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29 お出まし


 「セドリック・ヘインズには、すでに話を通してある」


 ジュリアン・モアは、事も無げに言った。


 「……というより、すでに隣の部屋で待たせてある」


 クローディアがどれだけ気が動転しているかも知らず、彼は言う。


 「入れ、ヘインズ」


 言いながらジュリアン・モアが顔を向けたのは、クローディアが入ってきた扉とは別の扉だった。


 けれど、扉はなかなか開かない。奥には誰もいないのではと、クローディアは淡い期待を抱いたが、すぐにノブが動く音がして扉は無情にも開かれた。


 入ってきたのは男性一人だけで、無言で入室すると扉を閉めてその前に立つ。


 黒地に銀刺繍の、魔導士のローブ姿。

 黒い髪と青い目は、かつての面影を嫌というほど残していて、見てしまったのを後悔するほどだった。


 間近にしたのは数えるほどしかない彼の顔を、クローディアは見てしまっている。


 「……説明は終わった? 二度手間とかごめんなんだけど」


 セドリックは、気怠そうにそう言った。


 「……客人の前だぞ。もう少し態度を改めろ」

 「客って……ものすごく身内じゃなかったっけ」


 ジュリアン・モアの忠告を鼻で笑うと、セドリックは部屋の中を見渡していく。


 まずローテーブルの上にある懐中時計に目を留めて、それからマキオン老師に視線を移し、最後にクローディアを見る。


 視線が合っていた。あの青い目と。

 懐かしいと言うには、あまりにも記憶に重くのしかかる、あの青い目と。


 「――――つ、つくるって…言ったの? こども」


 ちゃんとした言葉遣いも忘れて、クローディアは言葉にしていた。

 それが気に障ったのか、彼からすっと表情が抜け落ちる。


 「そうだよ」

 「――――……い、らないって…」


 セドリックは、ため息のような呼気を吐き出しながら、視線を外す。


 「俺に言われてもね。これも職務みたいなもんだし。仕事だっていうならするしかない」

 「…………」


 ぽつりと繰り返したクローディアを無視して、セドリックは続けた。


 「ともかく。導体を失うか、子供を産むか。そのどちらかを選ぶかは、君が決められるみたいだから、どちらにするか好きにしたらいいよ」


 口ではそう言うが、クローディアの意見にはまるで興味なさそうだった。


 「とは言っても、馬鹿正直に従う必要もないけどね。今の暮らしは捨てがたい、でも、俺と子供を作るのが嫌なら、外で恋人なり愛人なりを用意しておく方法もあるし」


 「ヘインズ。勝手をぬかすな」


 「ああ、そうだったね。相手は厳選したいんだっけ。乗り換えるなら、俺よりイイのじゃなきゃお気に召さないか」


 ジュリアン・モアは再びたしなめたが、セドリックはまたしても一笑に付した。


 「……そういう口の利き方が、いつまでも許されると思うなよ」

 「へえ。じゃあ、俺じゃなくて老君に言いなよ。これを許してるのは彼なんだから」


 言い捨てるなり、セドリックはクローディアの方を向く。


 「まあ、子供を産むなら産むで、その相手も君が決めたらいい。ただ、俺の場合、色々準備というか身辺整理とかがあるから、すぐに相手をしろって言われてもムリなんだけど。だからその間にそいつらと他の候補者を探すなり、好み相手を見繕うなりしてても俺は気にしないから。そいつらも最悪子供さえできればかまわない。というか、誰の子供かなんて、産まれてしまえば誰も気にしないよ」


 セドリックの口からすらすら出てくる放言を、クローディアは一言も漏らさずに聞いていた。一言も漏らさずに。


 「だからさ、そんなに深刻に考えずに」

 「なんで…?」


 自分でも知らずにクローディアは遮っていた。


 「…………言うはずない。そんなの……絶対に」


 彼は一瞬、何を言われたのか分からないという顔をした。

 怪訝そうだった顔は、すぐさま消え去る。


 「何を言っているのか分からない。悪いけど」


 セドリックは考えの読めない顔と声で、クローディアの問いに答えた。


 けれど、彼は言うはずがなかった。言うはずがないのだ。

 彼は――クローディアの知っている彼は、絶対に言うはずがない。


 「誰も気にしない」など、絶対に。


 「……もういいかな。いちおう挨拶ってことで来たけど。俺の考えは伝え終わったし」


 退出を匂わせはじめたセドリックは、来た時と同様に物憂げだった。


 「……ああ、ご苦労だった。もう行きなさい」


 応じたのはマキオン老師で、彼を見向けば、神妙な顔つきでテーブルの上を見ている。

 一方でジュリアン・モアは、セドリックのいる方を黙って見据えていた。


 クローディアが二人の顔色を確認している内に、背後では何の前置きもなく扉が開く音がして、そして、閉まっていく音がする。


 「……すみませんな、お嬢さん。さぞかし不快な思いをされたことでしょう」


 扉が完全に閉められた後、マキオン老師がクローディアの様子をうかがった。


 しかし、クローディアは今しがたこの場で起こったことをどうにかして受け止めることに精一杯で、二人の視線を避けるようにして目を移ろわせた。


 すると、すぐ傍らで跪いたままでいたローナの姿が視界に入る。

 彼女もまたクローディアを見上げていた。


 何か言おうと口を開くが、唇から言葉が発せられることはない。

 それから悲しい顔をして、そのまま失意に沈むようにして身を丸めていった。







 ロイド・マキオンの教授室を後にして、セドリックとローレンスは人気のない廊下を進んでいた。


 しかし、廊下を突き進む振動と速さにローレンスは危機感を感じて、主人のフードの中からフェレットの顔を出す。


 見れば、すぐ間近には曲がり角が差し迫っていた。


 「旦那様」


 ただちに警告を発したが、返事はない。立ちはだかる壁面はもう目前だった。


 とっさに人型へと戻る。

 主人ごと引き寄せ壁に手をつけば、頭から激突するのをどうにか阻止できた。


 「ちゃんと、前を向いて歩いてください」

 「…………」


 「ちゃんと、見えていますか?」

 「…………」


 「ちゃんと、聞こえていますか?」

 「…………」


 「ちゃんと、息していますか?」

 「…………」


 セドリックは、聞かれてようやくローレンスへと焦点を合わせた。

 それから息を深く吸い、深く息を吐いた。


 「…………大丈夫だ。一人で歩ける」


 支えようとしたローレンスの手を押しのけて、セドリックは再び歩き出していく。


 まったく信用できない言葉と共に遠ざかっていく背中を見ながら、ローレンスはかけるべき言葉を探した。


 探しながら主人の背を追うが、浮かんでくる言葉はどれもこれもお粗末だった。


 彼の行いを肯定するのは筋違いだし、よくやったと労をねぎらう役割にもない。ましてや、この状況で大丈夫かと尋ねるなど論外である。


 本当にこれで良かったのか。

 今日のことは事前に分かっていたはずなのに、ローレンスは未だにそう思わずにはいられない。


 そう、こうなることは数日前から決まっていた。


 ほんの数日前、ローナからの警告を受けた翌日には、彼ら(・・)から呼び出しを受けた時から。







 そこは、天井が半壊した大きな円堂だった。


 崩壊しているのは天井だけではなく、広い円堂内のいたるところで装飾の欠損や塗装の剥離が見られるが、不思議と安寧と秩序が保たれた場所である。


 床には、小片で組まれたモザイク画があった。

 一枚一枚違う姿をした切片が、一枚の大きな絵を描きながら静かに横たわっている。


 円堂の壁面には、等間隔に並んだ壁龕が十一あり、内のひとつはそれ自体が小祠ような壁龕で、円堂の最奥で待ち構える一本の木を厳かに称えている。


 半壊した天井からの光りを受けて立つ木の前には、いくつかの人影が見られた。


 光の当たらない陰の中、日向と日陰の境にモア監事は佇み、彼女と少しの距離を開け、円堂内に所蔵が許されている自前の椅子にマキオン老師が腰かけている。


 彼女の彼のほぼ合間に立ち、壁龕の木からもっとも離れた場所に立つセドリック・ヘインズは、人の神経を逆撫でるような声を上げた。


 「――――は?」


 それは、たったいまセドリックへと語りかけた女性に対する反応だった。


 彼女――四十歳半ば、深いブラウンの髪に鳶色の目、精悍な顔つきをした女性の名はアビゲイル・モア。正導学会の監事、学会構成員の職務執行を監査する機関の長である。


 彼女は、半分以上も年下の男の不遜な態度などものともしなかった。


 「では、もう一度繰り返そう。君の伴侶が有蓋の記憶(アーバー・レコード)の相続人に選ばれた。我々はこれを由々しき事態と捉えている。前回の相続に失敗したため、周期が狂ってしまっているのだ。それを踏まえても、これほど早く出現したのは想定外だった」


 先ほど口にしたことを、アビゲイル・モアは淡々と繰り返す。


 「早急にクローディア・ヘインズの為人(ひととなり)を精査して、可能ならばこちら側に引き込む。それが無理だとしても、最低有蓋の記憶(アーバー・レコード)の新たな選定周期を把握し、安定的な出現間隔に戻すためにも彼女には実子をもうけてもらわなければならない。そのための相手は、いま見繕っている最中だ。その中には、現状の配偶者であるセドリック・ヘインズ、お前も候補に含まれている」


 「――いや」


 「よって、お前から申請があり、クローディア・ヘインズに取得を許した回路技師の資格も、停止処分もしくは取り消す必要があるが、まあ、これはもともと」


 「違うっ。そんな説明で分かるかって言ってんだ。そもそもあのレコードが何だ? 相続人って何が? 何を相続したって言うんだ」


 錯乱したように食ってかかるセドリックに、アビゲイル・モアはやや迷うような間を置いてから答えた。


 「純血と家名だ」


 ローレンスは、ただ驚いた。

 セドリックのフードの中で静かに聞き耳を立てていたが、それを聞いてただ驚いた。


 「有蓋の記憶(アーバー・レコード)は、古い魔法使いの家系図を記録するものであり、その用法はいくつか存在するが、なかでも最大の用途は失われた家名の相続権だ。それが何を意味するのかは、説明せずとも分かるだろう」


 かつて、この地の法を定める原理を敷き、この国の社会基盤を築き上げたという古の魔法使いたち。


 彼らは、自分たちが作り上げたこの国にしばらく間、安穏と暮らしたていたが、やがて一人また一人とこの世界そのものから去っていった。


 しかし、一切合切を投げ出して、姿をくらましたわけではない。


 自分たちがいなくても、この国を維持できるように、自分たちの血脈と名跡を受け継ぐ者たちを残していった。


 彼らの血脈は、今もとどこおりなく受け継がれているが、彼らの名跡を今も受け継げているのは、わずかひとつの大家だけ。


 ほとんどの家名は、やむにやまれぬ理由によって廃絶し、魔法使いが住み処にしていた旧家にしか、彼らの名残りを見ることはできない。


 それほど廃退をきわめていた家名を、我が家の女主人が相続する。


 その事実に、ローレンスはただただ驚愕していた。


 「何が“失われた”だ」


 吐き捨てるように言ったのは、セドリックだった。


 「そうやって替えがきくと知っていたから、簡単に廃絶してきたんだろ」

 「……何を言っているのか分からんな」


 二人の会話に、ローレンスは複雑な心境にかられる。


 セドリックの感情的な批難だけではない。すぐさま素知らぬふりをした彼女に対しても、いたたまれない感情を抱いた。


 「そうやって――魔導士一門の力を削いで弱体化してきたせいで、今度はそっちに弊害が出てるんだろ。二縁貴族たちに舐められて、馬鹿どもが簡単に騙されて、いいようにされているのが現状だろ」


 「それは、今ここで論議することか?」


 「――なんでだ。なんでこの国はこうなんだ。いびつで不合理で中途半端な――いっそもう、全部をぜんぶ人工精霊に支配させろよ。よっぽど効率的だろ」


 歯止めがきかないのか、セドリックはただ口を衝くままに心情を吐露していく。

 アビゲイル・モアは、何も答えなかった。


 「……それが出来たら、苦労はせんよ」


 答えたのは、マキオン老師だった。


 椅子に腰掛けたままの彼に、アビゲイル・モアは一瞥をくれたが、老師の発言に是とも否とも言い返さず、室内の音の数は一気に落ちて静かになった。


 落ちた沈黙に、ローレンスはこの場に集った三人の本音を垣間見た気がした。


 しかし、この国の在り方について人間たちのしもべに過ぎない人工精霊(ローレンス)は差し出口を挟む立場ではない。


 屋敷私僕が考えるべきは、いつ如何なる時も己が仕える『家』のことだけである。

 だから、今このときもローレンスの念頭にあるのは、我が家の男主人と女主人のことだけだった。


 ローナから警告されていたとはいえ、両主人が直面する事態を知って、ローレンスは歯がみする。


 アビゲイル・モアが言うには、クローディアは一年をかけて取得した一級資格を取り上げられ、有蓋の記憶(アーバー・レコード)とやらの周期を戻すために、子供を作らされることになるらしい。


 正導学会の一員ではあるが監事の長にすぎないアビゲイル・モアが、わざわざこの場へ呼び出して内示するほどである。すでにや学会内での議論は済まされているのだろう。


 子を成すための相手を見繕っているとも言ってた。候補にセドリックが入っているのは、せめてもの救いか。


 一瞬だけそう考えて、ローレンスは即座に考えを否定する。もしそうなった場合、むしろ最悪の結果だと言えるだろう。


 ローレンスの主人は、そのような所業を絶対に認めはしない。

 だからこそ、彼はいま追い詰められているはずだった。


 ローレンスはフードの中から、セドリックの様子をうかがった。

 彼は下を向きながらも、その横顔は何かに抗うように険しく強張っている。


 己の主人へと、少しでも助言できることをローレンスが探していた時、


 「――自由にしろ」


 ほとんどローレンスにしか聞こえない呟きだった。


 「……クローディアを自由にしろ」

 「――何?」


 聞き返すアビゲイル・モアを、セドリックが睨み返す。


 「取り引きだ。俺が、お前たちに協力する条件を変更しろ。受け取るはずだった報酬と引き替えに、クローディア・クラインを自由にしろ」


 「――なっ」


 声を上げてしまったのは、ローレンスだった。


 「セ、セドリック様……」


 場所もわきまえずに呼びかけるが、あまりのことに言葉が出てこない。

 報酬と引き替えに。つまり、それは―――


 「論外だ」


 うろたえる暇もなく、アビゲイル・モアが切り捨てる。


 「これは、お前の裁量でどうにかできる問題ではない。こうして報せているのは、クローディア・ヘインズが書類上はお前の伴侶だったからに過ぎない」


 「いや、話を聞こう」


 声は、この場にいる誰でもなかった。


 どころか、円堂の四方八方から聞こえてくるうろんな声に、場に集った皆はおのおのに格式張って、降りてきた声を出迎える。


老君プリンケプスのお出ましだった。






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