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41 女主人と侍女


 女使用人部屋の廊下は、白いレースの人工精霊であふれかえった。


 男主人による逆襲に、ローナ自身もレースの津波に飲まれながらも、中庭のオーウェンに意識をやっていた。


 家女中(ハウスメイド)たちの奮闘あって、すでに魔導士のローブはこちらの手中に渡っている。

 男主人がどう出るか、オーウェンの動きと共に注視していれば、レースの海から声がした。


 「……ローブを奪われました」

 「――…そうか。なら、お前は次に移れ」


 オーウェンの声とそれに応える男主人の声。しかし、オーウェンの姿はまだ中庭にあった。男主人の指輪から声だけ発したのだろう。


 中庭のオーウェンがトナカイに形を変えると、レースの海からは金属の摩擦音――おそらく懐中時計の蓋が開く音がする。


 ローナは、家女中たちにオーウェンと距離を取りつつ再度包囲するよう命じて、自身はレースの中に深く沈み込んだ男主人の動向を警戒する。


 一方で、廊下を立ち去った女主人が、ローナが念のため指定してあった、後邸二階北棟のリネン室に入室するのを確認した。


 女主人の安全を確保した以上、もう、この場にとどまる意味はない。


 男主人の術中からいち早く抜け出すべく、実体化を解いてレースの海から姿を消すが、三か所に向けた意識の一つは、使用人部屋の廊下に残したままだった。


 安全を確保したとはいえ、リネン室はここからかなり近い場所にある。

 懐中時計で時間を確かめたからには、おそらく時限式で何かを仕掛けるつもりだろう。彼の目的がはっきりするまで注意をとどめていた。


 中庭で、トナカイがローブを持つマーガレットではなく、真逆の方向にいたアリッサへ駆け出すのを見つめながら、ひらひらゆらゆらと、たゆたうレースの波を同時に視認する。


 男主人が潜るレースの中は、一寸先すら見えないほど制限された視界。


 そんな足元もおぼつかない状況で、彼がどのような手を打つのか、様子を見守ってわずか数秒。ローナは、自分の中から湧き上がる焦燥感を自覚した。


 屋敷のごく一部とはいえ、旧家の屋敷私僕、それも女中頭(ハウスキーパー)の視野が遮断されていた。いや、同じ人工精霊だからこそ、管理下にない人工精霊を透過しては見られないのだ。


 ローナは今、男主人の所在を見失っているのである。


 ただ見えないだけなら、旧リッテンバーグ邸全域に発された立ち入り制限と変りはない。そう思い込もうとしても、本能が理性をゆさぶってくる。


 分からないのだ。我が家の男主人が、自分たちの庇護が及ぶ状態なのか否なのか。

 その恐怖は、じわじわとローナを蝕んだ。


 リネン室では、幼い姿の女主人が一人でローナの帰りを待っている。

 中庭では、トナカイを包囲している、家女中たちの動きが明らかに鈍っている。


 どうやら、男主人の消失が、彼女たちにも影響を及ぼしているようだった。


 ローナは、廊下にもう一度実体を現わした。男主人の姿が見えなくて理性がゆらぐのならば、見えるようにすればよかった。


 廊下のレースを女型だった時と同様に振り払って散らそうとしたが、思いとどまる。廊下全体に行きわたったこれだけの(レース)が、男主人をそのまま襲いかねない。


 ならば、レースの中をゆっくりと手探りで男主人を見つけるべきだが、彼は懐中時計で時間を確かめていた。こちらから術中に嵌りに行くリスクを考える。


 リネン室で、女主人がしゃがみ込むのが見えた。

 ローナの胸が痛むが、主人の心か命かならば、主人の安否が優先された。


 中庭で、壁際に追い詰められたオーウェンが、トナカイからネズミに転じた。

 ネズミになって、置き鉢の合間をまぎれるようにして走るが、何故そこまで不利でしかない実体を保とうとしているのか、ローナの意識に引っかかる。


 人工精霊が実体化を保つのは、何かを守るときか、何かを運んでいるとき――――ローナは家女中たちに叫んでいた。


 『今すぐ捕らえなさいっ』


 けれど、報知は間に合わず、ネズミは己が出てきた通気口へと逃げおおせてしまった。


 「マスターキー、奪還いたしました」

 「…よくやった」


 レースの海から聞こえてくる、二つの声。

 失態を犯したことを、改めて知らしめられる。


 結局、レースの海に潜ったまま一歩も動かなかった主をローナは見据え、声の距離と方向から男主人の立ち位置を導き出すと、もう躊躇なくレースの中へと踏み入った。


 十歩もいかぬうちに男主人と出くわせば、彼はローナに笑いかけながら、レースの海を廊下から消し去った。


 「早かったな」

 「……ローブの中に、鍵は入っていなかったのですね」


 「内ポケットに入れるふりをして、オーウェンの手の中に入れさせた」


 「そして、そこから注意を逸らすため、家女中たちに魔導士のローブを使い、私にはレースドールを用いて視野を狭めたのですね」


 「オーウェンにしたことを、まんま返しただけだけどな」

 「…こればかりは、どうにもままなりませんね」


 言いながら、ローナは、女主人が放り投げ、床に落ちたまま放置されていた小箱を拾いあげた。それを、男主人へと差し出す。


 彼は、疑いのまなざしで小箱を見つめ、じっくり逡巡していたが、意を決したように受け取った。


 代わりに、レースドールを渡すよう、ローナが手のひらを差し向ければ、こちらは頓着なく手渡してくれた。


 「……でも、私どもの動揺を誘うなら、もっと確実で簡単な方法があったはず」


 受け取ったレースドールを大切に抱きながら、無機質な声で述べる。


 「オーウェンに聞けばよいのですから。……前代の持ち物を」

 「…………」


 「お優しい、セドリック様」


 男主人は何も応えない。

 沈黙を答えとして受け取って、ローナは手を使わずに使用人部屋の扉を開けた。


 真新しい四段チェスト、揃いのビューローとベッドが二つずつ設けられた部屋に入り、レースドールをチェストの天板に置く。


 それから、ローナの行方を追って背後にいた男主人に、折り目正しく振り向いた。


 「――ですが、クローディア様の九年は、必ず受け取っていただきます」


 何を、と言いかけた主人の言葉を不躾に断ち切って、ローナは御前を辞した。



 ローナのいなくなった廊下で、セドリックは渡された小箱を見つめる。


 開けるかどうかを迷っていたが、体からできるだけ引き離す、気休めのような対策を立ててから小箱を開けた。


 何も起こらないことを確かめると、箱の中身をようやく覗き込む。

 中身を見て、彼は表情を変えた。


 中に入っていたのは、二本目のマスターキーだった。







 ローナがリネン室に姿を現すと、女主人は幼い姿のままで、うずくまるように座り込んでいた。


 どう声をかけるべきか、少し迷ってからローナは小さな背中に声をかける。


 「……奥様。小箱は、きちんと手渡しておきました」


 エプロンドレス姿の少女は、少しだけ顔を上げたが、振り向くことなくまたうつむいた。


 「――…ごめんなさい」


 幼い体に見合った幼い声。ローナは、本能を引っかかれる思いだった。


 「…何をおっしゃいます。まだまだ小手調べでございますよ」


 励ましの言葉を送れど、女主人はローナを見ない。


 「最初に説明しましたね。セドリック様は、必ず強い言葉を使ってクローディア様の口を封じてこようとしてきます。ですからクローディア様は、どんな強弁にも臆さずに、ご自身の思うことを言わなければなりません。あの方に、聞きたいことがあるのなら、言いたいことがあるのなら」


 「…………」


 そうしろと言われてできるのならば、とうにやってのけているだろう。


 ローナは、幼い女主人の背にゆっくりと近づいた。


 「責めているのではありません。セドリック様の口撃を鈍らせる手段なら、ローナが何度でも考えます。でも、クローディア様自身が言葉を発せられなければ、どんな方策も意味をなさなくなってしまう。だから聞かせてほしいのです。セドリック様と対峙されたとき、クローディア様は何を思われたのか」


 彼女の傍らに腰を下ろして、顔の高さを合わせるように寄り添う。

 女主人は、ローナの気配を感じて、下を向いたままの視線をさまよわせた。


 やがて、ささやきに近い声をもらす。


 「…………こえ。声、が…止まって……」

 「…はい」


 「――わたし、言葉が変で……きっと、うまくできなくて…………」

 「……奥様」


 「うまくなくても、いいのは…言うのが大事で…」

 「…はい」


 「でも、言ってるいみ、わからないかも。むかしは…それでも、あの人は、昔と……」

 「同じ人ですよ」


 あえて断言する言い方をした。

 勇気づける意図もあったが、けっして根拠のない出まかせではない。


 「気づかれませんでしたか? セドリック様は、今のお姿を――エプロンドレスを着た小さな女の子を見て、クローディア様だと疑いもしなかったのですよ」


 彼女の横顔がはっとしたように上を向いた。


 「……気づかなかった」


 そう言うと、彼女はまた考えごとをするように押し黙った。

 今度は、しっかりと一点に集中して。


 ローナは、女主人の熟考を待つ。


 どれだけ策を弄したところで、どのみち最後は、女主人と男主人は互いに向かい合って、言葉を交わさざるを得ない。


 だが、その時に、女主人が自分の意思を口にできなければ元も子もないだろう。


 二人の間に横たわる九年の溝は、おそらく一朝一夕で埋まるほど浅くない。


 とりわけ、二年前と数か月前に小書斎で行われた“話し合い”である。

 二度にわたるあの話し合いは、ローレンスだけの失態ではない。


 女主人の内実を誰よりも理解しなければならない侍女でありながら、ろくな助言もなく丸投げしたローナも同罪であり、何ら手だての打たれなかった二人の話し合いは、痛々しいほどかみ合っていなかった。


 彼女に与えてしまった失敗という記憶が、いらぬプレッシャーをかけ、さらに男主人の強弁がそれを強めるという悪循環に陥っている。


 それを断ち切るためには――


 ふと、女主人がこちらを振り向いた。意図のある視線に、ローナは応える。


 「なんでしょう」


 きっとごちゃごちゃになっていただろう頭の中も、少しは落ち着いたのか、次に口にする言葉は、かなり整って聞こえた。


 「……昔は…セドリックは昔も、隠したいことがあると、悪い言葉を使ったりしてて…人を遠ざけるために」


 「それはそれは……とてもセドリック様らしいですね」

 「…………」


 そう思うかと、確認するように見つめてくる。


 「ええ。思います。強い言葉を使えば使うほど、それだけ隠したいことがある裏返しだというのは事実です。だからこそ、クローディア様の口を封じたいのです」


 「…………うん」


 「私の言葉足らずでしたね。クローディア様の方が、よほどセドリック様をわかっていらっしゃいました」


 しかし、彼女は、あいまいに視線を揺らす。


 「……では、そろそろ参りましょうか。次の場所に」


 そう声をかければ、彼女は素直に応じて立ち上がってくれた。

 それが意味するところに、ローナはひそかに安堵する。


 「…あの、でも、本当にいいの? マスターキーを渡してしまったし」


 「はい。セドリック様は、たとえあの鍵で正面玄関の扉を開けたとしても、かならず自らの意思で家の中に戻ってきます」


 とはいえ、こればっかりは、いくら口で言っても証明しようがないだろう。

 実際にその目で見てもらうしか。


 「……そして、それはどうしてなのか。どうか、しっかりと考えてみてください」






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