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三好5

 讃岐での窮地を脱した親泰は、再び讃岐の再占領に取り掛かっていた。それでも降伏を願い出た城は交渉だけだったが、徹底抗戦を掲げた城では激しい攻城戦へと発展した。それでも降伏する城がほとんどであったため、2週間ほどで決着した。

 この頃には既に伊予や阿波も攻略が完了しており、残すは畿内の三好領だけとなっていた。いや、それでも畿内の制圧もほぼ終わっていたが、どうやら三好と本願寺が結託しており、三好方の一部が石山御坊に立て籠もっているとの情報を入手した。

 すぐに本願寺に引き渡しを要請するも拒否され、畿内侵攻軍は度々石山御坊から打って出た三好の襲撃に頭を抱えることになった。

「親泰、畿内から石山御坊が三好に着いたとの報告が入っている」

 元親と淡路島で合流していた親泰は、そこを戦線司令部として畿内攻略の行く末を見守っていた。

「しばらくは交渉をしつつ放置になるだろうな」

 親泰はいつもより慎重に事を進めようとしていた。それもそのはず、戦国時代において一向一揆とは本願寺派の門徒による一揆のことで、これを放置すると領地に多大な損害をもたらすことになりかねない。それは避けるために大胆な策を取らなかった。

「それでは遅すぎる。畿内の軍の士気が崩壊する前に本願寺とは片をつけねばならん」

「強攻はこちらの不利益を被るために不可能だ。長宗我部を加賀のような状況にするわけにはいかない」

「わしがいる限り加賀のようにはさせん。だから頼む、畿内の軍を救ってくれ」

 親泰の考えも最もであったが、元親は身内の救援を優先した。

「はぁ……分かった。やろう」

 これには親泰もため息を吐きながらも承諾した。

「助かる」

「すぐに伊予と讃岐、阿波の攻略軍を統合する。総兵力は約1万7千ほど、それに最新式の大砲もあるから、充分行けるだろう」

 親泰はすぐに石山御坊攻略の計画を立て始める。

「海軍にも命令を出し、木津川口を封鎖。そして四方より御坊内へ連日砲撃を加える。これで総攻撃を仕掛ければ行けるだろう」

「え、えげつない事をやるなお前……」

 元親もドン引きの作戦だった。

「それと四国の一向一揆の発生に備えて戒厳令を布告してくれ。今本国が攻撃されるのはまずい」

「分かった」

「では、頼んだ」

 元親は力強く頷く。普通、こういうのは部下である親泰がやるべきなのだが、今回の場合何故か立場が逆転していた。




 2週間が経ち、長宗我部軍は石山御坊を包囲した。解囲の条件として三好将兵の引き渡し。石山御坊の解体を条件としたが、本願寺側はこれを拒否し今に至る。

「やはり本願寺は拒否したな」

「予想通り。これで大義名分は出来た。第一寺が城郭なぞ持っている方がおかしいのだ」

 親泰は悪態をついて、近くの者に書状を渡した。

「これを北口の山猫連隊に届けよ」

 山猫連隊とは先程の山岳部隊の秘匿名称である。

「それで、攻撃開始は何時だ?」

「まだ準備が1週間ほど必要だ」

 既に部隊の配備は終えているが、消耗品が万全ではなくそれの準備が必要だった。

「それまでに他国からの援軍の想定は?」

「あり得ない。東の織田家が各大名家に睨みを利かせている。動けんだろう」

 元々、本願寺の仕置きは何時かはやろうと思っていたことであったし、親泰からすればそれが少し早まっただけだった。準備に抜かりはない。

「ならばよい。気長に待つとするか」

 元親と親泰も陣幕の自身の寝床に戻っていった。




 さらに1週間後、1558年7月24日。長宗我部軍は総攻撃準備の命令を発令。全軍は総攻撃に備えた。

 そしてそれから半刻(1時間)後に総攻撃の命令が下った。

 まず、第一段階として砲兵隊が砲撃を行う。これに3日間じっくりと行い、城内をズタボロにする。さらに3日目には城門に近寄り爆破する。そして4日目にて総攻撃を行い石山御坊を落城させる。この至極簡単な作戦を実行する。

「三好方の攻略を急がせろ。救援にこられたら迷惑だ」

「了解」

 容易く落ちないと理解している以上、悠長に時が過ぎるのを待っている余裕もなく、外の三好の早期攻略を親泰は望んだ。

「寺への直撃は少ない。寺はしっかりと狙わせろ」

「了解」

 寺を崩し二次被害を出させるためであった。


 それからしばらして、寺の一部が崩れたとの報告を受けた親泰は、今度は城壁を重点的に狙わせた。

 そして城壁の一部が崩れると、御坊内を徹底的に破壊するために満遍なく砲撃を加えさせた。

 苛烈な砲撃を行うこと早3日。

 壊れに壊れた石山御坊は見るも無残であった。これ以上の砲撃は効果がないため、砲撃を中止し総攻撃を行うことにした。もはや城門爆破も不要。

「歩兵師団に下達。総攻撃を開始せよ」

 命令下達。それはほら貝の()として歩兵部隊に伝わり、1万余名の長宗我部将兵は突撃を開始する。始めは歩き、一定距離まで近づけば走り始める。そして本願寺側からの攻撃が開始された。しかし、連日にわたる砲撃で攻撃はまばら。大した被害もなく城内へと突入する。

「終わったか」

「本願寺もあっけなかったな。所詮は坊主。職業軍人主体の長宗我部軍には勝てんよ。第一、砲撃を食らって包囲されてなおも立て籠もるようではな」

 元親も親泰も既に戦後処理に取り掛かっていた。先日、三好家最後の城であった飯森山城は落城した。降伏の条件として三好長慶は切腹。松永久秀は岡豊城への護送を決定したばかりであった。


 半刻も経たずに戦闘は終わる。

 石山御坊落城。これをもって四国統一戦は終幕した。

 死傷者は将兵1万3429名。死亡者には二階級特進、そして遺族には戦没者遺族手当が給付されることとなり、勤続年数×5貫文が給付される。長宗我部家の財政を圧迫することになるが、それよりも遺族に手厚い保護を行う方が重要であるとの元親、親泰の両人の考えであった。


 これによって土佐、伊予、阿波、讃岐、紀伊、和泉、摂津、河内、播磨、淡路の10か国を統治する大大名となった長宗我部家。次なる目標は本州の西、九州南部であった。

次回はしばらく内政します。平手の爺さんから内政をしろと相当前に言われましたので。

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