58 男主人の社交
落成式開催の長い口上が終わり、ひと通りの挨拶回りが済んだあとは、各々が会社館を見て回る流れになっていた。
そう仕向けたうえで特定の人物を会社館一階北棟の応接間へと招く手はずだが、ひとまとめに連れだっては目立つため、一人ずつ集めていくことになっている。
招く口実は、この応接間にあった。
この応接間では、シナモン、バニラ、グローブ、ジンジャー、ナツメグなど新しくもたらされた香辛料で淹れる『香茶』が提供されるのだ。
すでに既存の香辛料もいくつかあったが、煎じてお茶にし、ミルクや砂糖を入れたり、ストレートで嗜むという一興で客人をもてなす、新しい社交の場だった。
会社の次なる展望として、建築家カミル・モアが持ちかけたもので、異国にあるという社交場の話を発端にして、もっと人を選ばない社交場をアーケードなどへ出店するため、会社館の応接間を利用することを提案した。
そのためには多くの人の出入りを経た鏡板と、色と模様を塗りこめた化粧板の選別が必要で、口実としては申し分ないだろうが、喫茶店とすでに呼び名まで付けられているそれは、もちろん実際に建設される予定はない。
この絵空事への客寄せに、セドリックは応接間で待機している予定のはずだったが、セドリックはいま、流暢な二カ国語を操る異国の商人の相手をしていた。
「ですから、こちらの短銃は従来の銃器とは違い、ホイールロックの改善によって暴発の危険性はより低く、点火率はより高くを実現した――」
ただの紅茶とティーセットが一人分だけ提供されたテーブルで、定型文のようなつまらない売り文句を聞かされる。
睥睨する先にあるのは、厳重な鍵付きの箱に、ベルベットのクッションに収まった銃器で、短銃という名の通り銃身は短く、銃体や握る部位にやたら凝った金工細工が施されていた。
相手を殺傷するための武器に装飾性を求める倒錯趣味は、どこにでもあるのだと思いながらセドリックは答えていく。
「他の連中にも言ったが、お前たちが用いる銃火器とやらはこちらでは役に立たない。四十二回に及ぶ検証のすべてで手のひらでの捕捉――ようするに完全な無力化が報告されている。現時点で、打ち出せる弾が一発のうえ、肝心の弾丸がのろすぎて使えない」
わざわざ説明しなければならない億劫さもだが、自分の商品をあからさまに貶されいるのにへらへらした笑い顔を崩さない男が鼻についた。
「…たとえば、ここにあるティースプーンで人工精霊を作ったとして、その短銃の引き金を引く前にお前を殺せるし、もっと別の銃器を持った三個の十人隊を相手にしようと一体のみで制圧できる。せめて毎秒百発以上の連射ができるようになってから来い」
「――いやはや…これはまったく手厳しい」
それでも笑っている商売人に、本当に一体作ってみせてやろうかと思い始めたとき、横から割って入る声があった。
「さて、口利きはしましたよ」
これまでのやり取りを立って聞いていた男だった。三十代半ば、白金の髪に花紫色の目をした地縁貴族の下院議員、政治家シリル・マルシャンである。
「なに、事を急がずとも機会はまた訪れますよ。今日の催しは何のためか、お忘れですか?」
「……そうでしたな。では、そうしましょう」
異国の商人はようやく引き下がり、銃の入った箱を閉じて立ち上がる。
彼の背中がある程度はなれたのを見届けると、シリル・マルシャンは空いた席に腰かけた。
「すまないね。どうしても取り次いで欲しいと聞かなくて」
「…………」
セドリックが応えないでいると、傍らに控えていたオーウェンが応える。
「…私めが承ります」
「いや、いいよ。ローレンス君。いつもどおり独り言をつぶやいただけだから」
オーウェンがローレンスの姿を装っていることを知っている彼は、あたかも二人で打合せでもしているように見せかけはじめた。
新たに運ばれてきたジンジャーティーにミルクと砂糖を入れ、あの得体のしれない液体を平然と飲み下しながら話しかけてくる。
「君との付き合いも今日で最後だね。せっかく知り合えたのに、残念だ」
毎回毎回、似たり寄ったりのことを言う男に、セドリックは無言を貫く。
彼は、自身の人脈リストにセドリック・ヘインズを加えたいらしく、顔を合わせるたびに馴れ馴れしく話しかけられていた。
「まあ、今回のことで老君と間接的に関われたのは、とてつもない幸運だったと思っているけどね。とはいえ、口下手な君のために色々と苦心した労力は、少しはねぎらってもらいたい気持ちもある」
いつもどおり独り言を続ける彼に、いつもどおり視線すら合わせず、何も応えない。
「社交が苦手なのはともかく、ならばと機転を利かせて、誰かの紹介がなければいっさい応対しない人物像に私が仕立てあげたから、君が相手にどれだけ無礼な態度を取っても、事前の口添えと事後のフォローを入れられたし、君は、君の仕事以外のあれこれにかかずらわないで済んだはずじゃないかな?」
今日で最後だからか、いつもよりしつこい勧誘だった。
確かに、気難しい人物だと印象付けられたおかげで、セドリックが直接受け答えする機会は減り、ローレンスが代理に立つようなった。
本人が目の前にいるのに代理を立てるのは不躾だが、ローレンスは旧リッテンバーグ邸の家令である。次第に、彼目的で取り次ぎを頼んでくる様相にすらあった。
「しかし、マルシャン様。旦那様へと渡りを付ける役回りのおかげで、マルシャン様もまた、多くの縁故を築けたと聞き及んでおりますが?」
主人へのアプローチをかわすためか、オーウェンが口を差した。
すると、シリル・マルシャンは悪びれた様子もなく言ってのける。
「それはその通りなのだけど。……ローレンス君、それでは話が終わってしまう。ローレンス君らしくするなら、もっとどうとでも取れる言い回しをしないと。はっきりした物言いをして、解釈の余地なく本当に関係を切ってしまうのは良くない.。そう仕向けるのも」
事実、今日で切れる関係なのだから何ら問題ないが、彼は何故かそのままオーウェンに説教をはじめ出し、どいういう了見かオーウェンもまんざらでもない様子で聞いている。
口車に乗るなと止めさせようとした時、オーウェンの方から制止が入った。
「すみません、お待ちください。ローナから報告です」
それには、セドリックが即座に反応した。
「彼女は?」
「はい。とどこおりなく。多少の力みはあるようですが、悪意ある妨害者などもなく、ひとまず予定どおりに進んでいるようです」
「じゃぁ、ミスとか、うっかりとかしてないんだな?」
「はい」
思わず、ほっと安堵してしまっていた。
「…そんなに心配かい?」
シリル・マルシャンがぽつりとこぼす。
「確か、クラウディア――クローディアだったか。ご細君の名前。ぜひ紹介してもらいたいと思うのだけど……無理そうかな」
返ってきたセドリックの視線に、彼は目だけで笑った。
クローディアが飛び入りで参加した理由は、シリル・マルシャンには説明されていない。
突然とねじ込まれたからには、何かしらの裏事情を感じ取っているだろうが、本来の計画とはまったく関係ないため、詳細を語る必要はないと判断された。
「カミルに聞いても教えてくれなくてね。君のように真顔になるばかりで、よほどの事情が」
「言ったはずだ。彼女への詮索は許さない」
声は二人のどちらでもなかった。
振り返れば、ありきたりな盛装姿をした男が一人立っていた。
一見は男性にしか見えないが、デスマスクを付けたアビゲイル・モアである。
「これから先、あらゆる場面においても許可しない。もし、わずかにでも類縁をたどる気配を見せれば、貴殿の政治家人生は終わると心得よ」
そんな言い方をすれば余計に興味を引いてしまうだろうが、そこは彼女も織り込み済みだろう。人脈を駆使して成り上がってきた男の性質を逆手に取った脅しである。
「…ずいぶん強い言葉を使われる。らしくもなく緊張されているのかな」
「ここはもういい。持ち場に戻られてはどうか」
シリル・マルシャンは、わざとらしく肩をすくめた。
「仰せのままに。では、この最後の社交場にて、自分を売り込みに参りましょうか」
言いながら席から立ち上がる。
ここに至って何を売り込むのかと、怪訝な様子が顔に出ていたのだろう。彼はセドリックに向かって答えてくる。
「誰にでも大切な人はいる。何かあった時こそ必要なツテもあるのだよ」
優しく諭すような口調は、あたかも救済を謳うかのようだった。
だが、聞きようによっては弱みに付け込むとも取れた。
去っていくシリル・マルシャンの代わりにアビゲイル・モアが席に着くが、セドリックは黙ってそれを受け入れる。彼女は、彼女の持ち場に付いただけだからだ。
一人でいると人が寄ってくるため、やむを得ない割り振りだったが、とはいえ同席する二人に会話はなく、アビゲイル・モアのためにシナモンティーが運ばれてくると、あとは淡々と時が経つのを待つだけになった。
苦痛ともいえる時間はいつ終わるのか、元凶の来賓客たちに目をやれば、予定の半数は集まっているようで、指定された席に招かれて、それぞれ館私僕たちが接客をしているが、それにも限界はあるからと、シリル・マルシャンが笛吹役を引き受けている。
彼の隣にはアビゲイル・モアと共に来たらしい、カミル・モアの姿もあった。
彼は、来賓客の相手もそこそこに応接間の天井をずっと見上げており、見かねたのか、シリル・マルシャンがその腕を引くと、十数人の来賓客ごと自分たちの持ち場へと引きつれていく。
応接間を出るまでカミル・モアは天井を見上げていたが、この会社館を設計した本人だからか、彼の奇行を気にしている人はあまりいなかった。ただ、その入れ込み具合からどうにも異国の社交場とやらを本当に建てかねない気配があった。
他には、二縁貴族と古物商人、振興の投資家や耳聡いアーケードの店主などもいて、今回の標的とそうでない人間が入り混じっている。
彼らの中には、自前の古道具や魔法道具を持ち込み、この部屋のコンセプトどおりに商談めいたことをもうはじめている者もいた。
己の構想を賢らに語る者、売り込む者、買い付ける者、投資先を探す者、募る者。古道具の輸出入。シリーズ展開。
しつこく活版印刷の件を持ち出す輩もいて、本当にうんざりさせられる。
活版印刷の導入は一度断られたはずだ。印刷機に置き換えれば、手書きよりも製本工程の短縮化と量産化を可能にするが、こちらの製本を主導するのは公文書館の永久公僕であり、彼らの手作業に人件費はかからないため、製造コストの出費は比較にならない。
何より、導入に際して、製本工程に関わる納入業者の一部が不利益を被ると判断されたため、公益にならない利益追求は永久公僕の本質にないと、公文書館はこれを退けた。
一事が万事この調子だから、欲深い奴らほど旧家の屋敷私僕に目を付ける。
主人の言うことしか聞かない彼らなら、その主人を懐柔してしまえばどうにでもなると浅知恵を図るのだ。
「使い古された手だ」
唐突にアビゲイル・モアが口を開いた。
「人工精霊を使って人間を動かすのは容易い。同じやり口でも、方法を少し変えるだけで、右に倣ったかのように動かされていく」
言いながら、彼女の不気味な視線はセドリックを捉えている。
「海の外の人間も例外ではない。我々が彼らから古物を求めるように、彼らが求めるは我々の魔法装置だ。彼らには、人工精霊の実体化などできるはずもないのに、あくせくと国外へ持ち出すことに躍起になっている」
「…………」
「おそらく自分たちで構造を解析し、こちらで言うところの魔法現象を再現する腹づもりなのだろう。外の人間には根本的な欠陥があると、いくら仕組みを論じようが聞く耳を持たない。魅力的な労働資源だ。そうそう簡単に諦めが付かないのはご覧の通りだな。こちらも、あえてそれを利用してきた」
その時、来賓客たちの声が図ったかのように聞こえてくる。
それは館私僕の使い道を語り合う声だった。
誰かが、私僕たちの役職を転用したホテルの構想を語り出すが、そんなものはありきたりだと、別の男が提案した館私僕を個別に貸出すリース事業が披露されると、周囲はいっきに彼をもてはやす。
気持ちが悪かった。さも当然の権利かのように、自分勝手な欲望を館私僕に――セドリックの屋敷私僕たちに押し付けてくるのが、どうしようもなく気持ち悪かった。
「何をそんなに色めき立っている」
アビゲイル・モアが、さらに言い募る。
「この三年間お前を見てきたが、いつもそうだった。人工精霊――とりわけ、屋敷私僕が軽んじられる場面になると、そうやってあからさまな敵意を向ける」
さっきからどういうつもりなのか、あまりにも無駄口が多い彼女に、セドリックは同等の不快感を示す。
「だが、奴らの根底にあるものは奉仕だ。どれだけ卑しく見える行いだろううと、お前たちのためなら喜んで身を捧げる存在だ。この原則は絶対に揺るがない。今この瞬間も、主人たちの望みを確実に叶えさせるために、お前の私僕は、言い寄ってきた客を部屋に引き込んで好きにさせている」
アビゲイル・モアが何を言ったのか、セドリックには分からなかった。
理解するのを頭が拒んだ。
数秒ものあいだ混乱し、半ば取り乱しながらもオーウェンへと目をやれば、彼は顔色ひとつ変えずに言い切った。
「いいえ。そのような事実はございません」
「そう。そうやって、お前のためなら嘘も吐く」
即座に割って入るアビゲイル・モアに、オーウェンは視線をやったが、その顔には一片の曇りも見せない。
「お前が嫌がるからしないとでも思っていたのか? だとしたら、お目出たいにもほどがある。お前がいかに心を寄せようとも、奴らはお前の真意など介したりはしない。むしろ、主人からの余計な情念など、奴らにとって厄介な雑念でしかないだろうよ」
主人への侮蔑だと捉えたか、オーウェンの眉根がわずかに動くが、当のセドリックは彼女の言葉が上手く頭に入ってこなかった。
「せっかくだ。実際に聞いてみるといい。お前の中の貴賤を知っていながら、どうして理解してくれないのか。どうして何も感じていないのか」
それにはオーウェンが明確に反応した。
少し困ったような顔で主人を見つめるが、彼の顔を見つめ返す主人は何も言わず、代わりにアビゲイル・モアが続ける。
「そろそろ学んだらどうだ。精製素子によって作られた疑似人格など、所詮『疑似』でしかない。人間と同じ感情を抱くはずだと思うのは、のぼせ上がった人間の傲慢だろう」
抱かないと断じるのだって、思い上がった人間の傲慢だと、すぐさま言い返せなかったのは、オーウェンの顔がローレンスにそっくりだったからだ。
ローレンスの姿をしているのだから、ローレンスの顔になるのは当たり前だろうが、オーウェンは今、嘘偽りなくローレンスと同じ顔をしているのだろう。
人間が勝手に決めた物差しが、根底から理解できていない顔。
見慣れたいつもの顔を前に、セドリックはついに何も言えず、その様を見届けて気でも済んだのか、アビゲイル・モアが突然と席を立った。
不意の出来事に、ふたつの視線が無意識にそちらを向く。
「…常々、迷っていることがある。お前のような人間をどう扱うか。分かっているか。自分が、この社会にとって、どれだけ危険な存在か」
警戒、という動作を取ろうとしたオーウェンに、セドリックが気づく間もなく、けたたましい破裂音と共に室内の照明が搔き消えた。
オーウェンは見ていた。
アビゲイル・モアが不穏な発言をはじめた直後、室内で爆ぜた大きな音に、オーウェンは音を超える速さで発生源を認識した。
来賓客の合間、誰かの手元から射出された物体を捕捉するが、看過できない速度で男主人に迫りつつあり、意図された襲撃だと瞬時に状況を切り替える。
人ごみを隠れ蓑にした、中距離からの攻撃など常套手段である。
周辺に障害物が多いなら、いったん実体化を解いて、飛来物の軌道上に直接実体化すれば、被害をほとんど出さずに事を収められる。
一秒にも満たない思考の中、従来通りの対処を取ろうとしたオーウェンは、しかし、男主人の指輪と旧リッテンバーグ邸の距離がいつもより遠いことに気づく。と同時に、会社館という従来とはかけ離れた現状を突きつけられた。
旧リッテンバーグ邸は現在、七十二体もの屋敷私僕を会社館に配し、ローレンスを介して機能を維持している状態である。再実体化のいちじるしい遅延はまぬがれない。
それでも、それが既知の投擲武器ならまだ間に合うはずだった。
見知らぬ武器ではなかった。つい先刻、デーブルの上に広げられたものだった。
見誤ったのは、その速度。
オーウェンが弾丸を防ぐためには、今の実体をもってのぞむしか術はなく、しかし、弾丸以上の速度で動けば近くにいる男主人を巻き込むことは避けられない。
ならば、男主人ごと抱え倒すしかないが、弾丸以上の速度で人体に触れる方がよほど恐ろしい。
主人の思う一秒のためらいが、主人を殺す一秒になっていた。
オーウェンは判断を間違えた。
ローレンスは、オーウェンよりも早く事態を把握していた。
黙って席を埋めていればいいアビゲイル・モアが、何を考えてか饒舌に語りだし、屋敷私僕たちがしていた内密の行いを男主人にばらしてしまった。
思えば、そうやって応接間に意識を向けさせたかったのかもしれない。
ローレンスですら、あの異国の商人が銃器を取り出して構えるまで気づかなかったのだから、オーウェンばかりを責められないだろう。
弾丸の速度を逆手に取った攻撃は、しかし、男主人が身に着けている装身具で防げる可能性は充分にあったが、しょせん可能性でしかなく、そんな博打など屋敷私僕として打てるはずがない。
どのみち対処できる私僕は一体に限られるよう、最初から仕組まれていたのだ。
これは罠だと分かっていながら、ローレンスはそうするしかなかった。
すべての中継ぎ役を放棄して、会社館へとかろうじて実体化を果たすが、現せたのは片腕とわずかな上半身のみだった。
不格好な姿で伸ばした手のひらが、確かに弾丸を受け止める。
握りこんだ鉄塊が床へと滑り落ちる感触を残して、ローレンスの意識は途切れ、旧リッテンバーグ邸は完全に沈黙した。




