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演習1

遅れて本当にすいません。

学業、私生活共々忙しかったのですがようやく落ち着きました。

そしてこの話のイメージが湧かず、今まで全然進んでいませんでした。

いや、ほんと低能ですいません。


 1558年1月18日。土佐平定の被害も色褪せない中、衰退を始めた香宗我部の養子になり、香宗我部を支配するための調略を始めているこの1月。10月に一兵卒として任官した1200人の新兵。そして57年10月に候補生になり、4月に卒業までの常備陸軍将兵約4万8000人のうち、8割の3万8400人を播磨及び紀伊に送る計画及び、四国平定の為に動員する事となった。海軍陸戦隊に関しては連隊編成の2部隊1万人を島嶼部や海岸近くの城の攻略に派遣する。

 昨年に親泰が土台を建て、55年に新設された陸軍参謀本部や、海軍参謀本部を束ねる兵部局及び大蔵局の協力で計画の中身を今月の10日までに作った。これは正式名称を『弘治4年度に係る陸海軍計画の大綱』と呼ばれた。重要な中身であるが、播磨及び紀伊への侵攻作戦は、通称『天風演習作戦』と命名された。四国平定の通称は『清風作戦』と命名された。

 天風演習作戦の発動は1月25日の深夜に、播磨と紀伊に夜襲を掛け、4月までに制圧する計画である。その為に態々、豪族や根来衆を調略した。残ったのは雑賀衆、赤松、小寺、別所のみである。

 雑賀衆は始末せずに、近江で離しさらには根来衆も一時的な協力であるので、戦後は双方ともに関与しない事になっている。これがのちの『長根不可侵条約』である、なんて。

 清風作戦については、また今度話そうと思う。

 今回麻で作っていた脚絆(ゲートル)を木綿に一斉に刷新した。その為に長宗我部領内で看板を立て、募集した。すると、臨時に収入が入るというう事で、主婦が各自大量に作ってきたため、早く刷新できた。こういう時に主婦は優秀であるが、親泰はゆっくりと刷新したかったらしく、旧式脚絆をどうするか使い道を必死に考えていた。

 そこで、農民に早い者勝ちで結び方の説明書と一緒に配り処理した。

 では、演習作戦に行ってみよう。



 播磨

 1月25日午後10時ごろ。都合よく雲で月が隠れ、真っ暗闇の中親泰は進軍していた。

 大砲は移動速度を鈍化させるため使用せず、約1万8000の将兵が馬に乗って迅速に且つ慎重に移動していた。1万8000人の播磨総軍のうち、3000人が龍野城やその他の赤松の城を攻撃する国親の四男である島親益が支隊長であるため、島支隊と呼称され龍野城に向かった。そしてもう3000が御着城を攻撃する親泰率い、長宗我部総司令部が付属する本隊である。予備兵力には2000人がいるが、親泰指揮下ではなく、友江指揮下である。

 そして一番兵力の多く、1万の兵を率いるが、国親の次男・吉良親貞である。これは吉良師団と呼ばれ、主に三木城や伏兵として、敵援軍を食い止める役目を担っている。

 これとは別に、海軍のガレオン船10隻には海軍陸戦隊が満載され、先程説明した通り海沿いの城を落とす役割がある。これは初めての陸海共同作戦となっている。ちなみに現在海軍には40隻のガレオン船があるが、10隻は播磨に。10隻が紀伊に、もう20隻が今川方面の薩埵峠や、今川の水軍を食い止めるために役立てられている。

 今川方面への派遣は、武田信之との書状にて分かり、それに関しては面白そうだと親泰が乗り派遣が決定した。




 1月26日午前4時。

 夜が明けるまでしばらくの時間がある中、無事に御着に到着した長宗我部は、既に骨董品となりつつある弓で、火矢を御着城に放った。それも2000本ほど。少ない方であるが、威力は充分。ちなみに小さなツボに火薬を詰め導火線を付け、更にはそれに火をつけて御着城に投げ込んだのは、800本ほど。盛大に爆発してくれたため、御着城にいた将兵がパニックになったのは内部からの悲鳴で、明らかだった。

「しばし待って攻め込む。鉄砲隊は鉄砲の準備。抜刀隊は全員抜刀せよ」

 そう近くの者に聞こえるように小声で言う。すると聞いた者たちが同じように、後ろに歌えていき指示が闘る。しかし少し時間がかかったが。

 篝火に照らされながら、命令を今か今かと、長曾我部陸軍将兵は待っている。

 数分経過しただろうか。俺は立ち上がりたい松を持って、左右に振った。これが移動開始、そして戦闘準備の合図となる。

 未だ敵は混乱状態から立ち直ってはいない。攻めるは今だ。

 全将兵は音を立てぬよう、慎重に進んでいく。大手門付近に到達した。

「一気に攻め立てよ!」

 この指示ですぐに総攻撃が始まる。敵城内で火が燃え盛る中、数名が破城槌を持って門を破壊する。破城槌と行っても、丸太数本を束ねただけである。

 鉄砲隊が先に入り、まず三段撃ちを撃ち込む。敵が居ようが居まいが関係なく。そして抜刀隊が斬りこむ。

 後は各々の中隊、小隊に任せるとしよう。俺や優秀な長曾我部家臣団が、陸軍士官学校や幼年学校、大学校で教育したわけではない。

 今では一兵卒の9割は鎧ではなく、大正昭和の軍服の様なものを着ている。勿論元の設計は私である。残り1割は趣味で着ている死にたがりである。

「吉家! 椅子!」

 三浦吉家。陸軍士官学校卒業生。現階級は大尉。ちなみに俺は大佐。そして兄元親が元帥。家督相続をしたものが元帥になるという規則があるためである。それまでは俺と同じく大佐。今ではほとんど軍隊の階級で分けられ、武士の階級である侍大将や家老などといったものは、すでに廃止されている。

 といっても今でも俺や元親、自分より階級が上で武士の出の者を『様』と呼ぶ者がいる。廃止したのにもかかわらず、それが残っているため、今ではそれがなくなるまで放って置くことにした。

 ちなみに元帥という階級であるが、これは階級ではなく、元帥付大将というものであり、大将への付属品である。

「親泰様、椅子をお持ちしました」

「ありがとう。これは勝てると思うか?」

 俺は椅子に座って、吉家に聞いてみる。椅子といっても、ただの畳将棋(量産品)であるが。

「勝つでしょう」

「そうか。……まぁ、これは四国統一本戦までの予備みたいなもんだからな。負けても、勝ってもどっちでもいいのだが……出来れば勝ちたいところだ」

「そうですね」

 それだけ言うと吉家は去って行った。さてどうするか……。現在の情勢と四国統一に対する動員兵力ではギリギリか。交通の要衝である白地の地と三好の水軍の対処が上手く出来れば……。ガレオン船では、火矢を撃ちかけられれば終わる……鉄板を張るにも時間がない。それに全艦にそれを改修実装するには金が足りない。敵は三好や河野、豪族と多数いる。

 初手で数か所同時の夜間強襲。そして昼間は大砲で敵城に一定間隔で砲撃を加える。それで後は―――

「―――様! 親泰様!」

 思考の外側から声が聞こえ、周りを覆っていた白い何かが晴れ、所々が赤くなっている夜の景色に引き戻された。

「どうした?」

「敵に謀られました。現在各部隊が小包囲されている状態で、壊滅は必至です。指示を」

「……面倒だ。だが面白い」

 俺は刀を抜くと、被っていた帽子を脱ぐ。

「さて、久々の白兵戦と行こうか。吉家はすぐに自分の部隊を率いて、味方の救援に迎え。俺は前線で敵の相手をする。万一俺が負傷したら、すぐさま俺と一緒に部隊を下げろ。そしてお前が指揮権を継承して戦え」

 それだけ言うと止める吉家達を無視して、前線に走り向かった。


「おい、アレを持って来い」

 去って行った親泰に呆れてため息を吐きながらも、吉家は近くの者に言った。











というわけで、1話で終わりませんでした。本来は1話での完結の予定でしたが……。

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