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61 建築家と政治家


 「これは、わたし個人の提案ではなく、事を仕損じた場合に取る、次の作戦行動に則った正式な申し入れになる。そして、この場にて交渉を持ちかける理由は、こののちに復旧した屋敷私僕の報復に備えての対処となる」


 まるで、こうなることが分かっていたように、形式的にしゃべるカミル・モアに、セドリックはいぶかしげに答えた。


 「とりあえず俺たちが無事であれば、五体満足でいられると思うが」

 「…そう願う」


 その時、何の前触れもなく館内の照明がつく。


 突然周囲が明るくなり、少し驚いてしまったセドリックをよそに、カミル・モアはいたって冷静にこの事態を受け止めている。

 紺青色の髪に群青色の目。三十代後半で、今は盛装のジャケットを脱いでいた。


 「ともかく。交渉の続きは、この場に家令が戻ったらはじめよう」


 ローレンスたちの実体化を許すなら、セドリックたちとってこれ以上の身の保障はない。

 警戒しながらも黙って彼に従っていたが、いっこうにその気配は現れなかった。


 不可解に空いた間に、カミル・モアが先んじて口を挟む。


 「…呼びかけてみてくれるか」


 視線を前に向けたまま、セドリックは男主人の指輪に呼びかけた。


 「聞こえるか。聞こえたら、すぐに来い」


 反応はない。


 「…では、回路への直接の介入は?」


 言われるよりも前に見てみれば、拒否されることもなく状態を確認できるが、どうやら回路自体はすでに回復しているようだった。


 眉根を寄せるセドリックを見て、何かを察したらしく、カミル・モアがあたかも思案げに顎に手をやった。


 「……どうやら、復旧に支障があったようだ。作戦をまたしても変更せねばならない」


 まるで交渉を打ち切るような言いぐさに、セドリックは思わず身構えていた。


 「いや、君たちは大切な仲立ち役だ。安全を期して直ちにここから退避してもらいたい。我らはこれより、会社館を解体する」


 事態を呑み込めない二人を無視して、彼は淡々と事を進めてしまう。


 「急に何を…?」


 問いかけに答える代わりに、カミル・モアは『綾織の手帳』を取り出した。

 セドリックたちも受け取った例の手帳である。手の者と連絡を取っているのか、何やら書き込みながら口を開く。


 「どうやら復旧を仕損じたようだ。旧家はいま、混乱状態にあると思われる。おそらく会社館との機能のすり合わせに食い違いがあったのだろう。会社館の暴走くらいで済めばいいが、このままだと家の機能を果たせないと判断して、旧リッテンバーグ邸の本体が自身を建て直そうと、家歴のすべてを消しかねない」


 「――なっ」


 「我らは、旧リッテンバーグ邸を守らねばならない。よって、混乱の元となっている会社館を解体する」


 こともなげに言いながら、手帳のページをめくり、さらに書き込む。


 「……解体って、今からどうやって?」


 「まずは内装の部分解体になる。こうした事象は、はじめから想定されていた。何の設計も基礎もなく施工することなどできない。別の旧家を用いた検証によって、同様の結果は低い確率で出ていた。起きた事象は他にもいくつかあるが、どれにおいても対処は可能であり、会社館の建設にともない前もって仕込まれている」


 非常事態を告げる割には口ぶりがやけに落ち着いていたのは、そういった理由からか。

 事前に仕込まれていた対処とやらに、引っかかりながらもセドリックは続ける。


 「まさか、手作業で壊したりしないよな」


 「そんな前時代的な手法は取らない。いや、手壊しは手壊しだが…生かし取りになる。この会社館は、旧リッテンバーグ邸の前邸とほぼ同じ形をしているが、問題のある事象のだいたいはそれが原因だ。ならば、混乱のもとになっている鏡板を剥がせば良いわけだが、いたずらに材を傷つけることはしない。やや手間はかかるが、紋を塗り込めた張り紙を化粧板に蝋付けし、一時的に壁装の()を変える。どれか一棟を丸ごと書き換えて、会社館の形を違えれば、旧家の不具合はいったん止まるだろう」


 「それだけか?」


 「もちろん万難を排すため、すべての鏡板は実際に取り外す。張り紙の蝋付けは時間稼ぎでもあるが、化粧の上塗りによって鏡板と張子の和合が崩れるようにもなっているため、鏡板は額縁の絵画を外すように容易く剥がせるようになる。これらの作業は、各部屋ですでに実行されている」


 鏡板と化粧板の分野、精霊建築の専門家が言うことだからと一瞬納得しかけたが、もっと基本的なことを忘れている。


 「待て。そんな大がかりなことをしなくとも、会社館の地脈回路を切ればいいだろ」


 カミル・モアは視線を軽く上げてから、再び手帳に書き込んだ。


 「お前こそ何を言っている。地脈回路の切り替えは、老君の認可がなければできないだろ。そんな時間はない」


 「いや、なんで――」


 さらに言い返そうとした時、別の方向から声がかけられた。


 「や。待たせたかな」


 声がしたのは廊下の角、地縁貴族下院議員、政治家シリル・マルシャンがそこにいた。


 まるで、待ち合わせでもしていたかのような素振りで、カミル・モアの元へ歩いて来るが、解せないのはカミル・モアが驚いた様子もなく迎え入れていることだった。


 セドリックの疑念に、答えるようにシリル・マルシャンが言う。


 「それで、野暮用というのは済んだのかい?」

 「ああ。だが、もう少し付き合ってもらうことになった。これから北棟に向かう」

 「構わないよ」


 軽い調子で快諾するシリル・マルシャンは、向かうあうセドリックに目を向ける。


 「彼らは、退避しなくていいのかな」


 「いや、いま迎えをよこしている。到着しだいそうしてもらうが、念のため不手際がないよう見届けたい」


 「それも構わないけれど……ところで、そこの彼女はもしかして?」


 シリル・マルシャンの視線が、傍らに立つ人物へと移った瞬間、しまったとセドリックは振り返るが遅かった。


 「…あ、クローディ」

 「言わなくていい」


 彼女なりに空気を読んでか、自己紹介しようとしたクローディアを慌てて遮る。

 セドリックは彼女を隠すように前に出ると、シリル・マルシャンを睨むように見据えた。


 「彼女に話しかけるな。…………話なら、俺が聞く」


 渋々と不本意ながら言えば、シリル・マルシャンは面食らった顔をする。


 「…それはそれは、とても嬉しい申し出だけれど……どのみち私は、彼女について探る行為はアビゲイル殿に禁止されているわけだが」


 言われてみればと、セドリックも思い出す。


 「しかし、かといって、偶然遭遇した本人との世間話までは禁じられていないし……この状況では、魅力的な話し相手として、君は彼女にいささか劣らないかな」


 こいつ、と内心で歯噛みした。まるで今までの意趣返しのようだった。


 この男に何を言ったって、あれこれと屁理屈をこねて言いくるめにかかってくるだろう。ならば、本人に自衛させるしかない。


 セドリックは、背後のクローディアへとわずかに顔を向けた。


 「いいか、あの男は口が上手い。話しかけられても話半分に聞け。特に、何を聞かれても自分のことは絶対に言ったら駄目だ」


 シリル・マルシャンが聞いているこの場では、何がどう駄目なのか詳しく説明できないが、視界の端でクローディアがひとまず頷いたのを確認する。


 「……あまり事を荒立てるな」

 「まあ、まあ。挨拶くらいはいいじゃないか」


 面倒くさそうに諫めるカミル・モアを、シリル・マルシャンはあしらうと、背後に隠されたままになっているクローディアと話しやすいように立ち位置を変えてくるが、不用意に距離を詰めてくるようなことはしなかった。


 「はじめまして。ご挨拶が遅れましたが、旦那さんとはお仕事でとても懇意にしていただいている、シリル・マルシャンと申します」


 「…はじめまして」


 言われたとおりにしてか、クローディアは手短に答えた。


 「貴女のお噂はかねがね。今日は突然の参加だそうですね。どういった心境の変化なのでしょう」


 クローディアは自分なりに思案しているのか、少しの間をおいてから口を開く。


 「…あの、言いません」


 「実は、先ほど大広間でお姿を見掛けておりまして。化粧や衣装のせいか、ずいぶんと印象が違って見えますね」


 それはそうだろう、あの時の彼女は五歳ほど年齢を繰り上げていた。

 きわどい部分をかすめる質問だったが、クローディアの答えは淡々としていた。


 「…言いません」


 直球すぎる言い方が気に入ったのか、シリル・マルシャンは小さく笑った。


 その後もいくつか質問が繰り出されたが、彼女は「言いません」の一言で乗り切ることにしたようで、セドリックはひとまず安堵するが、難攻不落の攻防戦は、しかし、にべもない彼女の応答を、シリル・マルシャンがからかいはじめたように見えて気に食わない。


 セドリックは、カミル・モアに向き合った。


 「おい。なんで、そいつこそさっさと退避させないんだ。これから本当に解体作業に取り掛かるつもりなら、政治屋なんて一番要らないヤツだろ」


 いつの間にか懐中時計を取り出していた彼は、視線すら上げずに綾織の手帳へ書き込みながら片手間に言う。


 「生かし取りならば、すでにはじまっている。シリルの同行は、別の作戦行動――というより、もともとの仕事(・・)に必要であり、そちらもまだ実行中なのだ」


 「――もともとって……あいつらを、捕まえてるってことか?」


 「おおむね合っている。今日招かれた来賓客たちは、館私僕に扮したこちらの手の者がまとめて外へと誘導し、保護という名目で随時確保していっている。ただし、外で待っているのは永久公僕の行政憲兵たちだ。あのマントに帯剣という大仰な身なりで、会社館を取り囲み、さぞや人目を引いてくれていることだろう」


 言われてみれば、遠くに聞こえていた喧騒がほとんどしなくなっている。


 結局、見せしめとして世間に周知させ、犯罪行為の摘発と、黙認という取引材料と、次なる会社設立を阻むという目的は達成されるわけかと、セドリックは眉根を寄せた。


 「その後、会社館に公的な調査が入り、彼らの長年の悪事が暴かれて、行政憲兵は司法憲兵へと裏地の色を変える寸法だが、確保されている来賓客の中にシリル・マルシャンがいるのはまずい。彼にはまだ、今日の事後処理で動いてもらう必要がある。それよりも――」


 カミル・モアは手帳から顔を上げると、横を向く。


 「迎えが到着した」


 つられて横を見れば、すぐそこに人が立っていた。


 これほど近づかれても気づかなかった館私僕の制服を着た男に、セドリックは少なからず動揺する。屋敷私僕がいない無防備さを改めて自覚させられていた。


 「彼が安全な出口まで案内する。どうか従って欲しい」


 セドリックは黙って彼を見返した。


 「…安心しろと言うのも無理な話だが、これだけは信じてほしい。我らはクローディア・ヘインズには手が出せない。彼女が君のそばを離れない限り、セドリック・ヘインズにもまた手が出せない」


 「…………」


 ふと、背中に人の体温を感じた。彼の言葉を真に受けたのか、クローディアが身を寄せてきたのが分かった。


 カミル・モアが言ったことは、おそらく嘘ではないのだろう。あの襲撃者も、クローディアが誰なのかを知ったとたん、忌々し気にしながらも退いている。


 その点はいい。だが、本当に彼らに旧リッテンバーグ邸を任せていいものか、まだ決めかねていた。


 会社館の建設は、他の旧家ですでに試したと言っていた。何度も検証され、いま起こっている不具合も想定の範囲内であり、対処はすべて可能だとも言い切っている。


 事を収めるための方便にも聞こえるが、問題はセドリックには確かめる術がない事である。ならば、この場で優先されるべきは、クローディアの安全だった。


 「…わかった」

 「感謝する」


 「でも、その前に。クローディア」


 言いながら背後に手を伸ばし、彼女を自分の横に並ばせると、男三人を視界に入れながらクローディアの装身具を確かめた。


 「いちおう、準備して持っておけ」


 とっさだったとはいえ、先ほどみたいに体当たりをしないよう、普段着用に着けていた螺鈿の指輪を外して、手に握らせてやろうとするが、彼女はすでに何かを持っていた。


 「…あ。これ、はい」


 手のひらにあったのは、セドリックがさっき落とした螺鈿のボタンカバーだった。


 カミル・モアと話している間に、拾っておいてくれたのだろう。セドリックは礼を言いながら笑みを含む。


 「ありがとう。でも、今度はこれ使えよ。突っ込むのは駄目だ」


 こくりと頷く彼女を見て、指輪を渡し、ボタンカバーを受け取る。


 準備が整い、それを他の三人にも視線で伝えるが、彼らが変な顔でこちらを見ていたので、セドリックも怪訝な顔を向けた。


 「…いや。では、急いでくれ」


 カミル・モアの一言で、迎えの男は二人を先導するために動き出した。







 セドリックとクローディアは、会社館一階東棟にある空き部屋の廊下から、北棟に面した中庭にある応接間(パーラールーム)へといったん戻り、併設されるキッチンの搬入口から脱出することになった。


 館私僕――偽従業員に扮した制服の男に案内されるが、偽従業員は屋敷私僕のように館内全体を把握できないためか、綾織の手帳を見ながらだった。


 廊下を歩きながら、クローディアは分かり切っていない部分を確認する。


 「……ローレンスたちは、大丈夫でいいの?」


 「…分からない。何かあったらしいが、この状況じゃ確かめようがない。だから、ひとまず俺たちの安全を優先しないと」


 「…でも……」


 クローディアは言うが、その先が続かなかった。

 考えがまとまらないのか、口を開いたまま、止まってしまう。


 「なにか、気になるのか?」

 「…うん」

 「…言えそうか?」


 クローディアは、考えながら喋った。


 「…ローレス……」

 「うん」


 「ローレンスたちが、いなくても……安全に、なれる?」

 「…………」


 その通りだった。


 優先されるべきは自分たちの安全だが、自分たちの安全は、ローレンスたちありきでもあるのだ。それは、この会社館を出ても同じである。


 もし、何らかの理由で旧リッテンバーグ邸の機能が大きく損なわれた場合、自分たちはまさしく『家』を失うのだ。


 クローディアには手が出せないと言っていたが、はたしてどこまで通用するのか。


 「着きました」


 先導する偽従業員が立ち止まった。


 こちらを振り返り、手で指し示す扉は、目的とした応接間の扉だった。

 彼は、扉を開けると率先して中へと入り、部屋の様子をわざと見せるように、二人へと大きく扉を開いた。


 無人となった応接間には、明かりだけが付いていた。

 特に乱れた様子もなく、ここにいた来賓客たちは、つとめて冷静に退出したようだった。


 二人は懸念を残しつつも部屋に入ると、偽従業員は手帳を確認しながら、今度はキッチンへと向かい始める。


 「――!」


 突然と足を止めた。


 「…少々お待ちください」


 手帳を見ながら手振りで制止するが、明らかに虚を突かれた様子が見て取る。


 「――何があった」

 「いえ……」


 言葉を濁しながら手帳に書き込み、指示を仰いでいるようだった。


 静かになったはずの館内で、何人かの慌てる声がかすかに聞こえてくる。

 誰かが節操なく走っていく音も耳が拾った。


 「おい」

 「お待ちください」


 押しとどめるように言うと、手帳に何かが浮かび上がるのを待ってから続ける。


 「……こちらのルートは無事です。このまま進みます」

 「まず、説明をしろ」


 偽従業員の表情が硬くなる。


 このまま説明なしに連れていくことは難しいと悟ったか、偽従業員は手帳に視線を落とした。そのまま書き込もうとするが、彼の手は途中で止まる。


 応接間の別の扉が開いたのだ。とっさの出来事に、偽従業員は二人を庇うように前に出るが、扉を開けたのは見覚えのある人物だった。


 「良かった。まだ居た」


 彼女もまた着替えたらしく、従業員の制服を着たジルベルタ・モアだった。

 やや息を切らしながら話しかけてくる。


 「ちょっと、不味いことが、起こりました」

 「待て。勝手なことをするな」


 偽従業員が口を出すが、彼女は聞かなかった。


 「クローディアさんにお願いがあります。この会社館で深窓を開いて欲しいのです」






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