19.世の中には、知らないほうが良いことも有るようです
夜会はそれから数日後、あっという間に開かれた。
「見てみて、ジャンヌさん! 可愛いでしょう?」
「はいはい、可愛い可愛い」
己の髪の色と同じピンクのドレスを身に纏い、マリアが嬉しそうにターンをする。
六歳の少女に相応しいフリルやレースがふんだんにあしらわれたそのドレスは、王室からの贈り物らしい。
子供心をくすぐる大きな宝石のはめ込まれたヘッドティカにイヤリング。日曜朝の戦うヒロインが身につけていそうな愛らしいデザインだ。
(わたしもああいうものに憧れていた頃があった……んだっけ?)
悲しいかな、とてもぼんやりとしか覚えていない。
我ながら随分と擦れたおとなになってしまったものだ。マリアのように、素直にオシャレを楽しめるような性格なら良かったのに。
「さてさて、ジャンヌ殿もお着替えの時間ですよ」
「――――分かってるわよ」
上機嫌の神官様に急かされ、わたしも渋々着替えを始めた。
魔法を使ってコルセットを締め、神官様が用意したドレスに身を包む。
髪色に近いシャンパンゴールドのドレス。細かな刺繍が施されていて、派手すぎず、そして地味すぎない。浮いてしまうのが一番問題だから、良い感じに場に溶け込めそうな印象で、わたしはホッと胸を撫で下ろした。
「わぁ、ジャンヌさん綺麗っ! 素敵!」
「はいはい、ありがとう。マリアはホント、褒め上手だね」
ぶっきら棒に頭を撫でれば、マリアは嬉しそうに目を細めた。
「本当に思ってるもん! ジャンヌさんが一番綺麗! セドリックもそう思うでしょう?」
マリアが問いかけると、神官様は呆けた表情でその場に突っ立っていた。
「――――別に、無理して褒めなくて良いわよ」
神官様がハッと大きく目を見開く。それから彼は、大きく首を横に振った。
「そんなまさか! 私はただ、美しいジャンヌ殿の姿に見惚れていたんですよ!」
「どうだか。貴方は自分が一番美しいと思っているでしょう?」
神官様はナルシストだから。
己の顔が基準だから、他の人間は全員へのへのもへじ状態に違いない。
「それについては否定しませんが、女性の中でジャンヌ殿が一番美しいと思ってますよ」
(否定しないんかい!)
思わず吹き出しそうになりながら、わたしは小さく息を吐く。
「神官様って、本当に素直な人ですよね」
天邪鬼なわたしとは大違い。
まぁ、ペラペラとよく口が動くから、何処までが本心か分からないけど。
「えぇ? ジャンヌ殿も十分、素直だと思いますよ?」
「ハッ! これの一体どこが?」
「見ていたら分かりますから」
神官様はそう言って、わたしの頭をよしよしと撫でる。慈愛に満ちた笑顔。思わぬことに、わたしは飛び上がってしまった。
(一体何をしてるんだ、この男は……!)
そんな意地っ張りな子供を見守るような生温かい目で見るのは止めてほしい! わたしはこれでも大人。いい大人なんだから!
そりゃあ、言動や行動が伴っていないかもしれないけど、それでも。
「そう言えば、ジュエリーをお渡しするのが未だでしたね」
神官様はそう言って、わたしの背後に回り込む。
「ジュエリー? 別にそんなの無くても……」
「ダメですよ。物事、バランスというものが重要です。
夜会の規模に応じたドレスを着る。それに見合ったジュエリーを身につける。
その場の空気に溶け込むためにも、必要なことだと思いませんか?」
「――――そりゃあ、そうですけど」
ダメだ。神官様にはわたしの思考回路が完全に読まれている。そう言われて断れるはずがない。
「大丈夫。今回かかった費用は出世払いということにしておきますから! 遠慮なく貰ってください!」
「はぁ? 出世払い?」
何だそりゃ。わたしには出世する予定なんてありませんけど。
マリアが正式に聖女に就任して、神殿から自由に出られるようになったら、自宅に帰るつもり満々だし。
そんなことを思っていたら、神官様がニヤリと瞳を細めた。
「――――私のお嫁さんになれば良いでしょう?」
「っ⁉ ――――はぁ⁉」
耳元で熱っぽく囁かれ、わたしは思わず後退る。マリアや侍女たちから、黄色い声が飛び交った。
「馬っ鹿じゃないんですか! 誰が貴方なんかと……!
大体、自分と結婚することを『出世』扱いするなんて、うぬぼれも良いところです!」
「え〜〜? 妙案だと思うんですけどねぇ。ジャンヌ殿だって、案外私のことが好きでしょう?」
「ないない、ないです! 全然! 全く! ありえない!」
色めき立つギャラリーに向かって手を振り、全力で否定する。
全く。
元々ふざけた人だけど、こういうたちの悪い冗談は止めてほしい。でないと心臓がもたないし。本当、ありえない。
「それはそうと、ジャンヌ殿。ほら、じっとしてください」
首筋にずっしりと重みを感じる。
深い青色の大きな宝石。昔映画で見たのとよく似ている。あれって確か、数十億円とかって聞いた気がしたけど、宝石に詳しくないから分かんない。さすがにそこまでの価値は無いだろうけど。
「神官様――――あんまり聞きたくないんですけど、これ、いくらしたんです?」
「え? 知ったら私と結婚してくれるんですか?」
神官様はそう言って、ニコリと笑った。とてつもなく邪悪な笑みだ。
世の中には知らないほうが良いことも沢山存在する。
神官様の顔つきを見るに、これは間違いなく『知らないほうが良いこと』だろう。
わたしは大きく首を横に振り、急いでマリアの手を握る。
「さっさと行きましょう、さっさと!」
「ええ」
神官様はそう言って、クックッと喉を鳴らして笑った。