2.夢を見ました
『ごめん……お前とは結婚できなくなった』
気まずい表情の男が言う。わたしの――前世の――婚約者だった男だ。
彼の隣には、わたしの親友だった筈の女が座っている。えぐえぐ涙を流すふりをしながら、彼女はこちらの様子を窺っていた。
『子どもが出来たんだ』
男はそう言って隣の女の肩を抱く。ドクンと大きく心臓が鳴った。
(子ども?)
わたしの左手薬指にはダイヤの指輪。結婚式を数日後に控えた矢先の出来事だった。
『嘘……冗談だよね?』
『冗談でこんなことは言わない。子どもには父親が必要だろう? だから俺は、お前とは結婚できない。心配すんなよ。いつか俺よりも良い男が見つかるって』
どうしてそう思うの? 子どもには父親が必要? じゃあ、わたしは? わたしだってあなたを必要としていたよ? それなのに、全部子どもが優先なの?
いつか良い男が見つかる? ねえ、どうしてそんな、他人事みたいに言うの?
『ごめんね……まさか子どもができると思ってなくて』
女が言う。全然、悪いと思っていない声音で。
じゃあ、何? 子どもができなきゃ浮気しても良いの? 結婚が流れたわたしの気持ちは?
どうしてあなたなの? どうしてわたしの男を取るの?
どうして? どうして?
そんなこと、考えるだけ時間の無駄。分かっていても、涙はちっとも枯れてくれない。
心が重く、目の前が真っ暗だった。
もう、何もかもがどうでも良かった。
わたしは無価値で、誰からも必要とされなくて。
生きている意味も理由もない。
気が付いたら、わたしは赤ん坊に――――ジャンヌに生まれ変わっていた。
(朝か……)
カーテンの隙間から射し込む朝日に目を擦る。
前世のコンクリートジャングルとは違い、森の朝はとても優しい。木漏れ日は柔らかく、温かく、清々しい気分にしてくれる。
さて、朝ごはん――――と思ったところでわたしはハタと気づいた。
(別に、作る必要ないじゃない)
この家にはもう、わたし一人しか居ないんだもの。
六年間我が家に居候していたマリアは昨日、イケメン神官に連れられ、王都にある神殿で暮らすことになった。今頃は、こことは比べ物にならないリッチな朝食を食べていることだろう。
わたし一人だけなら、朝ごはんを作る必要はない。食べる必要だってない。
太陽が空のてっぺんに昇るまで寝なおして、それ以上眠れなくなったら適当に起きて。適当なものを適当に食べて、眠くなったら寝れば良いんだもの。
そもそも、マリアが居る時だって大したご飯を作ってなかったし。面倒くさがりだもん、わたし。焼いただけのパンとか、肉を炒めただけの大皿一品料理ぐらいしか出せない女なんだし。
(寝よ)
布団を被りなおし、目を瞑る。
ありがたいことに、睡魔はすぐに訪れた。
「ごめん下さい!」
それからどのぐらい経っただろう。玄関の扉を叩く音が聞こえてきた。
(うるさいなぁ)
こんな森の奥深く、来客など滅多にありゃしない。道に迷った旅人が助けを求めに来たのか、はたまた薬を急ぐ町人か。
どちらにせよ、助けてやる義理など無いのだから、居留守を使うに限る。
「ごめん下さい!」
声が言う。ドンドンとノックが響く。思ったよりもしつこいようだ。
だけど、こちらも根競べは苦手じゃない。シーツをしっかりと被りなおす。
外の明るさを鑑みるに、既に正午を過ぎているらしい。だけどわたしはまだ寝れる。まだまだ寝れる。この客さえいなくなってくれれば。
「ジャンヌ殿! いらっしゃるのでしょう?」
次の瞬間、客はハッキリわたしの名前を呼んだ。
そう言えば、声にも何となく聞き覚えがある。
杖を振り、玄関のカギを開けてやる。すると、現れたのは昨日マリアを連れて行った見た目が無駄に美しい神官だった。