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37 後邸


 家令室は、縦に並んだ二つのロの字型の、前邸よりもやや小ぶりの後邸にある。


 後邸は、主人が口にする飲食物の保管と調理を主立った目的とする場所だが、他にも、人間の使用人部屋も置かれ、裏方として主家を支える屋敷私僕専用の館である。


 セドリックとオーウェンは、前邸二階東棟にある東階段から一階へと降りて、前邸と後邸をむすぶ中邸をとおり、後邸一階、西棟と南棟の間にある家令室へと向かっていた。


 中邸は、一階の長廊下と二階の子供部屋(ナーサリー)も併せて共有エリアになるが、これから向かう先の『立入制限』に備えて、オーウェンは男主人の指輪から実体化し直している。


 そして、一階がまるまる廊下という中邸は、前邸の一辺とほぼ同じ長さを持つため、徒歩となると結構な距離を歩くが、セドリックという人間がいる以上、オーウェンも主人にあわせて、ひたすら両の足を繰り出して行くしかない。


 長い道のりを行くさなか、オーウェンは執事(じぶん)の権限が届きにくい後邸でも、男主人が不測の事態にそなえられるよう、後邸の間取りも朗々と述べていく。


 後邸は、調理場(キッチン)を基点にして、様々な設備が配置されているという。


 もっとも広く食堂(ダイニングルーム)に近い調理場(キッチン)から、タルトやスコーンを焼きあげる焼き菓子室(ペストリールーム)、ベーコンやチーズなどをたくわえる食料品貯蔵室(ラーダー)、精肉や鮮魚、青果物を保存する冷凍室(アイスハウス)などが設けられる東棟。


 ミルクからバターやクリームを加工する酪農室(デイリー)、エールや果実酒などのアルコール類を生成する醸造室、パンやミートパイを生地からこねるパン焼き室(ベイクハウス)が置かれる北棟。

   

 西棟には洗い場(スカラリー)洗濯室(ランドリー)、それから蒸留室(スティルルーム)と呼ばれる場所では、香水や薬品、石鹸などが造られ、そうした家庭用品が収納される備品室(ストアルーム)もある。


 最後に、南棟には、食器室(パントリー)と私僕広間、そして、家令室があった。

 これが後邸一階における、すべての設備になる。


 その中で、オーウェンが内部の様子を感知できたり、自立して行動できる共有エリアは、家令室と私僕居室、あとは二階にある男性用の使用人部屋だけになると、セドリックは念を入れて教えられた。


 おかげで、話を終える頃には、無事に家令室へ到着していた。

 ある意味では期待していた妨害も、一切なかった、


 家令室の扉も何なく開き、部屋の中もとりわけ変わった部分は見受けられなかったが、あえて変わったところを述べれば、家令室には、寝台や衣装箪笥といった生活品は見受けられない。


 あるのは、簡易な机と椅子と整理棚、そして、大量の書類。


 セドリックの小書斎と似た有様だが、決定的に違うのは、書類のほとんどは整理棚の中に収まり、整頓された机上の書面も、ほとんどが帳簿で占められている。


 出入り業者との取引で発生する収入と支出、生鮮食品や消耗品の減少数と補充数、屋敷と敷地の維持費の計上など。一日に起こった出来事も簡単につづられ、書類の一枚には、きっちり二日分の記録がまとめられていた。


 そうして、日誌も兼ねた旧リッテンバーグ邸の家計簿は、年ごとに一冊の冊子にまとめられると、地下にある大書庫に保管されていくのである。


 年に一度、製本された家計簿を、詳細な報告付きで目を通させられるセドリックが、そんなことを思い出していれば、オーウェンは机の引き出しをあけると、小さな鍵を取り出した。


 それをセドリックに渡すのかと思えば、主人の横を通り過ぎ、反対側の壁にかけられていた絵画をどけ、その裏側にあった隠し戸を小さな鍵を使って開いた。


 「…………ありません」

 「……そうか」


 簡潔に言うオーウェンに、セドリックも簡潔に返す。


 マスターキーがすでにないことは予想するまでもなく、それ自体に驚きはしないが、ここまで来ても何ら起こる気配がないのは、さすがに問題視すべきだろう。


 あちらが何もしてこないなら、強引だろうが力業だろうがこちらから仕掛けていくか否か、セドリックが思案しはじめたとき、家令室のドアがノックされた。


 控えめに二回。扉は閉められており、訪問者の姿は見えない。


 セドリックは、オーウェンを見向いて誰がいるのかと答え求めたが、彼は首を横に振り、否定を示すので、彼は今、部屋を隔てた廊下の様子が感知できないことを思い出す。


 不意の訪問者を招き入れるのか、手振りでうかがってくるオーウェンに、セドリックは一拍おいてからうなずくと、オーウェンは扉まで出向いていって、手で開いた。


 そこに立っていたのは、見覚えのある銀の髪に黒い目をした、三十代ほどの女性。

 メイド服に近いエプロンドレスを着ていたが、家女中(ハウスメイド)たちとは、どこかおもむきの違うお仕着せだった。


 「……カーラ、どうしたんだ?」


 意外そうな声でオーウェンが名を呼ぶと、彼女はセドリックに向けて一礼する。


 「わ、私は、カーラと申します。ご夫妻に仕える屋敷私僕の料理番(コック)にございます」


 やや緊張気味だったが、彼女が自らの身分を開したことで、セドリックの中でもようやく顔と名前が一致する。


 「最初に申し上げたいのは、私は、奥様やローナの命を受けてここに立っているのではありません。誓ってそれだけは事実です」


 「……なら、何の用で?」


 「旦那様のご体調が心配なのです。帰宅さてから、何も口にされていないはずです。せめて、飲み物だけでも召し上がっていただけないでしょうか」


 飲み物と聞いて、すぐさま思いついたのは『薬物混入』だったが、さすがにそれは無いとセドリックは早々に思い直す。


 「できれば、私からもお願いしたいです」


 オーウェンが口を挟んだ。


 「飲み物だけと言わず、簡単な軽食も。警戒せずとも、料理番(コツク)の二体をはじめ御者(コーチマン)庭師(ガーデナー)も、今回の騒ぎに参加しておりませんから、ぜひとも補給していってください」


 セドリックには、特に反対する理由はなかった。


 何を聞くともなく、オーウェンにやっていた視線をカーラに戻すが、すると、なぜか彼女は視線を泳がせる。


 後ろめたいといより、主人を無断で凝視してよい場面か判断しきれず、恐縮しきっている様子だった。もしかすると食事の進言すら、意を決してのことかもしれない。


 彼女たちが主人をおもんぱかる気持ちは、はじめから疑いようもないが、どうにもカーラの誠意も折れるような気分で、セドリックは申し入れを受けることにした。


 夕食をかねた軽食は、家令室と隣接する私僕居室で行われた。


 この部屋では、屋敷私僕たちがテーブルを囲んで、屋敷の運営方針を話し合ったり、意見のすりあわせを行っているらしく、飾り気のない部屋には、飾り気のない質素な長机とたくさんの椅子が置かれている。


 席に着いたセドリックの前に出されたは、温かい紅茶とスライスされたモモのメイプルシロップ漬けの簡単なものだった。


 夕食の献立は、帰宅する前から準備されていたはずである。出そうと思えばもっと出せるのだろうが、どうやら男主人が食べやすいものだけを持ってきてくれたらしい。


 毎日テーブルの上に並ぶ料理の数に――とはいえ、いつも三皿もないが、それでも閉口してしまうセドリックは、内心で安堵しながら紅茶に口をつけた。


 その間、オーウェンとモリーは、付きっきりで主人の食事を見守っている。

 見られながら食べることに抵抗はないが、どうせならと、セドリックはこの時間を有効に活用することにした。


 「オーウェン。ローナの人格……というか、彼女はどういう考え方をして、どういう手段を選ぶタイプなのか、教えられるか?」


 傍らに立っていたオーウェンは、あまり間をおかすに答えた。


 「そうですね。人格を一言で表すと“女主人のために存在している”ですね」


 ずいぶんと直截で、おおざっぱな言いようだった。


 「まあ、それは私どもも同じですが。ただローナの場合、これまでずっと奥様に距離を置かれていて……その、ご夫妻の事情が事情でしたし。ですから、侍女として充分な役割を果たせずにいましたから、もし、今回のあらましがクローディア様のご希望によるものだとしたら少々……いえ、かなり、羽目を外す可能性があります」


 「……機転は利く方か?」

 「ええ。ローレンスをやり込められるくらいには」

 「……………」


 言い換えると、これからセドリックが相手にするのは、旧リッテンバーグ邸の屋敷私僕の中で、もっとも目端が利く私僕になりかねないのだが、ひとまずそれは横に置いておくことにした。


 「なら次は……えーと、家女中(ハウスメイド)たち五体、それぞれの性格は?」


 各々の名前は思い出せなくて、職名でたずねれば、オーウェンの表情が固まった。

 顔つき自体はすぐに改めたが、セドリックの質問に妙な間を開ける。


 人数が多くて一言で表しきないだけか。もしくは、小書斎での一件のせいか。


 「……おまえたち、まさか仲が悪かったりするのか?」


 「――まさか。主人に仕えることが我々の本分ですよ。反目し合ってるだなんて、家内業務に支障を来しかねないじゃないですか」


 オーウェンはにこやかに述べたが、どうにも言い方がわざとらしかった。


 「ただちょっと……部屋に飾る花の色や香りで白熱したり、家具に使うワックスの種類で白熱したり、図書室の本の入れ替えで白熱したりしているだけですよ」


 「…………」


 どうやら、根本を同じくする屋敷私僕でも、色々と相性があるらしい。


 現場の指揮はローレンスに任せきりで、考えたこともなかったが、実際考えてみると、彼らは五十年前の顔ぶれから、いっさい変更されていなかった。


 セドリックの意向で、臨界現象以前の状態を継承させていたが、今後はもっと担当配置にも関わっていくべきなのかと、セドリックはさらに考えて、それがいかに愚かしい考えであるかに気づき、即座に考えるのをやめた。


 意識して思考を閉め出すため、近くにあったデザートフォークを手に取って、モモのメイプルシロップ漬けを手元に引き寄せる。


 スライスされたモモの一切れを、フォークで半分にし口に運べば、優しい甘さが広がった。


 もっと他に頭を回さなければいけないことがある。

 たとえばそう、玄関ホールで姿を見せたきり、別のアクションを起こそうとしないクローディア、もしくはローナをあぶりだす方法である。


 もう一度フォークを伸ばしながら、思考に耽っていれば、ふと、二股になったフォークの刃先が目に入った。


 「…………オーウェン。ローナには、俺たちがここにいることは見えていて、会話も聞こえているはずだな?」


 「ええ、そのはずですよ。この会話どころか、モモの一切れを半分にしてお食べになったことまで、しっかり把握していると思います」


 「なら――」


 ならもし、このままクローディアたちが出てこなければ、デザートフォークで自分の喉をついてやると宣言してみせるのはどうか。


 セドリックは、続く台詞を飲み込んで、フォークの柄を深く握り込んだ。


 ローナがいくら女主人に尽くそうとも、男主人の身を危険にさらしてまで、こんないざこざを続けるとは思えない。だとしたら、脅迫のための自棄は、かなり有効的な手段になりえた。


 図らずも、目の前のデザートフォークから、一気に解決法が見つかった。 


 「そのフォークが、どうかされましたか?」


 あまりの間の良さに、セドリックの方がどきりとする。


 何でもない、と言いかけたが、オーウェンの視線の強さが気になった。

 主人に対する警戒心を隠しもせずに、めざとくフォークに目線を向けるので、どうやらセドリックが見つけた解決法は、オーウェンに勘づかれたらしい。


 「お、お口にち合わないようでしたら、お下げします」


 今度は、カーラだった。


 まだ何も言っていないのに、彼女はテーブルにそば寄り、フォークを持つ手を見つめてくる。その目には、おびえの色が見て取れた。


 セドリックは内心で嘆息した。

 見つけたはずの解決策は、たったいま、この二体によって封じられてしまった。


 もしフォークを使った脅しをローナに実行したとしても、それより先にオーウェンがセドリックを拘束するだろう。ローレンスもそういう直接的(・・・)なことだけは、許さなかったし、そもそもオーウェンが拘束しない時点で、本気ではないことがローナにばれてしまう。


 かといって、オーウェンの目を盗んで仕掛けることも、やりづらくなった。


 カーラは、まぎれもない好意で男主人に食事を勧めてくれたのに、そこで出されたデザートフォークから着想を得えて、主人が凶行に走ったとなれば、彼女が受けるダメージは計り知れないだろう。


 暗黙の内にはじまって、暗黙の内に終わってしまったやり取りだが、結果として招いたのは、やたら緊迫した食事風景をだった。


 両サイドからいっそう厳しい目で見守られながら、セドリックは残りのモモのかけらを口に入れていくはめになる。


 正しいフォークの使い方で最後の一切れを食べ、カーラが下げられるようにすると、彼女は失礼にならない程度に急ぎながら、器とフォークを片付けに行ってしまった。


 信用がない自分に笑いたくなりながら、セドリックは紅茶をすすった。


 もう一方、セドリックの傍らに立つオーウェンからも、どこか緊張をゆるめる気配を感じながら、腹ごなしに十分ほど黙ってこの先のことを考える。


 オーウェンが不意に、それこそ聞き間違いかと思うくらいの小ささで、「あ」と声をもらすのを聞いた。


 目配せで確認するセドリックに、彼は、ためらいがちに報告をあげた。


 「……クローディア様が、女主人の廊下へと出られました」

 「――! それで?」


 「それが……お一人で廊下を走って、旦那様の小書斎に向かわれております」


 「わかった。だったら、おまえは先に行ってクローディアを足止めしろ。捕まえられたら捕まえておけ。俺もいまから行く」


 立ち上がりながら指示したが、言いつけられたはずのオーウェンは、まったく動こうとしなかった。


 「――どうした?」


 彼は、ゆるめたはずの警戒心をふたたび募らせていた。


 何をそんなに警戒する必要があるのか。セドリックには一瞬わからなかったが、直前にされた暗黙のやりとりが、まだ尾を引いていることに気づく。


 目を離したすきに、男主人がまた良からぬ手段を講じかねないと、植え付けられた不安がオーウェンを踏みとどまらせている。


 馬鹿かっ、と叱責しそうになった口を、セドリックはどうにか噤んだ。


 「――大丈夫だ。おまえが居なくとも、変なことはしない。いいから行け」

 「…………はい」


 ようやく首を縦に振ったオーウェンは、かき消えるようにして姿をくらました。


 セドリックは、舌打ちしそうになっていた。

 馬鹿なのは自分である。浅はかな考えのせいで、オーウェンの優先事項を混乱させる原因を作ってしまった。


 手間取ってしまった時間のロスを取り戻すため、セドリックは私僕居室を出ると同時に走り出していた。






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