利用された真心
【利用された真心】
エルダー司祭が倒れてから、数時間後――
ソフィアの適切な処置により、エルダー司祭は一命を取りとめた。
しかし、油断のならない状態であった。
何せ、毒薬を盛られたのだから。
教え子が作ったという薬は、毒だったのだ。
そして、水にも含まれていた毒と合わせることで、それは瞬時に体内で猛毒となるものだった。
ルカが弾いていなかったら……あの時、全てを摂取していたら……彼は即死だったのだ。
「暫く、席を外します。何かあったら呼んで下さい」
エルダー司祭の容態が安定していることを確認し、彼付きの見習い僧にそう伝えると、一旦部屋を後にし、隣の控え室に向かう。
「ソフィアさん」
テーブルの椅子に腰掛けていたルカが、帰ってきたソフィアを見て立ち上がる。
「お疲れ様です。エルダー司祭の容態は?」
「大丈夫、落ち着いているよ。今は司祭様よりも…」
ソフィアがヒューゴへと視線を向ける。
彼は、ソファに腰掛けたまま、何も言わず俯いていた。
「……俺のせいだ」
俯いたままのヒューゴがぽつりと呟く。
「ヒューゴ?」
「俺が……」
ヒューゴが組んだ手に額に押し当て、震えた声で更に言葉を紡ぐ。
「俺が…あの時薬を渡さなければ……」
「……ヒューゴのせいじゃない…」
そう声をかけるが、ヒューゴは自分を責めたまま、顔を上げようとはしなかった。
誰が想像できただろう?
預かった薬が毒薬だと―――
しかも、その薬を作った教え子は十二歳の少女だ。
そんな子供が、毒を作ったとは、到底思えない。
そして、今その少女は聖職者を殺そうとした罪で捕らえられ、牢獄に繋がれている。
「妙ですね」
ルカが考え込むように、顎に手を当てる。
「ただ、材料を調合して毒薬を作るなら子どもでもできるかもしれません。しかし、十二歳の少女が毒薬の材料を手にすることなど不可能です」
毒薬や劇薬は、厳重に保管することが定め。
そして、それらを売買できるのは、成人を迎えた人間だけであり、購入する場合は、身分証明が必要なのだ。
おまけに、この国では薬自体が高価なもの。
貧困層の人間が手に入れることはできないだろう。
それに…――――
「実際に診てわかったけれど、エルダー司祭の体調不良は病気じゃない。たぶん、長い時間をかけて少しずつ別の毒を盛られていたんだと思う」
エルダー司祭は、肺を患っていた。
そして、今回の毒は消化器官を爛れさせるもの。
症状が明らかに違った。
それに、ソフィアの見立てでは、エルダー司祭ほどではないが、咳をする人間がちらほらと目立った。
隠れた被害者が、他にもいるかもしれない。
「……どこの誰かは存じませんが、随分とおぞましいことをしますね」
ルカが嘆息混じりにそう告げる。
「先程、依頼主であるオリバーとバッズの領主様に早馬を送りました。これは、もう我々だけではどうしようもありませんから」
「ありがとう、ルカ……サレナ司祭にも伝えたほうが良いよね?」
「―――同行します」
ソフィアはルカとともに、部屋を後にしようとして……ヒューゴへと振り返る。
「ヒューゴ、エルダー司祭のところに行ってあげて」
俯く青年の肩が僅かに揺れる。
「まだ話せないけれど、意識はある。きっと、ヒューゴの顔を見たら安心すると思うから」
「ソフィア……」
青年がゆっくりと顔を上げる。
「いいのか?」
「うん」
ソフィアの微笑みに、ヒューゴはようやく立ち上がり、少し躊躇いがちにエルダー司祭の部屋へと向かったのだった。
サレナ司祭の自室の扉を開くと、サレナ司祭が噛み付く勢いでソフィアへと向かってきた。
「薬師の娘!一体どうい…っ!ゴホン…どういうことになっておる?」
ソフィアを怒鳴りつけようとしたサレナ司祭は、隣にいるルカを見るや否や、咳払いしながら言い直した。
彼女は、エルダー司祭の容態と、咳止めの薬と偽って毒を盛られたことを伝える。
「何と!いやはや恐ろしいことだ」
事情を聞いたサレナは、大げさなくらいによろめき、わざとらしく首を振る。
「神に仕える司祭を毒殺とは!何とも恐ろしいことを考える人間がいたものだ。ただでさえ、三ヶ月前に司教様がお亡くなりになったばかりだというのに、今度はエルダー司祭まで!」
「…………」
そう言って嘆くサレナ司祭に、ルカが目を細める。
その隣で、ソフィアは言葉を続ける。
「これは、殺人未遂です。憲兵を呼んで、調べてもらったほうがいいです」
乙女の言葉に、すると中年の司祭から、とんでもない言葉が飛び出した。
「そうか。では、後の対応は貴様らに任せる。私は早く教皇様に文書を送らねばならんからな」
そう言って、ひらひらと手を振るサレナ司祭に、ソフィアが目を見開く。
「待って下さい。今はそんな事をしている場合じゃ…!」
「そんな事とは何だ。エルダー司祭まであんなことになったのだ。未だ不在の司教を早々に決め、新たな司祭を派遣してもらわなければならん」
「エルダー司祭が心配じゃないんですか!?」
思わず、そう問いかける。
しかし、振り返ったサレナ司祭は呆れたような目つきでソフィアを一瞥すると、フンと鼻を鳴らした。
「エルダーも司祭だ。聖職者たる者、教会の体制を優先するのは当然の役目。それが、死にゆく者への手向けとなろう」
「……エルダー司祭は、まだ生きています」
わなわなと身を震わせるソフィアに目もくれず、サレナ司祭は見習い僧を呼びつけ、命令しながら、事もなげにこう告げた。
「貴様も分かっているだろう?長年、毒を盛られたのであればもう助かるまい。そんな奴にしてやれることはせいぜい葬儀をあげてやることくらい―――」
パン!!!
乾いた音が、室内に響いた。
ルカが大きく目を見開く。
彼の翠色の瞳には、司祭の頬を打つ乙女の姿がしっかりと映っていた。
「……き、貴様!いきなり何をする!我は…っ」
「勝手に決めつけないで!!!」
乙女の大声に、室内が静まり返る。
「勝手に…人の寿命を決めないで…っ!」
声を震わせ、キッとサレナ司祭を睨みつける。
彼女の青い瞳から、涙が溢れていた。
「エルダー司祭は、懸命に生きようとしてるんです」
ソフィアの剣幕に、サレナ司祭は固まっている。
「今、必死に毒と戦っているんです!精一杯、生きようとしているんです!」
珍しく声を荒げるソフィアの姿に、紳士は驚きの表情で彼女の横顔を見つめている。
「…必死で生きようと頑張っている人のことを…否定しないで下さい」
「……ソフィアさん」
涙で滲んだ瞳を伏せ、俯く乙女の肩を、ルカが黙って抱き寄せた。
そっと、指先で彼女の涙を拭う。
暫く、呆然としていたサレナ司祭だったが、やがて我に返ると顔を真っ赤にしてソフィアを睨みつける。
「貴様…許さんぞっ!我に暴力を働いたこと、ただで済むと思うのか!?」
「おや、元はと言えば貴方が不謹慎なことをおっしゃったことが原因では?」
「ぐっ!?」
紳士の冷静な台詞に、サレナ司祭は言葉に詰まる。
「……フン!精神論ならいくらでも言える。実際、エルダーは瀕死なのだろう?長い間毒を盛られたのだ。当然蓄積された毒を消すことなど、不可能に決まって…―――」
「先程から思っていたのですが……」
唐突に、ルカがサレナ司祭の言葉を遮る。
「―――何故、エルダー司祭が長年毒を盛られていたと知っているのです?」
「へっ?」
「私達は、薬と偽って毒を盛られたとは言いましたが、長年毒を盛られていたとは言っていませんよ?そして、教会内に不安を煽る危険性があるので、このことを教会関係者には誰にも話していない」
カタン!
「教えていただけますか?一体、どこで……その話を聞いたのですか?」
サレナ司祭の顔が一気に青ざめる。
ルカは、サレナ司祭がよろめいた拍子に、ぶつかった本棚から落ちた一冊を拾った。
それを司祭に手渡し、にっこりと笑う。
「随分と鉱石がお好きなのですね。貴方のご趣味ですか?」
「う、煩い!」
笑顔のルカに、サレナ司祭は震えながらも反論すると、手渡された本…鉱石辞典を奪い、そそくさと部屋を後にした。
彼の去っていった扉を、ルカが鋭い目で見つめる。
「ソフィアさん、少しだけ……付き合っていただけないでしょうか?」
「えっ?」
「調べたいことがあります」
エメラルド色の真剣な眼差しに、ソフィアは小さく頷いた。
ルカがこんな事を言う時は、大抵理由があるのだ。
「わかった。私も、薬を作った女の子から話を聞きたいと思っていたから」
二人は顔を見合わせると、再び部屋を後にしたのだった。
少し、手直ししました。