太陽と猫の悪党退治:前編
長かったので、分けました。
【太陽と猫の悪党退治:前編】
乙女は、横たわる老人の前に立ち、目を瞑った。
そして、一度だけ深呼吸をして……再度、目を開き、老人へと声をかける。
「今から、毒の摘出を行ないます。そのまま、楽にしていて下さい」
乙女の声に、老人はゆっくりと目を開いた。
「お嬢さん……悪いことは言わん。手を引きなさい」
その言葉に、ソフィアは僅かに驚く。
「エルダー司祭、どうして……」
「わかっているのじゃろう?毒に侵された私の命はもう長くないと……それに、失敗した時は、お嬢さんの立場が危うくなるばかりじゃ」
エルダー司祭は、ゆっくりと息を吐いた。
そして、ソフィアに向けて、優しい笑みを浮かべる。
「もう、この老いぼれは十分生きました。それに、最後にヒューゴ……教え子の立派な姿が見られた。カメリアのことも、ヒューゴやオリバーならきっと助け出してくれるでしょう。それだけで、もう思い残すことはない」
エルダー司祭の言葉は、少しも偽りのないものだった。
けれど……
「―――それなら、どうして泣いているのですか?」
ソフィアの問いに、老人は驚いて己の顔に手を当てた。
皺のある目じりを涙が伝っていく。
「ハハハ、お嬢さんには敵いませんな……私も、まだまだ修行が足りん」
そう言うと、エルダー司祭は自らの手で目を覆った。
それでも、止め処なく涙が目じりを伝っていく。
「ヒューゴの……彼の立派になった姿が見られた。それだけでもう十分でした。じゃが、叶うことなら、その勇姿をもう少しだけ見ていたい。カメリアのことも……教会に通う子供達のことも……まだ……」
「エルダー司祭……」
ソフィアは、老人の皺だらけの手をとった。
驚く老人に、ソフィアは笑った。
「大丈夫」
ソフィアの笑顔に、エルダー司祭の目から涙が止まる。
「絶対、助けますから」
その姿に、老人は一瞬だけ彼女の背後にうっすらと翼のようなものを見る。
「お嬢さん…あなたは……―――」
「私を……」
青い瞳が、淡く光を放ち始める。
そして、言い切った。
力強い言葉と、笑顔で…
“私を信じて下さい”と――――
【太陽と猫の悪党退治】
薄暗い部屋の中、人影は箱の中に手を突っ込み、何かを漁っていた。
彼は、箱の中から一本の小瓶を手に取り、コルクを開ける。
そして……――――
「死ぬ気か?」
突如、かけられた声に、人影はビクッと身を震わせた。
薬が保管されている保管室。
その入り口に、ヒューゴが扉に凭れ掛かりながら、その人物を見ている。
「お前が死んでも何の解決にもならないぜ?見習い僧のアドニス」
そう言って、彼は近くの仕掛けを押し、灯りを燈した。
小瓶を片手に、青ざめた表情のまま立ち尽くす、アドニスと呼ばれた青年が、そこにいた。
「お前、エルダーじいさん付きの見習い僧だったよな?それに、聞いた話じゃ、じいさんを心から慕っていたらしいじゃないか。そんなお前が、何でじいさんを殺そうとした?」
「……っ…」
「お前だろ?カメリアって子に毒を作らせたのは」
「……お許し下さい!」
アドニスと呼ばれた青年は、懺悔の言葉を叫ぶと、一気に小瓶の中身を口に入れようとした。
だが、その手首を別の手が、掴んだ。
そして、すぐさま見習い僧の腕を捻り上げ、小瓶を奪う。
「どういうつもりかは存じませんが……」
そのまま彼を床に捻じ伏せ、小瓶を奪ったルカが淡々と告げる。
「死にたくなるほど後悔しているなら、最初からしなければ良かったのでは?」
「…うっ…うぅっ…」
見習い僧のアドニスは、顔をくしゃくしゃに歪めながら、泣いていた。
その姿に、ヒューゴが彼に歩み寄る。
「―――なあ、アドニス」
ルカに青年の拘束を解かせ、ヒューゴはそのまま彼の前に膝をついた。
「何で、こんなことをした?お前の様子から察するに、俺はお前がじいさんを殺したいほど憎んでいたとは思えないんだが……」
「憎むはずなど、ございません」
アドニスと呼ばれた見習い僧は、ポツリとそう呟いた。
「私は、エルダー司祭を心から尊敬しておりました。あの方にお仕えし、あの方のお力になれればと……そう思っておりました」
「それなら、何でこんなことをした?」
「知らなかったのです!司祭様が病ではなく、毒に侵されていたとは!」
顔を上げ、叫ぶように声を上げた。
「ずっと……ずっと、あの方の病を治したくて、私は薬草の研究をしてきました。けれど、良くなるどころか、日に日に悪くなっていく司祭様の姿に、私は自分の無力さを嘆きました」
「なるほど、この保管室の薬や薬草は、全てあんたの研究の賜物ってわけか」
ヒューゴが部屋を見渡し、改めて青年を見据える。
「それで?そんなあんたが毒を作った理由は何だ?」
「全ての始まりは…司教様が亡くなられた時でした」
三ヶ月前……サルビア教会の司教が亡くなった。
長年、肺を患っていたのだ。
サルビア教会の司教は、短命が多い。
教会関係者の間では、有名な話だった。
そして、次の司教候補として……エルダー司祭とサレナ司祭の名が上がったのだという。
「それからなのです。司祭様の病状が急激に悪化し始めたのは……今までは、私の薬で何とか症状を抑えていたのですが、それも効かなくなって……当然、周囲の僧達から云われました……役立たずと…―――」
見習い僧は、基本的に仕える司祭達の身の回りの世話をすることが役目。
薬学の知識のあるアドニスがエルダー司祭の元に送られたのは、エルダー司祭の体調管理を行う為であった。
実際、エルダー司祭はアドニスを高く評価していたし、司祭が植えている植物もこの青年が進言して、選んだ植物であった。
教会で育てている植物は、皆のもの。
これさえあれば、薬を買えない貧困層の人間達の手に届くからと―――
しかし、そんな彼を同僚の見習い僧達は罵った。
お仕えする司祭の体調管理も行えない、無能者。
そう言われ続け、その言葉に比例するかのように、司祭の病状は悪化した。
青年の心は、既に限界だった。
そんな時、サレナ司祭が声をかけてきたのだという。
(救うことができないのであれば、せめて苦しませず、安らかな死を迎えさせてやってはどうだ?)
「そう囁かれて……でも、最初は断りました。ゼフィール様が名高い薬師を連れてくると聞いて、一縷の望みをかけようと思いました。ですが……」
(信用できるのか?その薬師でも手に負えなければ、エルダー司祭の苦しみは増すばかりだぞ?貴様は、恩師に長い苦しみの時間を与えるつもりか?)
「話を聞いていたら、不安になって……でも、司祭様に直接毒を飲ませることが出来なかった。そうしたら……私が飲ませられないなら、別の人間にそうさせたらいいと……」
「それで、あの少女に薬の材料と偽って、毒を作らせた……そういうことですか」
軽蔑したようなルカの眼差しに、アドニスは肩を落とす。
「自分でも分かっております。何故、あのような愚かな選択をしたのだと……ですが、あの時の私はどうかしていた……罵られなくなるなら……楽になれるなら……それでもいいと思ってしまったのです……」
そう言って、見習い僧の青年はグッと拳を握る。
「あの子が……カメリアが罪に問われないようにすると言ってくれたのに……必ず、助けてくれると約束してくれたはずなのに………なのに!」
「あっさり裏切られたって訳か……」
ヒューゴが視線を逸らし、頭を掻く。
そのそばで、ルカが小さく溜息をついた。
「確かに、全ての元凶はサレナ司祭なのでしょう。それに、貴方の置かれた環境を考えれば、精神的に疲弊するのも当然かとは思います。ですが……」
ルカが眉間に皺を寄せた。
「やって良いことと、悪いことがあるでしょう?」
ルカの強い口調に、見習い僧の目から再び涙が溢れる。
「それに、安らかな死と仰いましたが、当の本人がそれを望んだのですか?結局、貴方がしたことは、貴方の独りよがりの殺人未遂ですよ?」
「…ううっ…」
「挙句の果てに、罪を背負うことが怖くて、卑怯にも貴方を慕う少女に全てを擦り付けた。結局、貴方は自分のことしか考えていなかったのでは?」
「―――ルカ、その辺にしておけ」
ルカの辛辣な言葉を、ヒューゴが窘める。
「お前の気持ちはわかった。けどな、コイツが言った通り、お前がやったことはただの殺人未遂だ」
ヒューゴが、項垂れる青年の肩に手を置いた。
そして、真剣な表情で、見習い僧に告げる。
「お前には厳しい罰が下るだろう。だが、死んで償うのは間違っている。エルダー司祭や、お前が罪を擦り付けた少女に悪いと思っているのなら……生きてその罪を償え。良いな?」
気高く、威厳のある口調でそう告げるヒューゴに、見習い僧アドニスは呆然と彼を見上げる。
「君は……いや、あなた様は、もしや―――」
「ヒューゴ、口調が変わっていますよ?」
「おっと、いけねぇ!」
そう言って、彼はすぐさま立ち上がる。
「じゃあ、次……大物の鼠のところに行くか。アドニス、お前の証言が必要だ。一緒に来い」
「は、はい……」
「ルカ、お前は……」
「ちゃんと配置についておきますから、ご心配なく」
「あぁ、よろしく頼む」
アドニスに嫌味を言っていたのは、サレナ司祭に買収された見習い僧達。
これ、俗に言うモラハラ。
気づいている人がいるかもしれませんが、サブキャラの一部の名前はみんな植物から命名しました。