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死神乙女と猫紳士  作者: 仁和 あみ
蕾の章
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乙女と猫

 《本当に良いのかい?》


 何もない、真っ白な空間の中、艶やかな唇が言葉を紡ぐ。


 《あんたの魂は残り二つ。そのうち一つは私を呼び出した時点で既に消費された…》


 黄金の腕輪を嵌めた綺麗な手が、白銀の柔らかな毛を撫でた。


 《それに加えて、今回の願い………流石にもう一つ魂を戴かないと叶えられない大きな願いだ》


 力強い光を放つ、黄金の瞳を細め、彼女………女神バステトは再度、目の前の存在に問いかけた。


 《あんたは九回ある転生のうち、もう七回も転生している………二度と転生することはできないよ?それでも良いのかい?》


 再度の問いに、彼は同意するかのように、ゆっくりとその瞳を瞬いてみせた。


「もちろん、その覚悟はできています。それに、私はもう十分生きましたから」

 《おや、まるで死期の迫った年寄りのような台詞だね。死ぬつもりで今回の願いを叶えろっていうのなら…―――》

「いいえ」

 女神の言葉を遮り、彼は己の尻尾を軽く振った。

 それを自らの身体に巻きつけ、言葉を続ける。


「死ぬ為ではありません。ただ、後悔のない生き方をしたいだけなのです」


 彼の、翠色の瞳には少しの迷いもない。

 そのまま、彼は自分達種族の創造主であり、守護神でもある女神に、再度頭を垂れた。


「だから、お願いです。女神バステト。どうか私に……―――」


 “この想いを伝えるための言葉と、彼女を守る為の力を下さい”



 【死神乙女と猫紳士】



「どうも、ありがとうございました」

 壮年の男性が、深々とお辞儀をする。


「薬師さんの薬のおかげで、母はすっかり良くなりました。一時はどうなることかと、もう心配で………」

「私は何もしていません。あなたのお母様が頑張っただけ」

 深くフードを被った人物は、淡々とそう答える。

 季節は夏だというのに、黒いローブを身に纏ったこの人物は、パッと見ただけでは年齢はおろか、性別すら分からない。


 まるで、魔女のようなその風貌。

 これで、大鎌でも持っていれば死神にすら見えるだろう。


 けれど、鈴を転がすような声と、僅かに見える顔の下半分から察するに、若い女性だということは辛うじて判別できた。

 彼女はそのまま、一枚の紙と紙袋を男性に渡す。


「部屋はこまめに掃除したほうが良いです。埃が多いと、また咳が出るから。あと、食べ物は刻むよりも、繊維に対して直角な切り方や、油脂を混ぜたほうが食べやすい場合もあります。ここに書いているから参考にして下さい。そして、これはハーブピロー……安眠に役立てば良いと思って………」

「何から何までありがとうございます!」


 男性は恐縮したように何度も頭を下げる。

 だが、やがておずおずと顔を上げた。

「あの……本当に治療代はこれだけでよろしいんですか?」


 僅かなお金と野菜を手に持ち、帰ろうとする薬師に、男性は戸惑ったように声をかける。

「構いません。寧ろ多すぎるくらいです」

「しかし……」

「お大事に」


 男性の言葉を遮り、彼女はローブを翻すと、逃げるように歩き出した。

 背後から、男性の困惑気味の様子が伝わってきたが、彼女は振り返らず、ひたすら歩を進める。 

 先程の男性の言葉は、世間においてひどく真っ当なものであった。

 薬師が調合する薬は、比較的高価な物。

 加えて、それ以外のものまで作り、あまつさえ食事のアドバイスをしているのだ。

 手数料を取ろうとする悪徳な医者や魔術師、薬師が蔓延るこの世の中、彼女の行いは慈善活動に近い。

 だが、ただ一人慎ましやかに生きる彼女からすれば、これだけ貰えれば生活には困らなかった。


 それに何より…―――


「これは……私の償いだもの」


 歩みを止め、俯き様にぽつりと呟く。

 そんな彼女の横を、サッと風が吹いた。

 ダークブラウンの前髪が揺れて…伏せられた青い瞳が露になる。


「っ!」

 咄嗟にフードを押さえ、瞳を隠す。


 宝石のように美しい、青の瞳。


 けれど、彼女……ソフィア・フローレスにとって、この目は忌まわしいもの以外の何ものでもなかった。

(早く帰ろう。これ以上、誰かと会うのは怖い………)

 夕陽が空を赤く染める中、ソフィアは急いで帰路についたのだった。



 ローズブレイド王国・地方都市バッズ。

 その郊外にある森のそばに、放浪の薬師ソフィアの仮住まいはあった。

 仮住まいにしてはやけに立派な一軒家は、この土地を治めている領主が貸してくれたものだった。

 もっとも、正確には領主本人ではなく、その遠縁である甥っ子が貸してくれたものなのだが。


「ニャア」


 そんな一軒家の庭………その門扉の前に、一匹の猫が待ち構えるように座っていた。

 白銀の美しい毛に、エメラルドのような翠色の瞳。

 見るからに美しいその猫は、ソフィアの姿を見るなり、すぐさま掛け寄ってくる。


「ただいま、ルカ」

 自らに擦り寄る猫をそっと抱き上げ、優しい微笑みを向ける。

 フード下に見える彼女の素顔は、世間一般から見ても美しい部類に入る。

 けれど、その姿をちゃんと見ることができるのは、ごく限られた者のみだった。

 その中でも、ルカと呼ばれたこの猫は、彼女の唯一の家族であることも相まって、他の誰よりもソフィアの表情を見てきた存在と言えるだろう。


「また、迎えに来ようとしたの?ダメって言ったのに」

「ニャン!」


 めっと怒るソフィアに対し、ルカは抗議するかのように短く鳴いた。

 その鳴き声に、ソフィアは思わず苦笑する。

「心配かけてごめんね。でも、ちゃんと明るいうちに帰ってきたでしょう?」

 そう言いながら、家の鍵を開けて室内に入る。

 薄暗い室内からは、仄かに草花の香りがした。


「これでも、気をつけているのよ?それに、また誰かに絡まれたら、ルカは絶対飛び掛っていくでしょう?」

 その言葉に、猫は欠伸をすると、ゆっくりと目を瞬いた。


「恍けてもダメ。ずっと一緒にいるんだもの。ルカの気の強さは、この一年でよくわかっているんだから」

 やれやれと、溜息を吐くソフィアに対し、ゴロゴロと喉を鳴らすルカはみじんも悪びれた様子はない。


 そう、実はこの猫……前科があるのだ。


 一度、ソフィアは帰宅が遅くなった時、三人の男達に絡まれたことがあった。

 その時に、どこからともなくルカが現れ、あろうことか威嚇しながら男達の前に立ちはだかったのだ。

 だが、所詮はただの猫。

 人間から見れば大して迫力はない。

 当然、男達は見下したようにせせら笑った。


 そして、しっしと手で追い払おうとして………彼らは見事に返り討ちにされた。


 一人は顔を思いっきり引っ掻かれ、残りの二人は猫を取り押さえようとして、互いに顔面を強打し、極めつけは猫の渾身の体当たりをくらい…結果、男達はドミノ倒しのように、三人仲良く近くの川へと落下した。

 ルカが狙ってそうしたのか、はたまた運が良かったのかは定かではない。

 しかし、それ以来ルカは決まってソフィアの帰りが遅いと、迎えにくるようになった。


 まるで、彼女を守るかのように…―――


「これじゃ、どっちが保護者か分からないね」

 ルカをソファに下ろし、困ったように笑いながらソフィアはローブを脱ぎ、地味なワンピースを着た全身を露にした。


 美しく整った顔立ちに、ダークブラウンのウェーブがかった長い髪。

 細身ながらも、肉付きの良い肢体。

 そして、長い睫毛に縁取られた、深い青の瞳を持つ美しい乙女。

 唯一、欠点があるとしたら、前髪が些か長すぎるくらいだろうか。


「私は大丈夫。もう十八歳だもの。この辺の国では立派な成人だよ。それに、ずっと一人で放浪の薬師を続けているんだから、自分の身は自分で守れる。これでも、必要最低限の護身術は心得ているから」


 女が一人、放浪の旅を続けるのであれば、当然自分の身を守れるようでなければ話にならない。

 同じく放浪の薬師だった亡き師匠から伝授された心得は、しっかりソフィアの心身に刻み込まれていた。

 部屋に明かりを灯し、ソフィアはルカに声をかける。


「だから、もうあんな危ないことはしないでね」


 彼女のお願いに、けれど猫は何も答えない。

 ただ、じっと彼女を見つめている。


「そんな目をしてもダメ。それに、ルカは猫でしょう?力じゃ人間には叶わないんだから」


 諭すつもりで言ったソフィアの言葉。

 けれど、その言葉に猫の目は悲しそうに揺らいだ。

 しかし、後ろを向いてしまったソフィアはそれに気付かない。


「ルカは、私のそばにずっといてくれる。それだけで、十分だよ」

 たった一人、家族も居場所もなく、放浪の日々を送る彼女にとって、この猫の存在はただそばにいてくれるだけで十分すぎるほどの幸せを与えてくれているのだ。


 だが、猫は俯き、何も答えなかった。


 まるで、自分の無力さを嘆くかのように。


「待っていてね。もう少しでご飯できるから」

 そんなルカの様子に気付かず、ソフィアは猫に笑いかけたのだった。



「ん……」

 まどろみの中、ソフィアの頬に温かな何かが触れた。

 ソフィアの朝の目覚めは、いつも共寝しているルカが舐めて起こすところから始まる。

 いつもは生温かく、ざらついた猫の舌。

 だが、今の感触は明らかに猫の舌の感触とは違う。


「ルカ………?」

 唯一の家族の名を呼び、目を開ける。

 そこには…―――


「…フフッ……ン…」

 ピチャッ…チュッ…


「……………」

 猫ではなく、人間の青年が自分の頬や唇を舐めていた。

 その光景に、彼女の思考は一瞬で停止する。


「…ンン……チュッ…―――おはようございます。ソフィアさん。今日も良い天気ですよ?」

 ソフィアの顔を夢中で舐めていた青年は、自らの唇をペロッと舐め、満面の笑みで挨拶をしてきた。


 だが、未だ思考が停止したままのソフィアは、声を出すことすらできず、石のように固まったままだった。


 目が覚めると、見知らぬ人間が自分のベッドに進入し、笑顔で見下ろしているというこの状況。


 しかも、相手は一糸纏わぬ姿の、白銀の髪をもつ中性的な容姿の美しい青年。

 随分と丁寧な挨拶をする青年が、今まさに自分に覆いかぶさっているという非日常的な光景に、彼女はようやく我に返った。


「っ!」

「おっと」


 咄嗟に振り上げたソフィアの手を、青年はあっさりと掴んでしまった。

 身を強張らせ、警戒する彼女に、けれど青年は悪戯っぽく笑うと、一言だけ、こう言った。


「ニャア」

「…………えっ?」

 青年から、ものすごく不釣合いな言葉が出た。


 彼の唇から紡がれた、猫の鳴き真似。

 その言葉に、そして優しく細められる切れ長の翠色に…ソフィアの強張った表情が徐々に驚きのものへと変化する。


「まさか……ルカ?」


 青年の顔をまじまじと見つめながら、そう問いかける。


 その言葉に、青年はクスッと笑っただけだった。


 けれど、未だ彼女の目の前では、どこか見覚えのある白銀の髪が、カーテンから漏れる朝陽に照らされ、輝いていて…こんなに綺麗な白銀を彼女は他に知らない。


「ルカ……なの?」 

 青年の、エメラルド色の瞳を見つめ、ソフィアはもう一度問いかけた。


「ニャア」

「………っ!」

「フフ、驚かせてしまってすみません」


 大きく見開かれたサファイア色の瞳に、青年は笑いながらその身を起こした。


「自分でも驚いているんですよ?目が覚めたら、この姿になっていたのですから。ですが…―――」

 同じく身を起こしたソフィアの頬に触れ、ルカは幸せそうに目を細める。


「これで、ようやく貴女と言葉を交わすことができる。貴女を守ることができる」


 そう言いながら、青年は彼女の背に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。

「私は、それがとても嬉しいのです」

 とろけるような声音と、僅かに赤い頬が、青年の言葉が本心だと伝えてくる。

 けれど、それが彼女の最後の記憶だった。


「………」

「………」

「………………」

「………―――ソフィアさん?」


 無反応な彼女の様子に、ルカはソフィアの顔を覗き込む。


 そして、思案するように首を傾げた。


「………困りましたね。気を失ってしまうとは」


 あまりの展開についていけず、ソフィアは遂に意識を手放してしまったのだ。


 そんな彼女を横たえながら、青年はやれやれと溜息をつく。


「自分の身は自分で守れるのではなかったのですか?私が暴漢なら、今ここで貴女に危害を加えますよ?そう、例えば…こんな風に…―――」


 “チュッ”


 青年は彼女の前髪を掻き分け、額にキスを落とした。

 そっと唇を離し、優しく微笑む。


「……知っていますか?額へのキスには、あなたを守るという意味があるんですよ?」


 当然、意識を失ったソフィアに彼の言葉は届かない。

 それでも、ルカは満足そうに目を細めた。


「目が覚めたら、ちゃんと説明します。だから…―――」


 “それまでは、ゆっくり休んで下さい”


 人間となった猫は慈しむような笑みを浮かべ、彼女の頬を撫でたのだった。


数ある名作の中、読んで下さってありがとうございます。

初めて一から構想を練り、書き上げた思い入れのある作品です。

もし、一人でも気に入って下されば幸いです。

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