54 会社館
外観は、集合住宅に見栄えの良い格式を、取って付けたような佇まいだった。
商業街の顔たるアーケードと隣接しているためか、やや厳めしくても景観としては見事に溶け合っている。
古物貿易合資会社・会社館。それが真新しい建造物に与えられた正式名称である。
公文書館から発行される新聞を使い、建設自体は仄めかしてはあるものの、余計な注目を避けるため事の子細は伏せられ、新しい公共事業ていどの認識にとどめられてあった。
とりわけ、市民の暮らす街に紛れ込んだ建物が、旧家の解体材で建てられたものだとは、誰も考えてすらいないだろう。
会社館の外構を馬車の中から見物したセドリックとクローディアは、会社館用のアプローチがある裏門へと回り、屋敷私僕からの歓迎を受けた後、館内を案内をされた。
建物の全体は、二階建てのロの字型をしている。
セドリックたちが入館した北棟一階の裏門は、関係者入口となっており、客あしらいに広くとられた広間が設けられ、奥には中庭にせり出した応接間がある。左右に続く東棟一階と西棟一階の先には、従業員がそれぞれ個別に応対する事務室がいくつも並んでいた。
先刻、馬車から見物した南棟一階の外観が正式な正面玄関であり、玄関ホールに待ち受ける一対の大階段を会社館の顔として、正面奥には実演場にもなる大広間があるが、東棟二階、西棟二階、南棟二階のすべては、異国から持ち込まれた古物を展示する催事室となっている。
そして、顧客の秘匿性はもちろん、展示品の保護や演出のために館内では間接照明が多用され、四棟ほとんどに窓がなく、若干、夜の集会めいた雰囲気を漂わせていた。
歓迎の準備はほぼ整い、各々の持ち場で控えている屋敷私僕たちを視察しながら、セドリックとクローディアは、一階の応接間に付設された厨房で、香辛料の香茶とお茶請けの試食を振舞われていたが、途中でローレンスから連絡が入った。
指定された時刻には早すぎる来賓客が、会社館の裏門に馬車を横づけしたことを、オーウェンを介して報らされる。決められていた手はずどおりに応接間に通して時間まで適当に相手をしておくが、注意はしておくようにとローレンスは促してきた。
予想されていた事態ではあるが、それでも早い訪れに、セドリックは言い知れぬ不快感を感じてしまう。
奴らの目的は十中八九、屋敷私僕たちである。よそに先駆けて来訪する理由はそれしか考えられず、今日の落成式も私僕からの歓待のみを求めて参加する者もいるはずだった。
旧家に招かれることを望む者は少なくない。
永久公僕の奉仕は、市民階級から二縁貴族まで平等に分け隔てないが、屋敷私僕の奉仕はごく限られた血筋を絶対の条件とし、主命がなければ口を利くことすらせず、姿形まで敷地の奥に隠して滅多に見せることがない。
彼らに対して寓話的な象徴や、洗練された専業の徒を見出す者もいるが、私僕の在り方に選民的な食指を動かされる人間がいることも確かで、この場に集うような手合いが、どちらであるかは考えるまでもないだろう。
館内のほとんどに見られる、華やかな化粧板を凝らした廊下からもそれは分かることで、彼らの好みそうな様式が随所にちりばめられていた。
だが、そうした見てくれを誇示したい者にとって、最も悦ばしいことは、この会社館が旧家の解体材――旧リッテンバーグ邸の改修、改築工事のさいに出た、鏡板を使用して建てられていることだろう。
館内の造形すら旧リッテンバーグ邸の前邸と酷似しており、誇らしげに廊下を闊歩しているだろう抜け駆け客と出くわさないよう、セドリックとクローディアは屋敷私僕たちから案内をされながら、二階北棟にある『空き部屋』へといったん退避した。
空き部屋と称してはいるが、ようは控え室であり、男主人と女主人が利用するそこは、主賓室と言っても差支えないほどだった。
入るなり鍵がかかる部屋は、応接間と支度部屋のふたつに分けられている。
応接間は、テーブルとソファを中心に三段チェストやサイドボード、中庭をのぞむ大きな窓と作り付けの暖炉が備えられているが、豪奢なタッセル付きのドレープカーテンや、暖炉のマントルピースといった華美な装飾はあえて控えめにされていた。
代わりに、草花の木象嵌と、文様の寄木細工が壁一面に施されている。
何万枚もの小さな鏡板が、縁取りを超えて一枚の絵を描くように組まれた寄木の壁は、好事家でなくとも、注がれた美技が目に見えてしまうような出来ばえである。
ここだけではない。細工の精緻に差はあれど、館内のいたる場所――各部屋や廊下、天井、壁、床などにも似たような意匠がふるわれ、惜しみなく披露されていた。
だが、セドリックの目を引いたのは、寄木の壁ではない。
部屋の調和を台無しにしかねないほど大きなキャビネットが、部屋の正面奥にそびえており、セドリックは思わずオーウェンを見ていた。
「はい。準備は万端です」
主人の言わんとすることを察してか、オーウェンが即答する。
セドリックが小言を返そうと口を開くが、「あ、待ってください」と手で制された。
「…また、別のお客様のようです」
移動しているわずかな時間で増えた客人に、セドリックは顔をしかめると、オーウェンではなくローナを見て言った。
「…この調子でいけそうか?」
部屋に届けられていた荷物を確認していたローナが、顔を上げる。
「そうですね。来賓客一人に私僕一体を長時間つけさせるのは、さすがにローレンスの負担が大きいですから、適当に理由を付けて中座させるようにいたしましょう」
「納得するか? 私僕の数を招待客より増やせることくらい、あいつらも知ってるだろ」
「では、ある程度の人数が集まりましたなら、自家製のワインを振舞って、品評会という形でご自身たちに相手をしてもらうのは?」
「あれか……」
ローナの言う自家製のワインとは、旧リッテンバーグ邸で作られた葡萄酒のことである。
旧リッテンバーグ邸に限らず、旧家では、主家のために家独自の手法で酒類を醸造する習わしがあり、一年の内で主人一家が飲みきれない分は、世話になった人物や業者への贈答品としても使用されているのだが、前述した一部の層からは『旧家の精霊が造ったお酒』として、多大な支持も集めていた。
「…あれは土産用なんだろう?」
「今日の席で、お土産を持って帰られるお客様は、ごく限られておりますわ」
笑顔で提案するローナに、意味を聞くまでもないセドリックは薄く笑い返す。
スケジュールの修正案が決まったところで、オーウェンが人差し指を立てた。
「あの、先ほどの続きですが、よろしいでしょうか?」
「続き? さっきの客のか?」
「はい。先ほどのお客様ですか、監事のアビゲイル・モア様だそうです」
お茶とお茶菓子が空き部屋にまで運ばれて、給仕女中に給仕されている間、セドリックはクローディアを気にかけていた。
対面に座るアビゲイル・モアに容赦なく凝視されるうえ、さらにもうひとり、彼女の隣に座る十代半ばの少女からも物珍し気な視線を浴び、注目される居心地の悪さにクローディアは落ち着きをなくして、目を泳がせ続けている。
アビゲイル・モアは、会社館の正面玄関は使わず、併設される倉庫の裏口から入ってきていた。わざわざ裏に回った理由は、今日の落成式にアビゲイル・モアという人間は招待されていないからだろう。
給仕を終えた、名も知らぬ私僕が下がってから、セドリックは苦言を呈した。
「……そこまでするか?」
アビゲイル・モアは、クローディアから視線を外してセドリックを見るが、その顔は完全な無表情で、鳶色の目だけがぎょろりと動いていた。
「必要ないとでも思っているのか」
彼女は、口を一切動かさずにそう言った。
声は確かにアビゲイル・モアのものである。しかし、声を発したはずの顔はアビゲイル・モアとは似ても似つかない、壮年の男性のものをしていた。
「…仮面を外せ、気味が悪い」
彼女は応じる気配まったく見せていなかったが、不意にクローディアを見ると、やおら仮面に手をかけた。
質感も色合いも本物の顔にしか見えない仮面の下から、見知った女の顔が現れる。
すると、違和感のなかったフロックコートにズボンという男の盛装姿も、男装をした女の姿にしか見えなくなった。
顔像の面が、ティーセットと共にテーブルに置かれれば、クローディアが興味深そうに見つめるので、セドリックはわずかに眉をひそめた。
何かしらの魔法道具であることは彼女にも分かっているだろうが、なにせベースとなる古物は、デスマスクなのだ。
死者の姿を借りているなどとは言いづらく、適切な言葉と説明に迷うセドリックに、横から割って入ってくる声があった。
「では、自己紹介は済んでいますし、さっそく本題に入りましょうか」
アビゲイル・モアの隣に座る少女だった。
彼女の言う通り、互いの紹介は入室時に済んでいる。積極的に名乗り合ったのは四人の内の二人だけだが、実質、自己紹介が必要だったのはその二人であるため、あとは省略で事足りた。
浅葱色の髪に浅黄色の目をして、シックなドレスで盛装する少女の名前は、ジルベルタ・モアと言った。まだ十代半ばの年齢で、見習いの建築士だが、今日の正式な招待客でもある。
「本題とは、もちろん今回の“お仕事”の確認です」
言いながら、彼女の視線はやはりクローディアに向けられていた。
「これから取り掛かる仕事内容を簡単に説明しますと、悪い事をした人たちを一網打尽にすることですね」
やけに平易な言葉を使うのはわざとだろう。クローディアの反応をうかがう様に続ける。
「ただし、今回の目的そのものを言うなら“見せしめ”になります。本日、会社館に招待された出資者の多くは、悪い事を――鏡板の不正廃棄と故意の隠匿、未許可の人工精霊の授受と所持、未認可の古物や魔法道具の裏取引などに関わった人たちですが、悪事を働いた全員が招かれたわけではありません。というより、さずがに全員は招きようがありません」
こくりと頷いたクローディアに、ジルベルタ・モアもにこりと笑った。
「いわゆる政治的な判断で――招かれなかった悪い人たちの処遇ですが、もともと、特別にお目こぼししてあげる代わりに、こちらの要求をのませる材料にする予定でしたので、そういう意味でも見せしめは必要ですが、彼らの行いを世間に知らしめることで、汚いお金で建てられた貿易会社の設立は頓挫し、この先も似たような計画が立ち上がろうとも、二度にわたる不祥事がそれを大いに阻むでしょう」
さらりと黒い内部事情を暴露していたが、クローディアは本当にわかっているのか、これで一石二鳥だと語るジルベルタ・モアに賛同するように頷いている。
「ですから、大事になればなるほどこちら側には都合がよく、多くの人に今日のことを周知してもうためにも、セドリックさんにはこれまで矢面に立っていただいて来ました。私ごときに言われても埋め合わせにはならないでしょうが、大変ありがとうございます」
言うなり、彼女はお辞儀してみせるので、セドリックは戸惑ってしまう。
見習い建築士でしかない少女に礼を言われたところで、本当に何の埋め合わせにもならないため黙っていると、クローディアの視線が気になった。
彼女の目にはまるで、年下の少女に頭を下げさせて憂さを晴らしているように見えるのではと、気になっていたたまれない。
「…………まあ、別に」
あいまいに答えれば、ジルベルタ・モアは顔をようやく上げた。
目が合って、少し気まずい空気が流れれば、彼女はあえて打ち消すかのように言う。
「話を続けますね。無駄な抵抗を避けるため、その時は一斉に制圧することになります。しかし、捕縛対象が一か所にとどまってしまうと、不要な混乱を招いて捕らえそこなったり、大きな怪我を負わせかねないため、対象はなるべく分散されるよう、ばらばらの部屋に閉じ込める必要があります」
すると、彼女は足元の鞄から革製の本を取り出す。
本にしてはやけにでこぼこと膨らんだ本で、付箋やら何かの切り抜きがところせましと貼られたページを扱いづらそうにめくりはじめた。
「旧リッテンバーグ邸は、今日一日に限って無制限の増員が許可されていますね。ローナさん。現時点で、家外業務に従事している屋敷私僕の数を教えていただけますか?」
はい、と応えるローナの言葉を聞きながら、ジルベルタ・モアはページに書かれているらしい文を指でぞっていく。
「館内にはすでに、従僕が八体、家女中が八体、料理番が三体、給仕従僕が十体、台所女中が六体、給仕女中が十体、、御者が五体、運搬従僕が十体、厩舎番が五体、牽引馬が五体の計五十五体が各区域に配備されておりますが、男主人の指輪と女主人の指輪から実体化する侍女と従者の二体を含めるならば、総勢七十二体が家外業務に就いております」
「ありがとうございます。予定どおりですね」
ジルベルタ・モアは頷きながら丁寧に謝辞を述べると、本から顔を上げる。
「現在、館内にまんべんなく配置されている私僕たちですか、これから招待客が増えるたびに不測の事態が連続することでしょう。それをさばいて各部屋にどう誘導するかは、私僕たちの手腕によるところが大きいですが、かといって、本当に無制限な増員をしてしまうのは勧められません。すでに何度も聞いているかと思いますが、百体あたりが限度だと頭に留め置いてもらえればと願います。それ以上は、おそらく旧家をだましきれない」
見習いとはいえ、建築士の言う言葉は、重く固い。
「旧家に限らず、精霊建築にとって最も恐れるべきは臨界現象ですが、それは、魔力回路を書き換えることで引き起こされる現象でもあります。ですから、私たちは鏡板の継木工法や化粧板構法などを編み出し、旧家をだます形で、臨界現象の発現を極力避ける方法をとってきました。今回の会社館は、そうした騙り技術の粋を集めたものでもありますが、やはり、まだまだ至らない部分が多くあります」
おもにセドリックに対していっているのだろう、いざという時は歯止めになるようにと。
「たとえば、ご存じのとおりこの会社館は、旧リッテンバーグ邸の鏡板と公的施設の鏡板のモザイクによって成り立っています。そのため、会社館には会社館の独立した機能があるのですが、それを館内を覆う化粧板によって、旧家の母屋に従する離れだと誤魔化しているに過ぎません。旧家を司令塔として、会社館のすべての機能と私僕たちが感知する情報のすべては、家令を介してようやく皆さんに共有されているのです」
つまり、会社館の独立した機能である館内の照明の点灯や扉の開閉は、いちいちローレンスが制御しなければならないし、すぐ隣りの部屋で異常事態が起こっていても、視覚と聴覚を中継する鏡板が隣の部屋にない私僕は、ローレンスを介してでしか状況を把握できないということだ。
「男主人の指輪と女主人の指輪から直接実体化しているローナさんとオーウェンさんなら別ですが、もし、ローレンスさんを介する事態が起きた場合は、彼が会社館の制御を負担している分、何かしらの遅延が発生することも必ず留意してください――以上が、カミル・モアからの伝言です。というより念押しですね」
カミル・モアとは、この会社館を設計した建築家の名前である。旧リッテンバーグ邸の復旧工事にも携わっているため、セドリックも顔くらいなら覚えている。
「本当は、本人が来られれば良かったんですけどね……ともかく、落成式とは、新館のお披露目会でもありますから、わたしたちは新しいこの子の晴れ姿をまんべんなく披露して、ご来賓をなるべく多くの部屋へ留め置くことです。ローレンスさんの負担を減らすためにも、みんなで頑張りましょう」
彼女は言いながら自分の両手を握って、意気込み強く場の面々を奮い立たせてくる。
かと思えば、手元の本に視線を落とし、ペンでチェックのようなもの走らせた。
スケジュール管理でもでしているのか、今度はペンでなぞりながら読み上げはじめる。
「では、ご質問などがないようでしたら、最後になりましたが、もしもの時のため、こちらで用意した連絡手段ですが――」
「待て。勝手にまとめるな。まだ話は終わっていない」
アビゲイル・モアだった。
でも、と言いかける隣の少女にかまわず喋りだす。
「まずは、そこのお前だ。どうしてローレンスの姿をしてない」
言って、視線で指したのは、セドリックの背後に控えていたオーウェンだった。
「お前は今日、家令の代役として式典に臨むはずだろう。ならば、館内に足を踏み入れる前に成り代わっておくべきだ。まさか、その格好のままうろついていないだろうな」
うろついていた。
しかし、まだ定刻には早いと言いかけて、すでに抜け駆け客の予期せぬ来訪に見舞われていたことを思い出す。
いかなる事態にも備えておくなら、男主人に付き従っている屋敷私僕が家令の姿をしていないのは確かにいただけなかった。
「それと、もう少し“ローレンス”らしくしろ。主人以外に無関心そうな顔をするな。きちんと愛想を振りまけ。ヘインズ、お前が注意すべきところだ」
セドリックは、どうにか反論の余地を考えるも、相手は今日のためにデスマスクまで着けてきた人間だ。あまりにも分が悪い。
「…オーウェン、変われ」
「はい」
オーウェンは、即座にローレンスの姿に変じてみせた。
ローレンスらしくうんぬんは、いちいち言わずとも自覚しているだろう。
アビゲイル・モアが次に視線で指したのはクローディアで、目が合ったとたん彼女はあからさまに肩をびくつかせた。
「それから、クローディア・ヘインズ。君だ」
クローディアはどうにか正面を向いていたが、視線はややはずれている。
どう考えても苦手なタイプとの対峙に、ソファの背後で、ローナがわずかに前に出る気配を感じた。
「老君のはからいで、君は急遽この落成式に加わったわけだが、君は、この会社館について、どれだけの経緯を聞かされている?」
会社館の経緯についてはセドリックが説明している。だが、その問い方では、クローディアは答えにくいのではと横を見ると、彼女は案の定固まっていた。
「あの。それって、この場で話す内容ですか? 式典はもうすぐですよ」
ジルベルタ・モアがまた口を挟んだが、アビゲイル・モアはやはりかまわず、セドリックに視線を移す。
「彼女にどう話した? 以前にも作られた会社館があったことは?」
セドリックは、答えなかった。
「正導学会の意向に逆らって、旧家の人間が地縁貴族や古物の商い人と結託し、見境のない産業を乱立させたばかりか、放蕩と犯罪の限りを尽くして公的秩序の混乱を招いたことは言ったのか? 社縁貴族などと、尊大な呼称を自ら唱えておきながら、低俗な金勘定でいがみ合いをはじめ、最後は屋敷私僕の暴走を招いたことは?」
「…あれは暴走じゃない」
「暴走だろう」
「違う。お前たちが、救援を求める私僕らの声を無視したせいだ。それで」
「主人を諫めきれず、思うまま振る舞わせておいて、危機に瀕したら助けてくれでは筋が通らないだろ。その末に、勝手な判断で、勝手な行動を起こして、人間の制御下から外れた。それを暴走と言うんだ」
セドリックは、返答につまった。
「あの。だから、今さら何なんです? その事件を体のいい口実にして、旧家のありようを見直すきっかけにしたんじゃないですか。家令を深窓から追い出したせいで、彼らはもう、自分たちの深窓がどこに在るのかすら分からなくされているんですよ」
「そういう事を言いたいんじゃない」
「じゃあ、どういう事なんですか? 今日だってそうですよ。礼拝室の一枚だけでローレンスさんはよくやってくれていると思いますけど」
ジルベルタ・モアの思いがけない指摘と援護に、アビゲイル・モアの視線がクローディアとセドリックの二者を射貫く。
「なら、はっきり言おう。私は旧家を、屋敷私僕を欲しがる奴らの気が知れない」
その場にいた全員が絶句した。
「屋敷私僕がやたらと面倒事を起こすのは、奴らの主人がそうさせているからだ。結果を作った原因だというのに、当人たちはそれを自覚しないし、自覚していたとしても責任を取らない。取るのはいつも屋敷私僕の方だ」
アビゲイル・モアは、いっさいの手加減なく言い切ってみせた。
それがただの意見なら個人の考えで済んでいただろう。だが彼女は、眼前にいる二人が何のためにここにいるのか、知っていながら言っている。
「分かるだろ。家名の廃絶が繰り返されてきた理由が。あれは人を駄目にするものだ。そんなものの主人とやらに、大きすぎる権限と組織力が与えられているのが現状だ」
「じゃあ聞くが、屋敷私僕に責任を取らせるために、わざと原因を作っている奴らがいるとは思わないのか? 原因の原因を作った奴らは、責任を取らなくていいのか」
切り返したセドリックに、アビゲイル・モアが冷ややかに目を細める。
「…いま、お前には話していない」
「逃げんなよ。原因を作ったやつが責任を取るんだろ」
「あの、そういうのも止めませんか? だって、本当に主人の咎をかばって責任を取った屋敷私僕もいたわけで」
ジルベルタ・モアが割って入った。
「……だから何だ。それで帳消しにしろとでも?」
「いえ。でも、言い換えるなら、私僕たちが使える最大の取引材料でもあるわけで……なのに、こんな、ぐるぐるぐるぐる不毛じゃないですか」
「…………」
「要するに、永久公僕だけでいいんですよ。アビーおば様は。屋敷私僕はいらないのに永久公僕は欲しくて。でも、そんなことは不可能でしょう。そのジレンマというか折り合いの付け方を、クローディアさんに分かってもらいたいだけなんですよ」
あからさまに論点をずらそうとする彼女にセドリックは反感を覚えるが、それより先に反発する声があった。
「老君が望まれたのは“事実”だ。ならば、こちらも事実を語るべきだ」
「そうですね。嘘はよくないですもんね。でも、あけすけに言いすぎるのも良くないと思います」
なだめすかすように言う少女に、アビゲイル・モアもさすがに顔をしかめた。
しかし、ジルベルタ・モアは、素知らぬ顔でかわしている。
これ以上の議論は無駄に思えた。無理に続けたとしても、なんだかんだと横やりが入れられるだろう。彼女からは、人を丸め込むのに慣れたきらいを感じた。
「……技術屋びいきが」
「天職ですから」
吐かれた悪態も、ジルベルタ・モアはすぐさま言いくるめにかかる。
「少なくとも、このお二方は旧家を欲しがっているだけで、この国をどうこうする気はないのでしょう。だったら利害は一致しているはずです。わざわざ不和を招くことはないんじゃないですか?」
アビゲイル・モアは、クローディアを見た。それからセドリックを見て、背後の私僕まで一瞥すると、誰とも視線を合わせずに口にする。
「……今はな。この先は、どうなるかなど分からない」
彼女は立ち上がった。
「東棟の空き部屋にいる」
そう告げると、テーブルに置いた仮面を持って、さっさとこの『空き部屋』からは出て行ってしまう。
不測の事態に陥った時のため、緊急の避難や招集ができるよう、空き部屋は館内にいくつか設置されているため、そこへ引き上げるつもりらしい。
突然と切り上げられて、何とも気持ちの悪い終わり方だった。
ジルベルタ・モアは、それでも平然としながら手元の本に視線を落とす。
「では、改めまして。念のため、こちらで用意した連絡用の“手帳”ですが……あ。その前に、いったん間を置いた方がいいですかね。お二人は着替えもまだのようですし」
言いながら、部屋の中で大きな存在感を放っているキャビネットを見た。
「そういえば、急遽キャビネットの搬入がありましたよね。あれ職人さんに融通してもらったのわたしなんですよ。気に入っていただけました? というか、何に使うんです? あんなに大きなもの」
答える者は誰もいなかった。
代わりに、ほどよい時間もあいまって、ジルベルタ・モアの提案が採用される運びになった。




