32.マリアのことを相談しました。デートをすることになりました。
昼食を一緒に食べ、マリアとたっぷり戯れた後、父は領地に帰っていった。
久々に子供らしい一日を過ごしたマリアは遊び疲れてしまったらしい。夕食前だというのにウトウトと舟を漕いでいる。教育係の神官たちが様子を見に来たけど、わたしはそっと人差し指を立てた。
(寝た子を起こしてまで勉強をさせようなんて、許さないんだからね)
聖女である以前にマリアは子供だ。勉強ってのは詰め込めばいいってもんじゃないし、マリアは十分頑張っている。
諦めて部屋から出ていった神官たちを見送りつつ、わたしはセドリックと向かい合った。
「――――我が国に本当に聖女が必要なのか、ですか?」
「はい」
昼間の約束通り、セドリックはわたしの話を聞くための時間を設けてくれた。
人知れず抱いてきた疑問を口にすると、少しだけ気持ちが軽くなった気がする。詳細を説明するため、わたしは身を乗り出した。
「実は、マリアが聖女に選ばれてから、ずっとモヤモヤしていたんです。あの子が神様から特別な能力を与えられたのは確かだけど、果たしてそれはあの子じゃなきゃできないことなのかなぁ? って」
「と、言いますと?」
「人を治癒することも、国を守ることも、飢えた人を助けることも、特別な能力が与えられなくても可能だとわたしは思っているんです。だから、聖女は居なくても良い――――居なくても国は成り立つんじゃないかなぁって」
そうは言ったものの、前世があるわたしとセドリックじゃ、そもそもの価値観や感じ方が違うのは分かっている。わたしは昼間考えていた例え話を出しながら、聖女の存在しない国のあり方を説明した。
「なるほど。人々が力を合わせれば、豊かな国は作れる。それなのに、どうして聖女が必要なのか――――ということですね」
「ええ。聖女なんてポストがあるから、あの子はまだ六歳なのに、自分じゃなくて他人のために頑張らなきゃいけない。自由に遊ぶことも許されず、将来の夢も選べない。もしもマリアが大人だったら、こんなふうには思わなかったのかもしれませんけど……」
前世で当たり前のように与えられていた職業選択の自由がマリアには存在しない。お花屋さんやケーキ屋さん、コックさんや先生などなど、こんな仕事がしてみたいっていう夢を見ることすら許されないのだ。
義務教育制度があって、子供の権利がしっかりと守られていて、高校や大学に行くっていう選択肢が用意されていて、努力次第でなんでもできる、なんにでもなれる――――あれってかなりすごいことで、恵まれていたんだなって今更ながら気付かされた。
「正直私は、聖女に選ばれた以上、人々に尽くすのが当たり前だと思って生きてきたのですが……」
「ええ、まあそうでしょうね。わたしの感覚がズレているってことは分かります」
だって、洗脳用の絵本が存在するぐらいだし。そちらのほうが当たり前という価値観の世界なのだろう。マリアは生まれながらにして、そういう使命を与えられていたんだって。そう割り切るしかないって分かってるんだけど。
「ありがとうございます。少しだけ心の整理ができました。あとはわたし自身で、あれこれ考えてみます」
少なくともマリア本人はやる気なんだし。
わたしが考えたところでどうしようもないんだけど、モヤモヤしたまま過ごすより、きちんと自分を納得させたほうが良いんだろうなぁと思う。
だって、わたしが迷ってばかりいたら、マリアに要らぬ不安を抱かせてしまうだろうから。
「役に立てたなら良かったです。
それはそうとジャンヌ、今度の休みに街に出かけてみませんか?」
「え? 街に、ですか?」
これはまた随分唐突なお誘いだ。脈略がなさすぎて、思わず首を傾げてしまう。
「ええ。せっかく王都に来たのに、ジャンヌはほとんど神殿にこもっているでしょう?」
「……いや、忙しくさせた張本人がよく言いますね」
森に居たときはともかく、王都に来て以降の引きこもりについては、元はといえばセドリックのせいだ。だって、彼がわたしを神官として参拝客の前に引きずり出したのが原因だもの。
ねぼすけなわたしが毎朝6時に起きて、そこから昼まで息付く間もないほど忙しくて。以降も神殿でなんやかんやしているから、外に出る気力なんて残るはずがない。神殿に引きこもるのも当然なのである。
だけど、わたしの嫌味もなんのその。セドリックはヘラヘラ笑いながら、わたしの頭をそっと撫でた。
「普段しっかりと頑張っていますから、少し休んだところでバチは当たりません。私と一緒に、ゆっくりしましょう。せっかく恋人同士になれたのですし」
その瞬間、唐突にもたらされた甘い雰囲気に、わたしはウッと口を噤む。
セドリックはわたしの頬に唇を寄せ、甘えるように――――甘やかすようにキスをした。
***
数日後、わたしとセドリックは二人そろって休暇を取った。
「良いなぁ、お出かけ! マリアも一緒に行きたかったなぁ!」
出掛ける直前のこと。わたしたちの前で、珍しくマリアが駄々をこねている。
聖女就任式まであと一ヶ月。それまでマリアは神殿を出ることができない。
本当は日程をずらすべきか迷っていたんだけど、セドリックが『絶対に今が良い』って言うし。最初に出かけることを説明した時は、マリアも納得していたから大丈夫かなって思っていたんだけど、やっぱり寂しかったらしい。
「セドリック、やっぱり出掛けるのは一ヶ月後にしよう。マリアも一緒に行けるようになったら――――」
「それはダメ!」
マリアが叫ぶ。わたしは思わず目を瞬いた。
「行かないのはダメ! マリアはお土産を買ってきてくれたらそれで良いの。そのかわり、いっぱい、いっぱい買ってきてね!」
「お土産? ……うん、分かった。マリアが好きそうなものを探してみる」
「うん! 楽しみにしてるね!」
もっと粘られるかと思っていたけど、マリアは意外なほどアッサリと身を引いた。あまりにも聞き分けが良くて、かえって申し訳なくなってくる。
「それじゃあセドリック、ジャンヌさんをよろしくね」
「はい! 必ずや、楽しい一日をお届けしますよ」
セドリックがドンと胸を叩く。
(いやいや、なんでマリアがわたしのことをよろしく頼むのよ)
これじゃあまるで、わたしの方が子供みたいだ。なんだか胸がこそばゆくなった。
「今日は仕方ないけど、次は絶対、マリアのことも連れて行ってね! あたし、お菓子屋さんとか、おもちゃ屋さんとか、行ってみたいところがいっぱいあるんだ!」
「もちろん。就任式が終わったら、三人でたくさん、色んなところに行きましょうね」
二人はそう言って、わたしの目の前で指切りをした。
マリアが嬉しそうに笑う。セドリックも優しく目を細める。
そんな二人のやり取りは見ていてとても微笑ましい。まるで仲の良い父と娘みたいだ。
(――――いや、別に他意はないのよ?)
わたしのせいで、マリアも隠遁生活を送っていたんだし、他人と――――特に異性との関わりが極端に少なかったんだもん。こうしてセドリックに甘えたくなるのも当然っていうか。そりゃ、お出かけのおねだりぐらいするし、嬉しそうにもするよね、という。
「それじゃあ、行きましょうか」
「うん」
セドリックがわたしと手を繋ぐ。とても自然に。まるで、当たり前のことのように。
たったそれだけのことだけど、わたしは本当にこの人と恋人同士になったんだなぁって実感した。