55 お召し変え
落成式は、新設された会社館のお披露目会である。
午餐会や夜会とは違い、いうならば小さな博覧会の趣向でもあるため、ドレスコードは昼礼装で、堅苦しすぎない平服が望まれた。
ここで言う平服は、身分や職位によらない、個人の好みと流行にそった盛装になる。
セドリックとクローディアの身支度は、空き部屋で整えられた。
どうやっても時間がかかるクローディアは、あらかじめ用意された隣の支度部屋で着替え、セドリックは応接間のテーブルとソファに道具一式を広げて着替えていく。
フロックコートにアスコットタイ。目立たないよう擬装されたコルセットベストを着て、自作の装身具は、ネクタイピンやカフスのボタンカバーに仕込まれている。
ものの三十分ほどで着替え終えたセドリックは、ソファに座りながら腹部を撫でていた。
胴体を守るために付けさせられたコルセットベストだが、苦しくないよう調整されているものの、着慣れない窮屈さがやはり気になってしまう。
一方で、ローレンスの姿をしたオーウェンは、自らセットした毛先の具合が気になるらしく、ソファの周りを行ったり来たりしていた。
背後をうろつく従者の脇から支度部屋を一瞥すれば、木造の両扉には重厚な錠前がぶら下がっており、物理的な鍵がかかる仕組みをしている。
「……なんか最近、待ってばっかりいないか」
「何をおっしゃいます。男性が女性の身支度を待つのは、ひとつの様式美でしょうに」
オーウェンの軽口を聞き流しながら、慣れない固い腹部に手がいってしまう
いちおう着慣れるために何度か試着はしているが、やはり違和感は大きく、こんな一部でも違和感を感じてしまうなら、クローディアの方はよほど大変だろうと思う。
一般市民のおでかけ服にコルセットスカートが流行っているように、上級市民の礼服にはバッスルドレスが流行っている。
腰元を強調して膨らませたドレスだが、それを基本の型として、自身の価値観を楽しむことは、どのファッションでも変わらない。
クローディアのドレスは、ローナ曰く、バッスルドレスに限らず、シンメトリーになりがちな古今のドレスに、あえて大胆なアシンメトリーを取り入れ、大きく深い前面のドレープに不和を出しつつも、細部の手芸に連綿と紡がれてきた古き妙を見え隠れさせる、ドレスの奥にドレスを重ねたようなデザインなんだとか。
何を言っているのかよく分からないが、実物はもう間もなく登場するのだからと頭の端にやって、サイドボードの置時計と自分の懐中時計の時間を確認していたら、ローレンスの見た目で首をかしげるオーウェンが声をかけてきた。
「それより、準備はできていますか?」
「…? 出来たんだろ、準備は」
自分の姿を見下ろしてから上を向き、横手に移動していくオーウェンを見る。
「いえ、そちらではなくて。これから奥様の晴れ姿がお目見えするわけですが、彼女へ贈られる、賛辞のお言葉はきちんと用意されていますか?」
セドリックは固まった。
主人が固まったのをいいことに、オーウェンは横からのアングルをじっくりと観察していく。
「まあ、そんなことだろうと期待はしておりませんでした。でも、何の言葉もかけて差し上げないのは寂しいものです。ので、ローナと話し合って選択制にしてみました」
「……せ?」
「はい。一番は、とても似合っています。二番は、見違えるほど綺麗です。三番は、息をのむほど美しいです。これら三択の内、どれか好きなものをお選びください」
「…………」
「奥様にはすでに番号の意味が伝えられていますので、お目見えの際は、番号だけを口にすれば彼女へのお言葉は事足ります。もちろん三択のどれをも選ばず、ご自分の言葉を用いるのも自由です」
「…………」
「番号も秘したいなら、そちらのキャビネットをお使いください。この展開もふまえて用意していただいているので、ドレス着用でも余裕をもって入れますよ。着衣が乱れることがあってもお気になさらず、すぐに直しますので」
手際が良すぎる事前準備に、セドリックは半ば呆れてしまう。
最近のごたごたですっかり鳴りを潜めていたが、主人の思考を読んで先回りするのは、私僕たちが得意とするところであることを忘れていた。
「あ、ローナから連絡です。あと十分ほどで仕上がるそうなので、どうするか心を決めておいて下さい。だそうです」
伝言からにじみ出る、ローナのお見通し感が気恥ずかしいのと同時に腹立たしい。
かといって決めないわけにもいかず、提示された番号を振り返っていくが、ふと、それとは別の問題に直面した。
もしここで、番号のいずれかを選択をしてしまうと、彼らの行いを肯定したことになりかねない。ひいては、これからもこうした先回りを頻発させる可能性があった。
思わぬ問題の発生に、セドリックの思考はなかなか先に進めない。
決めなきゃいけない選択に余計な要素が立ちふさがって、ローナから与えられた猶予の十分間はあっという間に過ぎ去っていった。
オーウェンから身支度が整った旨を伝えられ、心を決めるどころか準備もしきれていないのに、ゆっくりと支度部屋の両扉が開かれていくが、セドリックはソファから立ち上がれずにいた。
足元に気を付けるよう注意するローナの声が聞こえてきて、するすると心地の良い衣擦れの音が近づいてくる。ちらりと、わずか二秒だけ振り返った。
一瞬、誰だか分からなかった。年齢を五歳ほど繰り上げると聞いていたから、そのせいかもしれない。
ドレスの奥にドレスとか言っていたから、もっと嵩のある衣装かと思っていたが、かなりスリムな体形だった。あと、いつもより髪が長かった気がする。
二秒ではそれが限界だった。
観念してソファから立ち上がり、しっかりと彼女を振り返る。
だが、五秒あたりでセドリックの視線は泳ぎはじめてしまい、目ざとく見つけたのはローナだった。
「こちらのドレスは、この後に控える奥様の“おもてなし”も見越して仕立てました」
彼女は手ぶりでセドリックの視線を誘導しはじめる。
まずは、刺繍やレースを一緒くたにするドレープを、優美にまとめ上げるスカート。
「本日招かれる方々は、目の肥えた方ばかりですからね。身なりひとつで、その人の人格を語るような方もおられますから、細部のこだわりにこそ気は抜けません。流行りを入れすぎると軽薄になり、古きにこだわりすぎると重くなる、すべてはこの掛け合いなのです」
手の誘導は徐々に上体へと上がっていき、体の線をはっきりと出す胴体までいくとローナはクローディアの強調された腰元に手をまわして、わずかに横を向かせた。
「そのため、いささか型から外れたデザインを取り入れておりますが、服飾に造詣の深い方ほど聞こえてしまう、古典の色香を奥に忍ばせております」
ローナの手ぶりに合わせて、クローディアがわずかに動くので、盛られたスカートのひだや裾、斜めにかぶった小さな飾り帽子もゆれていく。
場をつなぐための説明をひととおり終えたローナが、いかかでしょう、と問うようにセドリックを見るので、クローディアもつられて振り返った。
外見に合わせて大人びた化粧をしているのに、こちらの様子をうかがうように首をかしげる姿がかわいかった。
「――――……一番」
ぽつりと言った。
ローナとオーウェンからのほっとしたような反応を横目にしながら、セドリックは目線を下げて「と」と続けた。
「…二番と三番」
一瞬の間の後、最初に動いたのはローナとオーウェンで、それとなくクローディアを見る。
少し遅れて理解したいらしい彼女は、何か言おうと口を開くが途中で止まり、やや考えてから例の大きなキャビネットを見向いた。
それに向かって二、三歩前に出たが、何を思ってかそれも途中で止めしまうと、セドリックをもの言いたげに見つめた。
「……帰ってからにします」
どういう意味か分かってしまったセドリックは、ぐっと喉を詰まらせる。
視界の両側から投げかけられる私僕二体の視線は、目を合わせないことでどうにか堪えた。
ローナからドレスの感想を促された時、今後も起こりえる先回りが脳裏を横切らなかったわけではない。
だが、お節介ともいえる私僕たちの先回りに助けられていることは、動かしようのない事実である。
妙な沈黙が流れるなか、室内が静まり返ったからか、ドアがこんこんとノックされた。
廊下で待たせていたジルベルタ・モアからの呼び出しだった。




