湯切りの術
ホームは人の流れが激しい。服部は、辺りに気を配りながら朱音を伴って歩く。
発着を告げる音とともに、乗ってきた車両のドアが閉まった音がした。
モーター音と共に、車両が走り去っていく。ラッシュアワーを過ぎた時間帯ではあるが、構内はざわついている。在来線側のホームにも発着を控えた車両の姿がみえた。
「あ、ありました!」
うれしそうに、朱音が箱型の建物を指さす。
ホームにある店であるから、当然大きなものではない。出入り用の階段から離れ、乗車客の妨げになりにくい、やや人が少なめのホームの端に作られている。入り口には、券売機が置かれてた。
食事時ではない時間なのだが、かなり繁盛しているようだ。
待ち客こそいないが、店内には何組も客がいた。
「かき揚げきしめんもいいけどなあ。でも、やっぱり、きしめんにしよう!」
朱音はお財布を握り締め、券売機のボタンを押す。
──懲りないやつらがいる……。
視線を肌に感じる。ピリピリとした緊張感を伴った視線である。
手にした硬貨を握り締め、服部は距離を測った。
──角度が悪い。
やってやれないことはないが、無理は禁物である。それに、ここまで存在感を感じる敵であれば、かえって怖くはない。
服部は何食わぬ顔で、券売機のボタンを押した。
「入りますよ」
うきうきしながら、朱音は店内に足を踏み入れ、カウンターの前に立った。
「券、そこにおいて!」
店のシステムがわからず、戸惑っていた朱音に店員の声が飛ぶ。
えもいわれぬ緊張感がそこにあった。
カウンターの中は、即厨房。店員は二人。店内には、十名近い客。
それなりの人数がいるにもかかわらず、話し声はほぼない。立ち食いという店の性格上なのか。女性は、朱音の他にもうひとりだけだ。
長めのライトブラウンの髪、出で立ちは朱音と似ている。彼女はきしめんを啜りながら、服部のほうに一瞬目を向けた。
服部は、カウンターに食券をそっとのせる。
それが合図となった。
麺の湯切りをしていた湯が、ふわっと舞う。
店内全体が、湯煙につつまれる。
ファサッ
服部の手が素早く動く。
一瞬の出来事であった。
「きしめんっおまちっ」
トン。
煙幕のような湯気が、消えるとそこには丼ぶりに入った、きしめんがおかれていた。
出来立ての湯気で、のせられたかつおぶしがゆらゆらとゆれている。
「へ?」
朱音は自分の頭に手を当てた。
黒髪ショートヘアが、ライトブラウンのロングヘアになっている。
「気にするな。そのまま、食べろ」
服部は、小さく呟く。
朱音の隣で、いつのまにか黒髪のショートカットの女性がきしめんを完食していた。
店員がおこなった、伊賀忍法湯切りの術に気づいたものはいない。
服部は、きしめんをあっというまに腹に流し込むと、自らのジャケットを脱いだ。
そして、店員が、別の客のために湯切りを始めるタイミングを見計らい、ジャケットを裏返しにしてまた羽織った。
伊賀忍法、着衣反転の術だ。
服部の黒のジャケットは、いつの間にかダークグレーのジャケットに変わっていた。
「ごちそうさん」
服部はどんぶりを返しながらにやりと笑うと、店員はこくリと頷いて見せた。
「ごちそうさまでした」
朱音は、突然のせられた『かつら』に驚きながらも、きしめんを完食する。
黒髪ショートヘアの女性が、隣にたっていた男と共に去るのを確認して、服部は朱音を伴って店を出る。
「どこへ行くんですか?」
朱音の問いに、服部は答えないまま、在来線方面へとかかれた階段へと向かっていった。