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62 二人のために


 「どういうことだ?」


 茶々を入れそうな偽従業員を押しのけて、セドリックが話を引き取る。

 ジルベルタ・モアは、少し神妙な顔をした。


 「……セドリックさんには、言うべき言葉が他にもありますが、どうか今は」

 「さっさと言え」


 「はい。結論から言いますと、貴方を襲撃した者が、このまま引き下がることを良しとせず、予定から外れた行動を――要するに、独断で暴れ回っているのです」


 一瞬、聞き間違えを疑った。


 「こちらの落ち度です。最初の襲撃が失敗した時点で、彼には会社館から撤退してもらう予定でしたが……その、クローディアさんの参加で人員配備に穴があったらしく、そこを突かれました。ただ、報告によれば、狙いはセドリックさんではないようです。旧リッテンバーグ邸に標的を移して、解体作業の妨害をはじめ出したんです。貴方に旧家を渡すくらいなら、家歴のすべてを消し去ってしまうつもりかと」


 セドリックは無意識に呻いていた。

 いっそ声を荒げてもいいような有り様だったが、憎悪を向けるあの男の顔が脳裏にちらついて上手くいかない。


 「彼は、廊下に展示されていた異国の古物を数珠つなぎにして、鏡板を外れないようにしてしまいました。私たちに回路――導体は扱えません。どうか力を貸していただけないでしょうか」


 今回の目論見に、魔導士を引き入れたことが仇になったわけかと、色々と言いたいことはあったが、ここは抑えて先を続ける。


 「…それで、深窓に何の関係がある? ここは会社館だぞ。ここで開けるのか?」

 「開けます」


 断言する彼女に、思わず眉をひそめてしまった。


 「この会社館を建設する際、もともと深窓が開ける旧家で試しているのです。でなければ、危なくて旧家で実験などできません」


 深窓が開ける旧家など、心当たりはひとつしかいないが、ここで気にとめる必要はないだろう。


 「とはいえ、やはり不安定で長くても十一分間になります。その間に旧リッテンバーグ邸の地脈回路を切って欲しいのです。深窓さえ開いてしまえば、旧家は主人の言うことしか受け付けません。だから、家歴も消すこともない。はずなんですが」


 「時間制限か」


 「はい。老君の承認がありませんから、地脈回路から自己回復に入るでしょうが、さらに十数分の猶予が空くことで、別の棟の鏡板をはがす時間が稼げます。ですから、お願いです。どうかクローディアさんに深窓を開いて欲しいのです」


 セドリックはクローディアを見た。


 彼女も遅れて視線を合わせるが、彼女の目はすでに何か言いたげにしており、それは言葉にせずとも伝わった。


 「…そのまま答えればいい」


 セドリックが促せば、彼女は言われたとおりにジルベルタ・モアを見た。


 「やります」

 「ありがとうございます」


 礼を言うジルベルタ・モアに、すかさず言い添える。


 「俺も行く」

 「もちろんです。では、これから西棟の空き部屋に向かいます」


 「空き部屋?」


 「はい。ここから一番近い空き部屋は、東棟の事務室エリアでしたが、ご存じのとおり損害が激しいため、そちらへ移動します」


 言いながら入ってきた扉へと歩き出したので、彼女の後に二人ともついて行くが、ふと、ここまで何も言わなかった偽従業員が気になった。


 この場から去っていく二人を止めもしない彼は、セドリックの視線に気が付いたのだろう、綾織の手帳を掲げて見せる。


 「許可は出ています。どうかお気をつけて」







 空き部屋は、不測の事態に陥った時の避難や、緊急の招集ができるよう、会社館にいくつか設置されている。


 「いわゆるお二人のセーフルームでもありますから、屋敷私僕を納得させるため、他の部屋よりも鏡板は多く使用されているのです」


 「いざとなったら、深窓を開けられるようにもか?」

 「…はい」


 廊下を移動しながら詳しい説明を受けるが、いちいち揚げ足を取ってもはじまらない。

 気になった点以外は指摘しないことにした。


 「部屋に入ったら、なるべく早く深窓を開いてください。開けていられる最長時間は記録では十一分三十四秒です。地脈回路を切った瞬間、旧リッテンバーグ邸は動力源を失いますから、開いた深窓も掻き消えるはずですが、その後は、部屋を出てもらってかまいません」


ジルベルタ・モアの説明を聞きながら、廊下を行き交う人と人に目を向ける。


 会社館一階西棟では、明らかに来賓客でも従業員でもない、作業着姿の男女がせわしなく動き回っていた。


 時間稼ぎを待つまでもなく、すでに鏡板を外しているのだろう。よく訓練された迷いのない動きで解体作業をこなしており、自分たちの作業に集中しているのかセドリックたちを見向きもしない。


 あの胡桃色の髪をした男は、催事場のある東棟と北棟の二階で暴れたあと、二階の一室を占拠して立てこもっているらしく、一階にはほとんど被害はないらしい。


 通りすがりに壁装を一瞥していけば、壁に掛ける調度品のたぐいは姿を消し、化粧板には、紋を塗り込めたという張り紙が確かに貼られていた。


 それが鏡板と張子の和合を崩すのだと聞いていた通り、本当に額縁を外すように鏡板は壁面から切り離されている。


 他にも、扉などの建具まで外しており、内装の部分解体によって、ともかく部屋としての機能を失わせているようだった。


 「ここです」


 ジルベルタ・モアは、立ち止まることなく扉を開けて中へと入って行くので、続けて入れば、東棟の空き部屋と同じく、控えめな装飾と最低限の家具がセドリックたちを出迎えた。


 「では、よろしくお願いします」


 二人がきちんと部屋に収まったことを確認するなり、部屋から出ていこうとするので、思わず呼び止めていた。


 「…今更だが、俺はここに残って大丈夫なのか?」


 意外な質問だったのか、彼女はまばたきを二、三度すると苦笑した。


 「貴方は、旧リッテンバーグ邸の男主人で、家長で、クローディアさんの伴侶なんですよ。駄目なはずがありません」


 それもそうかと、不思議な説得力を感じていれば、ジルベルタ・モアは礼を述べるように会釈し、扉を静かに閉めていった。







 クローディは誰に言われるでもなく、有蓋の記憶(アーバー・レコード)を取り出していた。


 操作して家系図を開き、宗主リッテンバーグの血を引き込んでいるのだろう。

 先祖とはいえ他人の血を引き入れる行為に、彼女の健康状態が気になるところではあるが、今は目をつむるしかない。


 空き部屋の鏡板は、意識して見れば他の部屋や廊下よりも密集している気がした。


 東棟の部屋は見ている余裕がなかったが、最初に案内された主賓室のような空き部屋も、同等もしくはそれ以上にひしめいていたのを覚えている。


 クローディアが自らの両手を眺めはじめたので、セドリックもそちらに注目すれば、彼女の爪が真っ赤に染まっていた。


 爪紅はしていなかったはずだが、疑問に思っている間にも、五つの爪の“赤”は指を辿って手の甲へと筋を伸ばし、紋を描きながら手首、腕へと伸びていく。


 ぎょっとしたものの彼女に驚いた様子はなく、邪魔しないよう黙って見守るが、衣服の下で肌に広がっているだろう紋は、化粧板に使われる紋とよく似ているように思えた。


 赤い紋は首筋まで這い、頬へと到達するころ、クローディアは部屋の奥まで歩き出して壁面の鏡板へと十本の指先を付けた。


 すると、クローディアの赤い紋は、彼女の爪先を通して壁面へと吸い込まれていく。

 あたかも彼女の肌を染めていた化粧が、そのまま移って壁装されていくようだった。


 赤い紋――化粧は、部屋の様子を探るように壁面を滑り、天井を撫でて床をなめる。


 家具が消え出したときは、原理のわからなさに戸惑ったが、壁面に現れた鏡板の壁が上下左右に迫ってきたときは、そんなことはどうでもよくなった。


 やがて鏡板が部屋全体を覆い、空き部屋が完全に閉じられると、深窓は開いた。


 クローディアに確認したわけではなかったが、空き部屋を中継ぎにして現れた部屋は、元の部屋とは似ても似つかない空間へと変貌している。


 まず目を引いたのは、壁面を埋め尽くす大小さまざまな額縁だった。中には、おそらく図案のようなものが描かれているが、遠目では小さすぎて確証は持てない。


 部屋の奥には、天井までそびえる格子棚があった。ひとつひとつに違う飾りが細工された戸が付いており、格子棚の中心には、ひときわ大きな両開きの扉が待ち受けている。


 そして中央。磨きこまれた重厚な長机が置かれ、端と端に二脚の肘掛け椅子が用意されていた。


 思ったより当世風な場所だったが、とりあえず、これで旧リッテンバーグ邸の危機は避けられただろうとクローディアを見れば、彼女は『ぽかん』と顔に書いてありそうなくらい、ぽかんとした顔で部屋を眺めていた。


 「…………どうした?」


 あまりの様子に聞いてみれば、彼女は口を開いたまま振り向いた。


 「…なんか、違う」

 「……違う?」


 何が違うのか先を促すが返事はなく、まさかという思いが口をついて出る。


 「――失敗したのか?」


 しかし、彼女は大いに困ったと言いたげに眉を下げ、どちらとも言えないような顔をする。彼女自身分かっていないようだった。会社館で深窓を開いたことなどないのだから当然とも言えるだろう。


 しかし、あまり迷っている時間がないことは当人も分かっているようで、きょろきょろと部屋を見渡すと、何とはなしに足を向けたのは、両開きの扉の前だった。

 優美な流線を描く取っ手を引いて、扉を開ける。


 内部はまるで小室(エディクラ)のようだった。木彫りの台座と左右の縁取りに収まっていたのは大きな巻子本で、タペストリーのように背障から垂れ下がっている。


 紙面には、彩飾で縁取りがされた見取り図のようなものが手書きで描かていた。

 クローディアは、しげしげと巻子本を見つめ出した。


 セドリックはそんな彼女を見つめながら、もし失敗だったのなら、一度部屋を出るべきかもしれないと考えていると、彼女は、隣に居並ぶ格子棚の小さな戸も開いてみせた。

 格子棚の戸は、戸ではなく引き出しだった。


 引き出しの中にも、また巻子本がある。きちんと巻かれて収納されていたが、普通の巻物と比べてみてもかなり小さい。


 取り出して広げてみると、こちらも彩飾で縁取りされているが、中心に描かれているものは、植物やら動物やらが不気味に絡み合う、人の絵だった。


 「…………」


 ある種の既視感をセドリックが覚えていると、クローディアは巻子本を丁寧にしまい、今度は、残りの壁面に掛けられている額縁の方へと足早に駆け寄っていく。


 大きさは大小さまざまで、四角や楕円など形状も不揃いに意匠されている額縁は、乱雑に、けれど隙間なく壁面を覆いつくしていた。


 さっきは遠くて見えなかったが、中に描かれているものは、解体された何かの展開図のようだった。


 一体どういう図なのかクローディアに聞こうにも、彼女の頭にはすでに疑問符が浮かんで見える。


 あまり急かしたくはない。せめて展開図の手がかりを掴もうと、セドリックは飾られている額縁を他にも見て回ってみるが、いくつ目かの地点で閃いた。


 「――…これ、家具じゃないか? 家具を解体した展開図」


 気づいてみれば簡単で、見覚えのある家具もそこかしこに見て取れた。

 クローディアも改めて見直すと、納得したのか二度もうなずいてみせる。


 「……おんなじだ」


 小さくつぶやいてから、彼女はもう一度部屋を見渡した。


 「…形が違うだけで、おんなじ」


 言って、わが意を得たりといった様子で再びうなずく。


 「……つまり、深窓はちゃんと開いている、でいいのか?」


 念のために確認するが、クローディアは少し考えた後、曖昧に首をかしげる。


 「…待って」


 先ほどの両開きの扉の前に戻るなり、あの大きな巻子本をためらいなく取り外す。かと思えば、抱え込むように運んで、二脚の椅子のみがある、古艶が美しい長机の上へと広げて見せた。


 それから紙面を覗き見るので、セドリックも同じように覗き込むが、巻頭が自動的に巻き上げられ出し、縁取りの彩色が机の上でするすると流れはじめた。


 二本の彩色が川のように流れていくなか、中心に描かれた見取り図はずっと同じ位置にあったが、その間取りは目まぐるしく変化していく。


 部屋や廊下が次々と増築と減築を繰り返し、徐々に間取りを広げていって、元の原型よりも二回りは大きい規模の間取りへと姿を変えた。

 それは、旧リッテンバーグ邸の見取り図だった。


 すっかり感心して見ていれば、さらに図から青白い粒子が立ち上り、糸のようにより合うと、立体的に絡み合いながら、導体構成図を浮かび上がらせていく。


 こうして魔力回路を制御するわけかと、セドリックが聞き及んでいる深窓としての機能は、ひとまず果たしているように思えた。


 構成図が組上げられる合間、改めて部屋を見渡してみる。

 あえて印象を語るなら、製図を引くための作業部屋だろうか。


 会社館で深窓を開いたからこうなったのか、それともクローディア以外の人間がいるからなのか。


 彼女が知っている深窓は、どういう姿をしていたのか聞いてみたくもあったが、今はとにかく時間がない。最初の数分がもたついたため、残りはせいぜい二、三分だろう。


 導体構成図の組み立てが止まったのを見計らって、セドリックは言った。


 「いいか、切るべき導体は五本でいい」


 屋敷と地脈をつなげている回路を切るだけだ。一分もあればできる。


 建物の構造に沿って、複雑に絡み合う編み目状の構成図とは裏腹に、地下を巡る導体の編み目は薄く、地中から延びる基幹導体は五本である。


 クローディアが下手に迷わぬよう、セドリックは有無を言わせぬ物言いで指示すれば、彼女は言われたまま手を伸ばし、指を伸ばしていく。


 細く柔らかい導体に触れ、最善の場所を読んで特定すると、魔力を急激に流し込み内側から焼き切った。


 同じ作業をさらに四回繰り返し、問題なく最後の一本を焼き切ると、突然、部屋のしつらえが消えた。


 文字通りすべて消えて無くなっており、部屋の中には壁と天井と床しかなく、元の空き部屋にあった家具でさえ掻き消えたまま戻っていない。


 本当の意味で空っぽになってしまった空き部屋に驚きを隠せないが、今は驚きを振り切ってクローディアを連れて部屋を出ることにした。


 扉の外には、その場から動かずに待っていただろう、ジルベルタ・モアがいた。


 「ありがとうございます」


 「だが、あの程度だと自己回復にかかる時間はせいぜい十分程度だろ。別の棟の鏡板をはがすといっても間に合うのか?」


 「間に合わせます」


 ずいぶんと具体性を欠いた返答だった。


 「とりあえず移動しましょう。師匠…いえ、カミル・モアがこちらに向かっています。合流を――クローディアさん?」


 まるで、どうしたのかと言いたげに呼びかけるので、セドリックもクローディアに見向けば、彼女は背後を振り返って誰もいない壁を凝視していた。


 一度こちらを向き直るが、何かを確認するようにもう一度後ろを振り返り、変化のない壁面を見つめると、気のせいだったのか首を横に振る。


 「…いいのか?」

 「…うん」


 彼女の様子が少し引っ掛かりながらも、セドリックはジルベルタ・モアを見た。


 「…では、参りましょう」


 彼女の先導で、まだ作業の手が入っていない廊下を進みはじめた。

 ほとんど同時に、湧き上がる疑問を投げかける。


 「聞きたいことはまだある。このまま復旧の過程を踏めるなら、今度は正常に機能する見込みもあるんじゃないのか」


 「はい。むしろ、そちらの可能性の方が高いです。ですが、やはり運要素が絡むので、そんな天任せはできません」


 対処としては正しいし、不審な点もないだろう。


 「なら、あの男。今は北棟に立てこもっている奴だが、こちらの思惑に気づいて出てきたらどうするつもりなんだ」


 「……それは…こちらで対処します」


 口を濁したうえ、またしても具体性に乏しい

 言葉通り、自分たちで対処するつもりかもしれないが、あの男は魔導士だ。


 いざとなれば、いくらでも武器は作れるし、そのための材料も大量に用意されている。同じ魔導士が相手でもない限り、対処するのは相当厳しいものになるだろう。


 「……あの、変なこと考えないでくださいね。それこそセドリックさんをおびき寄せるための罠かもしれませんし」


 どうやら思考を読まれたらしい。

 セドリックは、とりあえず考えうる事態の発生と対処法を上げていく。


 「外にいると言っていた憲兵は呼べないのか? 権限の移譲はどこまで」

 「いや、もうその必要はない」


 割って入ってきた声は、廊下の角から現れるなり告げた。


 さすがにこの場には連れてこられなかったのか、シリル・マルシャンの姿はなく、カミル・モアは一人だった。


 前置きも脈絡もない彼の発言に、セドリックは当然の問いを問い返す。


 「…どういう意味だ」


 彼は、セドリックを見た。

 奇妙な視線だった。すでに何度も顔を合わせているはずなのに、改めて品定めするような目つきだった。


 「……深窓を開け、旧家の地脈回路を切ったのだろう?」

 「ああ」


 「そうか。……なら、分かるはずだ」


 まったく説明になっていないうえ、この状況で持って回った言い方をする男に苛立ちを覚えれば、見越したように続けた。


 「母屋である旧リッテンバーグ邸が沈黙しても、会社館はその機能を残している。そして、司令塔を失ったいま、会社館は自らの機能のままに動き出すだろう」


 「……どういう意味ですか?」


 知らないのか、問い返したのはジルベルタ・モアだった。


 「問題は、ここが、旧家本体が混乱するほど内部の間取りと回路の構造が酷似していることと、依然 何万枚もの鏡板が館を覆っていることだが、何よりも、一瞬とはいえその内に深窓を得たことだ。ならば、起こりえることは自明だろう」


 カミル・モアが言わんとすることを、セドリックは漠然と理解した。

 曖昧な胸騒ぎだったそれは、ほんの瞬きののちに、実際の現象として姿を現した。


 ごく自然に、当たり前のような足取りで、セドリックの横を通り過ぎていく。


 その後ろ姿は、明らかに人のものではなかった。

 どこかで見たようなお仕着せを着た背中は、廊下の向こう側を透かして見せている。


 「――っ」


 息を飲む声とともに、クローディアが二の腕にすがってくる。


 一体だけではなかった。

 最初の一体を皮切りに、そこかしこでお仕着せを着た男女が動き回っていた。


 何も持っていないのに足早にそれを運ぶ者。口のみを動かして一体だけで会話をしている者。誰かを必死に探している者。羽目板しかない壁面に立って壁を凝視している者。


 どう見ても場違いな行動を取る彼らは、セドリックたちの姿が見えてないようだった。


 ただただ動揺した。

 ちくはぐに動く彼らの姿は、まさしくあの時の光景を思い出させた。


 臨界現象を起こした、旧リッテンバーグ邸の――


 「これを、どう思う?」

 「――は?」


 反射的にカミル・モアを見れば、彼はセドリックを見ていた。あの奇妙な目で。


 「君は、これを消せるか?」

 「……は?」


 カミル・モアは、セドリックを眺めながら改めて聞いてくる。


 「この現象は、鏡板のある館内のすべてで起きている。もし仮に、これからお前が消そうとしているものだと伝えたら、君は――()は、できると思うか?」


 「…………」


 答えを分かっていて聞いているのだろう。


 臨界現象に陥った旧リッテンバーグ邸で、徘徊する屋敷私僕たちを見かねて、処罰もキャリアも無視して復旧させたのは他ならぬセドリックである。


 もう一度、彼らに視線をやった。

 ある一体が、ひどく慈愛に満ちた表情で、誰かを慰めている。


 これと同じものを今ごろ見せられているだろう、彼のことを思った。


 彼もまた、虐げられる屋敷私僕のために、人を殺そうとまでした人間だった。

 そんな男に、彼らを消すことができるのか。


 答えは分かっている。分かっていて答えられずにいると、身を寄せていたクローディアの手がぎゅっと腕を掴んできた。


 彼女は、彼らを見ないようにして、肩口に額をうずめる。まるで、そうやって自分たちを一生懸命引き留めているように思えた。


 だからセドリックも、カミル・モアを振り返らずに答える。


 「…………できない。あの男には」

 「そうか」


 こともなげに言うと、彼は綾織の手帳に書き込みはじめる。


 ペンが走る間、見知らぬ顔と顔がさまよう中を放置されるが、セドリックとクローディアはなるべく互いの姿を視界に入れてやり過ごした。


 しばらくして、手帳を見ながらカミル・モアが事務的に口を開く。


 「――終わったそうだ」


 あっけない幕切れ告げられた。


 本当に終わったのか半信半疑でいれば、彼はもう済んだことだと言いたげに、さっさとジルベルタ・モアに向き直ってしまう。


 「あとは、こちらの片付けだが、導体を外せる人間は呼んだままにしてあるな?」

 「え。あ、はい。…でも、部分解体は西棟に変更されたはずですが?」


 ジルベルタ・モアの言う通り、あの男が鏡板に手を加えたのは東棟と北棟の二階だけである。西棟の鏡板を剥がすなら、東棟と北棟の魔力回路を外す必要はもうないはずだった。


 「彼が導体のべた張りで、鏡板に貼り付けたのは異国の古物だ。何かしらの影響が出ないとは言い切れない。外せるならなるべく早く外しておきたい」


 未だ歩き回るおぼろげな存在を前にしながら、何事もなかったかのように解体作業に取り掛かる男に、セドリックは感情の置き所が見つからない。


 意志なくさまよう彼らに囲まれて、居心地が悪そうに切り出したのは、ジルベルタ・モアだった。


 「……あの、それよりも、臨界現象は起きないはずじゃなかったんですか?」


 彼女の疑問はもっともだった。


 鏡板の継木工法と化粧板構法は、魔力回路の書き換えを最小限に抑え、臨界現象を起こさせないために編み出された技術だったはずだ。


 すると、カミル・モアは手帳から目を離さずに答える。


 「ああ、起きていない。現象の分野で語るなら、これは精製素子の領域だ。まだ“家”だと認識されている証であり、寄木理論でいうところの法人格の発生だが――まあ、今回の場合は、言うならば会社館の勘違いだ」


 「……勘違い、ですか。会社館の」


 「そもそも、この会社館の鏡板はモザイクであり、旧家のみで成り立っているわけではない。検証に用いた例の旧家でも確認している。同様の手順で発生した顔ぶれを調べたが、旧家の屋敷私僕に実在した記録にはない。ガワだけ借りた別のものだ」


 カミル・モアの言い様に、セドリックは引っかかりを覚える。


 「――待て。それじゃ、さっき言ってたことは」


 「方便だな。これらの現象は、旧リッテンバーグ邸の屋敷私僕とは直接的な関係はない。まあ、この光景を見た人間が、どう受け止めるかは本人の勝手だが」


 事を収めるために機転を利かせただけ。言外にそう言っていた。


 「元をただせば、すべて我らが招いた失態だ。文句は大いにあるだろうが、どうか今はこらえて欲しい。余計な感情に惑わされている時間はあまりない」


 セドリックは、出かかった言葉を呑み込んだ。


 彼がこうも強引に事を進めるのは、旧家を守るために他ならない。時間が差し迫っているなら尚のこと冷淡に行動すべきだろう。

 ならば、いま最も正しい対処に目を向けているのは、カミル・モアだった。


 何も言えなくなったセドリックは、所在まで無くなったような気がしてしまう。


 実際、今の状況はほとんど放置されているにも等しいが、かといって、このまま会社館の顛末を見届けずに立ち去ることもできない。


 することがないまま佇んでいると、惑わされるなと言われた彼ら(・・)に、かえって目をやってしまっていた。


 やはり、各々がまとまりなく動き、同じ行動をひたすら繰り返している。


 よくよく見てみると、彼らのお仕着せはデザインもばらばらで、中にはラウンジスーツに近い制服を着ている者もいた。


 どうやらカミル・モアが言ったことは間違っていないようだと、何とはなしに見ていれば、不意に、誰かを必死に探していた一体の、不安に満ちた顔が視界に入ってくる。


 その顔が誰かに似ていて、セドリックはある思いに駆られた。

 彼らの行動は無秩序のようで、同じ目的を持っているように見えるのだ。


 「…………」


 彼らは、旧リッテンバーグ邸とは関係がない。ただの勘違いだとカミル・モアは言った。

 だが、だとしたら、会社館のどんな勘違いが彼らを呼び出したというのか。


 そこまで思って、考えるのをやめた。


 自身がそう思いたいだけの感傷めいた妄想の域を出ないし、これ以上考えればきっと、旧リッテンバーグ邸を損なうことになる。


 何もせずにいるから不必要に考えてしまうのだと、セドリックはせめて自分にできることを探しはじめた。自分たちの旧家のためにできることを考えて、それは意外と簡単に見つかった。


 クローディアにも難しくないと思い、傍らの彼女に声をかけて、自身の考えを打ち明てみれば、彼女は目を瞬かせた。


 自分たちの安全がローレンスたちありきであることは、先刻も確認し合ったばかりだった。だからだろう、ほとんど間を空けずにうなずいてくれる彼女を見て、セドリックはカミル・モアへと向き直る。


 そうして二人は、会社館の解体に協力すること申し出た。







 カミル・モアたちに回路は扱えないが、セドリックたちには扱えた。


 解体に協力することを申し出た後は、すぐさま会社館二階北棟へと移動することになったが、驚いたのは、移動する途中ですれ違う解体作業員たちが、さまよう彼ら(・・)を気にかけていない事だった。


 何が大事なのか分かっているのだろう。自分よりよほど分別がついている姿に、少しだけ気が滅入る。


 北棟二階へ到着すれば、鏡板へと盛大に飾り付けられた異境の陳列を前にした。


 先に待っていた解体作業員二名と、カミル・モアとジルベルタ・モアの補助と指示に従いながら、ひとつひとつ外していく。


 二人がかりで作業をこなしたからか、それほど時間はかからなかった。


 だいたい外し終わり、西棟の解体作業よりも早く事を終えたようだととカミル・モアから報らされて、ひとまず一息をついた。


 やがて、会社館の勘違いだという彼ら(・・)が消えはじめる。


 館を覆う鏡板の数が、実体化に必要な既定の枚数を下回ったのだとカミル・モアの説明を聞いていた時、男主人と女主人の指輪が鳴った。


 甲高い音が耳をつんざき、目をやる間もなく現れたのは、見慣れた後ろ姿だった。

 なぜか主人から離れた場所に出現し、その理由を察した瞬間に叫んでいた。


 「やめろっ」

 「やめてっ」


 ほぼ同時の一声だったが、事はすでに済んでいた。

 その場に居た、男主人と女主人以外の人間が、一瞬にして制圧されたのだ。


 やや遅れて現れた、やはり見慣れた五体の内の二体が、自分の左右を囲むのを見ながら、クローディアの方に視線をやれば、まったく同じ配置で他の二体に囲まれている。


 制圧された四人は、それぞれ四体が相手をしていた。


 鏡板の状態を確かめていた作業服の二人は、オーウェンとリリーに組み伏せられ、床にはいつくばっていたが、二人はまだ丁重に扱わていると言っていい。


 気がかりは、セドリックとクローディアが制止をかけた先である。

 壁に押し付けられたカミル・モアは、ローレンスに顔をわしづかみにされ、宙づりにされたジルベルタ・モアは、ローナに首をつかみ上げられていた。


 明らかに行き過ぎた制圧である。


 「…離してやれ」


 しかし、ローレンスたちは従わない。

 こちらを振り向かず、顔を背けたまま重たく口を開く。


 「――――……状況の、説明を願います」


 吹きあがる感情を、どうにか抑えているような声だった。

 いま、どんな表情をしているのか。おそらくセドリックたちが知り得ない顔だろう。


 「分かった。説明する。ひとまず言えるのは、彼らに敵愾心はない。離してやれ」

 「…お願い」


 それでも二体はためらいを見せるが、やがて、ローレンスはカミル・モアから手を放し、ローナはジルベルタ・モアを床に降ろした。

 作業服の二人も、床から起き上がることを許されたようだった。


 「それより、自分たちの調子はどうだ? 動作不良とか、おかしな干渉とか」

 「…いえ。簡単なチェックですが、これといった支障は認められません」


 ローレンスはまだカミル・モアから目を離さず、こちらを振り向かない。


 一度の不具合を挟んだ復旧まで、一時間近くかかっている。そのことに気づいているのなら、空白の時間にさそや戦慄していることだろう。


 「……そいつらは、アビゲイル・モアが采配した計略の駒だ。いくら問いただしても、あらかじめ決められた受け答えしか返さない。そうだろ」


 カミル・モアに投げかけるが、彼は腹を括るかのように口を閉ざしている。


 「なら、本人から聞く方が早いし……どうせ、すぐに会える」


 ローレンスが、ようやく主人を見た。

 彼の顔には、見慣れた表情が浮かべられている。あの少し困ったような顔だ。


 オーウェンのものではない、ローレンス自身のものをセドリックは見つめた。

 あの顔を、これまでと同じようには受け止められないはずだった。


 今までとは違う、動かしたはずの心を確かめてみるが、自分の心などそうそう測れるものではないらしい。


 だから、もう動かせない事実を思うことにした。


 セドリックたちは、旧リッテンバーグ邸のためにカミル・モアに協力した。

 協力して、会社館を使い捨てにしたのだ。


 自分たちのために。


 「旦那様…?」


 ローレンスが不可解そうに呼ぶので、セドリックは小さく笑み含む。


 クローディアを――ローナにかいがいしく身繕いされる彼女に視線をやってから、ローレンスへとゆっくり語りかけた。


 「…帰ろう、家に」






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