34 それぞれの目論見
暫定執事のオーウェンがまずしたことは、ローナの支配下になりつつあった屋敷の主導権を、どうにか半分ほどまで寄り返すことだった。
その際、女主人の指輪を通して回路を書き換えているという、クローディアからの妨害も予想ていたが、それらしい横やりはいっさい無く、あっさりと成功してしまう。
セドリックもまた、書き換えられた回路の修繕を男主人の指輪から試みたが、男主人の指輪からの接続は完全に封殺されており、何度ためそうとも、その度に閉め出されてしまい、まったく手が出せない状態だった。
ただ、男主人の指輪が封じられている原因ははっきりしている。
これも『深窓』が開いている影響であり、回路の書き換えは、深窓からの操作を優先するため、深窓が開いている限り、外部からの書き換えはほぼ不可能になった。
同様に、深窓の影響で、自己回復ができていない一号回路との接触をふたたび試みるようオーウェンに命じるが、ローレンスを形成する一号回路は、いぜん沈黙したまま、やはり何の反応も返してこないという。
この家がいまどうなっているのか、現状把握につとめながら、セドリックは、打開策を講じるため、展示室をひと回りしていく。
屋敷の主導権は半分ほど統制下に置いたとオーウェンは言ったが、外の風景をすぐそこにする明かり窓や掃き出し窓はびくともせず、もろいはずのガラス板を割ることすらままならない。
この点は、本来、屋敷を守るための防衛機能が、今は封じ込める方に機能してしまっているのだろう。
オーウェンも何度となく解除を実行しているが、外界へと直接つながる窓や扉などは操作を受け付けないようで、彼が認識している導体構成図と実際の命令系統には、回路の書き換えによるズレが生じているようだった。
セドリックは、回路の構成状態を照合する作業にオーウェンを入らせた。
「ああ。それと、わたしが執事に昇格したことは、もれなくローナにばれました。胸を打つような就任祝いもそこそこに、くだんの申し入れについて、返答を預かっております」
窓を普通の方法で割ることはあきらめて、引き続き展示室を見て回っていたセドリックは、こともなげに口にするオーウェンの報告に、一度足を止めた。
「……それで?」
「断られました」
はっきりと言い切るオーウェンの言いぐさには、遠慮という文字はない。
「ご指示どおり、ひとまずの妥協案として、互いの共有エリアとなる応接間にて、話し合いの場を設ける案を提示したのですが、すげなく断られました」
「……そうか」
セドリックは、部屋の物色を再開した。
展示室は、旧リッテンバーグ邸歴代の主人たちに由来する品々を展示する場所である。
基本的には、功績に寄与された褒章や報奨品、主人の身につけていた装身具などが飾られる。
褒章の額装、装飾剣など比較的目を引きやすいもののほか、業績に応じて下賜されたと思われる、玻璃の宝石箱や金工の香炉。身を飾り、護符としても用いただろう、象牙のベルトバックルや銀細工のシャトレーンなども見栄え良く配置されている。
はたから見れば、家財の宝物を見て回っているだけだが、これらの品々にセドリックは何の思入れもなく、というより、はじめて目にするものばかりだった。
以前、ローレンスから飾ってもいいかと前許可を求められたことがあって、今はこうしてきちんとした装いを凝らされているが、旧リッテンバーグ邸が人の住める場所ではなくなってからは、半世紀もの間、正導学会によって運び出されていた品々でもある。
「導体構成図の照合、終了いたしました」
数ある家宝の中から、セドリックがひとふりの装飾剣、曲線状の鍔に彫金細工の施されたレイピアを手にしたとき、オーウェンが口を挟んだ。
「結論から先に申しますと、一号や二号といった、ナンバリング回路そのものの書き換えは、ひとつも行われていませんでした」
「…………でも、お前の言うことをきかないんだろ?」
「はい。命令系統にズレが生じる原因は、回路と回路の合間に迂回路が設けられおり、通常の運転が阻害されているためです。ただ、こちら側を妨害する迂回路は、今なお増え続けているのですが……作ったり消したりと、ひとつ設置するたびに回路の状態をうかがっており、おそるおそるといった躊躇いが感じられます」
まさか、という疑念がセドリックの頭をよぎった。
するとオーウェンが、セドリックの疑念を明確に言語化してくれる。
「これは、わたしの所見なのですが、奥様はもしかすると……我が家の導体構成がどうなっているのか、よく分かってらっしゃなくて、現在進行形で考えあぐねていると言いますか……模索中なのではありませんか?」
セドリックは、肯定も否定もしなかった。
クローディアが、一級回路技師の資格を取得したことはローレンスから聞いている。
だがそれは、裏を返せば、彼女の正導学の知識が、一級資格どまりでしかないことでもある。
たとえ、どれだけ大きな強権を持っていても、それを扱いきるだけの知識と技術がないのなら、旧リッテンバーグ邸が陥っている、このでたらめな状況にも説明がついてしまった。
旧家に限らず、人工精霊を擁する建築群は、ナンバリング回路や精製素子といった、魔法道具など比較にならないほど、複雑で綿密な組み合わせの集合体でできている。
中途半端な知識でいじれば、ダウンかバーストするのが関の山であり、最悪は、かつてこの家が見舞われた、臨界現象の再現だろう。
だからこそ、回路の書き換えなど安易にできず、おもだった部分を迂回させて孤立、もしくは阻害することしかできていない。
そう考えれば、主導権の半分をあっさり引き渡したことも、一号回路という独立した家令は抑え込めても、女中頭たちと同じ二号回路を拠り所にしている執事を停止できていないことにも頷けた。
「聞こえておりますか?」
「……ああ、聞いてる」
言いながらセドリックは、手にしていたレイピアの鞘を引き抜いた。
相手を突き刺すことに特化された細い両刃の刀身、その柄と鍔には、流線型の金工細工が施され、洗練された鋭さと、優美な気品を併せ持った装飾剣。
飾ることがおもだった目的だろうが、赤錆や刃こぼれがどこにも見あたらないのは、ローレンスたちによる定期的な手入れのたまものだろう。
そして、魔力回路が通されていないことは、触れた瞬間に確認済みである。
「それで……その、ジェームズ・ハーグリーブス様が、北方領を視察されたおり、紡績産業を支える魔法装置の修復に、めざましい功績をあげられ、そのこと喜ばれたパルカ卿より、報償として賜った“糸車の剣”で、何をされるおつもりですか?」
「いや、ちょっと」
オーウェンの質問を軽く流してから、セドリックは魔力回路を宙に書き出していく。
名前からして実用性を欠いた剣だが、定着に必要な経年の方に不足はないため、『武器』という概念を底上げした導体構成図を組み立てる。
レイピアの人工精霊も考えたが、人為的に精霊化させても、武器として能力を発揮する可能性はかなり低いため、魔法装置ではなく魔法道具として、レイピアの強みである貫く構造も活用し、刃の切っ先に圧縮された魔力発振が生じるよう設計する。
ほとんどその場しのぎの構成図を書き上げていくが、セドリックは、ふと思いたってオーウェンの顔を見た。
旧リッテンバーグ邸、歴代の主人たちの遺産に、新参の主人がべたべたと手垢をつけている現場を目撃して、どんな面持ちでいるのかが気になった。
セドリックの視線に気づいたオーウェンは、察したように苦笑する。
「……まあ、現在、我が家の屋財家財はセドリック様の所有ですし。……ローレンスは目も耳もふさがれている状態ですので、あとでこっそり戻しておけば、お小言は聞かずに済むと思いますよ」
セドリックの脳裏に、見慣れたローレンスの引きつり顔が浮かんだが、見なかったことにして、由緒正しい家宝のレイピアに、即興の魔力回路を組み込んだ。
おもむろに歩き出し、近くの掃き出し窓の前まで来ると、セドリックは窓の開閉部をねらってレイピアの切っ先を突き立てる。
耳障りな、ひっかき音が響いた。
きりきりと絶え間ない掘削音を上げるが、レイピアの切っ先は、開閉部に届く寸前で止まっており、見えない障壁に阻まれて、まるで成果をあげていない。
セドリックは体内と回路の導体を通して魔力を送り込み、レイピアの出力をあげる。
音が消え、光のしぶきが散りはじめた。しかし、レイピアの切っ先は、少しも進むことがないまま、セドリックの方が先に音を上げた。
続けるための魔力量に問題はなかったが、それを支えるだけの腕力がセドリックになかった。
「……無理ですよ。外壁や内壁、扉や建具には、“仕切り”という“本質”が、魔法現象として常にはたらいておりますから。鑑賞にしか使われていない経歴の剣では、まず突破できません。落雷相当の衝撃か、せめて、城壁崩しの来歴がある破城鎚でも持ってこないと」
手をふって痛みを逃がしていたセドリックに、オーウェンが付け足す。
「それと、臨界現象の研究員として、旧リッテンバーグ邸の現場研修をされた方なら、身をもってご存じでしょうが、むやみに攻撃を加えると、別の防衛機能が発動してしまいかねないので……家令不在の状態では、なるべくお止めください」
「わかってる。ちょっと試しただけだ」
セドリックは、レイピアの刃先が欠けていないかを確認してから、元の鞘に収めた。
それをオーウェンが受け取って、飾られてあった壁面の固定台へと戻しにいく。
「気はお済みですか?」
「そうだな。窓ガラスにヒビすら入れられないなら、壁をぶち抜いて進むことは、どう考えても無理だな」
オーウェンのレイピアを戻す手が一瞬止まったのを、セドリックは見逃さなかった。
「……過激な考えが、実現しなくて何よりです」
「まあな。……それで、オーウェン。この家の今の家長は、男主人と女主人のどちらになっている?」
「……少々お待ちください」
脈絡のない質問だったが、オーウェンは何も聞かずに引き受け、室内はしばらく静かになる。
「――旦那様の方です。変更された形跡もありません」
「……そうか」
これで、オーウェンの説である、クローディアの正導学の知識と技術が未熟で、回路の書き換えはできない線が、ますます濃厚になってきた。
男主人の指輪は、深窓によって回路への接続を封じられている。
しかし、各回路の機能はそのまま生きていおり、だからこそ、セドリックの家長権も維持されたままだし、オーウェンを従僕から執事に昇格させることもできた。
あたかもちぐはぐに思えた状態から、かえって筋の通った状態が見えてくる。
たが、そう思わせておいて、裏ではまったく別の事を企んでいる可能性も捨てきれなかった。
セドリックは、二度に渡って自分から出向くことを申し出たが、その二度ともすげなく断られている。
考えられる原因として、クローディア側はすでに想定しているのだろう。セドリックが何を言われても認めないという手段を取ることに。
だから、もっと別の――相手の舌先三寸では、逃げようのない方法を講じている。
でなければ、こうしてセドリックを閉じこめている理由がない。
クローディアにそんな芸当ができるとは思えないが、彼女には、侍女と家女中の六体が付いているのだから、一体くらいなら、そういう企てができてもおかしくはなかった。
「……できれば、何をお考えなのか、そろそろ教えていただきたいのですが」
手持ちぶさただったのか、オーウェンが口を挟む。
「そうだな。ならまず、これから言う場所への最短ルートを割り出してくれ。壁を壊しては進めないようだから、廊下と階段を使って、何通りあるかを調べてくれ」
「クローディア様のもとへ、おいでになるのですか?」
「いや、違う。行き先は、礼拝室だ」
見慣れない顔で、オーウェンが目を見張る。
「クローディアたちが、何を企んでいるか知らないが、わざわざ付き合ってやる暇はないし、時間を与えて、回路の書き換えを学習させてやる義理もない。なら、こっちから打って出るしかないだろ」
気がかりなこと事は、もうひとつあったが、それはひとまず横に置く。
「旧リッテンバーグ邸の“深窓”が開いているせいで、本来の自己修復が機能していないなら、その大元を取り払えばいい。クローディアの有蓋の記憶には、おそらく手を出せないが、その端末は違うはずだ」
「端末ですか?」
「彼女と回路をつないでいる“女主人の指輪”だ。それを無効にしてしまえばいい。この家の祭事を司る家長が、まだ男主人のままなら、それができるはずだ」
「…………なるほど。それで礼拝室に」
二年前、セドリックはそこで三年だけだと割り切って、ほとんど初対面の人を娶った。
「――だから、そこに行って、クローディアと強制的に離婚する」




