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40 同時進行


 ローズたちは、元従僕の信じがたい行動にぽかんと口を開けてしまった。


 彼が魔導士のローブを留め具までしっかりと着衣し、それから走り出しても、ローズはすぐには動けず、五体の輪から取り逃がしてしまう。


 オーウェンは、自らが出てきた通気口を目指すが、ローブを着たままでいるためだろう、実体化を解くことも屋敷を飛び越えることもせず、わざわざ足を使って駆けている。


 それでも人間の比ではない速度だが、ローズは彼と違い、実体を維持する必要がない。一足でオーウェンの進路を阻み、止まれとばかりに手を前に出した。


 「落ち着ついて。落ち着くの。あなたはいま自己矛盾に混乱しているの。だから、そんな畏れ多いことを……いい、よく聞いて。あなたは旦那様ではないのよ」


 心から憐れみをかけているというのに、元従僕からは冷ややかな視線が返ってくる。

 束の間、突き出していた手を取られて、振り回すように花壇へ投げ捨てられた。


 ローズからやや遅れて、アリッサとダリアが元従僕の前に回り込む。


 「大丈夫。誰も怒らないから。ほら、こっちにおいで。怖くない」


 ローズは優しく声をかけ、迎え入れるように手を伸ばし、


 「オーウェン頑張って。自分に負けないで」


 ダリアはとにかく、乱心した元従僕を励ます。


 しかし、オーウェンは二体の説得をあっさりかわして、大きく後退した。


 マーガレットがすかさず対処に出るが、魔導士のローブを着ている元従僕に対して、文字どおり手を出すことができず、それを横目に元従僕は、マーガレットをほぼ無視して横手にそれる。


 リリーがさらに道を塞ぐが、結局は同じことの繰り返しで、魔導士の――男主人の大切なローブにこれ以上の虐待を加えることができず、生け垣に沈められた。


 投げ飛ばされも、蹴り上げられも、速度の差で幾度となく立ち塞がりはするが、決め手となる一手を打てず、そのうえ、それぞれがそれぞれの判断で行動するため、統率もまるで取れていない。


 ことごとく返り討ちに合う交戦が続き、攻めるオーウェンに防戦一方の家女中たちは、徐々に通気口まで押されつつあった。


 『――報知』


 鋭利な声が、上から降った。


 『着ているローブに手が出せないのならば、取り除けばいいだけのこと』


 女中頭(ローナ)だった。

 回路を通して、静かだが鋭い叱責が、家女中たちの思考を締め付ける。


 『間もなく旦那様がこちらに到着されます。貴女たちは、引き続きオーウェンを妨害し、素早く、慎重に、かつ心を込めて、彼の脱衣を手伝っておやりなさい』


 女中頭の一声で、五体の思考は統一された。


 通気口に一番近い位置にいたマーガレットは、無暗にオーウェンを追うことをやめ、通気口の手前を陣取り、防守を買って出ることを無言で皆に伝える。


 残りの家女中四体は、元従僕を等間隔で包囲し、その周囲を円状に歩きはじめた。道々出くわす置き鉢や花壇は、都度、実体化を解いて適格に避けていく。


 中庭でまみえる屋敷私僕たちは、まるで遊戯やダンスにでも興じるように円を描くが、一言も発さずに踊る遊戯は、いささか異様な光景にうつるだろう。


 オーウェンには、ローナや家女中たちのやり取りは聞こえていない。

 だが、ばらばらだった妨害者たちが、統制された行動をあからさまに取った様子から、状況に変化があったことは察しているだろう。


 警戒心を垣間見せる元従僕に、輪を作る四体は挑発的な周回を続ける。


 家女中たちには、あらゆる人間の衣服を脱がせてきた経験、たとえば、寝ぼける主人や、暴れる幼子を正装させてきた技術を連綿と受け継いできた自負があった。


 同様の知識と技術ならオーウェンも有しているが、それは人間を対象にしたものであり、相手が人間ではないのなら、人体を損壊しないよう配慮する必要もない。


 規則的な歩調を保っていたアリッサが、チューリップの花壇を避けるため、実体化を解いた瞬間、オーウェンが躍り出て包囲の突破をはかった。


 見越していた動きに、ローズが地面から生える蔓性植物テイカカズラに化け、彼の左足に絡みつく。


 オーウェンは勢いのまま転倒し手をつくが、ほぼ同時に捕まれた左足を消して拘束から逃れたようとしたが、続けざま、地面についた両手をさらにテイカカズラに捕まれる。


 ローブを着ている上半身を消すわけにはいかないのだろう。オーウェンは体を浮かせ、持てる力の限りに自身を上空に引っ張って、地に根を張ったローズを引きずり出そうとする。


 させまいと、逆さになった男の前に現れたのはリリーだった。


 場違いな微笑みを浮かべた彼女に、オーウェンは即座に残された右足を繰り出すが、イヌワシに姿を変えたアリッサが右足の動きを止める。矢継ぎ早、再生させた左足を振るうが、今度はオオタカに転じたダリアが捕えた。


 ついに四肢を奪った三体に、元従僕が気を取られている間、人型のままのリリーは、よりいっそう笑みを深める。


 そして、ローブの留め具を素早く、丁寧に、かつ心を込めて外してあげた。


 寸分たがわぬタイミングで、テイカカズラが腕の拘束を解き、大鳥二体が体をさらう。

 オーウェンは、上空に放り出された。


 彼自身は重力などものともしないが、着ているローブは重力には逆らえない。


 空中でほぼ脱げてしまったローブを、オーウェンは身をひるがえし掴み直そうとするが、一緒に上昇していたリリーが、無防備な彼の胴体に全速力で両足を飛び込ませ、自分ごと生け垣へと沈めた。


 二体の風圧にあおられたローブは宙を舞う。


 寄る辺なく落ちていく魔導士のローブを、ずっと通気口を守っていたマーガレットが迎えにいき、うやうやしく受け止めれば、家女中たちの歓声があがった。


 マーガレットのもとに集まって互いの健闘を称え合うが、往生際悪く元従僕がリリーを押しのけて立ち上がろうとするので、家女中たちも次なる臨戦態勢を整える。


 その時、後邸二階西棟、女性使用人部屋前の廊下が、むせかえるようなレースの海に包まれた。


 家女中たち全員が家内で起きた異常事態を感知し、間を置かず、五体たちは恐怖の渦中に突き落とされる。







 同時進行の裏、数分前。


 前邸二階東棟にある小書斎の窓から、セドリックは中庭での一部始終を見下ろしていた。


 煌々とした邸内の光で必要以上にライトアップされた中庭に、六つの人影が集っている。

 何を言い合っているのかは聞こえないが、男主人のローブを前にした家女中たちの食いつきからして、どうやら思惑通りに事は運んだらしい。


 「…………」


 身振り手振りを交え出した彼女たちが、何を言っているのかはやはり聞こえない。


 聞こえないが、何を言っているかは分かる気がして、セドリックは妙な祭り上げをされていく自分のローブに複雑な思いを抱いた。


 しかし、彼女たちの本能をあおるのは、やはり有効であるらしい。


 オーウェンが右手持っていた魔導士のローブを、これ見よがしに広げて背後へ回すと、自らの腕に袖を通す。


 ローブの着衣を確認し、セドリックは持っていた懐中時計――少々値は張るが、一般的に流通している ゼンマイ式の懐中時計で時間を確認した。


 こちらの準備は済んでいる。中庭を覗いていた窓から離れ、小書斎の扉から廊下へと出た。


 前邸東棟の廊下を歩きながら、即成してまだ使い慣れていない魔法道具の具合を確かめ、何度か回路の調整をしていく。


 子供部屋(ナーサリー)のある中邸二階を通り抜けて、家内の裏方である後邸二階南棟の廊下へ出ると、セドリックはもう一度懐中時計で盤面を確認した。


 カードに指示されたどおりの場所、後邸二階西棟はすぐそこである。


 南棟の廊下の角を曲がれば、磨きが不揃いの鏡板と、白く塗装された化粧板の二つが板張りされた廊下に出た。


 室内灯で照らされたそこは、等間隔に部屋の扉があり、かなり後年になって旧家に置かれるようになった人間用の使用人部屋だった。


 装いからして質素な造りではあるが、ここも屋敷私僕の一部であることに違いはなく、あたかも眺めの添景であるかのように、ローナが一体、静謐なたたずまいで待っていた。


 セドリックは、ローナからできるだけ距離を取って立ち止まる。


 「ご注文どおり来てやったぞ。クローディアはどこにいる」

 「ご足労いただきまして。何のもてなしもできませんが」


 一礼するローナを警戒しながら、狭い廊下の端々に視線を走らせるが、クローディアの気配はみられない。


 「御託はいい。用件を言え」

 「では、お言葉に甘えて。話し合いをいたしましょう」


 さすがに耳を疑った。

 呼び出しからして人を食っていたが、輪をかけて茶化まで供してくれるらしい。


 「……さっきは断っておいて、それを言うのか」

 「状況は刻々と変わっていくものです。あの時はただ、こちらの準備が整っていなかっただけのこと」


 「だったらクローディア本人を出せ。侍女の代理なんて認めない」

 「もちろんです。やはり、奥様と旦那様が面と向かって言葉を交わすことが肝要です」


 「…………」


 ローナの考えが読めなかった。

 彼女の申し入れを受けるべきか、それともこちらの策を優先すべきか、すぐには答えが出せない。


 「ですので、お手持ちの(それ)はこちらで預かります。話し合いの席には不要でしょう」

 「……これか?」


 セドリックは、道々で調整して魔法道具にした置物を持ち上げて見せた。


 華やかなドレスの女性を模した、貴族の屋敷でもよく見かける品物である。造形の美しさと製造の儚さから人気を博したらしいが、流行はやや去りつつあるだろう。


 「もちろんご存じでしょうが、そちらは磁器焼きのレースドールです。東領の窯で焼かれた年代物の磁器置人形になります。見ての通り、繊細な造りをしておりますので扱いには」


 「違うだろ。お前が言いたいのは、どうしてそんなものをこの場に待ちこんだのか。もしくは、この磁器人形で、何をするつもりなのか、動機を言えだろ」


 「――…中庭のオーウェンと、同じことをなさいますか」

 「そもそも、あっちの発案も俺だしな」


 早い話が、人質その二である。


 生まれたときから屋敷私僕と生活しているのだ。彼女たちが、家の中で何かが割れたり、裂かれたり、とにかく壊れた音がするのをひどく厭うことは知っている。

 主人の財産を損壊したのであれば、私僕でなくともそら恐ろしいだろうが。


 「そのような飾り物、さしたる害にはなりません。もとより、家内秩序を乱すと決めた時から、ある程度の被害は覚悟しております。主命となればなおのこと」


 「そうか」


 言うなり、人形を壁に投げつける。

 弾かれるようにローナの視線が後を追った。


 しかし、残骸を散らせるどころか、割れる音すらしておらず、磁器人形はセドリックの手の中で完璧な形をとどめていた。


 ローナが抗議めいた視線を男主人に向ける。


 「お戯れもほどほどに。怪我をなされます」


 「戯れね。でも、何かしらの抵抗は想定の内だろ。あんなにわかりやすく中庭に撒き餌を放り込んでいったんだから、とぼけるなよ」


 「はて。摩訶不思議なことを仰います」


 さも他意などないと言いたげに、小首をかしげる。


 「もう少し嘘らしくしろよ。だったら、何故ここにクローディアがいない?」


 「それこそ心外というもの。奥様なら、先ほどから、ずっとここにいらっしゃいますでしょう」


 ローナが返す言葉に虚を突かれ、セドリックの反応は遅れた。


 示し合わせたか、ローナの腰元から小さな影がひょっこりと顔を出してくる。

 十歳ほどの少女だった。亜麻色の髪とヘーゼル色の瞳、エプロンドレスを着た。


 「――っ」


 完全に裏をかかれた。


 『少女』は、全身を隠す侍女のスカートから幼い外見を現すと、両手に何かを持ってローナの隣にちょこりと並ぶ。


 セドリックの脳裏に生々しく残る『少女』の姿と、否応なく重なった。

 頭も心もゆさぶるあの原記憶が、次々と点滅する光のように駆け巡る。


 ローナに促された『少女』は、セドリックに向かって歩みを始めた。


 一歩一歩近づくたびに動揺は増してゆき、理性は感情に飲まれて、頭の中が真っ白になる。


 話し合い、という言葉をかろうじて思い出すが、しかし、セドリックの内心は激しく乱れ、受け答えなどまともに行える状態ではない。


 面と向かい合う立ち位置で、『少女』は足を止めた。


 「…………」


 狼狽して何も言い出せないセドリックを、『少女』は陶然と見つめる。

 形よく並んだあのヘーゼル色の瞳。


 過去と現在の色に縛り付けられながら、なすすべなく第一声を待ったが、『少女』はいっこうに喋りださなかった。


 不自然なほど時間が経つにつれ、セドリックはだんだんと冷静さを取り戻していく。


 「……あの」

 「何のつもりだ。お前」


 二つの声がほとんど同じタイミングで重なった。

 セドリックは気づいていたが、口のつくまま、張った虚勢は止まらなかった。


 「これが話し合いか。馬鹿げた真似をして」

 「…………」


 「何を勘違いしているのか知らないが、俺はもう面倒なんてみきれない」

 「…………」


 『少女』の瞳が、大きくゆれた。


 おもむろに片腕を持ち上げたかと思えば、手に持っていたものを投げつける。

 ぺしり、とセドリックの胸元に当たった。 


 ささやかな打撃に驚きはしたが、それだけで、投擲物はことりと床に落ちた。


 「…………」


 疑問符を浮かべるだけの間が空いた。


 不意に、『少女』が身を翻して駆け出した。

 ローナの横を素通りし、西棟の廊下をわき目もふらずに走っていく。


 はっ、と我に返ったセドリックは、とっさに捕縛(・・)の二文字を思い起こし、仕込んであったレースドールの回路に魔力を通して、人工精霊を飛した。


 華やかなドレスをまとった女が、廊下中にレースを振り撒きながら飛行するが、ローナが横に踏み出して、立ちふさがった。


 接触する間際、腕の一振りで払いのける。


 それだけで、レースドールの大部分が削り取られた。はらはらとレースの残骸が、廊下に舞い散りながら消えていく。


 質量負けだった。とっさの行動だったため、実体化させた人工精霊の魔力が薄く、組み合うことすらなく霧散したのだろう。


 セドリックは、もう見えない『少女』の姿を確かめてから、振り上げた腕を行儀よく前に戻すローナへと視線を移す。


 「…………なんだ、今のは。今のが、あいつの“お怒り”か?」

 「残念ながら、話し合いは決裂したようですね」


 肯定とも否定とも取れる言い方をするローナ。


 『少女』がいなくなったいま、同じように撤退するかと思いきや、動かず道をふさいでいる。主人が安全な場所へ退避するまで足止めするつもりなのか。


 だとしたら、好都合だった。もともと、この使用人部屋を訪れた目的はローナだった。


 無駄な軽口の応酬は切り上げて、セドリックはレースドールを再度、最大質量で実体化させた。


 後邸二階西棟は、むせかえるほどのレースに埋め尽くされる。






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