津
ケーキを食べ、朱音もさすがに満足したようだ。
四日市を発車するのを待って、服部は座席に戻る。
老夫婦は、去り際まで何も言わず、ひたすらカフェで次の品物を注文していた。
別腹を扱えるのは、斎王だけではなかったのか。
少なくとも、服部が学んだ伊賀忍術にはなかった。未だ達することのできぬ高みがあるのかもしれない、と思う。
「それにしても、意外と海、見えないんですね」
朱音ががっかりしたように外を眺めている。
「海が見えてくるころにおりることになる」
服部は、窓の向こうに広がる住宅街を見ながら苦笑した。
「この辺りは、津市かな? 三重県の県庁所在地だから、街中だ」
「津。ああ、日本で一番、短い駅名の」
ポン、と朱音が手を打つ。
「知ってます? 短い駅は『つ』で、ダントツなんですけど、長い駅名って、いくつもあるんですよ」
「まあ、短くするより長くする方が簡単と言えば、簡単だな」
服部は頷く。なんでも日本一になれるものならなりたいと思うのは、人情だろう。
「一番長いといっても、種類があって、文字数で一番長い駅はふたつ、読み仮名で一番長い駅もふたつあるのです」
朱音は形の良い眉をよせ、声を落とす。
「平成の時代、数々の長い駅名が生まれ、ひそかに争われ続けておりました」
平成二年、『長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅』が開業して二年後に、『南阿蘇水の生まれる里白水高原駅』が誕生した。読み仮名こそ、同じ22字であるが、文字数では南阿蘇──が、一字多いという点で、日本一に名乗り出たのであった。
ところが、平成十四年に、『ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅』が、読み仮名でも、文字数でも文句なしの一位に躍り出た。そして、これですべてに決着がついたかのように思われた。
しかし、平成十九年に、駅名の由来となった美術館が閉館。それにともない、駅名が変わって、現在、読み仮名は『長者が浜』『南阿蘇』のふたつが、ナンバーワンに返り咲いた。
ちなみに、文字数の多さは、平成十三年より、『東京ディズニーランド・ステーション駅』『リゾートゲートウェイ・ステーション駅』となっている。まさにカオスの状態だ。
「パーフェクトに長い駅名というのは、現在、日本には存在しないのです」
重々しく、朱音は指摘する。
「まさしく、闇王の陰謀だと思いませんか?」
「……そう、なのか?」
駅名が長くするための闘争は真実であろうが、そこに陰謀の香りがあるかどうかは不明だ。
そもそも、「長くするための闘争」の果てに、手に入れられるものとはいったい何なのだろうか?
「言葉を短くするのって限界があるので、長くすることで張り合い、争うという流れがあるのです」
「なるほど」
歌謡曲のタイトルも、小説のタイトルも、年々長くなりつつある。
「そこへいくと、『津』駅は、表記も音も、一文字。無敵です。さすが、天照大神をお祀り申し上げている地の県庁所在地ですよね」
「……そうともいうな」
服部は頷く。しかし服部は知っている。
つは、ローマ字表記だとTSUの三文字だ。ローマ字に二文字表記の駅名はたくさんあるため、津市では、「Z」で「つ」と読ませ、世界一短い駅としてギネスに登録したいという野望を持っているらしい。
だが。
──なんにしても、日本で一番であることには間違いない。
「さすがに、闇王もこの地名には勝てないですよね」
自信満々に、朱音はこぶしを握り締めるのであった。