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60 大事なもの


 追突しあった衝撃に、空き部屋の扉は入口もろとも崩壊した。


 すさまじい轟音が館内に響いただろうが、セドリックにはほとんど聞こえていなかった。

 えぐれた天井から、ぱらぱらと木くずらしき破片が降ってきているのを目視で確認しながら、向かいの壁際に押しつぶされた女を見下ろす。


 砂礫にまみれた女には意識があるようだったが、身動きが取れないのだろう、背後の壁と見えない何かに挟まれたままセドリックを睨みつけていた。


 見えない何か、というのは正しくない。照明が壊れたせいで、暗くはっきりとしないだけで、半透明の囲いが互いを強固に隔てていた。


 あの瞬間、襲い掛かる人工精霊を人工精霊で防いだが、ボタンカバーから作り出されたそれは、セドリックを中心に周辺一帯を覆い囲んでいた。


 狭い場所で戦うのなら、こうしたやり方も有効かと思っていたが、おかげで、空き部屋の調度品や家具も無差別に吹き飛ばして、囲いの外に押し出してしまっている。


 螺鈿のアカンサスが意匠されたボタンカバーから手を放さず、どこからか調達した制服を着る女の姿をうかがった。


 薄暗いうえ、虹色の真珠層越しでははっきりしないが、まだ若い。

 首元には銀髪のかつらが落ちており、本来の髪は胡桃色のようだった。


 そこでセドリックは気が付いた。女ではなかった。


 アビゲイル・モアと同様にデスマスクを付けた男で、そのマスクも吹き飛ばされたのか、腹のあたりに引っかかっており、今は女装した男にしか見えなくなっていた。


 ローレンスの目を掻いくぐったのなら、旧家の家持ちではないだろうが、魔導士であることに間違いはないだろう。


 落成式に魔導士は招かない予定だったはずだが、どうやらそれも嘘だったらしい。


 ただ、背後を取った時点で人工精霊を使わなかった理由がわからない。視界を制限されている標的を前にして、もたもたと後をつけるなど、暗殺に長けた人物ならあり得ない気がした。


 館私僕の制服やら、デスマスクやら、空き部屋のカギやら、やたらと用意はいいのに、肝心の実行役をこんな素人としか思えない奴にどうして任せているのか。


 一人で来るのもおかしかった。屋敷私僕を一時的にでも無効にする手段があるのなら、多人数で攻めればセドリック一人では防ぎきれなかったはずだ。

 それとも、まだ伏兵がいるのか。


 男は、相変わらず睨みつけている。


 「…………」


 個人的な憎悪にも見えた。私怨だろうか。


 特定の何かに動機がある人間を焚きつけて、いいように操るなど、アビゲイル・モアがいかにもやりそうな手口だった。


 だが、私怨にかられただけの素人なら、口は軽いかもしれない。


 厚い真珠層に阻まれて、今は音すら満足に聞こえない状態だが、層を薄くすることはできた。微細な調整が必要になるが、セドリックにはさほど難しい事でもない。


 襲撃者の男が、まだ攻撃手段を隠し持っている可能性があるため、少なくとも威力を確実に鈍らせる程度には虹色の層を薄くした。

 男の顔が若干はっきりするが、やはり知らない顔だった。


 「…聞こえるか?」


 何も答えなかったが、表情の変化を見れば明らかだった。


 「誰に頼まれた? 答えたら、助けてやらないこともない」


 今度は返答を少しだけ待ってみるが、答えないため、続ける。


 「…見返りはなんだ。何を約束された? 地位か? 金か? いくら貰った?」


 私怨だとしたら、癇に障りそうな言葉をわざと選んで煽ってみる。

 案の定、かなりくぐもった声が吐き捨てた。


 「ぬけぬけと。この恥知らずが」


 いきなり罵られたが、漠然としすぎていて意味も意図も分からない。

 しかし、言いたいことがあるのなら、ここは言わせておいてやるべきだろう。


 「…それで?」


 「それで? それでだと。自分がしていることに、少しでも呵責を感じたことはあるのか。お前みたいな人間がいるから、彼らがまともに扱われないんだ」


 どうにも要領を得ないのは、ある種の興奮状態だからか。

 なら、いかにしてこちらが欲しい情報に誘導するか、考えながら続ける。


 「…もう少し、具体的に」

 「屋敷私僕を何だと思っているんだ」


 男の非難に、真珠層が大きく揺らいだ。

 それが、自身の動揺から来ているものだと遅れて気づく。


 「――何を、言って」


 「旧家の生まれなんだろ。屋敷私僕に育てられたんだろ。あの手を、あの眼差しを、あの言葉を一身に受けてきたんだろ。それをお前は仇で返すのか」


 心からの憎しみを、男が吐き捨てる。


 「よくもこんなっ――こんな下卑た連中に売り渡すような真似を、よくもっ」


 あれだけくぐもって聞こえていた男の声が、やけにはっきりと聞こえてきた。


 男の私怨の正体が分かった。

 分かってしまった。


 「あいつらが彼らをどう扱うか知っているのかっ、知っててやっているのか」


 知っていた。

 知っていて引き渡していた。


 「お前は自分がしていることに、何も感じていないのかっ」


 なじる言葉に浮かんだのは、どうしてなのかアビゲイル・モアの薄気味悪い仮面の顔だった。それからオーウェンの困ったような顔。ローレンスの顔。


 何かが割れる硬い音とともに、薄い壁に拘束されていたはずの男の体が突然と崩れた。


 前のめりに倒れたかと思うと、勢いよく上体を起こして自分の懐に手を入れる。

 セドリックは何もせず、黙ってそれを見ていた。


 男が手を引き抜いた瞬間だった。


 「やめてっ」


 暗がりから飛び出してきた誰かが、胡桃髪の男を横に突き飛ばした。

 めいいっぱい押しやったのだろう、勢いあまって自分ごと床に倒れ込む。


 「――このっ、どけっ」


 のしかかってきた存在に怒声を飛ばす男は、乱暴に振り払おうと手を伸ばすが、後ろ姿の出で立ちに、誰なのか気づいたセドリックが寸前で動いていた。


 「クローディア!」


 背後から抱え起こすものの、彼女の重さを支えきれず、バランスを崩してしまう。


 無防備に座り込んでしまい、慌てて囲い(・・)をもう一度張ろうとするが、螺鈿のボタンカバーは抱き起こした拍子に落としていた。


 直面した危機に、思わず男を見れば、男は片膝をつく姿勢で固まっていた。


 「……そいつ…?」


 確認するように呟き、暗さでほとんど見えないだろうクローディアの顔に目を凝らしているようだった。


 口惜し気に悪態をついたかと思えば、二人を置いて駆け出した。

 瓦礫が散乱した廊下に足を取られながらも、後ろ姿はすぐさま暗闇の中に消えていく。


 遠ざかる足音がやがて聞こえなくなり、ようやくセドリックは肩の力を抜いた。


 「…怪我ないか?」


 クローディアの肩越しに話しかければ、彼女はしっかりと頷いてみせる。


 「…立てるか?」


 本当に怪我はないか念のため立たせてみれば、彼女は自分からしっかりと立ち上がった。


 セドリックも同じように立ち上がれば、クローディアの方も気遣うように手を貸してくれるが、ただ、彼女の呼吸は少し乱れていた。


 おそらくここまで走ってきたのだろう。彼女の身なりからもそれは読み取れた。


 ローナがここにいたら、悲鳴を上げていたに違いない。

 髪のほつれ具合はまだましで、男と一緒に倒れたときに付いたのか、頬やブラウスを砂礫で汚し、どこかに引っかけたのか、肩口は裂けている。装身具もあるべきところに収まらず、裏返ったり、あらぬ方向を向いていた。


 普通に走っただけではここまで乱れないだろう。視界が制限された中を懸命に走ってきてくれたことは容易に想像できた。


 手を伸ばして、頬についた汚れを取ってやる。


 だが、おかげで助かった。クローディアがいなければ今頃あの男の手にかかっていた。


 「…………」


 自分でも不可解な衝動だった。

 衝動に流されるまま、セドリックはクローディアを引き寄せて抱きしめていた。


 ――――あの男。

 あの男の主張は、何も間違っていない。


 本当は、分かっていた。ローレンスに問わずとも分かっていた。

 あいつらと――ここにいる奴らと、自分に、どれほどの違いもないことを。


 目をそらしていた事実を突きつけられただけなのに、ひどく打ちのめされていた。

 すぐそばに抱き込んだ別のぬくもりも忘れて、手足がどんどん冷えていく気がした。


 「…………わたし」


 ぽつりと、クローディアが言った。

 彼女の声に、いまさら自分がしていることに動じてしまう。


 「…わたしを想って」


 ぽつりと、もう一度言った。


 またいつものように、よく分からないことを言い出したのだと思った。

 だから、いつものように、どういう意図で言ったのかを考えて、少しの思案のあと、答えにいきついた。


 「…………聞こえてたのか?」


 クローディアは頷こうとして、肩にぶつかってしまったので「うん」と小さく言い直す。

 むしろ、聞こえてくる声を辿って、ここまで来たのだろう。


 彼女が言いたいことが分かって、セドリックは言葉に詰まる。


 「……想ってって、なんで、そんな」

 「迷ったら、想って。わたしを」


 「…………」

 「これからも。ずっと。想って」


 見透かされているのだと思った。

 何が大事なのか、とうに決めていたくせに、簡単に揺るがされていると。


 あの男にどう言われようと、ここにいる奴らと同じだろうと、大事なものはクローディアである。


 だから、あの時もローレンスではなくクローディアを選んだのに、迷う余地すらなかったはずなのに、それを知っている彼女にすら明白なほど動揺してしまっていた。


 彼女だって旧家の育ちだ。暗にでも屋敷私僕を切り捨てろと言ってのけることに何も思わないはずがない。それなのに、言わせてしまった罪悪感が胸に重かった。


 「…想うから。ちゃんとするから」


 あるのは重たい感情ばかりではなかったが、言葉にするほどの余裕がない。

 すると、彼女なりの返答なのか、頭を肩に乗せて寄りかかってくる。


 言葉だけでは伝わらない気持ちを一緒に寄せられているようで、こういう時、彼女がやたらと人に触りたがる理由がよく分かってしまう。


 温かい人の体温に離れがたくなっていると、背中に回った彼女の手が突然びくついた。


 「――誰?」


 かすかに怖れを含んだそれに、セドリックは現実に引き戻された。


 クローディアの視線の先、つまり自身の背後を振り返りながら、ボタンカバーとは別の装身具を手にした。


 暗い廊下の中央にぼんやりと浮かび上がる人影は、さして驚きもなく口にする。


 「……そうか。失敗したのか」

 「それ以上、近寄るな」


 男の声には聞き覚えはあったが、この状況では誰も信用できない。


 「こちらにはもう、敵対の意志はない。君と――君たちと交渉をしに来た」


 警告を聞き入れてか、男はその場で話し始めた。

 セドリックの記憶が確かなら、声の主は建築家カミル・モアだった。






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