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第1章 片想い編 1.もうすぐ出会うまで


 その日は都立峯丘高校の入学式だった。運動部の色とりどりのジャージが渡り廊下の西側に華やかに並び、東側に陣取る文化部の地味な制服と白衣たちを圧倒している。1階の広い渡り廊下に各部活が机を設置し、そこでつかまえた新入生を説明会会場の教室に引っ張り込む。連れて行かれたが最後、よっぽど度胸のある新入生でもない限り「入部届」を書かずに帰れることはない。

 テニス部は3年A組の教室を手に入れ、机を説明会用に設置すると、新1年生が渡り廊下を通る頃には各自持ち場に散っていった。

 その5分後、テニス部の部室では新3年生の山根克彦が、果たして何人目になるのだろう、女の子からの交際の申し込みを断っていた。

「俺、まだ女の子とつきあう気、ないんだけど…」

 彼女の顔が紅潮した。

「まだって、高校3年でしょ? 17でしょ? おかしいよ、そんなの」

「そう言われてもね…」

 克彦はため息をついた。なんで高校生たちは恋愛することを強制するんだろう。特に女の子たちは、一方的に恋愛感情を持ったくせに、克彦にも全く同様の恋愛感情を持つことを要求する。

「それとも、他に好きな人とか、いるの? だったら仕方ないけど。私を傷つけないように言ってるんだったら、そういうのはやめて」

 しかも、相手が誰でもいいから、とにかく克彦に「好きな人」がいれば納得できるらしい。克彦は心の中でため息をついた。

(…なんで「他に好きな人とか」いれば「仕方ない」んだろう? もし本当に俺のことが好きなら、他に好きな人がいようがいまいが関係ないんじゃない?)

 それでも克彦は、できるだけ丁重に自分の気持ちを説明した。

「好きな人なんかいないよ。あのね、本気で、俺まだ全然女の子とつきあう気がないの。女の子に対して、キレイだなとか、素敵だなとか思うことはあるんだけど、特定の子に興味をもつことが、全然ないの」

 残念ながら、彼女には克彦のその感覚が全く理解できなかった。「でも」と言いかけて、「でも」何だと言い返せば自分に分があるかはかりかねて、彼女は黙った。

「悪いけど、勧誘始まっちゃうから。このへんのラケットとテニスボール、テキトーに持っていけばいいよね?」

 薄情かもしれないが、克彦は彼女を残して両手にラケットとボールを抱えて部室を出た。「勧誘に小道具持っていこうよ」という言葉が克彦を部室に呼び出す口実だったことはわかっていたが、彼女の顔を立てなければならない。恋心は受け入れられないが、そういう気を遣うことは上手くできる。

 山根克彦は、テニス部の「王子様」的存在だった。「王子様」なんていうと冗談にしか聞こえないが、背が高くて顔が良くて優しくて…という、つまらないくらい型どおりのヒーローだった。身長は182センチ、これは他の男子部員に比べて一人だけ高くて、克彦的には「もう少し目立たない方がいいんだけど」と思っていた。ちょっと細身ではあったがスポーツマンらしく引き締まってスタイルもよく、足が長い。顔はというと、少したれ目がちで優しそうな茶色の瞳にきれいな二重まぶた、これに無難な鼻と口がバランスよくついている。綺麗なだけで特徴がないとも言えるかもしれないが、さわやかで落ち着いた優しそうな美男子だ。髪は少し茶色、天然パーマで軽くウェーブがかかっており、その自然な流れがこれまたアクのない顔に似合っている。そのうえ、都立高校の中で名門と言われる峯丘高校に余裕で合格するくらいには、頭もいい。さらに親は中堅どころの会社を経営していて、家は裕福だった。

 それだけ条件が揃っていて、部活の選択がテニスなのもあるいは嫌味かもしれないし、その実績も、昨年は「地区大会準優勝で、全国大会には行けなかった」くらいには力がある。テニス部の女の子たちが克彦にこぞって憧れるのも、仕方ないといえば仕方なかった。

 克彦に対する女の子たちの態度は2つのパターンに分かれている。ひとつは何らかの好意をたたえている状態、もうひとつは「私はアンタをなんとも思ってないんだから、誤解しないで」というバリアーを張っている状態。どっちにしろ「かっこいい」という風には思われてるんだろうな、と克彦は思っていた。顔のいい人は、周りの人の態度から、自分の顔がいいことなんか知っている。克彦は、それこそ自分の心臓が左にあるといったレベルの認識で、さらりと「俺って顔がいいんだな」と思っていた。あるいはそれは、克彦が女性に対してあまり興味がなかったから冷静に思えたのかもしれなかった。

 克彦にはちょっと特殊な過去があり、女性をそこはかとなく苦手にしている。女性は興味の対象ではなく、漠然と身近に存在する「女性」という生物にすぎなかった。犬といっしょにすると怒られるかもしれないが、柴犬でもスピッツでもプードルでもコリーでもゴールデンレトリバーでも、犬はみんな可愛い。なかには美しい犬もいるし、元気な犬もいるし、可愛い犬も、愛嬌たっぷりの犬もいる。でも、犬を飼う気のない人にとって、「じゃあ自分はどの犬を選ぶか?」という問いかけは要らない。あの犬も、この犬もみんなかわいいね、それでなんの差し支えもない。克彦は女性を嫌いではなかったし、もちろんそれなりにベッドの下に女性の写真の載った雑誌を隠したりはしているが、女性を選別して良し悪しを決定する必要は感じなかった。

 とはいえ克彦にも「彼女」がいたことはある。高校に入って間もなく、何番目に「つきあってほしい」と言われた子だったかは忘れたが、OKしてみた。別にその子を好きだったわけではない。ただ、「高校生たちは、恋愛することを強制する」から、克彦も一時「彼女の一人くらいいないとまずいんじゃないか?」という強迫観念のようなものがあった。

 その相手は小岩依里子という中学時代の同級生で、まあまあ可愛らしくおとなしそうな優等生だった。あまり自分を表に出さないタイプで、だから告白されたとき、克彦はびっくりした。

「中学3年のとき、ずっと好きだったんだけど、卒業のときどうしても言えなくて、後悔したから…。気持ちだけ伝えたくて。でも、もしチャンスがあるなら、つきあってほしいと思ってもいるんだ」

 依里子は克彦を呼び出して、横顔でそう告げた。顔は髪でほとんど隠れてしまっていた。なんだ、好きだって言うときの顔、見たかったのにな…と克彦は思い、傲慢だなと反省した。克彦は当事者として何度もそういう劇的な場面に立たされていて、すでに女の子からの告白に慣れてしまっていた。

「そうだね、考えてみるよ」

 そのとき、小岩依里子にだけは初めてそんな答えを返した。その後、克彦のほうから依里子を何度かデートに呼び出した。何度目かのデートのときに、依里子は、

「…あの、あらためて、つきあってくださいって、お願いしてもいい? こんなふうにして会ってもらえるのも嬉しいけど、私、山根くんの、お友達になりたいんじゃないんだ」

 と言った。

 お友達になりたいんじゃないんだ、という響きが気に入った。恋愛不感症な克彦にとっても、琴線に触れる一言だった。それから、年頃の男の子らしく、ちょっとだけ「じゃあ、お友達じゃなくて、どういう関係になりたいワケ?」と考えてみたりもした。

(…そーいうことがあってもいいよね、16歳だし)

 そう思って、克彦は言った。

「いいよ、つきあおうよ」

 そんなふうに二人は「彼氏」「彼女」の関係になったはずだった。街を手をつないで歩き、意味のない電話をどちらからともなくかけ合い、そんな風に3ヶ月が過ぎた。克彦は、これはこれで悪くないなと思い始めていた。

 そんなときに、ささやかなすれ違いは起こった。

 その日、夕方まではとても普通のデートをしていた。帰ろうと駅に向かい、薄暗くなった駅前の広場で、依里子は、突然克彦の胸に飛び込んで背中に腕を回し、言った。

「どうしてなにもしてくれないの?」

 この「なにも」の「なに」をどう考えるか?

 まだ高校1年生の女の子で、初めて男の子とつきあうことになって3ヶ月の依里子は、「どうして、肩を抱いたり、抱きしめたりしてくれないの?」という気持ちでいた。「手をつなぐ」だけの3ヶ月に対して、もどかしい気持ちを伝えたかった。

 克彦はもちろん、それをもっと違う、男の子らしい意味にとった。だって、友人たちから「3ヶ月も手をつなぐだけなんて、異常だ」と繰り返し言われていたから。自分だって、普通の男の子なら普通に考える「その先」のことを普通に考えていたから。

 そして、このとき克彦は自分の中にある「心的外傷」と対峙することになった。

(…女の子のほうから、たった3ヶ月で、そんなふうに言いだすものなの? …しかも、こんなふうに地味で清純そうな子でも?)

 克彦は言葉も出なかった。昔あった嫌な出来事…、その時の記憶が漠然と甦った。この抱擁は、性的な要求にしか見えていなかった。

 一方で依里子は、3ヶ月のつきあいでいろんなことに気がついていた。克彦は一度だって、依里子のことを「好き」だとは言っていない。依里子が一方的に想っているだけで、本当は、恋愛関係にはなっていない。依里子は追い詰められ、こんなふうに胸に飛び込んで、克彦が抱きしめ返してくれなかったら、もうあきらめようと思っていた。

 多分、どちらも極端だが、克彦のほうがちょっとだけ正しい。時々女の子は言葉の使い方を間違えて男の子にあらぬ期待をもたせてしまう。しかし、男と女の微妙なルールを正しく理解している高校生なんて、いったいどれくらいいるだろう。

 克彦はしばらく腕を垂れたまま抱きしめられていた。そして、ゆっくりと、依里子を引き離した。これは、克彦の精一杯の努力だった。本当は、突き飛ばしてその場できびすを返して去りたかった。女の子に対してそんな態度をとるわけにはいかない、という理性と優しさだけでなんとか踏みとどまった。

(…結局、「つきあって」はくれたけど、好きになってくれてはなかったんだ。私って、バカみたい…)

 依里子はそのまま走り去った。追いかけて、抱きしめてくれれば…、そんなことを期待している自分が可笑しかった。克彦は追いかけてこなかった。

 克彦は依里子の後ろ姿をぼんやりと眺め、そして彼女の姿が見えなくなるよりも先に背中を向けた。依里子の髪のにおいが胸に残っている気がして、それはそれで甘美な気もした。その時点で依里子とのことは終わった恋愛になった。

 自分の部屋で一人っきりになると急に、克彦はあらぬ妄想にとりつかれた。不快で重苦しい性的なイメージが止まらない。延々と「どうしてなにもしてくれないの?」と迫る依里子を意図しないまま想像して幻滅し、辟易した。なのに、かすかな歓びを覚えている自分に恐怖した。

(男女交際って、恋人同士って、こんなにグロテスクでおぞましいものなのか?)

 克彦は自己嫌悪と混乱の中で苦悶した。真面目な高校生の女の子が、初めての男女交際で、いきなり「なにか」してほしいと訴える。依里子の正体がわからなくなって、耐えがたい嫌悪感が何時間も克彦を離れなかった。

 依里子とは、結局どうなったのかハッキリしないまま中途半端な音信不通が続き、半月もたった頃に電話があった。

「結局、私の一方的な気持ちでしかなかったみたいだから、もういいよ。だから山根くんのほうから、ちゃんと決着つけてほしいの」

 依里子は、山根克彦を「ふられた男」にしたくなかった。克彦自身は「ふられた男」になることもなんとも思わなかったが、依里子の思うところは感じ取ることができた。

「…ゴメン、べつに君のこと、なんとも思ってなかったわけじゃないんだけど…。でも、もっと仲良くなりたいとか、そういう風に思ってなかったのは失礼だったと思う。俺、多分このままつきあってても、やっぱり積極的にはなれないと思う」

 しばらく沈黙があった。

「…わかった」

 依里子は静かに言った。克彦は心から彼女に申し訳ないと思った。

「…それじゃ…」

 克彦がそう言いかけたとき、依里子ははじかれたように言葉をさえぎった。

「あ、あと、それから」

 一瞬待って、依里子はあわてたように一気に言った。

「あのね、誤解しないでほしいことがひとつあるんだけど…、私が言った、『どうしてなにもしてくれないの?』っていうの、友達に…それじゃ『Hしてほしい』って意味だよ、って言われて、その、私、そんなつもりじゃなかったし、だって、手をつないで歩く次は、腕を組んだりとかいろいろあるわけで、そんな女だったって思われるのだけは、絶対に、ホント違うから」

 当然〝そういう意味〟だと思っていた克彦は驚いた。依里子はそれを知る由もなく、

「わかってくれた?」

 と一生懸命言った。克彦がのろのろと、

「…うん、わかったよ」

 と言うと、依里子はいささか元気すぎる口調で「ありがとう」と言い、もう一度謝ろうとした克彦の声をさえぎるように、「もういいの。さよなら」ともっと元気に言い、あわてたように電話は切れた。

 克彦はベッドにうつぶせに倒れた。

「なんなの俺…」

 自然に言葉がこぼれていた。

「なんなの、なんなの、なんなの?」

(彼女は本気で俺を好きだったのに、俺って、何なの?)

 克彦がそんな自己嫌悪から立ち直るのには、かなりの時間がかかった。いや、実際は今なお克彦の心に暗い影を落としていた。


 それ以降克彦は「彼女がほしい」なんて軽い気持ちで女の子とつきあうことは決してせずに、告白を丁重にお断りするばかりの高校生活を過ごし、この春に3年生になった。

 恋をしない自分に焦る気持ちが全くないとは言えなかったが、女の子を傷つけるようなことはもうしたくなかった。克彦の本来の心根はとても優しくて真面目だ。依里子のことですっかり懲りて心を入れ替えたし、恋以外にがんばりたいことはいろいろあった。

 女の子たちは不満なようだったが、克彦自身に恋は不必要だった。女の子たちが勝手に投げつけてくる恋愛を丁寧に打ち返すばかりの高校2年間が過ぎた。


 斉藤弘子は都立峯丘高校の新一年生として、部活の勧誘に沸く渡り廊下に足を踏み出した。あっという間に先輩たちが彼女を取り巻いた。中学時代からの友人2人とはぐれそうになり、弘子は人波を泳いでなんとか合流した。

「すごいねー」

「部活、どこ入る?」

 友人からかかった声に、弘子はあっさりと、

「私、もう決めてるから」

 と言った。

「えー、一緒のとこにしようよ。なんで一人で決めるの」

「カレシができそうなとこにしようよ」

 友人たちは一人で勝手に部活を決めてしまった弘子を非難した。

「そりゃあ、できれば一緒がいいけど、やりたくないことは、やりたくないもん」

 弘子はあっさりと言い、目的の部活の受付を目指して人波に漕ぎ出した。友人2人はあとを追った。アイドルのはっぴを着た女性2人が弘子の行く手をふさいだ。

「芸能研究会、どう? ファンクラブとかで優先的にチケット取れるよ」

 弘子はにっこり笑って、

「私、顔のいい男、大っ嫌いなんで」

 と言い、凍りつく先輩をすり抜けて先を急いだ。不必要に強い拒絶を投げつけて弘子が去っていくのを見て、友人2人は顔を見合わせてため息をついた。

「でも、チケット取れるんだー、いいね芸能研」

「ヒロコって、ホントーにアイドルとか芸能人とか、嫌いだよねー」

「でもさ、芸能研、女ばっかじゃん。それじゃイミナイね~」

 全然かみ合わない会話をしながら、弘子の友人、坂巻かおりと池内佳美は芸能研を通過した。


 弘子はいわゆるオクテな女の子である。身長150センチに丸顔、童顔というルックスにコンプレックスをもっている。中学時代は髪が短かったのだが、7歳違いの姉に「小学生みたい」と言われ、セミロングにまで伸ばしたので、今はまあ高校生らしく見える。

 母親似の姉は面長で美人顔、背は160センチ以上あって、体形はすらりとしている。弘子は父親に似て、丸顔で実に日本人らしいのっぺりした顔、体形もややぽてっとしている。

 姉は発展家で、中学2年のときから「つきあってる人」なるものがいた。勉強は弘子のほうができたが、女の子にとって、美人で男の子に人気があるほうが勝ちに決まっている。そんな反発から、弘子は「義務教育のうちから男女交際なんて、けしからん」と言って、男の子を遠巻きにして、女の子とだけ群れていた。でも、もちろんそんなのは建前で、男の子にはすごく興味があった。

 弘子にとって真の初恋と呼べるものは、お姉ちゃんが初カレシを手に入れたのと同じ、中学2年の頃に訪れた。弘子がトイレ掃除の当番だったとき、一緒に当番のはずの女の子に三日連続でサボられてしまったことがあり、初恋の相手の沢井幸介は、その女の子が毎日掃除の時間に屋上に行くことに気付いて注意してくれた。その翌日、沢井は弘子にそっと近付いて、内緒話のように、

「今日は、あいつちゃんと掃除してた?」

 と訊いた。ちょっとかがんですぐそばに顔を寄せてきた沢井に弘子はドキドキした。沢井は学年で三本の指に入るくらい、見た目も良かった。

「…うん、今日は…。沢井くんが言ってくれたから…」

「そうか、よかった。大変だったね」

 沢井は「ぽん!」と弘子の頭に手を載せ、わずかに撫でるように髪に触れて去っていった。この程度のことだったが、男の子に免疫のない弘子などイチコロだった。

 しかし、修学旅行の打ち明け話で「好きな人の話」をしたら、弘子を含め5人もの女子が沢井を好きだった。そしてみんな、さりげない話を装って「自分と沢井がどれだけ仲がいいか」を主張し合った。弘子はものの数にも入らない自分にがっかりした。

 卒業間近になって、恋愛のマッチレースが盛んになってきたある日、弘子の家の電話が鳴った。かおりからだった。

「沢井、サイテーじゃーん。マジむかつく~!! あいつ、自分を好きになった女子の数、手帳に『正』の字つけてるらしいよ。もう20人超えたとか言ってたらしい。モテるのを男子に自慢しまくってるって! ――正の字よ、正の字。私たち、正の字の、短い棒一本。バカにしてない?」

 その「正の字」情報はあっという間に女子の間に広まった。次第に彼に関する情報が集まった。愛読書が「女をオトす云々」「モテる云々」の本だとか、年齢を偽って合コンに行ったことがあるとか、その他諸々…。とにかく、たいそう女の子に興味が強く、自分の顔がいいのをその趣味に大いに活かしていることは明らかだった。

 自分もまんまとひっかかり、しっかり「正」の字の棒の一本にされていたことに、弘子のプライドは深く傷ついた。

「私、もう絶対に、顔のいい男は好きにならない。顔のいい人が百人いて、そのうち九十九人が性格もいい人だったとして、それでも百人に一人のタチ悪い人が嫌いだから、顔のいい人には近寄らない」

 弘子は断言した。池内佳美と坂巻かおりは弘子をいろいろあやしたが、無駄だった。

「顔が良くて、美人と好きなだけつきあえるような人が、私に親切にするなんてことがあったら、絶対になにか悪意とか、ろくでもない裏事情があるよ。私がわざわざ苦労してそういう顔のいいヒトビトと関わる必要ないじゃん」

 こうなったら弘子が絶対に天岩戸から出てこないことは、長いつきあいの親友2人、重々承知だった。佳美とかおりはなだめるのをあきらめた。

 そのまま弘子は極めてひねくれた状態で中学校を卒業し、高校の入学式を迎えたのだった。


 弘子はやっと、お目当ての吹奏楽部の前にたどり着き、さっさと入部手続きをした。それから初会合の日時の入ったチラシをもらい、すぐに友人を探しに人波に戻った。

「佳美とかおり、どこにいったのかな…」

 その頃、佳美とかおりは、最も混雑している一角にいた。

 渡り廊下はテニスコートの脇を通っていて、テニス部はその地の利を最大限に活かしてデモンストレーションを行っていた。出し物は、新入生女子を釣るための、山根克彦メインの試合である。克彦は、渡り廊下を向く側のコートのネットサイドをやらされていた。

 客寄せパンダをするのはあまりいい気分ではなかった。しかも、こうして群がって自分を見ている女の子たちがわらわらと入部してきては厄介な恋愛騒ぎを起こす。克彦は渋い気持ちでコートに立っていた。けれど、去年大いに実績を上げたこの勧誘方法を、「今年はやめよう」なんて言ってくれる部員はどこにもいなかった。

 弘子は、友人2人がハートの目をして口を開け、克彦のプレイに見とれているところを遠目に発見した。人の流れに逆らって向かっていくと、テンコ盛りに群がっていた新入生女子はテニス部員の投網でごっそりとキャッチされ、大漁宴の説明会に連れて行かれた。

「あらあら…連れてかれた」

 弘子はその群れを追って歩いていった。何人かの勧誘者に声をかけられたが、「もう入部したんで」と言うとすぐに放免された。テニス部の人にも声をかけられたが、「いや、友人の付き添いだけです」と言った。

 その時、テニス部の勧誘者の肩越しに、克彦の姿が目に入った。

(あ、さっきテニスやってた「かっこいい人」だ)

 弘子は全く興味のない芸能人を見つけたような気分でちらりと眺め、そのまま、

「すみません、今連れて行かれた人たちは、どこの教室に行ったんでしょう?」

 と近くのテニス部員に訊いて3年A組の教室を教わり、校舎に入った。

(今度こそ高校で、私らしくて素敵な恋をしよう。笑顔が無邪気で可愛い人がいいな。純真で、ちょっと三枚目な人。明るくて楽しくて、フルートと二重奏して映える楽器ができる人がいいな)

 そんなことを考え、弘子が廊下でこっそりうふふと笑ったら、とたん、急に視界が暗くなったので顔を上げた。

「もしかして入部希望者?」

 山根克彦が立っていた。弘子は「ああ、さっきのかっこいい人だ」と思い、余裕の微笑を向けて言った。

「いえ、友人の付き添いだけです」

「あ、そうなの。少し時間かかるよ、入部届とかも書いてもらうし…」

 克彦の言葉に、弘子は「全員が入るとは限らないんじゃない?」とかすかに反発を感じた。でもやっぱり余裕の笑顔で、

「そうですか。いいです、ここで本読んでますから」

 と言った。克彦はすまなそうに、

「椅子、持って来ようか?」

 と言った。弘子はあっさりと断った。

 克彦は教室に入っていった。新入生女子の息をのむ声が聞こえてくるようだった。弘子はカバンの中から本を取り出した。

 克彦は弘子の態度を少し不思議に感じた。瞳の中にハートが浮かんでいるでもなく、逆に警戒のまなざしをしているわけでもなかった。本当は、それは弘子の「かっこいい人への敵対心」から故意に発せられる無関心なのだが、克彦にわかるはずもなかった。

 十分ほどの時間が過ぎると教室の中ががたがたと騒がしくなり、勧誘が終わったのかと弘子はふっと顔を上げてドアを見た。教室を出てきた克彦と目が合った。弘子は軽く会釈し、すぐに克彦から目を離してドアのそばへ行くと、教室の中を見た。そして、まだ終わりではなさそうなのを見て取ると、再び本に没頭した。克彦はテニスコートに戻った。

 それから5分もすると新入生が教室からぱらぱらと出て来はじめ、弘子は佳美とかおりを見つけることができた。

「弘子も、見たでしょ~? テニス部に、超かっこいい人、いたよねー」

 佳美とかおりははしゃいでいた。

「あのねえ、吹奏楽にいい人がいないとは、限らないでしょー」

 弘子が言い返すと、かおりがさらに声を甲高くして言った。

「えーでも、テニス部、OBの人とか先輩とか、結構全体的に、レベル高かったよ~?」

 弘子は、それに応えて容赦なく言い放った。

「でも、女ばっかだったよね、新入部員」

 2人の親友は言葉に詰まった。

 斉藤弘子、15歳。恋らしい恋もしたことなく、幼稚なコンプレックスのかたまりで、まだまだコドモのままの青春の始まりだった。

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