17.神官様にこれまでのわたしを否定されました
(疲れた…………もう一歩も動きたくない)
お昼の鐘が鳴り響く。
わたしはベッドに身体を投げ出し、唸り声を上げていた。
「大丈夫、ジャンヌさん?」
「ダメ。無理。もうヤダ。家に帰りたい」
これじゃどっちが子どもなのか、全くわからない。
だけど、都合三時間、普段使わない足やら表情筋を酷使したんだもの。疲れるのは当然だと思う。
「だけど、ジャンヌさんすごかったよ! お客さんみんな喜んでた! 嬉しそうだったもん」
「あぁ…………さいですか」
別に、誰かが喜んだところでわたしには関係ないし。
こちとら、前世の学生時代のバイトを思い出しながら、時間が過ぎ去るのを待っていただけだもん。スマイルゼロ円。オペレーションしないでいい分、こっちの方が多少は楽だったし。隠遁生活を送っていた現世と前世じゃ体力が段違いだから、へばったってだけでさ。
「いやぁ、先程はお疲れさまでした、ジャンヌ殿」
「――――出たな、諸悪の根源」
上機嫌な声音を頭上で聞きつつ、わたしは思い切り悪態を吐く。
「諸悪の根源だなんて、心外だなぁ。皆さんとっても喜んでいたし、ジャンヌ殿だって活き活きしていたじゃありませんか?」
「貴方の目は節穴なの? 洞穴なの? わたしのどこが活き活きしていたって言うのよ」
神官様は、わたしの返事にふふ、と笑うと、ベッドサイドに腰掛ける。最早文句を言う気力もなくて、わたしは小さくため息を吐いた。
「疲れたでしょう? 昼食はこの部屋で一緒にとりましょうね?」
神官様がわたしを撫でる。まるで猫でも愛でるみたいに、よしよし、って何度も。
やめて――――そう言いたいのに、聖力でも流し込まれているんだろうか。疲れた心と体に不思議と染み込んで、振り払うことができない。
「いらない。食欲ない。疲れたし、もう眠りたい」
かろうじてそう言い返す。
だけど、悲しいかな。目はランランと冴えている。身体も心もヘトヘトなのに、不思議なことだ。
「食べなきゃダメですよ。食べることは生きること。人間の三大欲求の一つです。
それに、労働のあとの食事は、一層美味しく感じられるものですから」
「そうだよ、ジャンヌさん。お昼ごはん、とっても美味しいんだよ。一緒にご飯食べよ!
あっ、そうだ! あたし、今日のご飯はなにか見てくるね! ジャンヌさんの好物かもしれないし!」
パタパタとマリアの足音が聞こえる。わたしは静かに目を瞑った。
「人々の前に立ってみて、どうでしたか?」
「……どうもこうもないわ。疲れただけ」
「またまた〜〜。それだけじゃないでしょう?」
神官様がわたしの上にのしかかる。わたしはそっと唇を尖らせた。
「何なんでしょうね、あの人達……ただ手を握っただけなのに。なんでみんな、あんなに喜ぶんですか?」
目をつぶると浮かび上がる、人々の笑顔。
さっきからずっと、心の中がモヤモヤしている。
わたしなんて、何の価値もない人間なのに。
ずぼらで、口が悪くて、子供の面倒もろくにみれない。何をするにも『嫌だ』とか『面倒くさい』とか、『意味がない』って思っている、見てくれだけ良い人間なのに、どうして――――。
「『願い事を叶えてくれる人が、必ずしも優しいってわけじゃない』」
「……え?」
「以前ジャンヌ殿が、マリア様にお伝えしていた言葉です。
貴女の言う通り、人々はとかく、自分のために動いてくれる人、願いを叶えてくれる人を『優しい』と感じがちです。
けれど、私もそれだけが優しさではないと思っています。
ときに厳しい言葉を投げかけ、嫌われ役を買ってでも、『何が一番その人のためになるのか』を考えられる人は、そう多くはありません。
貴女は、人々を導くことができる人です。誰かのために、本気で親身になれる人です。
マリア様を手放したのだって、彼女の幸せを思ってのことでしょう? 今日神殿に訪れた人々には、そんな貴女の優しさが伝わったんじゃないでしょうか?」
神官様はそう言って、布団ごとわたしを抱き締める。じわじわと、温もりが心と体を侵食していく。
わたしは小さく首を横に振った。
「……違うわ。わたしはただ、あの子の世話をするのが面倒だっただけ。全部、全部自分のためだもん」
「嘘をつきなさい。あんなに寂しがっていたくせに、私の前でまで強がらないでください」
神官様が苦笑する。目頭がじわりと熱くなった。
「私に対して『嫌だ』、『嫌いだ』と言うのと同じように、寂しいときは人に甘えてください。苦しいときは苦しいと言ってください。いろんなことを抱え込んで、一人になるのはもう止めてください」
「わたし、寂しいなんて言ってないもの! 苦しいだなんて、一言も……!」
言葉とは裏腹に、瞳から涙がこぼれ落ちる。
なんで? いつから?
わたしはどうして泣いているの?
わからない。自分の心が、ちっとも理解できない。
ポロポロと止めどなく流れる涙を、神官様は優しく拭った。
「貴女にとって、マリア様は大切な家族だったんです。六年間、大事に慈しんできた存在なんです。そんな人をいきなり失って、寂しくないはずがありません」
よしよし、と頭を撫でられ、抱き締められる。
(わたしは――――寂しかった)
マリアが居なくなってから一度だって『寂しい』なんて単語が頭を過ぎったことはない。
だけどわたしは、神官様の言う通り、寂しかったのだと思う。
深い森の中で、誰にも忘れられ、死んだように一人で暮らすことが。
寂しくて――――
そして、堪らなく怖かった。
だけど、そんな気持ちを認められるはずがない。
だってわたしは。
わたしは――――
「どれだけ強がってみたところで、人の心には限界があります。貴女はご自分で思うほど、強い人じゃありません。強くあらねばと思う必要もありません。
誰かに縋って良いんです。頼って良いんです。泣いても、嫌がっても、叫んでも、良いんですよ」
『お前は強いから』
頭の中で、いつかの、誰かの言葉が木霊する。
『だから、俺が居なくても大丈夫だよ』
それはまるで、呪いみたいな言葉だった。
そうして、その言葉通り、わたしは再び一人になる。
大丈夫だって思わないと、自分を保てなかった。
強くならなきゃ。
だってまた、一人ぼっちになってしまうのだから。
みんな、わたしを置いていってしまうんだから。
簡単に捨ててしまえる存在だから。何の価値もないんだから。
それでも、現世では生きていけるようにならなきゃって。
「うっ……うぅ…………」
嗚咽が漏れる。
神官様が、これまで必死に保ってきた『わたし』という存在を否定する。
だけど何故だろう。不思議とそれが嫌ではなかった。
「ジャンヌ殿、貴女は素晴らしい女性です。どうか自信を持って。貴女らしく生きてください」
疲れた心に神官様の言葉が染みる。
絶対、逃げてやるって思っていたのに。
「うん」
気づいたらわたしは、そんな風に応えていた。