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33 男主人と従僕


 「……なに?」

 「ですから、奥様がお怒りに」


 従僕(フットマン)オーウェンが放った言葉に、セドリックはしばらく言葉を失う。


 「――――……彼女に、何か、喋ったのか?」


 「……いえ、そこまでは。ローナたちはどうか分かりませんが、少なくとも私は、何も話しておりません」


 それは、なんの慰めにもならない。

 だとしたら、ローナはすでに、クローディアへ洗いざらい話してしまっている可能性もあった。


 「奥様が日々を過ごされる区域は、従僕(わたし)の担当ではないため、発言や行動の全てを把握してはおりません。この家で起きている異変を感知したのは、ほんの先刻、奥様とローナたちが連れ立って玄関ホールへとおもむいたことを、門前のローレンスへ注意を促そうとした時です。それまでは、特に何の変哲も認められませんでした」


 セドリックは何も答えなかったが、オーウェンは、とりあえずといった様子で補足を入れていく。


 「家令たるローレンスからの反応がないため、即時、侍女ローナへ一報を入れたのですが、問題ないと一蹴されてまして。それがどうにも不自然に思えましたので、わたし独自の判断で、今こうして旦那様の元へと馳せ参じているしだいです」


 「…………」

 「……ご質問が以上でしたら、私から旦那様に進言したいことがあるのですが」


 「いや、待て。その前に、確認しておくことがある」


 セドリックは、できるだけ落ち着いた口調で述べた。


 「どうやらローナたちは、男主人から下された命令から外れ、女主人の意のままに動いているようだが……お前はどうして、俺の味方が出来ている?」


 すると、オーウェンは驚いた顔をする。

 さも当然のことをに言及されて、面を食らったような表情だった。


 「……そう言われましても。我々はそういう風に作られているからとしか。女性人格の私僕は女主人に。男性人格の私僕は男主人に従うようされております」


 「そうじゃない。俺は、お前たちに主命を下したんだぞ。家人の命に関わる命令でない限り、逆らえないはずの主命が解けているのは、十中八九クローディアの仕業だ。ローレンスが停止しているのに、お前たちは動けている、この異常な状態も」


 旧リッテンバーグ邸は自らを運用する概念上、一号回路が動いていない時点で、自己回復機能が起動しているはずである。


 それでも回復の見込みが望めない場合は、これまで連綿と蓄えられてきた家歴のすべてを破棄して、初期化作業に入る。


 だが、そんな兆候や、前段階の初動はみられず、オーウェンたちもこうして何事もなく動いているということは、一号回路にかわる回路が設置されたか、もしくは、旧リッテンバーグ邸の中枢である『深窓』が開いているのだろう。


 現在の旧家では、家令ですらたどり着くことができない、旧家の根幹だが、クローディアが所持する有蓋の記憶(アーバー・レコード)ならば、その『深窓』を開くことができた。


 「クローディアは、やろうと思えば、お前たちの見かけはそのままで、中身を丸ごと入れ替えることもできるんだぞ。そんな状況下で、お前は、お前の判断で動いていると言えるのか?」


 「つまり、私もまたクローディア様の意のままになっているのではと……ですが、先ほども申し上げたとおり、私は独自の判断で動いておりますよ。旦那様の――セドリック様のご性格を理解したうえで、今ここにおります」


理解していると言われて、セドリックはいささか眉をひそめる。


 セドリックとオーウェンは、とうぜん見知った仲である。

 従者(ヴァレット)を兼任しているローレンスが、着替えや食事といった主人の身の回りの世話を引き受けているのなら、従僕(フットマン)であるオーウェンは、衣服や日用品など主人の身の回りの生活を整えていた。


 彼がセドリックを理解していると言えば、そうなのだろうが、会話自体はほとんどなかったセドリックにその実感はわいてこない。


 オーウェンという人格がなかなか思い出せないでいると、彼は何を察してか、どうしたものかと言いたげに腕を組み、頭をひねってみせる。


 「ローレンスの苦労が忍ばれますね」

 「…………」


 「では、こうしましょう。わたしは、セドリック様の選択のみに従います。もちろん、屋敷内で何が起こっているのかは、知り得るかぎり報告しますし、どう対策すべきか提案もいたしますが、決定権はすべてセドリック様へゆだねます。そうですね、わたしのことは、ただの水先案内だと思って、有効にご活用ください」


 オーウェンは、含みなどまるで無いように言う。


 「もともと、セドリック様のご意志を確認することが先決だと思い、ここまでお連れいたしました。ですので、貴方をここに運んだことがただの早合点でしたのなら、今すぐにでもクローディア様のもとへお連れしますし、それとは逆に、この家から出たいのなら、何が何でも脱出させみせます。――すべては、貴方の選択しだいです。いかがされますか?」


 セドリックは、いったん口をつぐむが、それほど時間を要さずに口を開いた。


 「……わかった。ひとまず、お前の言っていることは信じよう」

 「恐れ入ります」


 「それで、さっそくで悪いが、俺をクローディアのところに連れて行け」


 オーウェンが、驚きに目を見開いた。

 どうやら、言うほど主人を理解していなかった彼に、セドリックは続ける。


 さっきは、立て続けに不測の事態が起きて、思わず取り乱してしまったが、事をむずかしく構える必要はなかった。


 「……クローディアが、ローナから何を聞かされていたとしても、俺が認めなければいいだけのことだ。何を言われても、逐一はねつけてやればいい」


 「なるほど。では、そのように。ローナへと取り次ぎます」


 オーウェンは二つ返事で了承し、人工精霊同士が回路を通して会話する時の、独特な表情を浮かべた。


 取り次ぐだけなら、ものの数十秒で終わるかと思っていたが、オーウェンは通話を続けながら浮かぬ顔をしはじめる。


 眉間にしわを寄せ、さらに数十秒のそのままでいると、取り次ぎを終えたのか、オーウェンはセドリックへと向き直った。


 「断られました」

 「――は?」


 「ですから、奥様へと、膝をつき合わせた話し合いを申し込んだのですが、ローナから丁重にお断りの返事をいただきました。辞退される理由も尋ねたのですが、奥様の意向ですとの一点張りで」


 クローディアの目的が、とたんに分からなくなった。


 おおかた、良からぬことを吹き込まれたクローディアが、短慮を起こして無理やりにでも自分の口を割らせようと、家の中へと閉じこたのだとセドリックは思っていが、そんな当てずっぽうは、たったいま外れてしまった。


 それでは何のために、セドリックは家の中へ誘い込まれたのか。


 玄関ホールで、オーウェンに担ぎ上げられた後、家女中(ハウスメイド)たちが「旦那様を渡せ」とか「大人しく奥様に従いなさい」とか、騒いでいたはずだが、だとしたら、彼女たちが、どうしてセドリックを捕まえようとしたのかも分からない。


 「……あの、ローナたちの目論見を見抜く、足がかりになるか分かりませんが……ひとつよろしいですか?」


 「………何だ」


 「先ほど中断した進言でもあるのですが、実は、家内の様子がどんどん確認できなくなっています」


 「……どういうことだ?」


 「おそらくローナです。旧リッテンバーグ邸を統括する家令(シュチュワード)がいない今、女中頭(ハウスキーパー)を兼任するローナの権限は、独擅場といっていい状態です。かつ、クローディア様の“女主人の指輪”から、回路の書き換えが行われており、屋敷内の主導権が、次々にローナへと移行しつつあります」


 「…………まだ健在なのか? お前たちのその職制」


 「どうやら、そのようです。ですから、下級職に過ぎない従僕(わたし)には、上級職であるローナの女中頭(ハウスキーパー)にはまったく太刀打ちできません。ほぼ一方的に“立入制限”をかけられておりますので、私が兼任する部屋従僕(チェンバー)の権限で、この部屋一帯にもうけた“立入制限”も、いずれ解除されるかと」


 セドリックは、ますます困惑する。


 旧家の屋敷私僕たちは、職制という厳格な階級制によって統率されており、それらが邸内に巡らされた魔力回路の命令系統も左右している。


 家令(シュチュワード)をトップの一位として、執事(バトラー)女中頭(ハウスキーパー)を二位、従者(ヴァレット)侍女(レディースメイド)を三位といったように家政の細事を担当する人工精霊を末端まで配置できるが、どうやらクローディアはいま、そこに手を入れているらしい。


 こちらから出向くと言ったセドリックの申し出を断って、何故そんなことをしているのか、まったく見当がつかなかった。


 「他にも、現在稼働中の屋敷私僕十五体の内、家女中(ハウスメイド)の五体がそれぞれ台所女中(キッチンメイド)接客女中(パーラーメイド)洗濯女(ランドリーメイド)を兼任しております。彼女らの受け持ちを管理しているのは女中頭(ハウスキーパー)ですので、数の点においても彼女たちは有利です」


 「……こちらも、数を増やすことは?」


 「できません。家令とのコンタクトが完全に途絶えておりますので、屋敷私僕を現状より増減させることは不可能です。少なくとも、こちら側は」


 セドリックは、この家でいったい何が起きているのか、そこに考えを巡らせる。


 「ただし、残りの五体である御者(コーチマン)二体と、庭師(ガーデナー)一体と料理番(コツク)の二体は、現在の推移を見守っており、奥様にも旦那様にも積極的な接触を持とうとはしておりません。おそらく、このまま中立の立場を取るのではと」


 「待て待て。こんがらってきた。かいつまんで言え。要するに何が言いたい」


 「では、要点のみを。従僕(わたし)を上級職の執事(バトラー)に昇格することを進言いたします。それならば、少なくともローナの女中頭(ハウスキーパー)と並び立つことが可能です」


 セドリックは、意表を突かれて目を見張る。


 「――…おまえを、執事に格上げしろと言うことか」


 「はい。執事(バトラー)は、家令(シュチュワード)につぐ権限を有した職位です。拡大するローナの領域を抑え込めますし、屋敷内の動きや、回路の状態もより正確に把握できます。何より、女中頭(ハウスメイド)は私僕エリアの後邸に強いですが、執事は主家エリアの前邸に強い利点もありますので、展示室(ここ)から移動する際は、かなり有効に働くのではないかと思われます」


 「……俺にできるのか? こんな状態でも」


 「そのようです。旧家の職制が健在のようですから、男主人たるセドリック様の主命があれば可能です。ただし、我々の率いる家令(ローレンス)の承認がございませんので、あくまでも暫定的な処置となるでしょう」


 セドリックは、ふたたび押し黙った。

 朗々と自分の意見を述べ立てた、オーウェンの素知らぬ顔をじっと見つめる。


 「――あ、今の“間”は分かりました。こう考えられたのでしょう。わたしを執事にすることが、クローディア様の目的かもしれないと」


 「…………」


 「確かに、クローディア様への申し込みを断られてしまったからには、あの方の目的も分からなくなってしまったわけで。そんな時に、帰属の不明なわたしを執事にすることには、不安が残りますね」


 「…………」


 「ですので、わたしはこれ以上、何も言いません。わたしが知り得るかぎりの情報は、先ほど申し上げましたので、どうなさるかは旦那様がお決めください」


 「…………」


 「あ、いえ、もうひと言だけ。考え込んでいる合間にも、回路の書き換えは進行しておりますので、ご決断はなるべくお願いします」


 そう言い残して、オーウェンは本当に何も言わなくなる。


 考えていたことを見事に言い当てられたセドリックは、気にくわない思いにさせられた。


 オーウェンに指摘された部分よりも、クローディアの目的が従僕(フットマン)執事(バトラー)にすることなら、仮にセドリックが何もしなくても、いずれ、彼女がそうしてしまうことに気付いて、面白くなかった。


 結局、同じ結末にしかならないことにをいつまでも悩んでいても、むだに時間を浪費するどころか、クローディアによる回路の書き換えを増長させるだけである。


 セドリックは、あからさまにため息をついてみせた。


 「――わかった。では、お前の言うとおりにしよう」

 「かしこまりました。では、お手を」


 一瞬、何のことか分からなくて、セドリックはオーウェンの顔を見返した。

 しかし、すぐに、ああ、と辟易した声を漏らす。


 それから男主人の指輪がはめられた右手を差し出し、拝するように受け取ったオーウェンは、その場へ片膝を折ってひざまづく。


 「旧リッテンバーグ邸、屋敷私僕の四、従僕(フットマン)のオーウェンは、身の上をあらわす従僕の仕着せをこれより返上いたします。本性(ほんせい)のみが動かすこの身に不良はあらず、新たなる忠誠、新たなる奉仕を誓い、執事(バトラー)を装う身上を、貴方のしもべにお与えください」


 「与えよう。性と身と身の上にあった振る舞いを果たせ」


 口上を受けたオーウェンは、手中の指輪を恥ずかしげもなく額に押しいただく。


 指輪に記された家紋が、彼の額に触れるやいなや指輪が小さく振動し、従僕(オーウェン)の身を包んでいた礼装が形を変えていった。


 しかし、少し前の華やかな仕着せと違って、その変化はわずかでしかなく、立ち上がったオーウェンの服装を一瞥するセドリックには、何がどう変わったのか、ほとんど見分けがつかない。


 それよりも、いつもながら気恥ずかしいこの一連の儀式に、男主人の指輪へと視線を落とす。


 「……コレ、いったい誰が考えたんだ」

 「あなた方のご先祖様です」


 的を射た新任執事の即答に、セドリックは納得せざるを得ないが、同時に、オーウェンという人格とは、どうにもソリが合わない気がした。






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