04 リグナム王国
陸地のすべてを海で囲まれた小大陸と、五つの群島からなるリグナム王国は、古名をフォルム・シルヴァームといい、森に飲み込まれた廃墟の広場を発祥の地としていた。
最初の地からいくつもの家が築かれ、あまたもの街道が敷かれ、広大な森林地帯を擁していた小大陸は、森林面積の大部分を失って、おびただしい人工物と建造群の王国へと取って代わられてたが、国を冠する名に『木』は残った。
この国には、『魔導士』と『人工精霊』という他に類を見ない特徴がある。
人工精霊とは名の通り、精霊を人為的に作りだしたものを言い、王城や学問所、中央官庁舎といった公営施設、東西南北を走る基幹道路には『永久公僕』となる精霊憑きの建造物が必ず存在していた。
世界文明が未だに薪燃料と車輪である中で、比べるべくもない高等文明を誇ったが、これらを築き上げたのは、かつての廃墟に集った『魔法使い』たちである。
小大陸を横切る巨大な地脈エネルギーを動力源とした『地脈回路』を、国土の法理として大陸全土に張り巡らし、修復と書き換えの可能な『魔力回路』を用いて、様々な魔法現象をこの国にもたらした。
やがて魔法使いたちはこの世界を去ったが、魔法使いの血を引き、力を引き継いだ者たちがこの国には残った。彼らが後に魔導士と呼ばれるようになる。
魔導士は現在、『導体』をそのものを作り出す者たちを指している。
リグナム王国に生まれる人間は、ほぼ間違いなく導体を体内に有しているが、体内の許容量にはかなりの差異があり、その中で一定の水準を満たした者には、魔導士となれる素質があった。
魔導士は、魔力回路をとおして魔法現象を引き起こせるが、魔力回路そのものを修復したり、書き換えたりするには大量の魔力が必要になるためである。
リグナム王国の社会基盤を維持するために、魔導士の存在は必要不可欠だった。
魔導士の職務は、新たな人工精霊の創造や、高効率の導体構成図の研究、解体された建材の再構築であるが、ほかに、公共の主要施設、特に人工精霊の組み込まれた魔力回路の点検と修復にもあたっている。歴史ある旧家などもその内のひとつである。
総勢二百名あまりの魔導士には、十人委員会と呼ばれる特別編成枠があった。
国王代々の相談役、老君プリンケプスの推挙によって選ばれるその十名は、ひと昔前までは国の統治機関にも関与していたが、現在は政から離れ、もっぱら老君の話し相手として選ばれるため、十人委員会よりも『老君の話し相手』と呼ばれることも少なくなかった。
すでに名誉職の面が強く、委員のほかに本職を持つ者がほとんどで、王立学院を統轄する正導学会の幹部を務めていることも多い。
しかし二年前、十人委員会の任命に風変わりな選出が行われた。平均年齢が四十歳を超える十人委員会の中で、若干十八歳の青年が選ばれたのである。
*****
セドリック・ヘインズは、王立学院の構内にある廊下を歩いていた。
神聖な学問の庭を魔導士の正装であるローブを着て、悠々と闊歩していく。
ローブのフードを目深に被るのは改まった場での作法であるため、彼の黒髪と青い瞳はフードに邪魔されることなく雑然とした外気に晒されていた。
それを眺めるようにして、遠巻きにする魔導士見習いや学者たちの合間を抜けながら、セドリックは四つ角にさしかかる。
「ロナルド、応接間ってどっちだった?」
「ローレンスです。右ですね。右に曲がって真っ直ぐに進み、左手の扉です」
返ってきた声はローブのフードから。フードの中には、一匹のフェレットがくるまるように潜んでおり、セドリックの呟きに顔を出して応えた。
セドリックは、構内にある『魔法及び臨界現象研究室』から呼び出されていた。
臨界現象は、この国の安全保障に関わる重大な案件である。
古くから魔導士たちから探求されてきた分野でもあり、セドリックが本職として籍を置いている研究機関でもある。
しかし、彼は現在、失われた技術である人工精霊に疑似人格を付与する『精製素子』を再現できないか、老君プリンケプスから直々の命を受けて独自研究の任に就いているため、本職からはすっかり距離を置いていた。
それが最近、職場からしつこく繰り返される再三の呼び出しがあり、いい加減に煩わしくなったため、ようやく研究室の応接間へと足を運んでいた。
ノックも無しに扉を開けて入室する男を、テレサ・ランヘルは憮然として迎え入れた。
魔法及び臨界現象研究室の研究員である彼女は、無礼極まりない男、セドリック・ヘインズの同期であり、学生時代の同窓でもあるのだが、無礼極まりない男は、テレサと顔を合わせるなりこう言った。
「しつこい」
「開口一番それなの。通達を四ヶ月もスルーしといて、この礼儀知らずが」
「そっちこそ礼儀を学び直して来い。お前には返しきれない恩を売った覚えはあるが、呼び出しを受けるような貸しを作った覚えはない」
「残念でした。私は今回無関係よ。呼び出し状に書いてあったでしょ」
「読んでないから、知るわけない」
いけしゃあしゃあと言ってのける男に、テレサは頬が引きつるのを必死に抑える。
読んでいないはずがない。少なくとも、フードの中にいる男の『しもべ』は、確実に内容を把握しているはずである。
テレサとて、好きでこの場にいるのではなかった。頭良し、器量良しの才女と評判高いテレサが、今回の貧乏くじを引かされたのには訳がある。
セドリック・ヘインズと同期だったせいもあるが、何より嫌なのは、この男と恋仲だという事実無根のデマが、今も根強くはびこっているせいなのだ。
長く相手をしてもストレスを溜め込むだけだと、テレサはさっさと本題へ移る。
「今回は、これよ」
言って、あらかじめ机に置いておいた、古ぼけた小箱をセドリックの前に差し出す。
「…何これ」
「ここにあるんだから、魔具に決まってるでしょ」
「魔法道具だろ。そういうアホっぽい略称って、聞いてて不快になる」
「アンタのスキキライなんて聞いてないの。コレに見覚えはない?」
「無い」
一切の迷いがない即答に、さらなる苛立ちを覚えながらテレサは続けた。
「そう。でもね、アンタは九年前にもそう答えているのよね」
「……は?」
「これが拾われたのは十年前、学院の寮棟でアンタが昔使っていた寮室なの。ベッドの下に落ちていたらしいわ。もちろん掃除婦がすぐに見付けて、アンタに確認を取ったそうよ。でも、アンタは今日のように見覚えがないと言ったのよ」
「…………」
「それで、この箱は遺失物扱いで保管庫の預かりになってたの。それがこの間、整理の手が入って、こうして再びお目見えしたわけよ。コレのいやらしいところは、一見だだの記憶媒体を装っているところね。危うく処分しかけたらしいわ。でも、レコードにしては回路の仕組みが複雑すぎるって、詳しく調べられることになったの。そうしたらセドリック・ヘインズ、アンタの導体反応と合致したのよ。で、コレに見覚えは?」
セドリックは、ようやく小箱に興味を示したようだった。
おもむろにデスク上の小箱を手に取ると、裏返して底を見たり、側面に彫られた葉と蔓の彫刻をなぞったりしはじめる。
「回路を読み取って、魔具の判別もしようとしたんだけど、複雑に畳み込まれていて難しいそうよ。でも、導体の経年劣化具合から、十年近く前に作成されたと推測されるって。十年近くならアンタの学生時代と合致するわよね?」
どうだ参ったか、と言いたげにテレサは鼻高々にしたが、テレサの質問などセドリックの耳にはまるで届いていないようだった。
小箱を両手で包み、指先の血管から繋がるようにして魔力回路を開く。小箱には、うっすらと幾何学模様が浮かび上がった。
魔力回路は開いたまま魔力を通されると、存在を主張するように回路の導体が燐光して脈動するため、その性質を利用して回路の点検や異常を確認するのである。
テレサは、人の話を聞けと揺さぶってやりたかったが、一研究員として興味のそそられる対象を前にした時の気持ちが分からないわけではない。
けっして邪魔した後の反撃が怖いからではないが、眼前の男の気が済むまで、その様子を眺めながら待つことにした。
今年で同じ二十歳になるはずの男は、黙ってさえいれば文句なしの色男である。
夜の帳のような黒髪と、伏せた目蓋から見える青い瞳。
だがそれは、暗闇に浮かびあがった青い光のようで、気味が悪い。
その顔と才能で昔から人目を引いてきたが、はっきり言ってテレサは願い下げだった。
知り合った当初からふざけた奴だったが、老君に気に入られて以来、それに輪をかけてふざけた振る舞い方をしている。
ついこの間もそうだった。ちょうど前の週、騎士団との定期的な合同演習が行われた。平たく言えば、正規軍の騎士団と、魔導士が実体化させた人工精霊との模擬戦である。
しかし、その日は異国からの客人が招かれていた。
定期的な演習に他国からの賓客を招いて歓待する事は良くあるのだが、今回招待された客人は、ここ数年、近海で勢力を増しているという出資貿易の商人で、普段の演習風景を知らないテレサでも、当日の歓待演習は異様な光景に見えた。
円形競技場の物見席には招待客の姿だけでなく、血縁貴族や地縁貴族といった二縁貴族たちも押し寄せ、完全な見世物状態にされていた。
本来なら一対一で戦い、刃の潰された剣で相手を打ち負かせば勝ち、魔導士の場合は人工精霊を実体化できなくなったら敗北とされる対戦は、大幅に変更されていた。
二十人の正騎士に対して、一人の魔導士という多勢に無勢だったり、魔導士対魔導士、つまり人工精霊同士を対戦させたりと、派手な演出が多分に加味されていた。
そして、使用される全ての人工精霊を提供したのはセドリック・ヘインズだった。
彼もまた魔導士ではあるが、非戦闘の研究員に過ぎず、さらに言えば、十人委員会の
一人であるため、このような場に顔を出すいわれはない。
精製素子の再現に必要な人工精霊のサンプリングだという、それらしい体裁は整えられているものの、ここ何度かの歓待演習のほとんどには、セドリックの演出が入っているらしく、どうやらそれは二縁貴族たちの強い要望のようだった。
それも無理やり参加させられているのではなく、そもそもは、セドリック自身によってはじめられた事だとか。
型どおり、お行儀良く打ち合って何が面白いのかと、セドリックが懇意にしている貴族をけしかけて、歓待演習だけでも『面白おかしく』させてしまったそうだ。
二十人の正騎士にあてがう人工精霊は人型ばかりではなく、大狼や獅子、はてはドラゴンにまで変貌し、英雄伝記の再現で客を大いに沸かせ、特に人工精霊対人工精霊の戦いは、圧巻だった。天を駆けるチャリオットに対するは、北方の神話に記される戦乙女。
もちろんそこには、古代の剣闘士を彷彿とさせるような血生臭さはなく、ただただ魅せるためだけの剣技や剣舞の応酬に、客席からは溜め息ばかりが漏れていた。
実に貴族好みに凝らされた趣向は、回を重ねるごとに愛好者を増やしているそうで、本格的に見せ物として庶民たちにも開放してはいかがかと、御用商人たちから要請が来ているらしい。興行金に目のくらんだ二縁貴族も相当乗り気で、水面下では着々と計画が進められているとか何とか、根拠のない噂まで出回っている。
ただ、粛々と厳かに行うべき演習を、軽薄な見世物に貶められからには、騎士団から不満の声が上がりそうなものだが、騎士団が所属する正規軍の直属の上司は血縁貴族であるため、聞いた話では封殺されているらしかった。
一方で、魔導士たちからは当然、不満の声があがっている。
魔導士には、権力や金力に近づき過ぎることを良しとしない教えがあり、そこから著しく外れようとしているセドリック・ヘインズの有り様は、どうあっても受け入れがたいのだ。
もちろんテレサも同意見だった。
何より、出自も確かな家系の魔導士が、貴族におもねって何の得があるのかさっぱり分からないというのに、最近はもっと不穏なはかりごとも聞こえてきていて、正直な話、あまり関わり合いたくないのが、テレサの本音だった。
やがて、魔力回路の読み取りを終えたらしいセドリックが、今度は小箱の留め金をいじり始める。
それを認めたテレサは、聞こえてないと分かっていても忠告を口にしていた。
「ソレ、鍵穴もないのよね。どうやっても開かな」
カチャリ
「え」
「開いたけど?」
「え? あっ、ちょ、ちょっ待っ」
制止を待たず、セドリックは箱を開けた。
ある意味想定通りと言うべきか、中身は空だった。
ただ、開いた蓋の裏には鏡が貼り付けられていた。
セドリックは鏡面を覗いたが、そこに彼の姿は映らない。
映ったのは、見知らぬ少年と少女の姿。
そこでセドリックの意識は途絶えた。
はっ、と息をのみ、体を震わせる。
セドリックの意識が浮上した時、傍らにはテレサの他に、もう一人男がいた。
見かけは二十代後半で、外出着であるフロックコートを着こなす人好きしそうな男。
セドリックの忠実なる『しもべ』である、人工精霊ローレンス。
主人であるセドリックが突然と人事不省に陥ったため、応急処置や運搬にも対応できるよう獣型から人型に移行したのだろう。
雪原のような銀髪に、涼しげな瞳は瞳孔を持たず、ひたすら黒い。
飽きるほど見慣れた姿のローレンスは、気遣わしげにセドリックを見下ろしていた。
「ご気分は?」
「あー、たぶん平気」
いつのまにか横になっていたソファから身を起こし、セドリックは頭をさする。
「ホントやめてよっ。アンタに何かあったらアタシの首が飛ぶかもしれないじゃない」
「箱は?」
テレサの癇癪など気にも留めず、手から無くなっていた箱を探した。
ここに、と小箱を持ったローレンスの手が持ち上がる。小箱の蓋は再び閉じられていた。それをもう一度手にすると、セドリックはソファから立ち上がる。
小箱を注視したまま歩き出し、部屋の扉へと向かった。
「コレ貰っていくから」
確認ではなく、決定を知らせる言葉だった。
「え。アンタ倒れたのよ、危ないじゃない。こっちで調べた方が」
「へえ? フタひとつ開けられないクセに?」
あからさまな嘲笑を含ませて、テレサを振り返る。
こういう時だけきちんと人の顔を見るセドリックに、彼女は憤慨した。
「あっそ! こっちは知らないからねっ。上にはアンタが勝手に持ち去ったって報告するからねっ!」
ひらひらと、背後に向かって手を振り、ローレンスが開けて待っていた扉を通って部屋をあとにした。
前を向いて歩かないため、ローレンスに補助されながらセドリックは小箱の謎をどうやって解き明かすかを考える。
変な邪魔が入らないよう調べるためには、秘匿的なスペースが必要だろう。
ならば場所はひとつしかない。
セドリックは、およそ一ヶ月ぶりに自分の私邸へ帰ることにした。