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内政

 あれから3年が過ぎ、弥七郎は12歳になった。それだけではない。各種学校が竣工し、募集を始めた。


 1棟500人は入れるほど大きいものが、3つずつ。つまり1500人は入れる。だが、例外的に小中高校は6棟建築した。これで3000人は学ばせることができる。この時代、さほど学ぶこともないため3・3・3制を取った。数学も教える事の出来る教師がいないため算術のみである。しかし、商業や農業については中学高校でしっかりと学ぶ。


 次に軍学校だが、これは基本的に体力錬成、精神錬成、技術習得をメインにやる。

 体力錬成と精神錬成はだいたい自衛隊がやっているようなことをやっている。精神錬成は団体責任で1人がミスをすれば腕立て伏せといった感じでやっている。


 技術習得は剣術、槍術、弓術、柔術、鉄砲射撃など多数の技術を習得する。これについては一科は行わず作戦計画や過去の戦いを学び、二科と三科はこれと作戦計画の基礎、部隊運用、そして卒業後に兵科による勉強を行ない、四科はこれのみを行なうが、読み書きが出来ない場合はそれについても学ぶ。

 海軍はこれに水練や船舶運用などが入ってくる。


 四科より逆順で学習年数を説明すると、1・2・3・1年制で学ぶ。四科以外は高校を卒業する事で学ぶことができる。


 さて、続いて農工業を一気にやるが、農業の奨励によって、綿、絹、麻の生地を買取、仕立てて高値で売る。で収入が増えた。さらにはたたら製鉄所8ヶ所の建設と職人町の拡充で鉄砲鍛冶も増え、火縄銃を輸出するようになった。


 主に島津家、堺、京、ポルトガルやスペインが主である。南蛮人との条約で鉄砲50挺は金322オンス。つまり約10kgで売却している。ちなみに10kgを斤と匁に直すと約16斤107匁である。これを商人に売ると、質が良いという事で3800貫で売れてしまった。


 この錬金術の様なものを8回程繰り返して3万400貫も稼げてしまった。金はあればあるほどいいが、流石に度が過ぎるという事で、弥七郎自身は赴いて5kgまでに下げた。しかし、それでも収入が良いのは確かである。


 最近では、養蜂も出来るのではないかと思った弥七郎が一昨年農業の一種として奨励した。ハチミツも長宗我部で独占し、商人に売り払っている。これで長宗我部家の予算の6分の1を補っている。とはいえ、農民から買い取っている分は4割ほどでほとんどが、農民が食べている。栄養価も高いため、最近ではほとんどの農民が副業として始めた。蜂なら放置していても勝手に蜜を溜める。1年に1回取りに行くだけで済むため、綿絹麻の生地の生産も止まってはいない。


 それと弥七郎は長宗我部家主導で真珠の養殖を始めた。偶々真珠の養殖方法を詳しく調べた弥七郎は都合が良すぎるのではないだろうか。


 さて、ここは弥七郎が現在築城中の阿波国の方の街道にある砦である。


「若、如何でしょうか? 若の言うコンクリートなるものを使い築城中の砦になります」


 今回弥七郎が使用したのはローマン・コンクリートと呼ばれるものである。これはローマ帝国が存在していた時代よりあるコンクリートである。ただ13世紀の間には技術は喪失したらしい。とはいえ、やはりここは弥七郎の性格が発揮された。


 出来るまで何度でも作るのである。そしてそれを初めて4年目で漸く完成した。その為に消費した資材は恐らく500kgは余裕で越えているだろう。


「よし、これで岡豊城に向かう事は容易には出来なくなるだろう。もし統一に乗り出した場合、ここに1500程の兵力を入れておくことで、俺の予想では3000~5000の兵力は足止めできるであろう。そう簡単にここは落とせんだろう」


 この砦はほとんどコンクリートで作られていた。ただ、門は木に鉄を張り合わせ、閂を鉄の棒にしてある。梯子で壁を超えるにせよ、壁は若干外側に傾斜しているなど、最大限の工夫がされていた。


「しかし、このコンクリートというのはどのようなものなのでしょうか? 触ってみた感じ硬いという事しか分かりませんので」


「コンクリートは主に建材として使う事が出来る。単にそれだけあるが、これは重要なことで、日ノ本だと地震が多い。城や砦が地震に見舞われればひとたまりもない。しかし、コンクリートを使えばある程度は自身の揺れを軽減する事が出来るのだ」

「なるほど、地震を軽減できる……。若は賢うございますな」


 今更だが、この家臣は吉田孝頼。長宗我部家宿老であり、弥七郎の守役。1518年に国親の妹を娶り、国親に使える。智謀に優れ長宗我部家の躍進に一役買ったと言われる。なお、史実では1563年に亡くなっている。


「孝頼には敵わん。俺が出来るのはこうして国を栄えさせ、如何に守るかという事だけだ」

「しかし、儂もこの時期はまだ勉学や稽古に励んでおりましたから。若ほどの年齢の儂では、若には敵いますまい」

「そんな事はない。……それはない。俺はいつも無力だ」


 孝頼は途中から聞こえなくなった弥七郎の言葉を聞こうとしたが、「何でもない」と言われ気にしないことにした。


 その後、城に戻った弥七郎は内政に口を出すのを止めて、しばらく勉学や稽古に励むことにした。

 弥七郎が次に姿を見せるときは、しばらく先の事になるだろう。

少し急ぎ足です。やりたいところまでは出来たので、しばらくは島津家家臣録に集中できそうです。

とはいえ、早見様の更新度合いが早いので、1560年が近くなれば、こちらもすぐに更新しようと思います。まぁ、近くなくともある程度島津家家臣録を更新すれば、こちらもすぐに書く予定ではあります。

まぁ、しばらく待っていてください。島津家家臣録を2~4話ほど更新したら、すぐにこちらを書きますので。

そのおかげで、別サイトが疎かになっているのは嬉しい悲鳴です。

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