15.変な方向に引っ張られています
リンゴーンと厳かな鐘の音が響き渡る。その瞬間、神殿前の広場から、割れんばかりの歓声が上がった。
(いや、開幕のブザーかよ)
ありがたい筈の神殿の鐘の音なのに! 前世で親友に連れられて一度だけ行ったコンサートを思い出しつつ、わたしは心のなかでツッコミを入れる。
こうしている間にも、集まった人々は各々の推しメンの名前を叫び、神官たちの登場を今か今かと待っている。
「皆様、お待たせいたしました」
前世でいう拡声器的なものを手に、神官様やマリアが皆の前へ出る。その瞬間、割れんばかりの黄色い声援が広間に響き渡った。
「本日のお祈りを開始いたします。どうぞ、ゆっくりと、順番に前へお進みください」
なんだろう。とてつもない違和感を感じる。
やっていることはアイドルの握手会なのに、口調が事務的というか、砕けていないせいだろうな。めちゃくちゃちぐはぐだ。
「なお、本日から新しいメンバーを迎えております」
神官様がそう言って、わたしの方を振り返る。
いや、メンバーとか言っちゃってるよ、この人。そりゃ、わたしは神官じゃないし! 他に言葉が見つからなかったのかもしれないけどさ!
最早逃げ道はない。ゆっくりと神官様達の前へと進み出れば、野太い雄叫びが上がった。
なにこれ。めちゃくちゃ恥ずかしいし、居た堪れない。
逃げ出そうとしたわたしの腕を、神官様が瞬時に掴んだ。
「逃げたらダメですよ、ジャンヌ殿」
「無理です! こんなに人がいるなんて聞いてませんし!」
「言ったでしょう? 私は一日に二十万ウェル稼ぐ男だって」
「知るか、そんなこと! そっから来殿者数を割り出せるわけ無いでしょう! もう! 本気でどうすりゃいいんですか?」
こちとら昨日まで隠遁生活を送っていたんですけど! いきなりこんな大勢の前に引っ張り出されちゃ堪らない!
「笑ってください」
「は?」
「笑っていたら、大抵のことは解決できます。人間、怒りにまみれた時、逃げたくなってしまった時にこそ、表向きは笑顔で、裏で歯を食いしばって踏ん張るのです」
神官様は、神妙な面持ちでそんな高説を説く。
「いや、そもそもこの状況を作り出したのは貴方ですし? これ、絶対に避けて通れない道でもないですし? わたしは逃げます。止めないでください」
そう言って背中を向けたわたしの腕を、神官様が強く引く。
結果、ぐらりと体制が崩れ、わたしは神官様に抱きとめられてしまった。
きゃーー!とつんざくような悲鳴が響き、次いでうぉおおという雄叫びが聞こえる。ただでさえ緊張で心臓がバクバク言っているのに、神官様に顔をぐっと寄せられ、半ばパニック状態だ。
「大人しくしないと、このままキスしますよ?」
「は⁉」
一体この人は何を言ってるの! 馬鹿じゃないの⁉
っていうか、神殿に来て以降、性格変わってません⁉
元々強引な人だけど、変な方向に引っ張られてばかり。これじゃマジで身がもたない。
「一度は『やる』と言ったのでしょう?」
「いや、やるとは言ってない。仮に言ったとしても、貴方に言わされただけで……」
「言わされたとしても、約束は約束。逃しませんよ」
いつになく低い声音で囁かれ、背筋がぶるりと震える。腰を抱かれ、頬を撫でられ、変な汗が背中を濡らす。
どういう状況よ、これ。しかも、めっちゃ大勢に見られてるし。
「よく考えてみてください。貴方が少し笑顔を振りまくだけで、沢山の人が幸せになれるんです。そして、私からのキスも回避できる。素晴らしい提案でしょう?」
「わかったから。……お願いだから、もう喋らないで」
喋ったら唇が触れちゃうから。っていうか、わたしの処理能力を超えてるから!
今はもう、黙って言うことを聞くのが一番だ。
「――――貴女はもっと、自分の価値を知るべきなんです」
「…………え?」
蚊の鳴くようなか細い声。聞き間違いだろうか。
わけが分からぬまま、神官様の手を借り、わたしはむくりと起き上がる。神官様はニコリと微笑み、わたしを皆の前に立たせる。
深呼吸を一つ、歯を食いしばって、わたしは無理やり微笑んだ。
「先程は失礼致しました。あまりの人の多さに驚き、体勢を崩してしまって……」
こうなったら、徹底的に猫を被ってやる。じゃないと、神官様のファンに何されるかわからない! 今ここでこの男を罵ったり、被害者ぶったりしたら、火まつりにされても文句は言えない。そういう強い気を感じる。
「改めまして、おはようございます。ジャンヌと申します。皆様、どうぞ、よろしくお願いいたします」
至上命題:人畜無害な女性を演じること。
清楚で、清らかで、色恋とは無縁の聖女を演じる。
わたしの今後の身の安全のために。
神官様から逃れられる、幸せな未来のために!
野太い歓声が上がる。彼等を遠目に見つめつつ、神官様に繋がれたままの手を必死で引く。残念ながらびくともしない。来殿者からは見えない位置だけど、物凄く不快だ。
「本当に、よろしくお願いしますね、ジャンヌ殿」
(誰がよろしくするもんか!)
心のなかで舌を出しつつ、わたしは神殿(=神官様)から逃亡することを決意するのだった。