25.神官様は神官様です
ふと見たら、わたし達の傍に人がいた。どうやら話しかけるタイミングを見計らっていたらしい。
(誰だろう?)
振り向いたら、そこには先ほど挨拶したばかりの幼い王太子が居た。
「あっ、王子様だ!」
マリアはそう言って、嬉しそうに笑う。
御年十二歳の王太子にとって、六歳のマリアは幼すぎるのだろう。彼は苦笑をしながら、マリアの手をそっと握った。
「マリア、さっきはありがとう。
そろそろダンスの時間だから、迎えに来たんだ」
声変わりしきっていない高い声は、聞いててなんだか心地よい。王族の割に偉そうじゃないというか、物腰の柔らかい印象を受ける。彼は相手に合わせてやるということができるタイプのようだ。
「ダンス! あたしね、今日のためにたくさん練習したんだ!」
まるで満開の桜のように屈託のない笑みを浮かべたマリアを見つめながら、王太子はほんのりと頬を染める。
(どうだ! うちのマリアは可愛いだろう)
今は未だ六歳で、愛玩動物みたいにしか思えないかもしれないけど、将来本当にマリアと結婚するなら、大事にしてくれなきゃ許さないんだから。さり気なく念を送っていたら、神官様がなぜだか小さく笑った。
「でも、大丈夫かなぁ? たくさん人がいるし、緊張しちゃう。失敗したら恥ずかしいし……」
「大丈夫。僕がリードするよ。マリアは安心して僕についてきて?」
まるで兄妹のようなやり取りだけど、見ていて微笑ましいし、良い感じなんじゃなかろうか。
「あれだけ練習したんだから大丈夫だよ。行っておいで、マリア」
背中を押してやったら、マリアは「うん!」と言って、満面の笑みを浮かべた。
王太子がマリアの手を引いていく。
眩いばかりの金の髪に青色の瞳。神官様と同じ色だ。
会場の皆が見守る中、二人は音楽に合わせ、ゆっくりとダンスを踊り始めた。
「――――事前にお伝えしていたとおり、私に似ているでしょう?」
神官様がおもむろに尋ねてくる。
彼の言う『似ている』の対象者は、マリアとダンスをしている幼い王太子だ。
(神官様にとっては触れてほしくない話題だと思ってたんだけどな)
どうやら機会をうかがっていたらしい。
神官様は国王の異母弟で。
王太子にとっては叔父で。
どこか淋しげな表情を浮かべた神官様に、わたしはふっと小さく笑った。
「どこが。貴方のほうが余程――――カッコいいですよ」
本当はどう答えるのが正解かなんて分からない。
だって、神官様は王太子と似ていると言われることで『自分が王族の一員だ』って実感したいのかもしれないんだもの。
それに、今はこうして神官をしているけれど、国や世界が異なれば、神官様は王子として、城で大切に扱われているかもしれないし、本当は本人もそうあることを望んでいるのかもしれないから。
だけど――――
「わたしにとって、神官様は神官様です」
神官様が目を見開く。彼は瞳を潤ませ、それから小さく笑った。
「……そうですか」
「ええ。出会った瞬間に胸やけを覚えるようなキラキラした人、神官様以外にいませんもの。
っていうか、居たらわたしが困ります。ご飯が食べられなくなってしまいますから」
「アハハッ!」
神官様が声を上げて笑う。
周囲はギョッとしたようだけど、彼はそんなこと意に介さない。
クックッと笑いながら、わたしの手をグイッと握った。
「そうですね。ジャンヌ殿が仰るとおり、私は私です。
ですから――――ジャンヌ殿もそろそろ、私の名前を呼んでくださいませんか?」
「……え?」
それはあまりにも唐突だった。
神官様はその場に恭しく跪き、わたしのことをまじまじと見上げてくる。
熱い瞳、真剣な表情。わたしは思わず息を呑んだ。
「いや、だけど」
「呼んでください」
そんなの関係ない、と言おうとしたところで神官様が言葉を遮る。
なんだろう? いつもの軽薄な感じがない分たちが悪い。直視に耐えない美しさだ。遠目とは言え、大した影響力のない他の王族たちに視線をやりつつ、わたしは小さくため息を吐いた。
「セ――――――」
ただ名前を呼ぶだけ。
そう思っているのに、上手く言葉が出てこない。
喉から胸のあたりがモヤモヤと熱くて、わたしは密かに唇を尖らせた。
「セドリックですよ、ジャンヌ殿」
「そのぐらい、知ってます」
時間が経てば経つほど、ハードルはどんどん上がっていくもの。
分かっている。
分かっているけど、心臓がバクバク鳴ってて、上手く息ができないんだもの。
「ジャンヌ殿――――お願いです。どうか私にも、『私は私』だと思わせてください」
それは、あまりにも切実な声音だった。
神官様の表情が、言葉が、彼の苦しみを物語っている。
『あの方が最初に神殿にいらっしゃった頃は、まだマリア様ぐらいの大きさでね? 神様みたいに人間離れした美しい少年だったの。 だけど、今とは違ってちっとも笑わない、とても冷たいお方でね?』
はじめて神官見習いとして参拝者たちの前に立ったあの日、おばあさんから聞いた話が、わたしの脳裏に蘇ってくる。
王族なのに幼いうちに城を追われた――――少なくとも神官様はそんなふうに感じたのだろう。
彼がどんな半生を送ってきたか、わたしは知らない。
彼の置かれた環境や想いを、本当の意味で理解できるとも思えない。
けれど、神官様は辛かったのだろう。
――――ううん、きっと過去形じゃない。彼は人知れず、ずっと苦しみ続けていたのだろう。
底抜けに明るい笑顔の下に、本当の感情を押し隠して。
「――――セドリック」
神官様の名前を呼ぶ。
とても小さな声だったけど、彼の耳に、わたしの声はちゃんと届いたらしい。
「はい」
「――セドリック」
「はい!」
神官様は瞳を潤ませ、それから嬉しそうに目を細めた。




