大嫌いと君の思い。はにかんで、僕は笑い。
2.
「大嫌い」と君の思い。
はにかんで、僕は笑い。
その子はいつも口が「へ」の字型になっていた。何か不満があるの、と僕が聞くと眉をしかめて「だいっきらい。話しかけないで」。そして僕の隣に腰掛けるから、それがなんだかおかしくて、僕は彼女の元へと足しげく通う。
「元気? 」
「全然」
「いいことあった? 」
「何も」
「それじゃ、またね」
「大嫌い。もう来ないでね」
言って彼女は、手をふった。
その真意は。
リコにはもう会えなくなってしまった。そもそも狙った夢の1つに入るなんて、宇宙に存在する星のを目指すようなものなんて、はじめから到底無理だったのだ。今まではたまたま彼女の、そう例えば「引力」のようなものに引き寄せられていただけなのだと思う。それがなんなのか。僕には分からないけど。……いつか分かるだろうと、未来に期待をたくして。無責任に投げ捨てて。僕は今日も夢を見る。できれば青い空が、見えますように。
彼女は名前を黒霧と言った。姓を訪ねる僕に首を振り「ただの黒霧」と告げた。暗い夜にそっと現れては消える霧。言葉から現実感のない、不確かな存在感。無邪気に笑うその顔には似つかわしくないように思えた。
僕と彼女が会う「夢」は、決まって公園だった。四方を赤く塗られた柵に囲われている。中はブランコが2つと砂場があるだけだった。彼女はいつもブランコに腰掛け、前後にゆらしてきぃきぃと鳴らしている。夕日を浴びてその表情は見えないものの、丸めた背中から、悲壮感がただよっている。僕は元気づけようと思って彼女に近づくけれど、何を言うべきかまとまらず、黙って隣のブランコに座った。
彼女は僕を見て驚いて、一瞬喜色めいたものを見せる。けれどすぐに口もとは「へ」になり、口からは悪態がでる。
「何しに来たの? 暇ね」
「黒霧と遊びに来たんだ。暇なのは本当だけど。
邪魔だった? 」
「分かるでしょ」
そうしていつものやり取りを終えて、僕はブランコをこぐ。……リコとの一件以来、僕は空を飛ぶことができなくなっていた。こうして「夢」に入ることはできるけど。僕にできることが少なくなっていく。言いかえれば、僕は正常に近づいているのかもしれない。いつか「夢」に入ることもできなくなり、――。それはとても恐ろしい未来。
隣でブランコをこいでいた黒霧が、思い切りよく前方へと跳ぶ。危険な着地。砂煙にまみれた彼女を目で探す。黒霧は手で腰をさすりながら、立ち上がる。
「こんなとこでジャンプしたら、危ないよ」
「鳥」
「鳥が好きなの? 」
「嫌い」
「鳥みたいに空を飛びたいってこと? 」
「馬鹿みたい」
「んじゃ僕は? 」
「だいっきらい」
言って彼女は笑ってみせる。なんだ、冗談も言えるんだ。僕は少しだけほっとして、彼女をまねてブランコから飛び降りる。
黒霧の笑いは、僕が立ち上がり、全身の砂を払っても、まだ続いていた。
「なんか話、して」
僕が公園に落ちていたボールでリフティングらしきことをしていると、黒霧が話しかけてきた。
「そうだね」
僕は少し考えて、
「友達の話をするよ」
リコの話をした。
「やしゅ? 」
「分からないよね。僕にもよく分からない。
ともかくリコは、そういった存在だったんだ」
「分からない」
「もうリコには会えない」
「会えないの? 会いたい? 」
「分からない」
僕は考えて、
「でもこれでいいんだ」
僕は夢を見てるだけだから。彼女が夢を見なくなったら。いつか死んでしまったら。結局は会えなくなってしまうから。
黒霧は僕の目をまっすぐと覗き込み、鼻を鳴らした。
「意気地無し。あたしなら会いに行くよ。
相手がどんな姿でも、どう思ってても」
それが愛だもの。
自信満々に断言する彼女を羨ましく思い、疎ましくも思う。僕にはそれが分からない。
「愛するって難しいね」
僕の言葉に、彼女は笑顔で答える。
黒霧はまだ10を少し越えたぐらいの少女で、黒い髪は腰までと長く、黒い瞳はキラリと光る。ここは夢の中だから、彼女の年齢を外見で判断するのは危険かもしれないけれど……。
例えば、あるとき白い雲が流れるのを僕らは見ていた。楕円形の雲で、僕はどうしてもそれがレモンにみえた。
「レモンみたいな雲だ」
「違うわ」
黒霧はいう。
「あれはオムライスよ」
「オムライス好きなの? 」
「違うわ、たくさん集めて売るの」
そして嬉しそうに笑う彼女。オムライスの好みと、たくさんあつめて売ることと……会話につながりがないように思えたけど、それはきっと無粋だろう。
「春が好き」
夕焼けの中。片手で夕日を遮りながら彼女がいう。
「暖かい。
冬につもった雪が溶けて、草木が見えて」
しまった心の扉も締まり。
優しく開かれるといい。
「隠し事をしてるの? 」
僕の問いに、答えはない。
どこか寂しげに、けれど彼女は口をつぐんだ。
「それも言えない? 」
「言えるわ」
「僕が嫌いになってしまうから?」
「言える」
「絶対に嫌いに、ならない。君の前からも消えてなくならない。
僕らはずっと友達」
「やっぱり」
彼女は、顔をくしゃしゃに歪めて、
「言えない」
そこで、僕の夢は終わる。
3
いつものように黒霧に会うために公園に向かう。けれどそこに黒霧の姿はなくて、代わりに黒いフードで顔を覆った人間がいる。
「黒霧は?」
黒いフードは首を振る。
「彼女はもう来ません」
「どうして」
「あなたに会いたくないと言っています」
「嘘だ」
「あなたに、真偽が判断できるのですか?」
「黒霧は嘘をつかない」
僕は記憶の中の彼女を思い出しながら、
「来て欲しければ、『もう来ないで』と言う。
また会いたければ『大嫌い』と言う。
好きなものには憎まれ口を叩く。
だから黒霧が『来て欲しくない』と言ってるなら」
「あなたは想像より、厄介だ」
僕はとっさに右手を突き出す。
何かがあたり、脇へとそれる。それが「悪意」であることは明らか。僕は戦えるのか。毛ほどの自信もない。でもそれだけは言ってやろうと思った。
「黒霧が会いたくないっていうなら、それは『助けて欲しい』の意味だ」
黒いフードがぼんやりと、周囲の背景に溶けていく。……声だけが聞こえる。
「あなたは異常だ。黒霧に会うことができたことも、存在することも」
灰色のフードの、お爺さんの言葉を思い出す。
もし世界が異常に見えるなら。
それは自分が正常になったときだけだ。
だから僕は、この世界のからくりに気づいてしまった。
消される、と思った。黒いフードは「敵」だった。灰色のフードは、「味方になるかもしれない存在」だった。黒霧は正常だ。だから、黒霧は消されるだろう。
彼女は異常を装うために、いつも本当のことを言えないでいたのだ。
ゆっくりと黒いフードがこちらに近づいてくる。何かされたのか、僕の体はぴくりとも動かない。いつもの公園。夕暮れのブランコ。黒霧が居るなら、こういうだろう。
「大嫌い」
そして僕はその真意に気づき、照れ隠しに笑うのだ。