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演習3

今回は早めに仕上がりました。なおクオリティー……。

 1558年1月28日

 長曾我部軍を正面に陣立てをして翌日、黒田官兵衛は悩んでいた。敵は種子島を有効的に活用して敵の攻勢を頓挫させ、撃滅することに長けている長曾我部家。如何に戦おうとも敵の鉄砲兵に目をつけられれば一たまりもないのではないか、と。第一にこの戦はもともと官兵衛も含めその父・職隆も反対していた。しかし、小寺重臣の血気盛んな重臣たちが、自分を大将に据え置いて捨て石として使っているのである。そんな重臣たちは「種子島なぞ、一度攻撃を受ければすぐには撃てん。その間に敵を叩けばそりゃもう勝ち戦よ!」と宣い、それに小寺政職も流されて出陣を命じたのだ。

 官兵衛からすればこの戦はとうの昔に負け戦である。すでに赤松や三木、その他豪族は敵に降伏し、長曾我部に一部所領を安堵され、そこに移り住んでいる。とはいえ、そこは山奥の別にあってもなくてもいいような小城である。残るは無駄に抵抗する小寺のみ。しかも姫路城は落城。さらにはその他諸城も落城し、御着城のみが残っている。小寺がここまで残っているのは優柔不断な当主と、馬鹿の一つ覚えのように徹底抗戦を主張する重臣たちによるものであった。

 この戦をどう戦うか、ひたすらに策を練っているときにそれは起きた。

 轟音が響き、しばらくすると左翼に布陣した足軽隊が吹き飛んだのである。さらにそれはしばらく続きあたるとき当たらぬ時はあったが、瞬く間に味方は混乱に陥った。しかも、砲撃終了後のそのすぐあとに敵の騎馬隊が中央、つまりは官兵衛が布陣する陣の近くにまで攻め込んだのである。常備兵ならともかく、農民兵はすでに戦意を喪失し敗走していた。その農民兵の敗走を見てそのあとに続くものが多数出た。それには常備兵も含まれており、その逃走兵を逃すまいと長曾我部騎馬隊は一部をその追撃に回した。

 官兵衛は「おかしい」と言葉を漏らした。普通足軽や槍兵を主流として編成される軍に、長曾我部の軍は騎馬隊や鉄砲隊が多すぎるのだ。物見の報告では一面に鉄砲隊が布陣し、足軽隊や槍隊は見つからなかったという。

「官兵衛様! 早くお逃げを!」

 侍大将にそう促され、官兵衛もすぐに馬に乗って逃げる。そしてその背後を小寺勢も続き、さらに背後を騎馬隊が追撃していた。

 今回の戦。官兵衛が若すぎたというわけではなく、単純に長曾我部の執る戦術がこの時代においては異質すぎたのである。大勢力なら対処も可能だろうが、所詮は播磨の小大名に過ぎない小寺家では不可能だったのだ。

 此度の戦で、小寺家は損害1000余名という大損害を受けたが、長曾我部軍は損害が僅かに騎兵12名と馬8頭という程度であった。

この小説はクロスオーバーとなっております。ゲーム機片手に天下統一!と検索すれば私の小説以外も見ることが出来ます。そちらの方もよろしくお願いします。

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