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第1章 片想い編 4.失恋


 克彦は帰りがけ、バス停に弘子と佳美とかおりがいるのを見かけた。普段は見かけない場所なので、どうやらバスで寄り道をするようだ。克彦は何食わぬ顔でその長い列の後ろにつき、顔が見えないように文庫本を読むふりをして様子を見ながらバスに乗った。混んだ車内をうまく進んで、3人の近くに人2人ほど挟んだ背中合わせの位置に乗り込んだ。弘子に関してなにかひとつでもわかればいいと思った。

 克彦が聞き耳を立てているのも知らず、3人はしゃべっていた。

「初めてのクリスマスだよ、私どうしたらいいかなー」

 ひとりは彼氏がいるらしい。弘子の声ではなかったが、克彦はドキリとした。

「勝手にすればー。なんだっていいじゃん。問題は私みたいな、何の予定も、予定が入る予感もない人だよ」

「それはアンタに好きな人すらいないのが悪いんでしょ。まさか白馬の王子様が現れて一目惚れで結ばれるなんて思ってないでしょうね」

 かおりが攻撃すると、佳美はすまして応酬した。

「え、でも、王子様っていることはいるじゃん。山根先輩とかさ」

 声の調子で冗談とわかるものの、弘子の前でそんな話が出たことに克彦は焦った。でも、弘子はくすくす笑うだけで、なんとも思っていないようだった。

「やっぱ白馬の王子様じゃん。そーいうのじゃなくて!」

 どーいうのだよ、と克彦は苦笑した。そして、自分は本命率が低いなとも思った。

「あとはヒロコだよね、佳美はおいといて」

 かおりの声に、克彦の胸が締めつけられた。

「いやあ、私はいいよ」

「よくないよ、せっかく高校時代のクリスマスだよ。3回しかないんだから大事にしなきゃ」

「大学のクリスマスは大事にしなくていいの?」

「それはそれで、4回しかないんだよ」

 かおりが真剣に訴える女の子らしい懸命さに、克彦は肩を震わせて笑いをこらえた。しかし、そのあとに続いた会話が克彦を打ちのめした。

「なんか行動しなよ、当たって砕けろだよ」

「そうだよ、ヘビとかプレゼントしてさ」

「もう、ヘビから離れてよ! 夏合宿のネタじゃん!」

 そして、弘子は容赦なく言った。

「だって、せっかく3年間一緒なのに、ふられたら、あと2年も気まずいんだよ!」

 克彦の息が止まった。そして、自分の中でゆっくりとつぶやいてみた。

(…彼女に、同学年の、好きな人がいる)

 すぐにもバスを降りたかったが、降車口に行くには彼女たちの脇を通らなければならず、降りるに降りられなかった。克彦はそのまま背中で会話を聞きつづけることを余儀なくされた。弘子の好きな人は、眼鏡をかけていること。ホルンをやっていること。つまりは、吹奏楽部であろうこと…。聞きたくない情報がたくさん耳に入った。

 彼女たちは途中の駅前のバス停で降りていった。克彦は次のバス停で降りた。見知らぬ街を少し歩き、公園があったのでベンチに腰掛けた。長い間、座ったまま帰れなかった。


 克彦はそれから3日くらい食事がのどを通らなかった。やがて、そんな自分が情けなくなり、がぜん勉強をはじめた。

 弘子の写真を捨てようと思ったが捨てられなくて、仕方なく机の引出しの奥に片付けた。悲しくなればなるほど忘れるために勉強した。このうえ受験まで失敗したら自分がダメになりそうで、追い立てられるように勉強した。そして和宣にひとことだけ、

「もう好きな人、いるみたい」

 と報告した。和宣は聞こえないほど小さく、そして短く、

「ふーん」

 と言った。


 吹奏楽部でもいろいろ思惑はあるようで、突然、部のクリスマスパーティーをやろうという話が持ち上がった。さすがにイブははばかられたのか、日程は12月25日の夜になった。

 弘子はドキドキした。イブではないけれど、二人っきりでもないけれど、中野大基と過ごせるかもしれない。クリスマスと名のつく日に少しでも一緒にいられることが嬉しかった。回覧が回ってきたとき、大基はまだ出欠を明らかにしていなかったが、弘子は「出席」の欄に名前を書いた。そして、大基が来てくれるように祈った。

 12月24日、終業式を終え、その夜佳美と弘子は例年通り家で家族とケーキを食べた。かおりは彼氏と夜中まで寒空の下を歩き回り、足の小指がしもやけになった。克彦は黙々と勉強をしていた。

 25日、弘子は一生懸命おしゃれをして家を出た。パーティーの交換用のプレゼントのほかに、チャンスがあったら渡そうと思って、大基へのプレゼントも隠し持っていた。

 しかし会場のレストランに大基の姿はなかった。

(遅れてくるのかな…。来ないのかな…。何か用事があって来ないのかな…? だれか、別の人と、昨日とか、今日とか、会ってるのかな…)

 1年生で来ていないのは大基だけ。弘子の胸が強く痛んだ。

 ドアのほうをずっとちらちら見ていたが、大基は現れない。新しい服がなんだかむなしかった。お化粧はわからないから、姉にピンクのリップだけ借りて一生懸命(でも、あてずっぽうに)つけてきたのもむなしさを増した。この新しい服のために買った靴はまだ足に馴染んでいなくて、少し当たって痛かった。

 弘子は幹事の先輩のところにさりげなく近寄っていき、他愛ない話をした後、

「あれ、そういえば、ウチの代って全員来てるんですか~?」

 と言って周りを見回し、急に気付いたようなフリをして、

「そういえば、中野くんだけ来てませんね。彼、風邪でもひいたんですか?」

 と言った。言い終わると、急に心臓が早鐘を打ちだした。先輩は答えた。

「ああ、中野くんね。北海道に行くんだって」

「…旅行、…ですか」

 弘子は胸をなでおろした。しかし、先輩は楽しそうに、容赦ない言葉を続けた。

「カノジョがあっちにいるんだって。遠距離恋愛」

 弘子の目の前が暗くなった。

「えっ、ウソ、あいつカノジョなんかいんの」

 隣に座っていた男の先輩が頓狂な声を上げた。

「え、誰がカノジョいんの」

「中野、中野!」

 周りの人が大基をサカナに盛り上がるのを見て、弘子は、

「すみません、ちょっと、トイレ…」

 と出て行った。

 弘子は思いきり泣きたかったが、涙がちっとも出なかった。カバンから包みを出し、ヘビがとぐろを巻いてばねのような形になっているペン立てを取り出した。渡しても冗談で済むように一生懸命選んだ、〝笑える〟プレゼント。それを廊下のゴミ箱に捨てた。それから、大事にずっと持っていた合宿のときの大基の写真を細かく破いて捨てた。

 弘子がやっと泣いたのは、真夜中の寝床の中だった。


 中野大基は、彼女がいることを特に隠す気はなく、「おまえ、彼女いるの!」と先輩たちに訊かれてあっさり「いますよ」と答えた。弘子は、吹奏楽部の誰にも自分の気持ちを言っていなくてよかったと思った。

 しばらくは弘子ももやもやしたが、次第に落ち着いた。気持ちの整理をしようと、ホルンの手入れをしている大基に、

「彼女いるんだってー?」

 と言ってみた。妙な心の静けさがあって、自分でも不思議なくらいだった。

「あ、みんな知ってるんだね。いるよ。北海道に」

 大基はあっさり答えた。弘子はどんな人なのかと聞いてみた。幼馴染で、彼女というより家族みたいな関係だと話す大基の表情は穏やかで、そうして話をしてみると、心の奥に詰まった石が溶けていくような気がした。やっぱり彼はいい人だし、彼女も、きっといい人なんだろうと思えた。

 弘子は少しずつ自分の気持ちがはがれ落ちていくのを感じた。大基がいい人で良かったと思った。そしてやわらかく静かに、弘子の恋は、終わった。


 受験シーズンが過ぎ、学校の掲示板には有名大学の合格者名が貼り出された。これは恒例行事みたいなもので、もちろん公表を拒否することはできるが、合格報告に行って喜んでくれる先生方を前に「プライバシーなので」などと主張する優等生はまずいない。

 山根克彦 慶尾義塾大学 商学部

 多分この部分が、一番多くの女の子が熱心に目にした一行だっただろう。

「山根センパイ、すごーい」

 何人かの女の子に囲まれ、きゃあきゃあ言われたが、克彦は内心でそっと苦笑した。東大と羽稲田を落ちていた。彼女たちは、東大に合格したとしても、それが分厚い眼鏡の暗くてさえない男の子なら取り巻いてほめそやしたりはしないのだ。克彦はシニカルな気分でそうした賛辞を受けた。

 また面倒な時期が到来したことを克彦は知っていた。幸いバレンタインデーは受験のまっただなかだったので、チョコレートはもらったものの、直接的な返事を要求する者はなかった。しかし、そこで厄介でなかった分がこれから一気に来ることになる。

 一番バッターは川上京子だった。京子は電話をかけてきて克彦をお茶に誘った。どういう話をしたいのかはわかっていたので、克彦は素直に応じた。

 テニス部の思い出話や受験の話でしばらくは時間を過ごした。克彦も、以前冷たくしてしまった分、なるべく優しくするように努めた。とはいえ、親近感を伴う親身な優しさではなく、あくまでも他人に向ける親切な優しさだけを京子に向けた。

 克彦はゆっくりと彼女が本題に入るのを待っていた。

「合格発表日を一日間違えてて、滑り止めの大学に入学金払い込む直前に気付いてね…」

 話の途中で京子は中途半端に押し黙った。克彦はやっぱり黙っていた。だって、遅かれ早かれその瞬間はやってくる。

「どう? 今年のバレンタインの収穫は」

 いきなり話題が変わった。核心に近づいてきた。

「収穫なんて言い方はやめてよ。俺は別に、畑を耕してるわけじゃないし」

「また、いっぱいもらったんでしょ」

「うん、たぶん、平均よりは多いんだろうね」

 謙遜はしないことに決めていた。「大したことはない」なんて言うほうが失礼だ。

「私、遅れちゃったけど、これ」

 いつの間に出してあったのか、京子は膝元から両手でさっと小さな包みを差し出した。

「ありがとう」

 克彦は何気なく受け取り、それをすぐにカバンにしまった。

「…わかってて、そういう態度なんだよね?」

 京子から、変化球でサーブが来た。いよいよ勝負だ。

「ん、何が?」

 克彦がとりあえず無難に打ち返す。

「私はもう、ふられてるんだよね?」

 京子から、強いストローク。

「…どういうこと?」

 前に出て、ノーバウンドでカット。すぐにスマッシュに備えて、後退。

「山根くん、好きな人がいるんでしょ?」

 やはり来た。勢いはないが、苦手なコース。

「…どうして?」

 とりあえずレシーブ。

「今年の一年生の子かな…。気にはしてたんだけど、なかなかシッポをつかめなくって」

 打ち損じだ。簡単に返せる。

「別に、今年の新入部員のことなら、誰のことも気にしてないよ」

 新入部員の、というところがポイント。好きな人が「今年の一年生」というのは正解だ。ウソはついていないけれど、ごまかしてはいる。

「ウソ」

「ウソはついてないよ」

「私がちゃんと好きだって言わないから、そっちもごまかすのかな」

 京子は目を伏せ、克彦は彼女の顔をまっすぐ見ていた。

「別にごまかしてないよ。部員に、好きな人なんかいない。ホントに」

「流さないでよ、好きだって言ったでしょ」

「うん、ありがとう。気持ちは嬉しいよ」

「当たり前みたいな顔して聞くのはやめてよ。私、これでも必死なのに…」

「当たり前だなんて思ってないよ。でも、君の態度で気付いてたから…。返事、したほうがいい?」

「はっきり言って」

「ゴメン、俺はキミのこと、いい友達だと思ってる」

「それ以上には…」

「思ってない」

「今後なにかあっても?」

「変わらない」

「せめて、変わらないと思う、って言ってよ」

「ゴメン。多分変わらないと思う」

 ちょっとラリーになったけど、これで、ゲームセット。

 京子はテーブルの上の紅茶の片隅によけられたレモンをずっと見ていた。

「好きな人いるの?」

 克彦は、やっぱり隠し通せないのかな…と覚悟した。

「なんでそう思うの?」

「私、山根克彦ウォッチャーとしてはウチの学校で一番のキャリアだよ。この春から、なにか変わったの、わかったよ」

「…」

 こういうときにどう言えばいいのか、克彦にはわからなかった。

「答えないのは、そういう人がいるからだよね。いなかったら、いないって言うよね」

 嘘をつくこともできたのかもしれない。でも、いないと言ったら、自分の中の弘子への想いを否定するようで言えなかった。好きな人は、いる。それが事実。

 今度は克彦が目を伏せて、京子が克彦の顔をまっすぐ見ていた。

「山根くん、女の子に興味がない、恋愛にはまだ興味が持てない、誰ともつきあわない…って答えてたんだよね、ずっと」

「え、…なんでキミが知ってるの」

 克彦は驚いて顔を上げた。京子にそんな話をしたことはない。

「女の子の情報網をなめないでよ。おんなじ人にふられた者同士って結束するんだから。テニス部のそういう子たち、みんな知ってるよ。私はその子たちから聞いただけ」

「…」

「でも今は、そうは言わないんだね」

「…」

「誰ともつきあう気がないって、言わないんだね」

 ひとつも打ち返せない。克彦はまた目を伏せ、テーブルの上で組んだ自分の手を眺めていた。弘子に触れたときのぬくもりが蘇った。

「…そうだね、そんな風には言えないね」

 そう言うだけで、自分が告白するために京子を呼び出したかのように緊張した。

「さっきだって、はぐらかしてたの、気付いてたよ。テニス部にはいないってことばっかり強調してた。いないんじゃなくて、テニス部にはいないんだって」

「うまくごまかしたつもりだったんだけど」

「誰? …って、聞いてもいい? もしかして、もうつきあってるの?」

「…答えたくないんだ。迷惑かけたくないから。彼女、他に好きな人がいるみたい」

 京子も目を伏せた。なんでうまくいかないんだろう。すべての恋のベクトルが1対1でうまく向き合っていればいいのに、ベクトルはみんな別の方向を向いている。

「でも、あきらめてないんだね」

「え?」

「だって、その人のことあきらめてないから、誰ともつきあう気なんかないって、言わないんでしょ? つきあいたいんでしょ? 今でも…」

 しばらく沈黙が続いた。

「今日は、ありがとう」

 京子が急に立ち上がって、伝票を手にレジに向かった。克彦はすぐに追いつき、伝票を取り上げた。

「最後に俺を、かっこ悪い男にしないでよ」

 そして京子の背中をそっと押して、店の外に先に出るように促した。

 少し遅れて店を出た克彦に、京子は苦笑しながら言った。

「最後まで、かっこいい男でいようとしないでよ」

 京子は「ここでいい」と言い、克彦もうなずいた。2人はそこで別れた。

 克彦は帰り道でずっと、京子の言葉を思い出していた。

『あきらめてないから、誰ともつきあう気なんかないって、言わないんでしょ? つきあいたいんでしょ? 今でも…』

 断り文句なんてただの断り文句だ。弘子との可能性がないなら、結果として誰ともつきあわないのだから、「誰ともつきあう気はない」と言って断ったっていい。だけどその言葉は使えない。もしも…と、いつか…と、克彦は心の底でそう思っている自分を知った。だからって、弘子に好きな人がいる現実の中で、今後どうしたらいいのかなんてまったくわからないけれど…。


 それから何度かそんな修羅場をくぐり抜け(とはいえ、克彦はそのへんベテランなのだが)、卒業式の日がやってきた。克彦は、最後に弘子に気持ちだけ伝えようか、何も言わずに去ろうか迷っていた。

 卒業後もテニス部OBとして高校に足を運ぶ機会がある。だから、このまま永遠にこの高校と縁が切れるわけではない。けれど弘子との縁は間違いなく切れるだろう。

 卒業式のあと、校庭や中庭では卒業生たちを囲んでたくさんの輪ができていた。テニス部はテニスコートにひときわ華やかな輪を作り、女の子たちが熱心に写真を撮っていた。克彦はその輪の中心にいた。取り巻く女の子の群れはなかなか離れなかった。弘子を見つけ、声をかけるなんてとてもできない。結局は吹奏楽部の群れを見つけることさえできなかった。

(そういうものだよね。そしてそれが結論なのかな…。天の意思があるとしたら)

 克彦は、弘子に何も告げずに卒業することを選んだ。

 大学の新しい世界は、きっと高校時代の自分を嫌でも洗い流してしまうだろう。克彦は誰にも制服の第2ボタンを渡すことなく、峯丘高校を後にした。

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