太陽と猫の悪党退治:後編
暴力表現があります。
苦手な方は注意してください。
【太陽と猫の悪党退治:後編】
「たった今、エルダー司祭の治療が終わったそうです」
見習い僧の報告に、机で書類に目を通していたサレナ司祭が苦々しい顔を浮かべる。
「エルダー司祭の容態は?」
「成功はしましたが、今夜が峠だそうです。とにかく、今夜は一人安静にさせることが良いとのことです」
「そうか。もう良い、下がれ」
見習い僧が退出すると、サレナ司祭が鼻を鳴らした。
そして、自らの机にある引き出し……その中にある板を外して、隠されたものを取り出した。
「小娘……それに、あのいけ好かない男……貴様らに我が悲願は決して潰れさせんぞ」
取り出したものを懐に仕舞い、そのまま部屋を出る。
長い回廊を歩き、なるべく人と会わないルートで、目的の部屋……エルダー司祭の部屋へと向かう。
報告によれば、エルダー司祭は、今一人自室で安静にしている。
彼付きの見習い僧も、今は己の罪に耐え切れず、神の元へと向かったであろう。
(誰にも邪魔はさせんぞ)
彼は、エルダー司祭の部屋の前に立つと、辺りを見回し、そしてこっそりと作った合鍵を使い、扉を開けた。
薄暗い部屋の奥、ベッドのシーツが膨らんでいる。
「悪く思うなよ?エルダー」
醜悪な笑いを浮かべながら、サレナ司祭はベッドへと近づく。
「我が野望……ヘルバ教の大司教となり、やがてリリアナ聖教国教皇の座を得る為には、このような場所で足踏みするわけにはいかんのだ」
そう言ながら、先程引き出しから取り出した物…注射器を取り出す。
「恨むなら、貴様を後継者へと推薦した、司教を恨め」
そう言いながら、覆っているシーツを掴み、そのまま捲った。
だが――――
「なっ!?」
注射器を持ったままのサレナ司祭が、驚愕の声を上げる。
そこにいるのは、人ではなく、ただの……――――
「すげーだろ?只の余り布や干草でも、こうやってダミー人形を作ることが出来るんだぜ?」
その言葉とともに、部屋の灯りが灯された。
眩い光に、一瞬だけ目を閉じたサレナ司祭。
彼が目を開けると、隣部屋へと続く扉の前にヒューゴとエルダー司祭、そして彼を支えるソフィアと見習い僧のアドニスがいた。
「で?こんな時間に何しようとしてんだ?司祭さんよ」
ニヤッと笑うヒューゴに、サレナ司祭が青ざめた顔でバッと注射器を隠した。
そのまま、引き攣った顔で後ずさる。
「な、何をとはなんだ!我はただエルダーを見舞いに来ただけ――――」
「見舞い?それは可笑しいですね」
ガシッ
「見舞いにしては、随分と不穏なことを仰っていましたよね?リリアナ聖教国教皇の座がどうとか、恨むなら司教を恨めとか……」
「ぎゃあぁぁぁっ!!!やめろ!離せー―!!!」
ベッドの物陰に隠れていたルカがサレナ司祭の腕を掴んだ。
余程力を込めたのであろう、サレナ司祭が断末魔のような叫びを上げる。
すると、彼の手から注射器が落ち、それが奇怪な落書きが描かれた、ダミー人形の顔に突き刺さった。
それを、また別の手が引き抜く。
「サレナ司祭、流石に注射器持ってお見舞いってのは可笑しいでしょ?」
注射器を手に取ったオリバーが、笑いながらも、どこか厳しい目つきでサレナ司祭を見据えた。
「何者だ!?貴様、我を誰だと!」
「私の上司である、ゼフィール様ですが、何か?」
ルカの言葉に、サレナ司祭が顔面蒼白で言葉を失った。
一方のオリバーは、もうその反応は慣れたといわんばかりに溜息をつく。
「ゼ、ゼフィール様!これは何かの間違いなのでございます!これは!」
「はいはい、続きはこれの正体が判明してからね。ソフィアちゃん、これどんなお薬?」
そのまま、オリバーがソフィアのところへとやってくる。
オリバーに手渡された注射器を受け取り、中身を確認する。
乙女の顔が、一気に青ざめた。
「これは……胆礬?何でこんなもの!」
「胆礬?聞かない名前だな?それは何の薬だ?」
ヒューゴの問いに、ソフィアは青ざめたまま首を振る。
「胆礬は、薬なんかじゃない。猛毒を宿した鉱石なの。これは、水に溶ける。例えば、胆礬の結晶を池に投げ入れたら、その池に棲む動植物は死滅する」
「―――なるほど、つまりとんでもない猛毒ってことには変わりないんだな」
ヒューゴが、鋭い視線でサレナ司祭を見据えた。
その眼差しに、サレナ司祭が気おされたように、後ずさる。
そして……―――
「くそ!最早これまで!」
そのまま、懐に手を入れ、何かを取り出した。
だが…――――
ヒュッ!
「ぐわぁっ!?」
サレナ司祭が手を押さえ、蹲った。
その横で、双剣の片方を引き抜いたルカが、笑みを浮かべている。
「いけませんよ?毒物は取り扱い注意です」
剣の上に乗っている小瓶を手に取り、サレナ司祭を見下ろす。
「ぐっ!ぐぞ~!」
痛みを堪えたサレナ司祭が、今度は走り出した。
窓に足をかける姿に、司祭が逃亡を図ろうとしていることは、明らかだった。
「ルカちゃん!何見逃してるの!?」
司祭をすぐに追おうとせず、のんびりとした動きでルカが窓の淵に足をかける。
思わず、声を上げるオリバー。
その間にも、サレナ司祭は二階建ての建物をするすると降りていく。
肥満体型の割に、運動神経が良いようだった。
焦るオリバーに、けれどルカはにっこりと笑い、こう言い切った。
「逃がすつもりはありませんし、見逃しているわけではありませんよ。ただ―――」
ルカが二階建ての窓から飛び降りた。
そして、あっという間に、一目散に走るサレナ司祭に追いつく。
ドカッ!
白銀の紳士は、愛用する鞘がついたままの双剣で、太った身体に打撃を与えた。
宙に舞ったサレナ司祭に、ルカは剣を構えたまま、にっこりと笑う。
「彼を捕らえるのは、私の役目ではありません」
その言葉と同時に、いつの間にか窓から大木の枝に移っていたヒューゴが大きく跳躍する。
「後は貴方の役目ですよ?―――ヒューゴ」
月を背景に、鞘のついた長剣を振り上げた青年は、フッと笑った。
そして――――
「あぁ、ありがとよ」
ガッ!!!
そのまま、落下する重力を上乗せし、止めの一撃をサレナ司祭に叩き込む。
ドゴオォォッ!
「ガハッ!」
サレナ司祭はそのまま地面へと沈んだ。
着地したヒューゴは、背を向けたままのルカに、屈託のない笑顔を向ける。
「やったな、相棒」
「誰が相棒ですか」
「ここまで、動きを合わせられたんだ。俺達、良いコンビになれると思うぜ?」
ヒューゴの言葉に、ルカはツンとした態度のまま、何も言わなかった。
すると、オリバーが急いで駆け寄ってくる。
「ちょっと、ヒューゴ!こういう危険なことをされたら困るんだけど!?」
いきなり、小言を言い出すオリバーに、ヒューゴが面倒そうに頭を掻いた。
「何だよ。別に危ないことはしていないだろ?」
「してるでしょ!ルカちゃんも、あんまりヒューゴに危険なことさせないで!」
「私は、ただ彼の意見を尊重しただけですよ?」
三人が言い争っている間に、ソフィアとアドニス、そしてエルダー司祭がようやく追いつく。
「ルカ!ヒューゴ!」
「ソフィアさん」
エルダー司祭をアドニスに任せ、ルカへと駆け寄る。
猫紳士は、男二人に見せる顔とは正反対の優しい微笑みを浮かべ、彼女を腕の中に収めた。
「大丈夫?怪我はない?」
「えぇ、この通り何ともありませんよ。ソフィアさんこそ、よく頑張りましたね」
頬に触れ、コツンと額をくっつけるルカに、ソフィアは笑みを浮かべる。
「……ルカが励ましてくれたおかげだよ」
「私は何もしていませんよ」
「ううん。ルカが背中を押してくれなかったら、私は自分を信じることができなかった。ありがとう」
「フフ、どういたしまして」
良い雰囲気の二人に、残された面々が気まずそうに視線を逸らす中、気を失っていたサレナ司祭が呻いた。
縄を取り出して縛ろうとするオリバーを、エルダー司祭が制する。
「う…うぅっ…」
「目が覚めたか?サレナよ」
エルダー司祭が、静かな眼差しでサレナ司祭を見下ろした。
サレナ司祭が地面に這い蹲ったまま、ギリッと唇を噛み締める。
「そんなに、私が邪魔だったか?」
エルダー司祭のはしばみ色の瞳を、サレナ司祭が睨みつける。
「そこまでして、司教の座が欲しかったか?司教様を手にかけるほどに……」
その言葉に、ソフィアが目を見開いた。
彼女は、治療に専念していた為、まだ事の経緯を知らないのだ。
「どういうこと?司教様を手にかけたって」
「言葉の通りだよ、ソフィアちゃん。こいつはエルダー先生を殺そうとしただけじゃなく、前の司教を殺しているのさ。毒の鉱石を使ってね」
「ソレイユ様、ゼフィール様!」
オリバーがそう告げると同時に、教会にいるはずのない、数人の兵士が駆け寄ってくる。
「お、憲兵の皆さん。お疲れ様」
オリバーの砕けた言葉に、けれど彼らは真面目な態度で敬礼をする。
「テーレ様からの報告です!教会内における、裏取引の書類と品を全て押収致しました!」
「ご苦労。ならばアレックスに伝えろ。ただちに残党の者達を捕縛しにいけ。逃げられる前にな」
「はっ!」
去っていく兵士を見送るヒューゴに、ソフィアは言葉が出なかった。
今、あの兵士達は“ソレイユ様”と言った。
ソレイユとは、太陽……ローズブレイド王国においては王太子の称号である。
どういうことか、ヒューゴに尋ねたかったが、今はそんな場合ではなかった。
ソフィアがサレナ司祭に視線を向けると、エルダー司祭が厳しい顔つきで彼に問いかけていた。
「サレナよ、貴様も神に仕える身であろう?我らの役目を忘れたか。我らは神の教えの下、救いを求める人々に手を差し伸べ、幸福に生きる道をともに模索することが我らの大事な……」
「黙れ!貴様に何がわかる!」
サレナ司祭が憎悪に満ちた目でエルダー司祭を睨む。
「貴様に我の何がわかる!貴様と違い、我は自ら教会に入信したのではない!親に捨てられたからだ!」
サレナ司祭の叫びに、けれど誰も何も言わなかった。
それを、受容と受け取ったのだろうか。
サレナ司祭は勝手に自ら己の生い立ちを話し始める。
「我は、ダイヤモンド鉱脈で富みを築いた貴族の妾の子だった。しかし、唯一の男子だ。当然、跡を告ぐものだと思った母は、それに相応しい教育をしてくれた。なのに……正妻に嫡男が生まれると、父は我を邪魔者として教会に追いやった!」
血走った目には、明らかに現状への……社会への恨みが見てとれた。
けれど、エルダー司祭の目は一つも感情を宿すことなく、凪いでいる。
「だから、我は決めた!何が何でも上の地位に君臨すると!ヘルバ教の最上位である教皇の座!そこまで上り詰めるためには金と権力が必要だ!だからこそ、上の人間どもに下げたくもない頭を下げた!邪魔者も消してきた!もう少しなのだ!我はこのような所で立ち止まるわけにはいかんのだ!このような所で――」
ドカッ!!!
しかし、彼の言葉は最後まで発せられることはなかった。
エルダー司祭が、サレナ司祭の頬を殴ったからだ。
ソフィアが口を覆い、ルカが目を見開く中、ヒューゴとオリバーは驚くことなく、その光景を傍観している。
「言いたいことはそれだけか?」
エルダー司祭が、サレナ司祭の胸倉を掴む。
その姿は、とても先程まで死に掛けていた老人とは思えない。
「あ……ぐ……」
「貴様の野望とやらを否定する気はない。そもそも、興味がないからな。だが、その為に貴様に踏みにじられた者達の気持ちを考えたことがあるか?」
「た、他人のことなど関係な……!」
ゴッ!!!
「痛っう!」
強烈な頭突きをされ、サレナ司祭が呻く。
呆然とするソフィアとルカに、教え子だったヒューゴとオリバーが苦笑しながら、こう言った。
“じいさんは、根っからの武闘派なのだと”
その目の前で、老人はとても険しく、恐ろしい顔で、元同僚を責め立てた。
「貴様は己の欲望の為に、才能ある若者の未来を潰し、心優しき少女の心に深い傷を負わせた……わしの……わしのかけがえのない教え子達の、心と未来を踏みにじった!」
バキッ!ドカッ!
老人の拳が、惜しみなくサレナ司祭の顔に注がれる。
顔が腫れ上がり、半分意識が遠のきかけている中年の男に、エルダー司祭は、止めと言わんばかりに、みっともなく出ている腹に、拳を叩き込んだ。
「ぐはっ!!!」
「そんな貴様に神の教えを語る資格はない!」
エルダー司祭が一喝し、ようやく手を離すと、サレナ司祭はずるずるとその場に崩れてしまった。
「………」
「………」
「―――お嬢さん」
静まり返った雰囲気に、エルダー司祭が柔和な笑みを浮かべ、ソフィアに振り返る。
「申し訳ないが、この者の傷を治してくれませんか?」
そう言いながら、サレナ司祭を指す老人。
その姿は、先程まで鬼のような形相で人を殴っていたとは人物とは思えない。
「少し、やり過ぎてしまいました。いやはや、歳をとると、我慢がききませんな」
「じいさんは昔から我慢なんてしなかっただろ?……ってイテテテ!」
「いつも授業をサボろうとしていた悪ガキが言うようになったものじゃ」
そう言いながら、ニコニコとした顔でヒューゴの耳を引っ張るエルダー司祭。
その様は、ある意味では微笑ましい。
「まあまあ。先生も、もうその辺にして。病み上がりなんだから」
「人をいつまでも病人扱いするでない」
「アイテ!俺にまで手刀食らわせることないでしょ!?」
「あの……司祭様、そのように動かれたらお身体に……」
師と教え子のじゃれ合うような光景に、ソフィアとルカは二人で顔を見合わせた。
「一応、身分の高い人間のはずですよね?あの二人」
「うん……でも、師匠にとってはいつまでも可愛い教え子なんだよ。きっと」
今は亡きソフィアの師匠、ステラも薬師としてではなく、人としても大事なことを教えてくれた。
きっと、エルダー司祭にとっても、あの二人はいつまでも手のかかる可愛い教え子なのだろう。
「あれは、可愛がっているというのでしょうか……?」
二人まとめて絞め技をかける老人と、悲鳴を上げるヒューゴとオリバー、そしてそれを止めようとするアドニスの姿を見ながら、ルカが再度問う。
「た、たぶん…」
ソフィアはサレナ司祭の顔を治療しながら、苦笑いを浮かべた。
「ソフィア」
絞め技から解放されたヒューゴが、腕や首を押さえながら彼女へと歩み寄った。
「ありがとな、じいさんを助けてくれて」
面と向かってお礼を言われ、ソフィアは赤面する。
「そんな、お礼を言われるようなことなんて…」
「何謙遜してんだよ。実際、お前がいなかったらじいさんは殺されていたんだぜ?」
ヒューゴは、手が離せない乙女の前に膝をつき、しっかりと視線を合わせてくる。
「あんまり卑屈になるなよ。今回の結果は、誰が何と言おうとお前が頑張ったおかげなんだからよ」
「ヒューゴ……」
「じいさんを……エルダー先生を助けてくれたこと、本当に恩に切る」
そう言って、頭を下げるヒューゴに、ソフィアは微笑みを浮かべて、こう告げた。
「あなたの先生を助けられて、本当によかった……」
「ソフィア…」
ヒューゴの頬が、僅かに赤く染まる。
すると、彼は不意に身を乗り出し、顔を寄せてきた。
そして…―――
チュッ
「っ!?」
頬に触れた唇の感触に、咄嗟にサレナ司祭から手を離しそうになる。
「な、なっ!?」
真っ赤な顔で混乱するソフィアに対し、ヒューゴは、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「俺からの礼だ。これくらいなら、許してくれるだろ?」
そう言いながら、ぺろりと自らの唇を舐める。
だが、本当に許可を取らなければいけない相手は、彼女ではなかった。
それを知っているオリバーが、真っ青な顔でヒューゴに身振り手振りで合図を送る。
「ん?何だよ。オリバー、俺の顔に何かついてんのか?」
必死に自らの意図を知らせようとするオリバー。
けれど、全く気付かないヒューゴの肩に、スッと手が置かれた。
「ヒューゴ……」
ゾクッ!
振り返らずともわかる冷気に、青年が一気に青ざめる。
石化するオリバー。
驚きながらも傍観する老人。
訳がわからず、青ざめた顔で震える見習い僧。
そして、止めたくても身動きがとれず、慌てる乙女。
背後に立つ紳士は、その四人を視界に入れることなく、目の前の獲物を狙っていた。
おずおずと振り返るヒューゴに、ルカがにっこりと綺麗な笑みを浮かべる。
「最後に、言い残すことはありますか?」
「お、おい。ルカ、落ち着けって!ちょっと頬にキスしたくらいだろ!?それくらい…」
「フフフ…――――許すわけないでしょう?」
そう言って、早速エルダー司祭が見せてくれた絞め技を披露しようとする猫紳士。
その目は、完全に狩る者の目だった。
その後、ヒューゴの叫び声が敷地内に響き、慌てた兵士達が駆け寄ってきたのは、言うまでもなかった。
エルダー司祭は、元々有名な武官の出身。
家の跡継ぎだったが、弟に家督を継がせ、司祭になった。
ちなみに、ヒューゴの簡単なプロフィール
ヒューゴ・ルーカス・ローズブレイド
4月12日生まれ20歳 O型
趣味:脱走、社会見学、音楽、ダンス、手品
ローズブレイド王国王位継承権第一位