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06 記憶と夢(1)


 どうやらこれは、幼少期の記憶らしい。


 セドリックは、おそらく十歳になる少年、黒い髪に青い瞳の『彼』を真正面からのぞき込みながら結論づけた。


 『彼』は間近のセドリックに目もくれない。けれど、セドリックには『彼』の考えていることや感情がつぶさに流れ込んできていた。


 「……何ソレ」


 目の前に差し出されたモノに、『彼』は眉をひそめた。


 「…………あげる」


 ぽつりと呟く。

 さきほど父から紹介された少女の手には、棒付きのアメが握られていた。


 「いらない」


 きっぱり断ってやると、彼女は手を降ろした。


 変な女。

 感情の見えない目と顔で、食べ物を差し出してくるのは、変というより気味が悪い。


 しかし、少女はおもむろにポケットの中を探り出し、再び手の平を差し出してくる。

 今度は包みにくるまれたキャラメルだった。


 「いや、いらないから」


 すると、三度ポケットを探ろうとするので、『彼』は出される前に拒んだ。


 「種類の問題じゃないから。そういう駄菓子は口に合わないって言ってんの」


 少女は、二度、三度と頭を捻ると、こくりと頷く。


 「……わかった」


 抑揚のない声でそう言えば、少女はどこかへ行ってしまう。

 『彼』は心の底から清々しながら、それを見送った。


 そもそも、仲良くしろ、なんていう命令を良く出せたものだ。自分たちに出来ないくせに、子供には押しつけるなんて笑ってしまう。


 だから父親お得意の仏頂面(・・・)を披露してやったのだと、『彼』の心情が、まるで語りかけるように聞こえてきた。


 そのせいで将来の妻らしい少女に嫌われようとも、父親に叱られようとも、親を手本にしただけだと言ってやるつもりでいる『彼』に、セドリックは苦笑を堪えきれなかった。


 そのあと『彼』は、本とクッションを持って裏庭へと向かう。


 セドリックは知っていた。実家の裏庭は、近くの森と繋がっていて、森の入り口あたりにはブランコが設置されている。『彼』はいつも、木製のブランコにクッションを持ち込んで寝転がりながら本を読むのだと。


 突然、風景が切り替わった。


 思い出深い裏庭で、二人用のブランコに横になった『彼』が本を開いていたが、不思議なことに、亜麻色の髪の少女も傍らにいた。


 どうやら日をまたいでいるようで、二人とも先ほどとは衣服が異なっている。


 ブランコを一人で占領している『彼』に、少女がぽつりぽつりと呟いた。


 「聞いたの。なかよくするのって、シエナに。言って、アービンとお父さんに。かしてくるって、これ」


 何を言いたいのか、さっぱり分からん。


 やけに喋り方がおかしい少女に、『彼』は心の中で毒づいていた。すると、彼女は襟元から何かを取り出してくる。


 「えと……カホウ? ふるい、まほう使うの」


 家宝?


 好奇心に負けて本から目を離せば、少女の手には小さな懐中時計がひとつ。


 「……あーば、アーバー? れこーど? の」

 「……アーバー・レコード?」


 すると、少女はこくりと頷いた。


 ――――アーバー・レコード。


 聞いたことのない名前だった。

 しかし、クライン家の家宝だというなら、それも致し方ない。


 アーバーとは、東屋とか木陰という意味だったはずで、レコードと言うからには何かを記憶するものだろう。


 『彼』は起き上がり、懐中時計を手に取ろうとしたが、少女が手の内に隠してしまった。


 「……座ってみたい。となりになって」


 言いながら、ブランコに空いたスペースを指さす。


 言葉も発音もところどころ可笑しいが、その企み(・・)はあまりに分かりやすくて、『彼』は冷ややかに目を細めていた。


 機嫌を損ねたことに気付いてないのか、彼女はじりじりと距離を詰め、許可もなくブランコの隣へと割り込んできた。


 『彼』は背もたれに肘をつき、尊大な態度で少女に向かった。


 「何? 何が目的? どうして俺に付きまとうわけ?」

 「つきまとうワケ?」


 少女はひとつ首を傾げたが、言葉の意味を飲み込んだように頷いた。


 「……お父さんお母さん、なく…なかいいから、赤ちゃんできるって」

 「――――…は?」


 予想の斜め上をいく回答に、『彼』の方も首を傾げた。


 「赤ちゃんほしい。わたしが」

 「…………」


 察するに、赤ちゃんが欲しいから、『彼』と仲良くしたいと言いたいようだった。


 確かに、夫婦が仲良くしていれば子供はできる。間違ってはいない。だがそれは、露骨な言い方を避けた隠喩であり、夫婦の営みに関する真意ではない。


 娼婦の娘のくせに、なんでそんな事も知らないのか。


 え。と、セドリックの方が『彼』の声に驚いていた。


 はじめて聞く情報に面食らったが、けれど、すぐに思い出した。かなり前、ローレンスが報告書を読みながらそんなことを言っていたはずだった。


 そのまま、何とはなしに少女を見ながらセドリックは思案していたが、不意に、『彼』の胸中が底意地悪く笑うのが聞こえてくる。


 「どうやって子供つくるか教えてあげよっか?」


 少女は、無感動の瞳に二回の瞬きを繰り返したあと、こくこくと2度も頷いた。


 ためらいもなく受け入れる少女に、『彼』は体ごと顔を近づける。


 2歳の年の差が作る身長差を埋めるため、少女の顔をやや上に向かせ、きょとんとした顔が疑問の色を浮かべる前に、口と口をひっつける。


 それでも自分に何が起こっているか、しっかり理解させたかったので、きっちり5秒数えてから口を放した。


 どんな反応をするのだろうか。泣くか、怒るか、そういう張り合いのある癇癪を期待しながら、彼女の表情の変化を待つ。待っていたが、


 「……できた?」

 「できないよっ」


 「……?」


 想像以上の無知(バカ)だった。

 せっかくの嫌がらせも、悪意に無頓着では全くの無意味になる。


 なんか、もういいや。どうでも。


 バカの相手はバカらしいと、『彼』は少女の胸元にあった懐中時計を勝手に掬い上げた。


 セドリックも家宝とやらに興味があったので、二人の間に割って入るが、のぞき込むなり場面が切り替わってしまう。


 また裏庭にいた。ブランコのそばに居たはずなのに、かなり距離が出来ている。


 ブランコには二つの人影があり、歩いて近づいてみれば、『彼』と少女が並んで座っている。少女は居眠りしているように見えた。


 ただ、二人の服装がさっきの場面から全く変わっていおらず、どうやら日をまたいだのではなく、数時間ほど時間が経っただけのようだった。


 眠っている少女の隣では、『彼』が懐中時計を熱心に撫で回している。


 その時計は、木製の時計だった。フレームから上蓋まで、深い艶を宿した木で作られており、重量感のある面持ちは、子供が持つには不釣り合いな代物だった。


 時刻を表示する文字盤の素材はわからない。しかし、その造りは精巧で、太陽の位置や月齢、月食、星と惑星の動きを捉えた天文時計も備えていた。


 疑問なのは、なぜ少女の首に鎖をかけたまま、懐中時計をいじっているのか。


 『彼』もそれを煩わしく感じているようだから、なおさら疑問に思い、よくよく『彼』の心中に耳を傾けてみると、どうやら少女の実家であるクライン家の血筋が触れていないと魔力回路が開いてくれないようだった。


 つらくなった姿勢を変えようとした時、『彼』がようやく少女の居眠りに気付く。

 懐中時計と少女の顔を数回見比べたあと、ニヤリと笑った。


 『彼』は、我が意を得たりとばかに懐中時計の針を動かし、見る間にも少女が変容を遂げていく。およそ十年後、女性らしい丸みと艶を帯びた年頃の娘がそこに現れた。


 「…………」


 しばし『彼』は黙って少女を見つめ、セドリックもまた『彼女』を黙って見つめた。


 その時、ふにっとした、とても柔らかいものが手に触れて、『彼』は懐中時計を持った手元を見下ろした。


 「――!」


 見知らぬ膨らみが彼女の胸にあることに気付き、反射的に彼女から離れた。


 だが、そのせいで体重も重心も変わっていた少女が、バランスを失いブランコから落ちてしまう。


 「――アうっ」


 座面部分に背中を打って、少女は呻きながら目を覚ました。


 「あー…、ごめん?」


 彼女は背中をさすりながら立ち上がり、『彼』を見下ろす。


 さすがに、いつもと違う目線の高さにはすぐに気付いたようで、目を瞬かせると、長くほっそりした両手を見つめた。


 「……ちがう」

 「懐中時計の魔法現象だよ。使い方、知らなかった?」


 「……うん。すごくなるって、おとな」


 言って、衣服まで変化した自分の姿をじっと見つめていたが、しばらくすると何を思ってか、おもむろにスカートへと手をやった。


 そして、コルセットに似たスカートの裾を持ち上げて、自分で中を見ようとする。


 「ばっ――何してんだ、お前っ」


 慌ててブランコから立ち上がり、スカートを膝丈まで引き下ろした。


 けれど、その時にはもう、黒タイツを吊るガーターベルトがしっかりと見えてしまっていた。


 「……ここ、あるから。ヘンなの」

 「――っ、分かった! でも、ソレはそういうモノだからスカートをまくるなっ」


 もう一度たくしあげて見せようとする彼女に、『彼』は声を荒げて止めさせる。

 力いっぱいの説得に、少女はとりあえずといった様子で頷いた。


 しかし、大きくなった自分の体に興味は尽きないようで、今度は存在を主張してならない胸に手をやって、思うまま形を変えるそれで遊び出す。


 目に余る行動が目の前で行われ、『彼』の目もそこから動けなくなってしまうが、丁度同じ位置にあった懐中時計の存在を思い出した。


 「それ! それの使い方、教えてあげるからっ」


 少女の興味対象を逸らすため、『彼』はとにかく無心になって懐中時計の使い方を教えてやり、すると、幸いなことに彼女はすぐ夢中になってくれた。


 バカのひとつ覚えみたいに、大きくなったり小さくなったりを繰り返し出すのを確かめてから、『彼』はブランコに座り直してひと息ついた。


 「……いちおう言っとくけど、その懐中時計、大人になったり子供になったりするだけの魔法道具じゃないから」


 子供の姿に戻った少女は、『彼』の話を聞くように顔をあげた。


 「それ、もっとすごい力を隠し持ってるよ。たぶん、君の家で家宝にされるほどには」


 少女は首を傾げてその先を待っていたが、『彼』は言い渋る。


 「……調べたけど、わからなかった」


 魔力回路を何度開いても、表面的な能力しか読み取れなかった。


 回路そのものを取り出し、導体構成図を広げれば解読できたかもしれないが、『彼』にはそれがためらわれた。


 懐中時計の魔力回路は複雑に折り畳まれていて、とてもじゃないが素人の手で取り出せる代物ではなかった。


 事実、無理やり取り出すと魔力回路が破壊され、使い物にならなくなることを先日読破した書物から学んだばかりである。


 それに―――

 それに、とても美しいものだったのだ。あんなものは初めて見た。


 回路が回路に見えぬほど、入り組んだ導体の軌跡に燐光が脈動し、小さな手の中には光の宮が広がっていた。


 ヘインズ家にも、それなりの魔法道具や魔法装置はある。

 けれど、性能ばかりに気がいって、中身の在り方に感銘を受けたことはなかった。


 目から鱗が落ちたのだ。魔力回路――いや、魔導士の極意をそこに見た気がした。


 セドリックは、思わず笑ってしまう。


 ずいぶん不遜な物言いをするものだと、幼少期の自分を俯瞰しながら、まあ、ほどほどに、と独り言でしかないエールを送ってみる。


 そんなセドリックの皮肉など知るよしもない『彼』は、再び少女と懐中時計を見比べていた。そして、人の悪い笑みを浮かべる。


 「ねえ、その懐中時計をまた触らせてくれるなら、仲良くしてあげても良いよ?」 


 打算の見え透いた言葉だったが、少女は起伏が乏しいその顔に、微笑みのようなものを浮かべていた。


 「……うん、やくそく」






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