28.逃げるが勝ち、という日もある(かも知れない)
(やってしまった……)
布団を頭までひっかぶり、わたしは一人、のたうち回る。
昨夜はどうかしていた――――そんな馬鹿なことを言う羽目になるなんて、夢にも思わなかった。
流された。
絆された。
どんな言葉で形容しても、愚かだったとしか言いようがない。
(あーーーーーーもう!)
神官様め、なんてことをしてくれたんだ。
なんてことを――――いや、違う。
待って。
よくよく考えたら大したことじゃないんじゃない?
このぐらい、中高生ならまだしも、大人なら普通のことと言うか。特段騒ぎ立てるようなことではない。
むしろ、意識しすぎているわたしが阿呆なのだ。
(そうよ)
わたしは布団からのそのそと起き上がり、部屋の中をぐるりと見回した。
久しぶりに帰ってきた森の中の我が家。ここには早朝、日が昇る前に転移魔法で移動した。
今日は一日オフをもぎ取ったし、マリアの方にはきちんと書き置きを残してきた。ちょっと用事があるから家に戻る、って。
(よし、寝よう)
寝たら大抵のことは解決する。勝手に時間が経ってくれるし、嫌なことや、目を背けたくなるような現実を忘れさせてくれる。ここなら誰にも邪魔もされないし。
シーツにボフッと顔を埋めると、神殿のベッドとは違い、自分の匂いが濃く香った。ベッドサイドはごちゃごちゃと色んなものが置かれていて、帰ってきたっていう感じがする。
目を瞑って、深呼吸を一つ。何も考えないよう、頭の中を空っぽにする。
だけど、何でだろう? 不思議なことに睡魔が中々降りてきてくれない。
(あんなに寝坊したかったのに)
神殿で暮らすようになってから、一日の睡眠時間が3〜4時間は短くなった。絶対に、寝不足だって……いくらでも寝れるって思っていたはずなのに。
わたし今、まったく眠くない。
(どうしよう……)
わたし、この家で一人、何をしていたんだっけ?
家事も嫌いで、食事に対しても無頓着で。
時々、前世で便利だった家電もどきを自作していたけれど、本当に気が向いたときだけだったし。
(っていうか、食事!)
よく考えたら、今この家に食料はなにも置いてない。腐ったらいけないからって、神殿に全部持っていってしまったのだった。
いや、別に数食ぐらい抜いても構わないんだけど、問題が一つ。
わたしは昨日、マリア一緒にとカレーを作るっていう約束をしていたんだった。
(どうしよう……)
今から神殿に帰るべきか――――一応検討してみたけど、それは無理だ。今から帰ったところで、神官様とまともに話せる気がしない。自信が全くない。
(いや、乙女か。恥ずっ)
二十二歳のいい年した大人が、馬鹿みたいだって分かってる。このぐらいのことで相手を避けるなよって。ガキかよって。
だから、全然平気なふりをして、何もなかった顔をして、いつもどおりに憎まれ口を叩けばそれで良い。
そうすれば昨日までと変わらない関係を築いていける。
分かっている。
分かってはいる。
だけど、どう考えたってわたしには無理だ。
何もなかったふりなんて、できない。
できっこない。
だけど、神官様の想いに応えるわけにもいかない。
恋愛は前世だけで。
もう十分懲りている。
好きになった人に捨てられるあの辛さは、とても筆舌に尽くしがたい。
信じていた人に裏切られる悔しさは、死んでもなお、身を引き裂かれるような痛みを与え続ける。
昨今の貴族令嬢はしょっちゅう婚約破棄をされるって風の噂で聞いたことがあるけど、どうして彼女たちは平気でいられるんだろう? 皆メンタル強すぎじゃなかろうか。
だって、元の婚約者よりハイスペックなイケメンに愛されたところで、捨てられたことには変わりないし。相手に対する愛情があればこそ、深く傷つくわけで。
(そうだよ。わたし、恋してたんだよなぁ……)
それは特別な部分なんて一つもない。
普通の人が普通に経験する、普通の、ありきたりな恋愛だった。
どうしてあの男が好きだったのかはちっとも覚えていない――――っていうか、婚約破棄された瞬間、愛情は憎しみに変わってしまったわけだけど。
(人間の心なんて、とても簡単に移り変わる)
どんなに好きでも、それが永遠に持続するわけじゃない。
そうじゃなかったら、浮気や不倫は横行しない。
人は裏切るもの。
人は嘘をつくもの。
人はきっと、一人の人間を生涯愛し続けることなんてできない――――そんなふうに作られている。
できないものはできないと、最初からそう言ってもらったほうがずっと良い。不可能な約束をするのは、互いにとって不幸だ。少なくとも、わたしはそう思うから。
(よし……いけそうな気がする)
理論武装の甲斐あって、ようやくわたしは神官様に向き合えるような気がしてきた。
これだけ御託を並べたら、さすがの神官様も嫌気がさすだろう。
大丈夫。
きっと大丈夫だ。
マリアとの約束を守るため、わたしは急いで身支度をはじめる。
だけどその時、何処からかコンコンコンって小さな音が聞こえた気がした。
(ん? 木ノ実でも落ちたかな?)
このぐらいのこと、森の中では日常茶飯事だ。
気を取り直して着替えを続ける。
だけど数秒後、もう一度、さっきよりも大きくコンコンコンって聞こえてきた。
「誰?」
上着を引っ掛けながら、戸口に向かう。
「迎えに来ましたよ、ジャンヌ」
その瞬間、鼓動が一気に早くなる。
扉の前に立ち尽くし、わたしは密かに息を呑んだ。