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あゝ卓球抒情  作者: 椋鳥
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(1)期末考査と金髪と

あゝ卓球抒情


(1)期末考査と金髪と

道戸みちど高校卓球部の朝は早い。


だが、プレハブには赤井玲音あかいれおを除いて誰の姿もなかった。


赤井は一人黙々とマシーンを相手に汗を流し、ホームルーム間近の八時半になると身支度をして教室に急いだ。


公立高校らしく修繕の行き届かぬ廊下は薄汚れており、壁のひび割れやらガムテープで補修のされたガラス窓やらが小走りに駆ける赤井の目についた。


赤井が二年三組の教室に滑り込むと、級友との雑談に興じる間も無く担任教師が入室した。


午前の授業を終えると、生徒たちは弁当を広げたり購買部や学生食堂を目指したりと一気に慌ただしくなる。


赤井はこれも日頃の習慣であるが、持参した大量のサラダチキンと大盛の豆のサラダと牛乳を机の上に広げ、淡々とした様子で口に運んだ。


端から見れば滑稽に映るものだが、赤井は四月からこの六月末まで作法を崩しておらず、今となっては教室の昼の風物詩と化していた。


二年三組に卓球部の部員は存在せず、また親交のある級友は軒並み学生食堂を利用するため、赤井は一人で昼食を摂ることが多かった。


教室には半数近い生徒が残っており、皆グループになってお喋りなどして昼休みを過ごしていた。


この日は、ブレザーの夏服と短いスカートから褐色の肌を惜しみ無く晒した金髪の女子生徒が赤井を訪ねて来た。


彼女、宍戸夏蓮ししどかれんは物怖じする様子もなく所属外の教室を横断し、主が不在な赤井の隣席に陣取った。


「レオ。またそれ?よくもまあ飽きもせず。たまには学食でも行ったらいいのに」


「筋肉を付けたいから。夜は好きに食べるようにしてるし、不自由はないよ」


赤井は真顔で応じた。


「そんなことより、レオ。期末考査の予想問題作って」


「何を藪から棒に」


「中学の時作ってたじゃない?コピー回ってきて、私もお世話になったし 」


赤井と宍戸は中学校の同窓で、学区制の敷かれた埼玉県では公立高校への進学は指定の区内に制限されていた。


赤井は出身中学では優等生で通っており、要領だけでぎりぎり中の上クラスに留まっていた宍戸とは特に面識がなかった。


徒歩の通学圏にあるという理由だけでこの道戸高校に進学した赤井と、試験一発時の運で合格した宍戸は、高校ではじめて口をきいたことになる。


それでも赤井は学校ではストイックに卓球に取り組む秀才という立ち位置であるし、一方の宍戸は活発で爛漫な美形のギャルという別世界の住人と言え、一年次に同じクラスで過ごしたものの接触は数える程しかなかった。


「中間考査が悪かったのか?」


「かなり」


「それでも、おれが助けてやる義理はどこにもないように思えるのだが」


「陸上部女子との合コン、セットするから」


「引き受けよう」


赤井は即答した。


彼は勉学に部活にと真面目に取り組んではいたが、決して朴念仁などではなかった。


年相応に異性に興味を抱いていたし、縁こそ遠いものの恋愛をしてみたいと常々思っていた。


在籍すること一年と三か月、体育会系部活動のヒエラルヒーで最下層と認知された卓球部においては、その間学内外を問わず他の組織と親睦が図られることはなかった。


赤井が楽しんだ異性集団との思い出など、全国区の女子高とで実現した練習試合だけである。


「……即答がキモい。けどお願いね、レオ」


「で、教科は?」


「ん?全部よ。当たり前じゃない」


「……当たり前、か」


「そうよ。言っとくけど、うちの部の女子って同学も下も良いとこ揃いだからね。感謝して欲しいわ」


宍戸は席を立つなり腰に手を当てて胸を張った。


どうやら薄い胸部を強調したいのではなく、偉そうにしてみただけなのだと悟った赤井は、下手に出て曖昧な笑みを返した。


午後の授業時間中、赤井は律儀にも内職に手を染め、期末考査の予想問題を作成していた。


どの教師も板書の穴埋めを基本としてテストを構成するため、赤井は整理のされた自分のノートを参照しながら重要と思われる点を適宜抽出していった。


放課後になると、赤井は一目散にプレハブを目指した。


一番乗りした赤井は、プレハブから程近い体育館脇にに設営された体育教師控え室まで赴き、鍵を拝借した。


鍵を開けて熱気の籠ったプレハブに立ち入ると、赤井はまず全ての窓を開放した。


大して風が入る立地でもないので、申し訳程度に設置されたエアコンと扇風機をフル稼働させて換気を図った。


そうして着替えを済ませてラケットの具合を確かめていると、一年生部員やら女子部員やらが気怠い表情を伴って続々と来場してきた。


男女両卓球部のマネージャーを務める一年女子の嘉門かもんさくらが現れた時点で、赤井は練習の開始を宣言した。


やる気のあまりない二年生部員たちの総意で、赤井は男子卓球部の部長に就いていた。


卓球部には専任顧問が存在しておらず、女子バスケットボール部の顧問を務める教員歴二年の若手女教師が兼務を押し付けられていた。


そのため練習のノウハウは大人サイドから供給されず、赤井と嘉門と部員兼コーチの紅林伊左夫くればやしいさおとで協議して決められた。


練習中の赤井は絶えず全力投球で、その圧力は然程意欲の高くない部員を白けさせた。


公立高校の卓球部に実績あるプレイヤーが在籍する確度は低く、赤井や、特に紅林などはレアケースに当たった。


午後六時を回ると皆が練習を止め、蜘蛛の子を散らすようにプレハブから脱出した。


残された赤井ら数人が卓球台の拭き掃除やら後片付けを実施し、施錠を済ませたらその場で解散となる。


赤井は駐輪場に停めてある自転車に乗り込むなり、猛スピードで校外へと飛び出した。


彼の次なる目的地は最寄りの市民体育館で、八時まで行われている社会人の卓球クラブに参加するのであった。


これは一年次に紅林から勧められた習慣で、部活動で足りない練習量をクラブチームで補っていた。


赤井が帰宅するのは夜の八時半。


両親の仕事の事情で中学三年の頃から独り暮らしを続けている赤井は、炊事洗濯を自分でこなしていた。


週末に買い込んである食材を並べ、携帯端末でレシピサイトを閲覧しながら手早く夕飯を作る。


テレビや新聞に目を通しながら箸を動かし、早々と食べ終えると必要な家事に手を付ける。


赤井は十時を回ったあたりで机に向かい、平時は受験勉強を、この日は期末考査の予想問題作成に取り掛かった。


思いの外興が乗り、気が付くと十二時を過ぎていたので、慌ててシャワーを浴びると床についた。


ソーシャルネットワーキングサービスやメンセンジャーアプリケーションに興味がない赤井は、知人との連絡手段をスマートフォンのショートメールに頼っており、この時端末は机に置き去りにされていた。


画面に表示されていた受信メールの数は十二件。


紅林や嘉門らチームメイトに加え、この日は宍戸からもメールが届いていたのだが、それらを検めることなく、赤井は夢の世界に旅立った。



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