演習2
1558年1月27日
昼の間にもう一戦と思っていたが、士官も兵卒も疲労してマトモに動けそうになく、結局翌日に御着城を叩くことになった。とはいえ、敵も準備は万端であろうことから油断大敵である。空挺師団でもいれば楽に勝てるのだろうが、それは340年位早いので不可能である。そのため、半カルバリン砲を導入することにした。到着日時は明日明け方。
それまでは長曾我部からすればゆったりとした時間になるが、小寺からしたらいつ攻めてくるか気が気でなく、常時警戒を行っていた。そんなせっかくの緊張状態を崩しては申し訳ないと、長曾我部は慈悲の心で以て一定の間隔で一部の兵士が城まで出向き、火矢と鉄砲を浴びせかけることにしていた。もちろん追撃をする者もいるが、最近若干妖怪「首おいてけ」となりつつある職業軍人で構成される長曾我部軍に勝ち目はなく、その血気盛んな少数の兵は蹴散らされる。
ずっと戦時というのも気疲れを起こすので、長曾我部軍の内部のことについて完全に話していなかったため、一応全部とは言わないが話をする。現在の総人員は常備兵4万8000は陸軍に限った話であり、海軍を含めると5万500に及ぶ。
さらには今年1月10日に新規制定、来年4月施行される長曾我部領国法・第37条「兵役ニ関スル法律」により、陸軍で現役2年・現役終了後に予備役5年4か月・常備兵役終了後に後備兵役10年(通算17年4か月)、海軍で現役3年・現役終了後に予備役4年・常備兵役終了後に後備兵役5年(通算12年)を課す法律である。これは親泰がwikiや関係するサイトからそのまま引っ張ってきたに過ぎない。この条項以外にも補充兵役に関することが記載されているが、割愛する。
次に現在人口であるが、各地の行政を取り仕切る謂わば市役所のような行政施設で登録をする。特に登録料も不要で、必要なのは生体だけである。ただ、他国から入国をしたものの戸籍登録には生体以外にも、長曾我部領内に住まう親戚もしくは、5貫が必要となる。ちなみに長曾我部で手っ取り早く稼ぐなら、公営の賭博場がおすすめで平均で1人当たりマイナス80貫ほど儲けて帰っている。めちゃくちゃお得なので是非皆さま方も長曾我部に募金しに来てほしい。
負けて金を返す当てがなくても三好家国境で要塞線や城塞の建築に勤しむ労働ができる。住居3食付き14時間労働、基本給一律1貫出来高制で食費400文、住居賃貸200文を差し引いた400文が手に入る。ちなみに娯楽は濁酒56文と清酒78文、スペインからの輸入品であるじゃがいもで作った蒸かした芋48文である。これは浮浪者も大喜び。ただし現場監督により労働時間は若干違います。とてもアットホームな職場で過労死による死者数は百の位切り捨てで0人である。あと賭博もできるから場合によっては早く借金を返すこともできる。ちなみに負けて所持金がなくなれば借金もできる。
さらに言えば、彼らの仕事は要塞線や城塞建築にとどまらず、それが終われば氾濫の恐れがある河川の堤防工事や吉野川など実際にダムが存在する場所へのダムの建設が待っている。これは主に四国統一後に伊予や讃岐での水不足をある程度解消するためである。
あとは、前線配備の兵士が不足したときに、抽選で竹槍を持たせて背後の督戦隊にびくびくしながら突撃する業務がある。これらは某漫画や近代戦史に倣ったものであり、親泰自身がスターリン以上に冷徹だとかそんなことではない。ただいえることは、長曾我部領国法のほとんどは親泰によって制定されたということだけである。
さて、話が逸れたが軍事関係の話に戻る。
長曾我部陸軍の基本兵装は全員保有の刀剣を除き、槍、弓、鉄砲、大砲が主要兵装であり、槍、弓はもちろん、鉄砲は9割自給、大砲に至っては機密上10割自給である。ちなみによく歴史系の転生小説で採用されるクロスボウであるが、射程が短い上に装填に時間がかかることから、導入実験段階で和弓より射程、速射性に劣ることから安芸との戦い以後廃止された。というか10世紀ごろから日本で減少して消滅した武器を今更導入することに無理が……。それよりも和弓を扱う体の左右が違うほど訓練を重ねた熟練の弓兵の方が役に立つ、という結論がなされた。それに森林での近距離戦はクロスボウを装填発射するより、刀を使った方が早いのではないか、という結論がなされたのも、廃止の一つである。第一有効射程が20mくらいのものを使っても意味がないのも、廃止の一つであった。
次に大砲であるが、現在の主流は半カルバリン砲。できれば後装式砲や後装式銃を作りたいところであるが、如何せん技術力が足りない。
しかし、この戦争をする前面白いことがあった。
陸軍装備を研究する『陸軍東土佐研究所』というものがある。そこは第一科から大九科まで種類別の科があるが、そこの第一科の研究者と技術者が直線のライフリングを施した火縄銃を持ってきた。もちろん、性能的にはあまりよくないので却下された。しかし、そのあとその研究者が「もし螺旋にこの溝をつけることが出来れば、銃の威力も増すのではないか」と。ふざけた考えだけで言ったのだが、流石に技術進歩の速さに親泰は驚いた。親泰は直ちにその研究を命令。その後、親泰は導入を見送っていたフランキ砲の購入を決定。さらにはグリボーバル・システムの理論研究を命じた。さらには反射炉の研究も命じた。乾留炉は建造を命じた。乾留炉は材料を蒸し焼きをするので、木炭を作るときとさして構造は変わらない。しかし、その目的の材料の石炭は四国の中では讃岐でしか産出しないため、早急に三好の撃破も急ぐこととなった。乾留炉そして外国から高炉技術の輸入に成功した1556年から2年の歳月をかけた高炉の建設も完了した。しかし稼働はできないので、今は乾留炉のみ木炭を作ることだけに使うことにした。
以上で内政報告は終了となる。上記のことは今年度末の内政白書と防衛白書に記述されているので、是非長曾我部家の国立図書館で読んでみてほしい。
播磨に戻るが、親泰は砲兵隊の到着を待つ間会議を行い、その結果に基づいて小富士山の麓に布陣し、山の中腹当たりで木を伐り平らにして砲兵隊の陣地とした。これである程度の防御的優位は確保できる。とはいえ、敵が城から出てくるはずはないが。無駄なことではあるが、もしもの時の備えというのは重要である。それと―――
「御着城から敵が打って出ました!」
と、何を考えたのか敵が外に出たらしい。
「敵は2000! 敵大将は黒田官兵衛!」
これに親泰はすぐに部隊の展開を命じ、鶴翼の陣を組み上げると全面に鉄砲隊を配置し、その両側面に騎兵を配置した。
後に今世の張良と評される名軍師と戦った敵からは黒い服装故に土佐の黒鬼は播磨の地にて対峙した。
やっと書けましたーーーー! 終わらせ方にめっちゃ悩んで結局無難な終わり方に。
もう1、2話は続きます(なお終わるとは言ってない)




