11.お伽話を読みました
用意された寝具は大きくて、とてもフカフカだった。
前世でいう、旅先での非日常みたいな。ホテルや旅館で一流のおもてなしを受けているかのようなラグジュアリー感。お風呂も広くて豪華だったし、かなり快適だ。
(悪くないなぁ)
上げ膳に据え膳。
お部屋はとても綺麗だし、他の家事のための労力も不要だし。
まさに旅行気分。短期間なら悪くないかも、なんて思ってしまう。
「ジャンヌさん、これ読んで!」
ぼふんと音を立ててベッドが揺れる。
見れば、マリアが瞳を輝かせつつ、絵本を胸に抱えていた。
「もう……あんたの部屋は隣でしょう?」
広々としたベッドが一気に狭くなる。枕のあたりまで這い上がりながら、マリアはわたしに縋りついた。
「本も優しい侍女のお姉さんに読んでもらった方が良いと思うよ?」
神殿に仕えているだけあって、彼女達の慈愛の精神は相当なもの。
わたしに面倒くさそうに読まれるより、そっちの方が余程良いと思うんだけど。
「だってーー、ジャンヌさんに読んで欲しいんだもん! 読んで! 読んで!」
全く。マリアはこうなったらしつこい。
梃子でもベッドを動かないし、何ならこのまま寝るつもりに違いない。
「仕方ないなぁ……」
呟きながら絵本を開く。
どうやら本をチョイスしたのは神殿側の人間らしい。
わたしじゃ絶対買わないような『聖女の奇跡』だとか『神の誕生』だとか、聖書的チックで真面目で綺麗な物語だ。
「なになに? 昔々、あるところに、心優しく美しい少女が居ました。少女は神がこの世に遣わした聖女で、数々の奇跡を起こすことが出来ました――――っと」
なに? 聖女ってこの世界じゃそんなメジャーな存在なの?
お伽話のお姫様みたいな?
前世においてイエスキリストは、親が余程信心深くない限り、子どもには無縁の代物だと思ってたけど。
「聖女は人々の傷を癒し、飢えを満たし、深い慈愛の心で精神に安らぎを与え、幸せを届けることが出来ます」
「ジャンヌさん、これ、マリアなんだって! マリアがするんだって!」
「ああ、はいはい。そうね」
何という刷り込み教育。わたしみたいな擦れた大人からすれば笑えてしまうけど……まあ、魔法の存在する世界だし、強ち間違ってはいないのだろう。
「聖女は己の幸せを差し置いてでも、人々のために身を尽くし、常に奉仕の精神をもって暮らします。己が苦しい時も、他人が苦しんでいればすぐに駆けつけ、彼等のためにその身を捧げます。自分の気持ちより、他人の気持ちを優先します――――って! バッカじゃないの? あんた、何でこんな本読まされてるのよ」
呆れた。これじゃ刷り込み教育っていうより洗脳じゃない!
声を荒げるわたしに、マリアはそっと首を傾げる。
「ええ? だけどこれ、神官様たちが選んでくれた絵本だよ? 侍女達も普通に読んでくれたし、おかしなところなんてないよ?」
「おかしいわよ。何で子どもが自己犠牲の精神なんて叩きこまれなきゃいけないの!」
ナイチンゲールやマザーテレサみたいな生き方は、誰かに強要されてするもんじゃない。本人がそれを望むなら別だし、そういう生き方が望ましいっていう風潮も分かる。
だけどそれを、十歳にも満たない子どもに押し付けるなんておかしい。どうかしている。
「神官様はあんたがこんな絵本を読んでるって知ってるの?」
「神官様? セドリックのこと?」
「そう、あいつ! アイツはこのこと知ってるの?」
知ってるとしたら、とんでもない奴だ。普段善人ぶってる癖に、めちゃくちゃ見損なってしまう。
「ううん。教育係は別の人だから」
「そっか……そうなの」
だとしても、この状況を看過している時点で最悪。全く、神殿って言うのは碌な大人が居ないんだろうか?
「ふふ……」
その時、マリアがわたしに抱き付いた。
「なによ?」
「ううん。やっぱりマリアは、ジャンヌさんが読んでくれる変なお話が好きだなぁと思って。何故か果物から生まれちゃうヒーローのお話とか、竹から生まれて最後にはお月様に帰っていくお姫様の話とか」
「ああ、あれね。考えたのはわたしじゃないけどね」
思い返せば、前世の童話ってすごく優秀だ。不思議で、案外奥が深いところとか。なんでやねん!ってツッコミ入れたくなるあたりとか。
「ねえねえ、マリアも木から生まれてたりするのかな?」
「木? ……さあねぇ? 分からないけど、可能性はあるかもね」
なーーんて。現実でそんなことがあるわけない。
とはいえ、わたしだって子どもの夢を無碍に壊したいわけじゃない。マリアにはリアルに母親が居ないし。捨てられたんじゃなくて神秘的な何かから生まれたって思った方が幸せだもんね。事実は誰にも分からないんだし。
「ジャンヌさん、あたしモモタローのお話が聞きたい! そっちの方が良い」
「良いけど、わたし絵本なんて持ってきてない。絵も字も無いわよ?」
「良いの! 目をつぶって想像するもん!」
マリアは言いながら、エッヘンと胸を張る。わたしは思わず笑ってしまった。
(仕方がない)
非常に面倒だけど、なんだか布団が温かいし。
偶にだったら、こういう夜も悪くない。
マリアはわたしが話すお伽話を、笑いながら聞いていた。二人でツッコミを入れながら話をしている内に、彼女はいつの間にか眠っていて。
わたしも、数日ぶりに声を上げて笑ったおかげか、その夜は妙にぐっすり眠ることが出来たのだった。