自然
1557年10月~11月ごろ
親泰は今、紀伊山地にいる。目的はニホンオオカミの捕獲。保護し繁殖、そして軍用犬として調教し、戦に駆り出す事を目的としている。何故こんな時にニホンオオカミの捕獲かといえば、単に後の世にニホンオオカミを全損させるためである。今、ニホンオオカミは既に絶滅している。もしかするとどこかに隠棲しているかもしれないが、その可能性は皆無だといっていい。だからこそ、今捕獲しようと親泰は決めたのだ。エサは鹿の肉。親泰の指示で作った捕獲かごを80か所設置し、現在はそれの回収である。
四国でやっても良かったのだが、如何せん四国で長曾我部の要人がうろついていると、河野や三好に捕まった場合一大事である。ならば、侵攻予定のある紀伊の方で地形調査がてら、捕獲をしてしまえという適当な考えからである。紀伊は紀伊で野武士が危険であるが、火縄銃や弓といった飛び道具も持っているし、甲賀との高額取引で紀伊の安全確保を頼んでいる。なので心配はないと親泰は見ていた。
暫く歩くと、1つの捕獲かごが見えてきた。どうやら中にニホンオオカミがいるようで、かごがガチャガチャと動いていた。
そのかごに近づいてみれば、何の事はない。ただの穴熊である。目的は害獣駆除でも穴熊の狩猟でもないため、気を落としながらもリリース。穴熊はすぐに走り去っていった。
次のかごに向かってみると、これまたかごが動いていた。今度こそ、と念じながら親泰とそれに付き従う兵士20名は近づく。すると、今度はニホンオオカミのようで親泰達が近づくとよく吠えた。
可愛らしいといえば可愛らしいし、雄々しいといえば雄々しいが、延々と吠えられるとうるさい。親泰が殺気交じりに睨みを利かせると、何という事か、ニホンオオカミは黙ってしまった。親泰はかごの取ってを掴むと片側が鉄板になっている方を内側に部下に渡した。現在の捕獲数は23頭である。かごは残り25個。親泰の希望では30頭ほど捕獲したいと思っているが、残り25個が捕まえられるかどうか……。
既に午前中から、休みなしで動きっぱなしで疲労困憊の体に鞭を打ち、歩を進めた。
結局夕暮れまでかかり捕獲数は28頭。目標数には達していないが、まずまずの成果だった。
暫くはこれを親泰の管理する安芸郡の居城・安田城の郊外で400頭近くまで数を増やす予定である。さらには、アイヌ民族との交渉で得た北海道犬(まだはアイヌ犬)と秋田犬の祖先であるマタギ犬を200頭ずつに増やし、こちらも保存目的と軍用犬目的で繁殖させる。ちなみに純血を保つために、他の犬とは絶対に購買をしない。勿論四国犬も繁殖させて500頭ほどまで増やす予定であり、こちらも軍用犬の為である。
別に親泰が犬が嫌いなわけではなく、単に軍用犬として調教する事で、行方不明者の捜索や治安維持、敵兵の無力化に役立てる予定である。
安田城に帰り、建設しておいた檻にニホンオオカミを入れている途中、ニホンオオカミが1匹逃げ出すという事態が起きた。その事を聞いた親泰は事態を重く見て、安田城一帯に緊急事態宣言を発令。すぐに捕獲指示を出した。だが、それも民に被害が無いからで、被害を及ぼした場合はすぐに命令が殺処分となる。これは今回の捕獲に関する話し合いで決まったことであった。
親泰が自室の綿を敷いたかごに入っていた猫を撫でていた時の事である。障子の方で音が立ち、障子の和紙が破れたかと思えば、ニホンオオカミの顔が見えた。親泰はすぐに刀を抜くと、それで恐る恐る障子を開けた。
この時、障子を開けずに人を呼ばなかったのは、今年に入って親泰最大の油断であった。障子が開いた途端、ニホンオオカミが走って親泰に飛び掛かる。そして驚き尻餅をついた親泰の手を、まるで媚びるかのように舌で舐めた。親泰はこの時ばかりは、噛まれて狂犬病になるかと肝を冷やしたが、すぐに溜め息を吐くと、そのニホンオオカミを抱きかかえて部下のところまで連れて行った。部下は驚き、親泰の事を心配したが、親泰がきちんと説明して事態は収まった。その後、この1頭は親泰が飼育する事となり、親泰の作った犬小屋で躾が完了するまで、革製の首輪に紐をつけて置く事になった。
これは1557年の11月未明の事である。
何故このニホンオオカミがこれほどまでに親泰に懐いたかは、親泰死後500年以上たった今でも、分かっていない。
実は戦争の予定でしたが、筆が進まないので予定を変えて環境保全です。此度は遅れて申し訳ございません。
次回はちょっと番外編を挟みます。




