指令
すらり、と扉が開き、再びアテンダントが現れた。
先ほどとは違う女である。ワゴン販売のようだ。
「あ、車内販売ですよ!」
朱音がうれしそうに声を上げた。
昨今は、鉄道会社の車内販売は縮小傾向にある。しかし、『観光列車』であれば、記念グッズを含めたワゴン販売は、欠かせない。
「お弁当、お土産、記念グッズなどいかがですか?」
笑顔を絶やさず、アテンダントは、注文された珈琲をカップに注いでいる。
列車が緩やかなカーブに差し掛かり、車両が傾いだ。
しかし、アテンダントは、まったく動じていない。絶妙のバランスを保ち、一滴もこぼすことなく注ぎ入れ、丁寧に乗客の前に差し出している。
まさしくプロの動きだ。
──そういうことか……。
ふうっと、服部はため息をつく。
アテンダントは、ワゴンを前にすすめ、服部たちのそばにやってきた。
「お土産、お弁当、記念グッズなど、いかがですか?」
「はい! えっと、しまかぜ弁当と、赤福、それからカキの時雨煮をください」
つい先ほど、ピラフとケーキを平らげたばかりだというのに、朱音の食欲は底なしである。
アテンダントは、にこやかに商品をワゴンから取り出した。
「そちらのお客様は?」
女がちらりと服部の顔を見る。
明らかに注文を促しているのだ。
「海女の玉手箱を」
服部は、弁当を受け取り、金を払う。
「服部さんもお弁当ですか?」
「まあな」
「電車の旅って、お腹すきますよね」
「……」
さすがに、服部としては同意しかねた。新幹線からここにいたるまで、朱音はかなり食べ続けている。
空腹を感じる暇は、どこにあったのかと、問いたい。
「知ってます? 赤福の創業は、宝永四年なんです」
「富士山が爆発した年だな」
「物騒な情報をよくご存じですね」
「……商売柄な」
服部は、肩をすくめた。
「宝永四年というのは、公式な見解で、その年に執筆された浮世草子に、赤福の記述があるからだ。一説によれば、江戸の初期から、伊勢神宮のそばに赤福という屋号の店があったらしい」
「詳しいですね」
「三重県内には、類似品がいくつかある。現在はともかく、以前には、お伊勢の参道には、餅と漉し餡の取り合わせの店がたくさんあったらしい」
「つまり江戸のころから、伊勢参りといえば、赤福なのですね」
朱音は愛おしそうに、赤福のパッケージをなでて、鞄にしまう。
どうやら、赤福は後で食べるらしい。
「そろそろ伊勢中川だ。時間があまりない」
服部の指摘に、朱音はあわてて弁当を食べ始める。
弁当は、列車に乗っているうちに食べるのが美学のようだ。
服部も、丁寧に、弁当を開いた。
そして、弁当に添えられている箸袋に目を向ける。
「幼稚園」
小さく記入された文字に、思わず首を振る。
そのプランは、服部が反対したプランだ。なぜ、それが採用されたのか。
──ありえない。
上層部は、いったい何を考えているのか。
服部は、大きくため息をつく。
列車は、伊勢中川を通り過ぎ、松坂へと向かい始めていた。