26.踊れません、踊りません(と、言いたかった)
ちょうどその時、マリアと王太子が最初の一曲を踊り終えた。会場中からワッと大きな拍手が湧く。
わたしも拍手をしようとしたんだけど、できなかった。神官様が未だわたしの手をギュッと握っていたから。
「神官様」
「セドリック」
「――――セドリック、手を放してください。マリアに拍手を送らないと」
短期間の練習で、こんなに大勢の人の前で踊らなきゃいけなかったんだもの。きっと相当なプレッシャーだったに違いない。
運動会とか、学芸会とか、前世ではわたしもそれなりにイベントをこなしてきたけど、あれって結構練習期間があったし。数十人以上が同時にステージに立っていたから、失敗しても大して目立たなかった。っていうか、親は基本、自分の子供しか見ていないしね。
だけど、マリアは今夜はじめて会った王太子とたった二人きり。会場中の視線を一身に集めて一曲を踊りきったんだもの。
きちんと称賛されるべきだとわたしは思う。
「仕方がありませんね」
神官様はそう言って、渋々わたしを解放してくれた。
(良かった。分かってもらえた)
けれど、ホッとしたのも束の間、神官様はわたしの背後へと回り込んだ。ピタリと身体が密着する。その上、腰のあたりをギュッと抱きしめられてしまった。
「は?」
いやいや、何してるの?
ここ、どこだか分かってる?
っていうか、近すぎるんですけど!
ありとあらゆる文句を込めて、わたしは神官様を睨みつける。
しかし、神官様は強かった。キョトンと目を丸くしてとぼけながら、ほんのわずかに首を傾げた。
「ほらほら、ジャンヌ殿。私を睨んでいる暇があるなら、早く拍手をしましょうね! マリア様を褒めてあげたいのでしょう?」
言いながら、神官様が拍手をする。すんごく意地の悪い笑みを浮かべながら。わたしはムッと唇を尖らせた。
(そうは言っても、近すぎるんだって)
頭上に、背中に、首筋に、神官様の熱を感じる。
女性みたいに綺麗な顔立ちをしているくせに、目の前に見える神官様の手のひらはでっかい。
こうも近くちゃ恥ずかしいし、色々、腹立つ。
だけど、神官様を退かすより先に、今はマリアに拍手を送るべきだ。
必死で拍手をしていたら、マリアが満面の笑みを浮かべ、わたし達の方に駆け寄ってきた。
「ジャンヌさん見てた? あたし、頑張ったよ!」
「うん、見てたよ。すごく上手だった。よく頑張ったね!」
人並みの言葉しか贈れないのが悔しいけど、わたしは一生懸命マリアを褒める。
子供の成長は早いし、急だ。
ついこの間まで赤ちゃんだった気がするのに、なんだかとても感慨深い。
参拝者の前に立って、聖女として頑張っているマリアを見た時も驚いたけど、聖女の仕事は背伸びをしすぎているから、こうして子供らしいイベントをこなしているのを見たほうが、成長を実感しやすい。いや、夜会は全然子供らしいイベントじゃないんだけどね。
マリアはニコニコしながら、わたしにギュッと抱きついてきた。今は甘えたい気分なんだろう。
気恥ずかしいけど、わたしも少しだけ、マリアを抱きしめてやった。
「ねえ、セドリックは? セドリックも見てた?」
「ええ、もちろん! 本当にご立派でしたよ! 今度、ご褒美を用意しなければいけませんね」
わたしの後からヒョコリと顔を出し、神官様がマリアを褒める。
「やった、ご褒美! ご褒美ほしい!」
「何が良いか、考えておいてくださいね!」
「うん、そうする!」
屈託のない笑顔。見ていて心が温かくなる。
わたし一人じゃマリアをこんなに喜ばせることができなかっただろうし、神官様にちょっとだけ感謝だ。
「ねえねえ、ジャンヌさんとセドリックも踊ってみてよ!」
「「え?」」
けれどその時、突然マリアが思いがけないことを言い出して、わたしと神官様はギョッと目を丸くした。
踊る?
このわたしが?
神官様と?
(マリアめ――――一体何を言い出すかと思えば)
わたしは首を横に振りながら、マリアの傍に身を屈めた。
「マリア、わたしは踊れないよ」
「えーー、なんで? どうして?」
「だって、練習してないもん。素人が練習無しでワルツを一曲踊るなんて無理無理。マリアだって今日のためにたくさん練習したでしょ?」
「うん、した」
「だから、練習してないわたしには無理なんだよ。
でも、神官様は踊れるだろうから、そのへんの誰かと踊ってるところを見せてもらおうか」
よく見たら、神官様に声を掛けたそうにしている令嬢が、さっきから周りをウロウロしている。
女性側からダンスに誘えないから、神官様の方から声を掛けてほしいんだろう。
わたしの言葉にポッと頬を染めながら、彼女たちは期待と不安の入り乱れた表情を浮かべた。
(さて、神官様はどの子を選ぶかな?)
ここまでお膳立てしたんだもの。高みの見物をさせてもらおう――――そう思っていたら、神官様は唐突にわたしの両手をギュッと握った。
「私と踊りましょう、ジャンヌ殿」
「……人の話聞いてました?」
いや、聞いちゃいねぇ。
ついつい口の端が引きつってしまう。
「もちろん、ちゃんと聞いてましたよ。
大丈夫。練習なしでもなんとかなります。適当に足を動かしていたら、ダンスに見えますから」
「適当にって――――んなわけないでしょう? 大体、わたしとのグダグダダンスなんて見られたら、貴方の評判まで地に落ちてしまいますよ」
「評判なんてどうでも良いんです。私は貴女と踊りたい」
神官様の返答は実にシンプルだった。わたしは思わず言葉に詰まってしまう。
感情論を相手に理屈で対抗するのは難しい。っていうか、わたしの主張は既に論破されてしまっているし、他に言い返す言葉が見つからないのだ。
『わたしは踊りたくない』
――――以前のわたしなら、即座にそう切り返していただろう。
だけど、何でだろう? すぐには言葉が出てこない。
ふと見れば、マリアが期待に満ちた眼差しで、わたし達のことを見つめていた。
「ジャンヌさんも踊ってくれるよね? マリアも頑張ったんだもん。たくさん人が見ている中、ちゃんと踊りきったよ?」
「う……」
「見たいなぁ、ジャンヌさんが踊ってるところ、見たいなぁ」
あーーーーもう!
こんなふうに言われたら、さすがのわたしも折れざるを得ない。
「ちょっとだけだからね」
「やった、やった! 良かったね、セドリック!」
「ええ! ナイスアシストです、マリア様!」
人の気も知らないで、二人は手を取り合って喜んでいる。わたしは眉間にシワを寄せた。
「ほら、そうと決めたらサクッと踊って終わらせましょう」
「はい! ジャンヌ殿の気が変わらないうちに」
神官様はわたしの手を取り、エスコートする。何がそんなに楽しいのか知らないけど、やけに上機嫌だ。
「いやぁ、嬉しいですねぇ」
「何がですか?」
「ダンス。こんなふうに誰かを誘ったのははじめてです」
「は?」
そんな馬鹿な。
参拝者からも、神殿の侍女たちからも、常にモテモテな神官様が。
貴族の令嬢からも熱い視線を送られている神官様が。
「はじめて?」
「ええ。下手に誘って勘違いされたら困りますし、夜会やダンスって正直『くだらない』『どうでも良い』って思ってたんですよね」
「……なるほど」
いけない。こんな時なのに、神官様にシンパシーを感じてしまう。
(そうか。神官様は元々、そういう考え方をする人だったのか)
わたしが言うのもなんだけど、結構スレてるというか。
分かる、と思ってしまった。
「……だったら今回も、踊るの止めときません?」
「ダメです」
神官様がニコリと微笑む。
周囲にはダンスを楽しんでいる貴族たち。
神官様はわたしのことを見つめながら、指先に触れるだけのキスを落とした。
「私に合わせて」
肩を抱かれ、音楽に合わせ、緩やかに身体が動き出す。
前世、テレビで見た社交ダンスの足運びを思い出しながら、それっぽく見えるようわたしは身体を動かした。足元はドレスのおかげで見えないし、案外踊れているように見える――――かもしれない。というか、そう願いたい。
「上手ですね。どこかで練習してきたんですか?」
神官様が尋ねてくる。
気恥ずかしさのあまり、頬に熱が集まった。
「まさか。わたしが踊れるのはラジオ体操とかマイムマイムとか、そんぐらいですよ」
「ラジオ体操?」
「ええ。これが踊れないと、大人になれないってぐらい必須のダンスです。健康に良いらしいんで、今度教えてあげますよ」
しっとりとした雰囲気が嫌で、チャラけた話題を必死に振る。
だって、神官様が足を曲げ伸ばししてるところとか想像すると、笑えてくるもの。このぐらいの空気感がわたし達には丁度いい。ロマンティックなムードなんてお断りだ。
「それは楽しみです。……私はもっと貴女のことが知りたいですから」
しかし、神官様は手強かった。わたしが作ろうとした空気感を無視し、熱い眼差しを向けてくる。
(どうしよう……)
縋るような眼差し。
ゴクリと息を呑み、視線をそっとそらす。
逃げたい。
だけど逃げられない。
わたしはもう、神官様が苦しみを抱えていることを知っているから。
「少し、話をしませんか? ジャンヌ殿に聞いていただきたいことがあるんです」
耳元でそんなふうに囁かれ、ビクッと身体が震える。
けれど、神官様はいつものようなフザけた表情じゃない。至極真剣な顔つきをしている。
気がついたら、神官様が導くままに、わたしは夜会会場を後にしていた。
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