豊橋
「そろそろですね」
朱音はうなぎパイを頬ばりながら、車窓を眺める。
浜名湖の青い湖面が眩しい。
「何が?」
「三州吉田は、伊勢と縁がある土地なんです」
「三州吉田?」
服部は首を傾げた。
そういえば、つぎに通過する、愛知県の豊橋というのは、明治に改名された地名だと聞いたことがある。
「もともと、伊勢神宮の神領もあった土地柄なんですよ」
「……詳しいな」
うなぎパイをほおばりながらの説明では、説得力に欠けるところがあるが、さすがは斎王、といったところか。
「もともとは今橋という土地の名前が縁起が悪いので、吉田に変えたという説もあるんですけど、伊勢の資料には、もともと吉田という名で、記載があるそうなんですよ」
「ふうん」
服部は頷きながら、車窓に気を配る。県境を越えたようだ。
豊橋は、全国的にも珍しい『高架』になっていない新幹線駅の一つだ。
高架から下ったところに駅がある。
不意に、車両の前側の扉が開く。
かつかつと一人の女が、通路を歩いてきた。
車両がゆっくりと下り始め、ホーム横を通過する。
女は、服部の席の手前で足を止め、服部たちと反対側の窓を見た。
明らかに、何かを待っている。
新幹線は何事もなく、豊橋駅を通過した。
女の顔に動揺が走り、顔が青ざめた。
「どうかなさいましたか?」
服部は問いかける。彼女の手に、しっかりと握られているのは、豊橋名物『竹輪』であることには、とうに気が付いていた。
しかも彼女の顔は記憶にある。三河の手筒花火師のひとりだ。
「い、いえ……」
女は、後ずさりながら、手にしたものを口に入れてほおばる。
証拠隠滅である。
あんなに慌てて食べては、せっかくの竹輪の味はわからないであろう……服部は思わず同情した。
そして、女は大慌てで前の車両へと戻っていった。
服部は、追わずにそのまま背を見送る。
「あのひと、どうしたんですか?」
不審げに、朱音が服部に尋ねる。
「さあて。竹輪がよほど好きらしい」
服部は、ふと携帯にメールが入っていることに気が付いた。
『豊橋市西口にて、竹輪輸送中の忍者を確保』
「西口ね……」
服部は、送られた文面に得心した。
豊橋市には、『西口』という地名が存在する。
それも、豊橋駅より『東』に。
新幹線のホームは、豊橋駅の『西』に存在する。豊橋市民は、新幹線口のことを『西駅』と呼び、『西口』とはいわない。
──おそらく、指令を出したやつが、この地に詳しくなかったのだろう。
大量の竹輪がホームに届いていたら、と思うと、服部の肝は冷えた。まさか三河の花火師まで手をのばしていたとは、驚きだ。
まさしく、危機一髪であった。
「服部さん?」
朱音がきょとんとした目で服部を見つめる。
「心配するな。大丈夫だ」
この先、しばらくは電波が途切れやすい地区に入り、敵も味方も連絡が取れなくなる。
それを抜ければ、名古屋だ。勝負はそこになろう。
「体を休めておけ」
服部は、お茶を口にして、ゆっくりとシートに身体をうずめた。