エピローグ
僕はそこで生まれた。真っ白に塗られた部屋。1つだけあるベッド。あとは定期的に「女」が運んでくる本だけが僕の娯楽だった。
僕は自分の名前を知らない。その世界には僕と「女」しか居ない。呼び分ける必要がないのだ。
女は僕の全身をベッドにしばった。代わりに女が僕の手足となり、いっさいの面倒を見た。嬉々とした表情で。僕の手となりスプーンで僕の口に食事を運んだ。僕の口となり詩を朗読した。僕の代わりとなり……。
あるとき僕は身体の不自由さを女になげいた。女は僕を殴りつけた。泣いていた。「あなたのため」と。「世界は危ないの」「怪我したらどうするの」「あなたに死んで欲しくない」「危ないことは全部排除してあげる」「愛情は人並み以上に注いであげる」「ここにいれば安全」「不自由はさせない」「お母さんが、全部やってあげるから」
日が経ち、僕の身体は衰え、自分で満足に動くこともできなくなっていた。
ある時、僕は夢の中で自由に動き回れることができることに気づいた。そこでは僕の身体は自由に動き、それだけではなく空を飛んだり、壁をすり抜けたり……。とにかく、すべてが意のままだった。いろんな人と話をして、いろんな人の悩みを聞いて……。いろんな体験をして。とにかく僕は楽しかった。
それを無神経だとなじる人もいるかもしれない。他人の夢をのぞくなんて、デリカシーがないと。
でもいいじゃないか。僕にはそれしかないんだから。鳥が空を飛ぶ代償に、地面を歩くのが不得手なように。魚が泳ぐことが上手な代わりに、陸地で生きることができないように。僕は、現実世界を代償に、夢の中での自由を手に入れたんだ。それを誰がなじることができる?
僕は母親の体内から外に出ても、胎児のままだった。ま白く塗りつぶされたこの部屋は、子宮だった。母親というつながりでかろうじて生をたもっていた。目を閉じ、睡眠しているときだけ、僕はその世界から自由になれた。早く夜がこないか、と僕は思う。おはようございますは終わりの言葉で、おやすみなさいは始まりのあいさつだった。
夜が来る。1、2の3で僕は子宮から開放される。