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「あなたのために」と女は嗤い(わらい)、 「愛してる」と僕を刺す

「あなたのために」と女は嗤い(わらい)、

「愛してる」と僕を刺す















































 私は名前をソラという。





















































 私は名前をソラという。頭の上にある空でもいいし、からっぽの意味でもいい。空耳の「そら」でも、とにかくなんでも。私は自分の名前を気に入っていた。

 灰色に塗り固められた通りを歩く私。私には相棒がいる。一匹の小さい、灰色の猫。私は猫を小太郎と読んでいた。小さいけれど、太く朗らかに生きる。そんな私の思いを知ってか知らずか、小太郎は私に餌をねだる。

「今日は何もないよ」

 手をひらひらさせてみせる。にゃあ、と小太郎は一声応える。ふと通り過ぎる風。私は風の予感に耳を澄ませ、鼻を鋭敏にして去来を待つ。一瞬だけ私の髪の毛と、小太郎のしっぽを通り過ぎて風は去っていく。……いろんな情報を、残して。


「今日は3丁目のスーパーで安売りだって。特に卵がお得」

「高橋さんの隣に住んでる中野さんが、膝を痛めたらしい」

「おじいさんがまたボケちゃって」

「空虚と書いてむなしい、その心は『』」

「ううう」


「行こっか」

 私は小太郎に声をかける。「どこへ?」といった具合に首をかしげる。

「卵を買わなきゃ。ええと、それはどうでもいいわね。とにかく風のふくまま、気の向くままよ」

 にゃあ、ともう一度だけ小太郎がないた。


 地面から生える巨大なキノコ。空に突き刺さり、いつか空に穴を開けてしまわないかとヒヤヒヤしている。それとも逆で、空が落ちないようにと柱になって支えているのか。


 それはそれとして、私と小太郎は商店街を歩いていた。軒先にラベンダーが咲いている。中にいるパン屋のおばさんは、私を見つけてほほえんで見せる。

「あら、今日も元気ね」

「そうね。元気ってことはないけれど元気だわ」

「小太郎くんも」

「にゃあ」

「小太郎はいつも元気だって」

 おばさんは右手をほほに当てて、首をかしげてみせる。

「そらちゃんにパンをあげようと思っていたのだけれど……、うちの旦那が捨ててしまったみたい」

「いいわよ別に。私パン嫌いだし」

「にゃあ」

「そうだったかしらね」

 おばさんは冗談めかしてからからと笑う。

 本当はおばさんには旦那などおらず、パン屋の中でパンを売ってないことを私は知っている。


「あら、小太郎くん」

「にゃあ」

 次に声をかけてきたのは魚屋のチェリーさん。チェリーさんは耳にさくらんぼのピアスをいつもしている。

「今日はます? あじ? さば? 」

「にゃあ」

「ちょっと待ってね」

 チェリーさんが奥に行き、何かを袋につめて戻ってくる。

「はい、じゃあこれ小太郎くんに食べさせてあげて」

「お金は? 」

「別にいいわよ」

 チェリーさんは笑う。

「どうせ捨てるものだし。私は魚が嫌いだから」



 そしてホウボウで呼び止められ、いろんなものをもらいながら、私たちはやっと目的地へたどりつく。……商店街の奥の奥。路地裏に入り、壁を乗り越えて、スナックの中をつっきってたどり着く場所。

 そこに灰色のフードをかぶったおじいさんが、いつもいる。


「おはよう」

「こんばんはが適切だ」

 私はおじいさんの隣に腰掛ける。

「別にいいよ、どっちでも。面倒くさい」

「面倒くさいことあるか。時間の経過が大事だと、……お前の年にはまだわからんだろうなぁ」

「うん、分からない」

 ふう、と少し長めのため息をつく。

「今日も商店街を通ってきたのか? 」

「うん、みな元気そうだったよ」

「元気じゃ困る」

 おじいさんの目は遠くを見つめていた。

「嘘と虚飾で見栄を張って自分を覆い隠している。世界は理不尽とジレンマに包まれているというのに」

「おじいさんがそう思うように」

 私は言う。

「みんなは『正しいことなんてどうでもいいから、楽しく生きたい』と思ってるのかもよ。

 私はそっちのほうが好きだけど」

「違うのさ」

 おじいさんの口調が変わる。

「ここは夢なんだ」






「ここしか知らないそらに、正しく認識できるとは思わないけど」

「分かるわよ、そんな気がするから」

「……。この世界にいる人々は、現実じゃ疲れ果て、あるいは諦めきっている。

 せめてここだけでは楽しく、満たされて生きたいと願っている。

 もともとここは、そのための場所だった。活力を得て、自分の人生を充実させるための場所」

 私はため息をつく。

「知らない。

 おじいさん、いつからそんなに分からずやになったの? 」

 それもそうだ、と苦笑して、おじいさんはいつもの灰色のフードを目深にかぶる。

「でもわしは、知ってほしいと思ったのだ」

「知ってるわ。

 ちょっとイタズラをしてみたい気分だったの」


 思い切り息をすう。鼻の奥に緑の香り。おじいさんが笑うのがみえた。にゃあと小太郎が鳴く。




 白い人、というの街中の噂だった。

 特に何をするわけでもないけど、なんだか不気味だとチェリーさんは言う。

「ここにいる人は、顔なじみだから。たまに誰か来てもすぐに去っていくのだけれど」

「おばさん、気にしすぎだよ」

「そうかしら」

「小太郎に魚をちょうだい」

 私はお金を払ってあじを二尾買った。

「何もしなくても大抵だいじょうぶ。世の中そういう風になってるんだから」


 けれどそんな私の楽観とは裏腹に、みんなが暗い気持ちになっているのが手に取るようにわかった。理由はわかる。みんな変化を恐れているのだ。ここは停滞と無痛とささやかなノイズ、例えるなら子宮の中に似ている。……おじいさんの受け売りだけど。

 この世界では善を成しても悪になっても、翌日にはすべてが元通りになるけれど、今回現れた「白い人」のように、何を考えているかわからない存在というのは、理解の範疇を超えている。危害を加えられることには慣れていても、街に調和しない異物があることで、「変化」を起こさないかとみんなおびえているのだ。


「会ってみようか」

 私は小太郎に話しかける。にゃあ、といつもの口調で彼は答えた。



「やめなさい」

 灰色のフードのおじいさんは、開口一番そういった。

 「白い人」に会うための相談をしにいった矢先だった。

「どうして? 納得できる理由がないと、嫌だよ」

「そら。お前は無垢で純粋だ」

 おじいさんがフードを取る。いつものように、口調が変わって。

「この街みんなの希望だ。お前を危険な目に合わせたくないんだ」

「危険? 危ないことってなによ」

「お前にはまだ早いんだ」

「じゃあいつならいいの? 明日? あさって?

 一年後? この街の人がみんな居なくなったら? 」

 おじいさんは顔を歪めて首をふる。

「私は自分が居る意味くらい分かってるつもり。

 その上に私の自由意思も奪おうとするのは、ねえおじいさん、それは残酷ってものじゃないかしら」

「分かった」

 おじいさんは灰色のフードをかぶる。いつものしゃがれ声にもどる。

「無理をするなよ。わしはお前のことを娘みたいに思ってるんだ」

「ありがとう。私もおじいさんのこと好きよ」

 フードの中で笑っているのが見えた気がした。



 私がいつものように、風に耳を澄ませている。隣ではこたろうが毛づくろいをしている。今日もビルが高い。空からふと、流れ星が見えた気がした。

 それが噂の「白い人」だと直感した私は、走って光を追いかける。光はふわふわと、綿毛のように左右に揺れて、ゆっくりと下降していく。……そしてそれはこの街で一番高いビルの屋上で止まった。



 全身で呼吸をしながら、ビルの屋上にたどりつく。まだどこにも行かないでと願いなら。赤くさびたノブに手をかける。がちゃん。きぃ。両手で扉を押す。


 外から風が吹き込む。私は思わず目を閉じる。にゃ。小太郎の声。前に一歩ずつ踏み出す。屋上に出て、周囲を見渡す。フェンスの向こう側に、その人は居た。


「こんにちは」

 私の声はふるえてるみたいだった。

 その人、男の人は驚いた表情でこちらを見る。

「あの、お話してもいいですか? 」

「ダメな理由がないよ。僕はクウって言うんだ」

 クウは口元を少しだけゆがめて、笑った。


「どうしてこの街に? 」

「僕はここしか知らないから」

「何をしてるの? 」

「何も。やりたいことをしてるんだ」

「あなたは誰? 」

「僕は、」

 顔を歪めて

「誰だろう。それを知りたいのかもしれない。

 ……いや、それは嘘だ。僕は自分が誰だか知っている。

 その質問には答えたくないだけだ。悪いけど」

「ごめんなさい」

 私は頭を下げて非礼をわびる。

「苦しそうなのは、何か理由があるんですか」

「僕? よく気づく子だね」

 クウは街を見下ろした。

「僕は人を殺したんだ。ちょうどこの場所、この位置で。

 もう少し僕が何かできれば、あるいはいい答えを出せれば、そんなことにはならなかったんじゃないかって思うんだ」

「生きるのは素晴らしいこと? 」

 クウは驚いた顔をしていた。

「ごめん、その質問にも、僕は答えられそうにない」



 帰り際。

「思い出した。僕の目的、僕の願望。

 僕は空が見たいんだ」

「わたし? 」

 笑って首を振る。

 人差し指頭上を示し、

「底抜けに広がる、青い空さ」




「おじいさんは、後悔をしたことがある? 」

 私の質問に、おじいさんは首をふる。……それは否定の意ではない。

「それだけが人を老いさせる」

「じゃあ後悔をしてるから、おじいさんになってしまったの? 」

「それは半分正解で、」

 フードを外すおじいさん。そこにあるのは、精悍な青年の顔つき。

「半分は間違いだ。

 僕はふりこのように繰り返しているだけだ。

 そんなことがありえるか? ありえる、とだけ応えておく。目の前にあること、自分で知ってることだけが世界の全てじゃない」

「でも私は、全知だわ」

 青年は苦笑する。

「そうだね、君は」

「でもあの人は私の知らない人。名前をクウと名乗ったの。私は彼のことを知りたいと思った」

「彼に近づくのは危険だよ」

「危険なことなんて、何もないわ」

 青年は、いつしか老人に戻っていた。

「君には危険じゃないだろう。

 だがわしには危険だ。わしは恐れている」

「おじいさんは物知りで、大人なのに、怖いことがまだあるの? 」

「怖いことはね、消えてなくなりはしないから。理解は恐怖を縮こませる。けれど決して消えたりはしない。たまに自分が小さくなると、そんなちっぽけな恐怖がとてつもなく大きく見えたりするのさ。

 それを人は臆病だと言う。気が弱く、繊細だと。僕を優しいのだと。違う。違うんだ。僕はただ」

 青年。

「俺はただ、強くなりたかっただけなんだ」

「そうすれば、彼女のことも忘れられるから」

「過程はどうあれ、結果はどうあれ、自分の気持ちを汚したくない。

 ああ、手が消えていく。足が透けていく。もう俺はこの世界に留まれないらしい。……。

 恨み言は言うまい。ソラ、君のことを、俺は、わしは、本当に娘のように思っていたんだ」

「知ってる」

 おじいさんは、風に吹かれて消えてしまった。

「だから、おじいさんがうまくいくように、私は祈ってるわ」

 ただここから。



 いつもは原色を身につけているチェリーさんが、その日は様子が違って、薄汚れたねずみ色のパーカーを羽織っていた。私がそれを指摘すると、彼女ははにかんで笑ってみせた。

「これね、最近流行ってるらしいの。なんだかとても落ち着くのよ」

「チェリーさんの信念は、もういいの? 」

「信念って、何かしらね。もう忘れてしまったわ」

 小太郎がにゃあ、といつもどおりに声をかける。

「あら、小太郎くんごめんなさい。もう魚屋は廃業したの。

 今日からここは肉屋です」


 街の中に、灰色のフードを身にまとう人が増えていった。……それはおじいさんがつけていたフードによく似ていた。けれど私は、「おじいさんのようだ」と思わない。彼は自分の信念に基づき、自縛していたけれど。ここにいる人にとってフードはただのファッションだった。


 通りを歩く女が、私を見て足をとめる。

「あなた、魔法を使ったことがある? 」

「ないわ」

「かわいそう。私の先生を紹介しましょうか。

 代償はひまわりの種でよろしいそうよ」


「俺は人のために生きてきた」

 路地裏から出てきた男だった。

「でもそれももう終わりにする。ここには俺しかいない」


「お母さん」

「お母さん」

「お母さん」




 小太郎がにゃあと鳴いた。世界がおかしくなっている、と私は思った。

 ある時「白い人」が屋上でひときわ強く輝くと、それきり彼は姿を見せなくなった。

 それにどんな意味があるのだろうと考えた。……。でも私は、彼に会いたいと結論づけた。


「小太郎、お願い」


 私の要望にも、小太郎はいつもの調子で「にゃあ」と答えた。



 その世界で、私は白い毛に覆われていた。意識はあるけれど、それとは無関係に身体は動く。4つんばいになって、俊敏に。ガラスに映った、上品そうな真っ白な猫。首には赤い首輪がされている。それが小太郎だと気づくのに、少し時間がかかる。

 小太郎はガラスにうつった私を見て、いたずらっぽく「にゃあ」と鳴いてみせる。「これが本当の僕だよ」「驚いた? 」

 私は首を振る。

「私はいつもの小太郎のほうが好き」

「にゃあ」

 小太郎は笑って、「僕と気が合いそうだ」「でも悪い男に騙されちゃだめだよ」と。

「あの人の家を知ってるの? 」

 小さくうなずく小太郎。答えは、鼻が知っていた。いつものように、風に身を委ねると。小太郎の嗅覚を通して、いろいろな情報が伝わってくる。暖かい匂い。冷たい匂い。誰かが怒っている気配。家族を待つおいしそうな匂い。孤独な、寂しそうな匂い。私と小太郎は、それが白い人、すなわちクウの家であると結論づける。

 においでたどりながら家を探す。


 「朝藤」と表札の書かれた家で止まる。

 そこは外壁を真っ白に塗っている。インターホンを押そうとして、自分の毛むくじゃらの手に気づいてそれをひっこめる。小太郎が「にゃあ」と。全身を縮こませて、それを力にして、一気に塀の上にジャンプする。……それを何度か繰り返し、白い家のベランダへと侵入する。窓は、どうやらあいているようだった。

 私と小太郎は中に入る。部屋の中には、何もない。ただ1つ、ベッドがあった。

 部屋に充満している悲しみの匂い。私はその密度に泣きそうになる。


 ベッドには男の人が寝ていた。髪の毛は短く切りそろえられていた。白い丈の短い服を着ていた。目だけは子供のように好奇心に満ちていて、けれど顔は土気色をして疲れきっていた。


「あなたがクウなのね? 」

「君がソラか。会いにきてくれたんだね」

「私は、」

 どうして自分が会いたくなったのか。

 言葉が出なくてはがゆい。彼を救おうと思ったから? 気になったから。エトセトラ。

 でもそれもすべて違うような気がした。


「私は、あなたを友達だと思ったの。

 友達に会いにくるのに、何か理由が必要? 」

「うん。要らないさ」

 クウは上体を起こし、ベッドから立ち上がろうとする。……けれど力なくずるずるとベッドにひきづり落ちる。

「君が入ってきたってことは、この部屋は外とつながっているのかな」

「窓が割れてたわ」

「外に」

 歩けないクウを、私と小太郎でひっぱって、部屋の中央までなんとか運ぶ。……小太郎の身体じゃ、ベランダの窓を横にあけることができないから。代わりに、カーテンを開ける。部屋の中に風が吹き込む。どうか悲しみの匂いが薄れますように。クウが泣いているのが分かった。


「きれいな、空だ」








 私は小太郎にお礼を言う。「にゃあ」と、彼はいつもの調子。「どういたしまして」「またね」。それから、「あまり気を落とさないで」。

 クウは――、最後の最後で満たされたのだろうか。空を見ることができた。人生の目標を叶えることができた。……。小太郎の視線に気づいて、「そうだね、それは本人にしか分からないことだよね」。私は言う。

 今日も街中に風が吹き抜ける。耳を澄ませて、いろいろな情報を集める。……。うん、みなも元気そうだ。けれどさよなら。白い人はもういない。


 頭上には空が広がっている。ただ青い「そら」。遮るものがない、「くうきょ」な空。




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