしたら今より良くなるかを知っている。
どんなものができたら望ましいかを知っている。
歴史っていうのは繰り返すもの。たとえ国が違っても、似たようなことが何度も起きる。つまりきっと、異世界でも同じであるに違いない。
わたしは一応二千年分の歴史を学んでいるし、既にできあがった制度の恩恵をたっぷり受けて生きてきたんだもの。どんな制度が失敗して、どんな制度が上手くいったか、ある程度は把握している。
それを伝えていくぐらいのことはできるんじゃなかろうか。
それは、前世を持つわたしだからこそ、できることなんじゃないか。
マリアのためにわたしにできる、唯一のことなんじゃないだろうか。
「こら、一人で抱え込んだらダメだと言ったでしょう?」
セドリックが苦笑をしながら、わたしの肩をぽんと叩く。
「――――ねえ、セドリック。城を見せてもらうことってできる?」
「ええ、もちろん」
それからセドリックは嫌な顔ひとつせず、王都の中の色んな場所を、わたしに見せてくれた。
国防を担う軍の訓練所に、警察的な役割を持った騎士の詰め所、孤児院や学校、スラム街、他にも至るところを。
「どうでしたか?」
途中からデートらしさの欠片もなくなってしまったけれど、セドリックにとって、それは最初から織り込み済みだったのだろう。満足そうな表情で問い掛けてくる。
「楽しかったです。これから自分がなにをしたいのか、少しずつ見えてきた気がします」
親代わりと呼ぶにはあまりにも頼りなく、情けないかもしれないけど、わたしにもマリアのためにできることがあるのなら、挑戦してみるだけの価値はあるのかもしれない。そう思うと、なんだか嬉しくなってきた。
「貴女の瞳にはいつも、私には見えないものが写っている――――そんな気がしていたのですが」
セドリックはそう言って、わたしの頬をそっと撫でる。
「今日、こうして街を巡って、少しだけ同じものが見えた気がします。
家の中に溢れていた発明品がどうして生まれたのかも」
「え? ああ、あれ?」
冷蔵庫や掃除機、シャワーやボールペンなどなど、セドリックが我が家を物色していた頃が懐かしい。
あれだって、わたしが前世で見てきた文明の利器。便利グッズだもん。
しかも、自分で用意できたのはほんの一部。車とか自転車とか、テレビとかスマホとか調理器具とかその他諸々、再現できていないものが山ほどある。
だけど、自分で発明できずとも、『こういうものが欲しい』ってサイリックあたりに伝えたら、きっと上手に再現してくれる。そしたら、人々の暮らしが一気に楽になるかもしれない。それが回り回って、マリアの負担軽減に繋がるかもって思うと、これまた少し嬉しくなった。
「……いつか、遠い未来で構いません。貴女がどんなものを見てきたのか、私にも教えてもらえませんか?」
気づいたら、セドリックが困ったように笑いながら、わたしの顔を覗き込んでいた。
(わたしがどんなものを見てきたか、か)
――――それを教えることは、わたしの前世をセドリックに打ち明けることを意味する。
「そうですね……前向きに検討しておきます。
それより、せっかくデートに来たのに、こんな感じになっちゃうのは大丈夫なんですか? 付き合って早々嫌気が差してません?」
まさか、こんな遊びっ気のないお出かけをすることになるとは思わなかった。わたし自身、自分の変化にかなり驚いているんだもの。他人であるセドリックもそうであって然るべきだ。
「いいえ、とても有意義な時間でしたよ。
ジャンヌのことをたくさん知ることができて、愛らしい笑顔をたくさん見ることができて、私はとても嬉しかったです。また一緒にでかけましょう。今度はマリア様も一緒に」
「――――はい。そうしたいです」
自分で言うのも何だけど、本当に随分丸くなったものだ。
ついつい笑みを漏らしていたら、ふいに唇を塞がれてしまった。
胸がドキドキして、全身がほんのりと熱くなって、頭が変になってしまいそうなほど甘ったるい。
「っていうか、こんな道の往来で、なんてことしてくれてんですか!」
思わず文句を口にしたら、セドリックはプッと吹き出し、それからわたしのことを抱きしめる。
「やはり敵わない。
貴女のことが好きですよ、とても、とても」
「なにそれ」
全然、意味がわからない。
だけど、怒っているのも馬鹿らしい。
わたしはセドリックと顔を見合わせると、アハハと笑い声を上げた。