13.いつも笑顔の人ほど、怒るととても怖いらしいです
たっぷりと時間をかけて身支度をしたあと、マリアが部屋に帰ってきた。
「ジャンヌさん、おはよう!」
「――――よくわたしが起きてるってわかったわね」
「わかるよ〜〜。だって、セドリックがお部屋の外で丸くなって座ってたもん」
「ああ……なるほど」
どうやらあの男は、未だ、誰からも助けてもらえないらしい。普段キラキラとカッコつけた神官様の情けない姿を、どれぐらいの人間が見たのだろう? 防音をしていたからわからないけど、実にいい気味である。
「サイリックを待っていたらしいんだけどね、可哀想だからあたしが助けてあげたの!」
「余計なことを」
くそう……マリアめ。ついこの間まで普通の女の子だったくせに! どうやら聖女っていうのは魔女と似て非なる力を持っているようだ。
「それで? 可哀想な神官様はどこへ行ったの?」
「えっとね、朝ごはんの準備をするって言ってたよ! 普段は食堂で食べるんだけど、今日はこのお部屋で食べていいよって!」
「は……」
「お食事の時間ですよ〜〜〜〜!」
上機嫌な神官様の声とともに、扉が勢いよく開く。
後には昨日見た数人の侍女が続いた。
「出た! 性懲りもなく、また来たのね……!」
っていうか、術を解かれたのは数分前でしょう! 早すぎっ。
「そんな、人を魔物みたいに言わなくても良いじゃありませんか!」
神官様はニコニコと微笑みつつ、テーブルに朝食をセッティングしていく。
「あなた、あんな目にあわされたのに、どうしてニコニコしていられるの⁉」
「あんな目? 私のモットーはキープスマイリング! 笑っていられないようなことは、何もありませんでしたよ?」
キョトンと目を丸くし、神官様が首を傾げる。
ダメだ。わたしにはこの男のことが、全く理解できない。
プライドをずたずたにしてやったつもりだったのに! 全く効いていないどころか、こっちがダメージを受けているじゃない!
もう嫌だ……ポジティブすぎて怖い。
本当に関わりたくないんだけど。
「さあさあ、朝食にしましょう? 早くしないと冷めてしまいますよ」
そう言って神官様は、わたしを無理やり座らせる。マリアもあとに続いた。
「どうです? 美味しそうでしょう?」
神官様はそう言って胸を張る。
テーブルに並べられたお料理は、まるで豪華ホテルで出されるモーニングのようだった。
みずみずしいサラダに、ほかほかと湯気の立つスープ。焼き立てのパンが数種類と、ベーコンやソーセージに香草の練り込まれたオムレツ。フルーツの盛り合わせに、この世界でいうコーヒー的な飲み物やミルク、果物ジュースが並ぶ。
「……まさかとは思いますが、毎日こんなに豪勢なんですか?」
今日が特別ならば良い。だけどこれ、量も多けりゃ種類も多い。バターの香りも強いし、胃もたれが確定してしまう。
「そうですよ? 朝食はしっかりとらないと」
神官様は目を丸くして首を傾げる。わたしは思わず頭を抱えた。
皆で手を合わせ、食事を始める。
料理は当然美味しかった。やっぱりここの料理人の腕は良い。すごく良い。
でもなぁ。
「…………あの、明日からキッチンって借りられます?」
「キッチン? そりゃ、使ってもらって構いませんが、なぜ?」
「わたし、自分で朝食を準備します」
美味しいけど、こんな生活を続けていたら、すぐに身体を壊してしまう。
少なくとも、わたしには合わない。
洋食ならトースト一枚、和食ならおにぎり一個程度で良いのよ、マジで。
「わ〜〜! マリアもそっちが良い! ジャンヌさんの朝食が良い!」
「あんたはこっちを食べなよ。食べ盛りなんだしさ」
っていうか、わたしは別に朝食なんて食べなくてもいいし。正直普段ならまだ眠っている時間だもん。
「あたし、ジャンヌさんのご飯が食べたい!」
マリアが声を張り上げる。
しまった。こうなったマリアは頑固で面倒だ。
「わかった。取り敢えず明日だけね」
「うん! やった! 楽しみ!」
この程度の軽い約束ならマリアもきっと忘れてくれるだろう。仮に覚えていたとしても大きな支障はない。
(どうせここで過ごすのも、二ヶ月間だけなんだし)
そんなことを考えつつ、小さなため息が漏れる。
「さてさて、ジャンヌ殿にこのあとの予定を発表します!」
その時、神官様が唐突に話題を変えた。
「予定?」
「ええ。もうすぐしたら、人々が神殿を訪れ始めます。朝の鐘が鳴ったら、神官たちが立ち並び、彼等の祈りや願い事を聞きます」
「はぁ……」
そういえば、前に寄付を得るための行動が云々って言ってたっけ。この男が話を聞いてやると、女性参拝者たちが『神殿のために』って、金品を置いていくんだとか。
「だけどそれ、わたしになんの関係が?」
「ジャンヌ殿にも、皆様のお話を聞いていただこうと思いまして」
「は⁉」
なにそれ! 聞いてない。
っていうか、話が違うじゃない!
「あなた! わたしはここに居る間、家事とか面倒なことはしなくて良くなるって言いましたよね⁉」
「ええ。そのとおりです。だけど、何もしなくていいとは言ってませんよ?」
瞳を細め、神官様が笑う。
あっ、やばい。めっちゃ目が据わっている。
この人、実はさっきのこと怒ってたんだ。笑ってるけど! 寧ろ怖いんですけども!
「実は、マリア様が来てくださって以降、神殿への寄付が倍増してましてね」
神官様は立ち上がり、わたしのことをそっと見下ろす。柔らかな笑み。だけど、見ているだけで背筋が凍る。
「かねてより、男性の参拝者を増やしたいと思っていたのですよ。
ジャンヌ殿はこの通り、大層お美しいですから」
蠱惑的な笑み。ギュッと手を握られ、耳元でそんなことを囁かれる。ゾワゾワと身の毛がよだち、呆然と目を見開くわたしの頬に、彼はそっと口づける。
子供の前で何してんのよ! ――――そう叫んでやりたいところだけど、マリアは食事に夢中だし。ちょっと今、この男に逆らえそうにない。
「一緒に来ていただけますね、ジャンヌ殿?」
彼はそう言ってわたしを見つめる。
近い。ちょっと動いたら唇が触れ合いそうな程、近いんですけど。
「…………行きます。いえ、行かせていただきます」
最早、それ以外に返す言葉が見つからなかった。