03 緑の園
「……えーと」
クローディアは困っていた。
警戒心をあらわにした子供たちを前にして、言うべき言葉を見付けられない。
「だからさ、アンタは誰なの? いきなり話しかけてきて。ここが孤児院だからって勝手に入って来ていい場所じゃないんだけど」
一番年上の男の子から、完全に怪しい人を見る目を向けられて、クローディアの狼狽はさらに混迷を極めていく。
困りに困り果てた結果、クローディアの取った行動は、ポケットから取り出した包装紙入りのキャンディーを子供たちへ差し出すことだった。
「……え。いや、飴玉とか貰っても何の解決にもならないんですけど。っていうか、無言で押し付けられるとか、怖いんですけど」
男の子の言葉を合図に、子供たちが一歩二歩と後退していく。
「ねえ、先生呼んできた方がいいんじゃない?」
「ああ。でも、みんなで行こうぜ。少人数は危ない」
「刺激しないようにね。ゆっくりと離れるよ」
「そうだ。こういう時は不審者の特徴を覚えておいた方がいいらしいぞ」
そうなんだ、と子供たちは、しっかりと後ずさりながらも、じーとクローディアを抜け目のない視線で射貫いてくる。
「えーと……」
精神的にも物理的にも離れていく子供たちに、リボン結びのようなキャンディーを持ったままクローディアは途方に暮れかけたが、その時、横手から声がかかった。
「……お前ら、面白いことやってんな」
「あ、ノエルだ」
そこには、見知った男性がいた。
年の頃は十五、六歳ほどで、濃い金髪とあざやかな青い瞳。
ひと目で印象に残りそうなその人は、クローディアたちが繰り広げていた攻防を呆れ果てたという顔で眺めていた。
「丁度よかった。なんか変な女が、ふほー侵入してるんだけど」
「あー…その人は、大丈夫だよ。まあ、何て言うか……そう、クローディアちゃんのお姉さんだよ」
ノエルの一言で、子供たちの警戒心は瞬く間に解けていく。
「ああ、そう言われると、顔とか似てるかも?」
「本当だ。似てる」
「あ。そういえば、クローディアもすぐお菓子とかくれたりするよな。姉ちゃんまで同じかよ」
そうして彼らから向けられる目が、ただの好奇心になっていった。
「そのお姉さんはな、お友達のいないクローディアちゃんに、ちゃんとお友達が出来たかどうか、心配して来てくれたんだよ。お前ら、クローディアちゃんとは仲良くしてやってるよな?」
子供たちは顔を見合わせると、十人十色の反応を示した。
「うん、まあ。友達がいないなんてマジかよって、最初は思ったけど。別に嫌なヤツってわけじゃないし。すぐに頭を撫でようとするのが、うざいけど」
「えー。私は大好きだよ、クローディアちゃん。素直で良い子だし。それに友達がいないなんて可哀想だもん」
「うん。友達がいなくて可哀想だし、ゲームとか、遊び方とか全然知らなくてびっくりした。あの子、家ではいつも何してるの?」
「てか、友達になった覚えないんだけど」
「よーし。それ以上は止めてやれー」
子供達の率直すぎる感想を前に、制止が入る。
ノエルの気遣わしげな視線が本人へと向けられたが、その頃クローディアは、近くにいた子供たちに次々とお菓子を配っていた。
ノエルに連れられて、クローディアは孤児院の誰も居ない迎賓室へと入った。
「何やってんだよ。変装し忘れるとか、アンタの方が子供かよ」
「…………」
「あとな、子供にすぐ菓子をやろうとするクセをどうにかしろ。知らない奴から食べ物押し付けられるのは、普通に怖いから」
「…………」
「ほら、誰か来る前に、さっさとクローディアちゃんになっとけよ」
「…………」
「人の話を聞いてください」
その懇願に反応して、クローディアはようやくノエルを振り向いた。
窓から見える子供たちに気を取られて、まったく話を聞いていなかった。
そのせいだろう、ノエルが気怠そうな溜め息をつく。
「あー、とにかく。あいつらも一応待ってるから、アンタも早く子供になってやれ」
「…はい」
こくりと頷いて、クローディアは襟元から鎖を引っ張り、首飾りのトップを手にする。それは、木製の懐中時計だった。
もちろん、ただの懐中時計ではない。実家のクライン家に所蔵されていた家宝であり、ヘインズ家に嫁ぐ際に譲り受けた持参金でもあった。
古い魔法使いの家系に代々伝わっていたそれは、簡単な操作で装着者の年齢を自在に出来る時計で、何の負担もなく老婆にも幼女にもなれる品物だった。
使用には複雑な操作手順を知っている必要があるが、それが持参金になる前から何度も使用経験のあったため、クローディアは手慣れた様子で操作を終える。
十八歳だった顔立ちは、十歳ほどの少女に変わり、手足も胸囲も年相応に縮んでいく。髪の長さは変わらないものの、その亜麻色はやや色を薄くした。
それだけではなく、着ていたブラウスとコルセットスカートは、子供服のエプロンドレスに変わり、左手に嵌めていた指輪まで体格に合わせてサイズを変えていた。
「できました」
「ん。次からは気を付けろよ。ここにいる子供のほとんどは、十八歳のアンタを知らないんだから」
「心がけます」
クローディアは、この孤児院には五年も前から通っている。だが、子供たちとはほとんど面識がないと言って良かった。
理由は、孤児院を訪れた当初、子供が子供から施しを受けるのはよろしくないと断られてしまったため、例の懐中時計を使って、ずっと四十歳ほどの女性を装ってきたのである。
だが今は、お友達作りという名のコミュニケーション能力を養うため、同じ子供のふりをして孤児院の子供たちと遊んでもらっていた。
「先週約束した、狼遊びを教えて貰いに行きます」
「おう、頑張れよ。俺はここでお茶でも飲んでるわ。でも、窓から様子見てるからな。怠けるなよ」
「――あ、遊んでいただきました」
「…ああ。見事に遊ばれていたな」
ボロボロになって帰ってきたクローディアを、お菓子とお茶のカップが並べられたテーブルでくつろぐノエルが出迎えた。
「まあ、アンタの子供ホリックには、いい薬だけど」
ぽそりされたノエルの呟きは、ふらふらとテーブルに向かって歩く、クローディアには届かなかった。
彼の向かいの席に座ると、そばで控えていた修道女が手早く動き、用意されたノエルと同じカップにハーブティーを注いでいく。
公共病院に併設される孤児院の貴賓室は、甘い香りとカモミールの香り、そして穏やかな空気につつまれていた。
木蝋ワックスで磨かれた羽目板――鏡板を基調とした室内は、テーブルやソファなども温かな木製の家具で揃えられ、木彫り額縁に入った絵画や、大きな柱時計、調度品の数々も客人を出迎えるための部屋として過不足なく整えられていた。
クローディアにカップをすすめる修道女のクララに礼を返して、意図して冷やされてあったのだろう、青林檎の香りがするカモミールを渇いた喉に流し込んだ。
人間ではないのに、人間へのこうした気配りがいつも行き届くのは、やはり人間の営みを何百年も見守ってきた存在だからだろうかと、クララから二杯目の給仕を受けながらクローディアは思う。
子供達と大いに遊び、大変だったが心地よい疲れを落ち着けている間、ノエルはクローディアが焼いたお菓子のひとつ、アーモンドケーキをつついていた。
「ああ、そうだ。クララから聞いた。昨日届いたんだってな、訓練所から証書と徽章」
すっかり忘れていたクローディアは、頷きながら荷物を探り、証書と箱に入った徽章を取り出した。
「おー、ご苦労さん。前にも言ったけど、色んな意味で頑張ったなー。しかし懐かしいな。俺が取ったのって何年前だっけ」
懐かしそうに目を細めるノエルを見て、クローディアも胸の真ん中がほっこりとした気持ちになる。
クローディアが偽名を使って孤児院に通い始めた頃、ある出来事によって、ここの院生だった十一歳のノエルと仲良くなった。
ノエルに、魔導士になれる素質があったためである。
その事に気付いた修道女たちによって『正導学会』への紹介状が書かれたのだが、ろくな基礎知識を持っていなかったノエルのために、一時的な教師役としてクローディアが抜擢されたのだ。
その後、ノエルは魔力訓練所に通って、王立学院に入るために必要な回路技師の一級資格を得ると、十二歳で孤児院を出て王立学院内にある宿舎へと居を移した。
そして、現在の十六歳にいたるまで、魔導士を養成する殿堂である王立学院に籍を置き、今では魔導士見習いとして勉強しながら給金も受けていた。
「それはそうと、アンタはいつまでクローディアちゃんでいるつもりだ?」
箱を返しながらノエルに言われ、自分がまだ十歳のままだったことに気付く。
慌てて胸元の懐中時計を取り出し、十八歳の姿に手早く戻った。
すると、ノエルが手の平を動かして催促するので、クローディアは、上蓋が開いたままの懐中時計を首から外してノエルに渡した。
「……何度見ても、仕組みが分からないんだよな。衣服まで合わせて変える高性能を、この小ささに収めるとか意味わからん」
ノエルは呟くように言うと、大きめのコインほどしかない懐中時計をためつすがめつ眺め回す。
「こっちもさ、学院の図書館で調べてるんだけどな。それっぽい記述も見付からないってことは、俺が閲覧できる程度のエリアには載っていないのかもな……まあ、裏を返せば、それだけの代物ってことになるけど」
「……負担に、なってる?」
「いや全然。魔法使いの家系に伝わっていた家宝とやらに触れられる機会なんてまず無いし。頼まれ事だとしても、こういう宝探しみたいな調べ物は楽しいよ」
知的好奇心というものだろう。ノエルの抜けるように青い目はとても楽しげだった。
クローディアが実家から持参金として譲り受けたあの懐中時計は、今も昔も重宝しているものだが、これから先のことを考えると、クローディアは売り払ってしまおうかと考えていた。
何より、自分が持っていても宝の持ち腐れのような気がして、だからこそ、その正しい価値と詳細をノエルに調べて貰っていたが、進行状況はあまり芳しくないようだった。
「……まあ、アンタの旦那に聞けば一発だと思うけどな。“老君”っていう伝手もあるわけだし」
突然出てきたセドリックの話題に、クローディアは少なからず驚いた。
「……難しいと思う。話しかけるのも、できない、かな。雰囲気が」
けれど、そんなことはノエルも知っているはずだった。
ノエルは、何かを考えながらといった風に一度押し黙り、それから話し始める。
「あの男の功績だけを見るなら、純粋にすごい奴だと思うよ。今の俺と同じ年齢で、人工精霊憑きの屋敷を、丸ごと一軒完全復旧させて見せたわけだし」
ちらりと修道女のクララに目をやった。
人工精霊の彼女は、にこりとノエルに微笑みを返す。
「疑似人格を備えた人工精霊なんて、この国にはありふれて見えるけど、それは昔の人たちの偉業であって、今では再現不可能の、とっくに失われた技術だっていうのに、それをどうやって直したのか。それにも純粋に興味がある。しかも相手は、“臨界現象”を引き起こした最悪の物件だったわけだし」
ノエルの問いのような投げかけに、クローディアはこくりと頷いた。
約五十年前、とある魔導士が、先祖代々受け継がれてきた自身の屋敷を使って無許可の実験を行ったのだという。
人工精霊を構成する魔力回路を用いて行われたそれは、ものの見事に失敗したばかりか、『臨界現象』という最悪の結果を招き、古くから伝わる旧家を、壊れた精霊たちがさ迷い歩く幽霊屋敷にしてしまったらしい。
魔力回路が異常をきたす状況は、ほとんどがダウンするかバーストするかの負荷暴走だが、負荷暴走した回路はまれに臨界現象を引き起こす。
臨界現象というのは、いわば魔法現象の反作用であり、逆魔法現象とも呼ばれているものである。
ただし、それらは偶然の産物にすぎず、どんな事象作用を及ぼすかは、起こってみなければ分からないという、いたく曖昧なものだった。
模式が確立している現在では、滅多に起こり得るものではないが、新しい魔法を生み出すような、大掛かりな実験をする場合などはその限りではないらしい。
そうして、主人もなく、主命もなく、意思の疎通も失った人工精霊が無軌道に動き続けるだけの壊れた旧家は、五十年ものあいだ捨て置かれることになったが、およそ四年前、わずか十六歳の魔導士見習いによって完全復旧が成し遂げられたのだ。
彼の行いに大変な関心を寄せた老君プリンケプスは、その報奨として旧家をそのままセドリック・ヘインズに下げ渡したという。
要するに、クローディアが現在、何不自由なく暮らしている 『旧リッテンバーグ邸』こそ、セドリックによって復旧された元幽霊屋敷だった。
クローディアは、知らず知らずに自らの左手をいじってしまう。
そこには 『旧リッテンバーグ邸女主人の指輪』という、やたら名前の長い指輪があった。
ノエルはまるで、テーブルの下のそれが見えているように視線を落としながら言う。
「……ただ、人間としては、やっぱり好きになれない。どうにも」
「…………」
セドリック・ヘインズはその後、老君のお気に入りとして十人委員に召し上げられることになる。
そもそも、人工精霊憑きの屋敷である旧家は限られた数しか存在せず、そのひとつが一人の人間に与えられること事態が異例中の異例であり、そのことからも老君の寵が深いことが誰の目にも明らになったのだという。
見習いではあるが、同じ魔導士であるノエルには、セドリックの良い評判も悪い評判もよく聞こえてくるのだろう。
クローディアの結婚にも反対こそしなかったが、よく考えろと諭すようにセドリックの現状を、折に触れて、歯に衣も着せて話してくれていた。
ただ最近は、むしろ話題を避けてくれていたのに、どうしたのだろうとノエルを見ていると、ノエルもまたクローディアを見返していた。
何を思ったのか彼は苦笑する。
「……まあ、何が言いたかったかと言うとな。あと一年あるんだからさ、できるだけの事はちゃんとしとけよ、という有り難いお言葉です」
そう言って、苦笑だった顔を澄ました笑顔に変えてしまう。
クローディアは頭を捻った。そういう話の流れだったかと思案したが、ノエルが食べ終わった食器を片付け始めてしまったため、聞き返す機会を逃してしまった。
それから、とりとめのない世間話を続けたが、帰りの時間がやって来たため、ノエルと別れ孤児院をあとにする。
一人きりの馬車の中、今日の出来事を改めて振り返るが、もしかしたら話を誤魔化されたのではと、クローディアはふと気が付いた。
――――セドリックが、また何かをしたのだろうか。
そんな、自分が考えても仕方のないことを、窓の外を見ながらぼんやりと思った。