名古屋駅
「名古屋に着いたら、乗り換えですね」
朱音は、手元のゴミをまとめはじめる。
「ああ」
服部は、声を潜める。幸い、『敵』の気配は感じられない。
ここから先のルートについては、機密扱いだ。
ルート候補はいくつか考えられる。
一番、単純なルートは、快速みえに乗り換え。
そうでない場合は、近畿日本鉄道の特急に乗り換える。
もしくは、鉄道をやめて、ここから車、という考え方もあるのだが。
いずれにせよ、名古屋から伊勢神宮というのは、東京、名古屋間より意外と時間がかかる。
しかも鉄道駅は、伊勢の内宮に隣接していないため、鉄道を使った場合、いずれかの駅で車を使用しなければならない。
時間的には、名古屋から車で高速を使うにしろ、鉄道を使うにせよ、それほど差はない。
「江戸時代なら、ここから海路なんでしょうけどねえ」
朱音がくすりと笑う。
「七里の渡しか……」
七里の渡しは、東海道の唯一の海路だった。整備されたのは江戸期ではあるが、江戸期よりずっと前から利用されていたルートだ。
熱田神宮にほど近い熱田の港から、三重県の桑名まで向かう4時間から6時間近くの旅だったらしい。
ちなみに、現在、熱田に港はない。公園は整備されているが、名古屋港はもっと南に位置している。
名古屋市の港湾部のほとんどは、昔よりかなり埋め立てられているのだ。
「そもそも、名古屋港から発着している定期船は、三重県にはいかない」
「そうなんですか?」
もちろん、船をチャーターすれば、可能ではあるが、そもそも、名古屋駅から名古屋港までも、それなりに時間がかかる。
「愛知県と三重県をつなぐフェリーは、名古屋港ではなく、伊良湖からでているが、正直、名古屋市から伊良湖岬に移動すると、かなりの時間ロスだ」
服部は苦笑いを浮かべる。
「船を使うなら、名古屋ではなく豊橋で降りた。そこから車で渥美半島の先まで行き、鳥羽までフェリーを使う、という感じだな」
今時、東京方面から伊勢に向かうのに、わざわざそのルートを使う人間は少数派だろう。
鳥羽の港から、伊勢までも、車で二十分ほどかかり、最寄ではない。
もちろん、伊良湖にせよ、鳥羽にせよ、観光地としてみるべきものはたくさんあるから、そのルートを使うことに意味はあろう。しかし、服部たちは観光に行くわけではないのだ。
「名古屋駅で、きしめん食べる時間はありますかね?」
「おい」
新幹線に乗ってから朱音は、シューマイ弁当に、きんぴらカツサンド、うなぎパイにアイスクリームを食べたはずだ。恐るべき食欲である。
「名古屋駅といえば、立ち食いきしめん屋ですよ、服部さん」
「……どこで、そういう知識を手に入れてくるんだ、お前は」
名古屋駅のホームには、確かに、立ち食いのきしめん屋がある。それも、いくつも。
「本当なら、各ホーム、全店制覇したいところなんですけど」
「きしめんなんて全部同じだろう?」
服部は呆れる。
「違います。経営の系列が違う店もあります。それに新幹線ホームと在来線では、きしめんが出てくるスピードが微妙に違うのです。新幹線ホームはスピード重視なんですよ。味は、在来線のほうが上というふうにおっしゃる方が多いのです。せっかくそれを確かめるための機会だというのに! ああ、せっかくの斎王の秘術が使えず、残念です」
「……そもそも、お前、狙われているという自覚はないのか?」
「わかってます。だから、全店制覇は諦めてるっていってます」
ふうっと朱音はため息をついた。
「そもそも、立ち食いきしめん屋による余裕はないぞ」
「そんな横暴な!」
朱音は悔しそうにこぶしを握り締める。心底悔しそうだ。
「では、せめて、駅弁を! ミソカツ弁当は必須ですよね」
「……あのな」
朱音は、訴えるような目で服部を見つめている。
この先のルートは既に、決定している。
そして、『敵』からルートをカモフラージュしなければならない。
服部は、携帯に目をおとし、ふうっと大きく息をつく。電波の受信を確認し、すばやくプランAと、打ち込んだ。
「朱音」
服部は荷物をまとめて、立ち上がる。
車内アナウンスが流れ始めた。
「きしめんを食わせてやる。新幹線ホームだがな」
「本当ですか!」
朱音の顔がぱっと輝いた。
新幹線が、ホームに滑り込んでいく。
「油断するなよ」
服部は、朱音に声をかける。
どこに敵がいるとも限らない。
「きしめんだあ」
服部の緊張をよそに、朱音は嬉しそうにホームへと足を踏み出した。