37 フィールの覚悟
…ついにこの日が来た…。
残り1時間前…。
あのふざけた人間の息の根を…止める。
闘技場の控え室で私はそんな思いを抱いていた。
自らの人生を思い返すと今でも震える。
惨殺された友人。
干からびた家族。
血まみれの父上…。
なぜ我らヴァンパイアは人間を憎むのか…。
決まっている。
多くの屈辱を味わったからだ。
やつらは同胞の血を抜き取り金に変えてきたのだ。
悪魔の所業をやつらは平然と行ってきたのだ。
許せるはずがない…。
すべて…根絶やしにしなくてはいけない!
あの人間も化けの皮をはげば金に目の眩んだ獣。
己の欲望のためならどんなことだって出来る。
人間とはそういうものなのだ…。
だからこそ…あいつを…殺すのだ!
コンコン…。
「…?誰だ?」
突然ドアを叩く音が響き渡り、私は反応する。
…同胞たちには戦場が荒れることを考え、闘技場には来るなと伝えたはずだが…。
いったい誰が来たのか?
ガチャッ…。
「失礼します…。フィール様。アリスでございます」
「アリス…」
そこには私の世話係を務める一人のヴァンパイアの少女が立っていた。
黄金に輝く長髪に、赤い瞳、無駄な肉のない整った顔をした美しい少女。
健康的に育った体や美しい肌、平均的ではあるが見るものを魅了する胸部も彼女の美貌に磨きがかかっている。
元々は奴隷であり、過去に私が買い取ったという経緯がある。
名前はあったが、生まれ変わる意味で新しい名を与えたのだ。
アリスとは20年近い日々を共に過ごしたこともあり、今では数少ない心を許せる使用人であり、友人となった。
「どうしたのだ?アリス…。ここには来るなと伝えたはずだが…」
「フィール様…失礼を承知で申し上げます。どうしても…あの人間を殺すのですか?」
アリス…。
お前は優しいのだな…。
あれだけ過酷な運命を経験しながら、人間を思うとは…。
「アリス…お前ならわかるだろう…。私がどれ程の屈辱を人間から受けたのか…」
「わかっております…。フィール様の人間に対する恨みは痛いほど…。しかし…それでも…私はフィール様が人間を殺す姿を…想像したくないのです」
今にも涙を流しそうになるアリス…。
一瞬心が揺らぐが、私は強い口調で反論する。
「…今のお前の立場を考えれば、人間に肩入れする気持ちはわかる。だが…お前も経験しただろう!人間の奴隷商人に誘拐され、両親と引き離され、死の淵に立たされたのを…!人間とはそういうものなのだ!殺さねばならないのだ!あの人間だってそうだ!今殺さねば、いつか私たちを殺しに来るかもしれんのだぞ!」
「フィール…様…」
「…私は今あるこの復讐心を…風化させたくないのだ…。命を散らした同胞や、家族のために…。私は殺さねば…。」
そこまで言い切って、少しの罪悪感が浮かび上がっていく。
言い過ぎたな…。
「すまない…アリス…」
顔をうつむかせたアリスは、瞳から涙を流し私に背を向けて出ていこうとする。
ドアノブに手をかけた瞬間、私は呼び止めた。
「アリス…。私が…あの人間を殺したら…私を恨んでくれ…」
一瞬の沈黙…。
重苦しい雰囲気が支配するなか、アリスはか細い声で応えた。
「…フィール様を…恨むなんて…できません…。でも…苦しいです…」
キィィ…ガチャン!
扉が閉まりアリスが出ていった瞬間、私は言い様のない気持ちを抱いた。
しかし…後戻りはできない…。
友を犠牲にしてでも…私は進まねばならないのだ!
それが…私のするべき…家族や同胞たちへの贖罪なのだから…。