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31 届かない言葉


 許可を得たローレンスは、セドリックと共に、十一の内、十の壁龕の裏ごとに備えられた控え室(アルコーブ)へと場所を移した。


 横に長い空間は、学院内なら、必ずどこかで一度は目にする、格調高い飴色の鏡板で壁一面が覆われているが、細く狭いそこは、息苦しさと安らぎを同時に与えてくるような場所だった。


 アルコーブへ着くなり人型へと変じ、明かり窓を背にしていた主人へと相対する。


 「いいんですか、本当に」


 出し抜けに述べたローレンスを、セドリックは表情の乏しい顔で見返していた。


 「――――……それは、どっちの意味で言ってるんだ?」

 「クローディア様の方です」


 一も二もなく答えれば、セドリックは圧されたように顎を引く。


 「どうか早まらないでください。もう一度よく考えてみましょう」


セドリックは応えない。


 その沈黙を否定だと感じたローレンスは、とにかく思い止まらせる事を、もっと時間を置かせることを優先させる。


 「ローナが――ローナがいま、懸命になって奥様のお気持ちを確かめております。それからでも遅くないのではありませんか?」


 すると、冷めていたセドリックの顔に変化があった。

 驚いたようにローレンスを見て、それから、呆れ顔で笑みをこぼす。


 「……止めろって言ってるのに。聞きゃしないな、お前らは」


 どうしようもないと言いたげで、けれど、愛着の込められた笑い方に、ローレンスはかえって不安をあおられる。


 「その点は深くお詫びいたします。猫でも杓子でも、家の中に詰め込んでくださってかまいません。ですが、それは家に帰ってからにしてください」


 口元に笑みを飾ったまま、セドリックは視線を低くした。


 「それに、旦那様への報酬を差し替えにあたって、老君との誓いも改めることになるのでしょう。でしたら、誰にも口外してはならぬという約定に変更を。クローディア様には全てを話せるように働きかけるべきです。あちらとしても、クローディア様のお相手が旦那様であることに、何ら不都合はないはずでしょう」


 間違った事は言っていないはずなのに、彼からまた表情が消えてしまった。


 「……さっき言っただろ。俺はアイツらを見張らないといけないって。アイツらを見張るためにも、これからずっと、俺はアイツらに使われる立場にいないといけない。それじゃあ―――」


 「それでも構わないと、クローディア様が仰ったら?」


 言いかけたことを押しのけられた口が、ローレンスの目の前で引き結ばれる。


 「先ほど述べていたではありませんか、クローディア様の意思を尊重して欲しいと。クローディア様がまだ貴方のことを想われていて、これまでの事情を全て話し、これからの事情も全てを知らせた上で、それでも貴方と共にありたいと仰ってくれたら、どうするんですか?」


 「…………」


 セドリックは何も言わずにうつむき、首根が晒されるほど項垂れていく。

 青い両の目は黒い髪に隠されて、すっかり見えなくなった。


 やがて背後を振り返りると、はめ殺しの窓へと足を進め、それ以上の追及を避けるようにローレンスへ背中を向ける。


 対話が困難なほど思いあぐねているのか、だとしても、そうしてじっくりと考えてもらえるなら、ローレンスにとっては願ったり適ったりだった。


 長い長い沈黙の時間。


 ローレンスは、アルコーブの中を見渡した。

 手狭ではあるものの、くつろぐには充分な広さがある。簡単な調度品や長椅子も置かれており、もっと楽な姿勢で熟考して欲しいとも思ったが、思考を途中で邪魔する方が悪手だろうとすぐに見合わせた。


 どれほど時が経ったか、窓明かりが作る陰影が、少しだけ形を変えている。


 ローレンスは、いくらでも待つつもりだった。

 この引き延ばされた静寂が、未来への活路を見出すためのものだとひたすら願いながら待っていれば、セドリックがゆっくりとローレンスを振り返る。


 彼の顔は、やけに凪いで見えた。

 感情を読み取るのが難しい、達観していて迷いのない顔。


 「……あのさ、お前がさんざん俺に言ってきた事があっただろ」


 何のことか分からなくて、ローレンスは眉間に困惑を刻んだ。


 「人間と人工精霊は違うってヤツだよ。あれさ、分かったよ。今なら分かった……と思う」


 「……旦那様?」


 「今なら、いくらでも人工精霊(おまえたち)を犠牲にできるって確信を持って言えるんだよ。どう考えたって、クローディアの方が大切だから」


 彼は、少しの怯みもなく言ってみせた。


 「天秤にかけるまでもない。人工精霊をどれだけ犠牲にしたって彼女は守る。今の俺なら、きっと何のためらいもなくそれが出来ると思う」


 「――え、ええ。それで構いません。いくらでも使い捨てにしてくれて良いのです。そのためにあるのですから。人間社会を円滑にするために。でも――」


 どうしてこのタイミングで、そんな話がされるのか。

 彼の意図が分からなくて、返すべき台詞が出てこない。


 「でもな。だからってお前たちを……使い捨てる事に何も感じないはずが無いんだ」


 ローレンスは、またしても言うべき言葉を失った。


 けれど今度は、己の主人が見覚えのある顔をしていたからだ。

 いくら言葉を重ねても、自分の言葉は彼には届かないあの時の眼差し。


 「……今はいいかもしれない。でも、それはこれからまた積み重なっていくはずだ。今度は期限なんてない。ずっと続く。ずっと……だから俺は、ずっと…治らないよ(・・・・・)


 何を指していったのか、ローレンスにはすぐに分かった。


 分からないはずがない。これまで何度となく彼の病癖と付き合ってきた。

 その言葉の重みが、誰よりもローレンスにはよく分かった。


 「ですが……ですが――」

 「……いいんだ、もう。分かってくれとは言わない」


 話が切り上げられる気配を感じて、ローレンスはとっさに反応していた。


 「い、いいえ。待ってください。こんな――こんな風に勝手に決めてしまうなんて。奥様にも関わりのあることなのに」


 「そうだよ。これは俺の勝手ですることだ。そうじゃなきゃいけない」


 苦し紛れの進言は、すぐさまあしらわれた。


 「俺は、俺の自己満足でこうするんだ。だから、彼女は何も知らなくていい」


 断定的な物言いは、彼の中でもう結論が出てしまっている表れだった。


 ローレンスは、己の考えが間違いだったのではないかと思った。

 きちんと考え直させるつもりで時間を置かせたのに、それがかえって余計な結論を引き寄せてしまったのかもしれない。


 「……ごめんな」


 それは誰に――何に対しての謝罪だったのか。

 聞くまでもなく、本人が続けた。


 「はじめから、こうしておかなかった俺が悪い」


 言いながら、彼は人差し指をローレンスへと突きつける。

 ぎくり、とローレンスの全身がとたんに強張った。


 「聞け」


 主人の言葉に威力が増した。


 突きつけられる右手。その中指には男主人の指輪が嵌められている。

 その指輪が真っ正面からローレンスを見据え、その場に縛り付けられることを余儀なくされる。


 「旧リッテンバーグ邸すべての屋敷私僕に告げる。女主人たるクローディア・ヘインズに対する禁則事項を、これよりお前たちに設ける」


 ローレンスは主人に発言しようとして、声帯が閉じられていることに気付く。


 「彼女の身の回りの世話、差し迫った危機を除き、女主人との対話を全面的に禁止する。音にして発することを禁止する。書き記すこと禁止する。身振りで示すことを禁止する。世話以外での発言を必要とする場合、男主人の許可と確認を随時必要としろ」


 「――――」


 「主命だ。お前がまだ俺を主人だと認めるのなら、従え、しもべ」


 何の見せかけも、誤魔化しもなかった。


 明瞭な主人の仰せは、ローレンスを形作る回路を通って、旧リッテンバーグ邸の中枢から末端へと浸透していき、混じりけなく広がっていく。


 主命は下された。


 主人たるセドリック・ヘインズに仕えてきたこの四年間、ローレンスたちが一度もされることのなかった『命令』を、しもべははじめて下された。







 ローレンスの軽率な試みが失敗に終わったあと、一人と一体は共に円堂へと戻った。


 セドリックの意思には変わりがないことが伝えられると、今後の細かい打ち合わせが行われた。


 まず、クローディア・ヘインズに有蓋の記憶(アーバー・レコード)を所持することの危険性を理解させ、そのうえで手放す方法を教える手順が話し合われた。


 そこで、導体を失わせる――正確には、そう思わせる方法のみを教える案が出されたが、正規の方法も教え、わざわざ選択肢にしたのは、クローディア・ヘインズにもどちらかを選ぶ権利を与えよと、老君からのお達しゆえだった。


 しかし、そうすると現在の配偶者であるセドリックが候補に挙がらないのは不自然なため、仮に子供を産む方を選んでも、その相手にセドリックだけは絶対に選ばないよう、彼自身が直接『挨拶』へとおもむく手筈になっていた。


 この判断が、本当に適切だったのかはローレンスには分からない。

 ただ、セドリックは進んで買って出た。


 そうしてクローディアへと直接顔を合わせるという、セドリックにとって最大の難関を、彼はつい今しがた終えて来たのである。


 彼女と別れたその直後、彼は廊下の壁へと激突しかけた。


 それを未然に防いだのはローレンスだが、そのまま支えようとした手を押しのけてセドリックは歩き出してしまった。


 彼は、しもべの助けを必要とせずに自分の足で廊下を真っ直ぐ進んでいる。


 ローレンスたちを置いていくように、一人で歩いてゆく。

 独りで歩いて行ってしまう。






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