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27 二体の誼


 クローディアは部屋で一人、『仮植の部屋』で見聞きしたことを考えていた。


 警士(リクトル)の手違いだったとはいえ、呼び出されたセドリックが、わざわざ自分の様子を見に来てくれたこと。


 途中で現れた、兄ライナス・クラインがやけに自制心を失って見えたこと。

 その兄から聞かされていたセドリックの噂話には、大きな嘘があったこと。


 テレサ・ランヘルという女性は、セドリックの元恋人ではなく、あの噂は兄によって故意に流されていたものに過ぎなかったこと。


 それに対して、セドリックは怒っていたように見えたこと。


 もしかしたら、何か思い出してくれたのだろうか。

 しかし、だとしたらどうして何も言ってこないのか。


 それにあの場面は、どちらかといえば兄がセドリックに何かを頼もうとしていたのを、押し止めたようにも見えた。


 そうなるとつまり、いったいどういう事なのか。


 頭の中でまとめようと、これまでにあった事柄と事柄を結びつけて時系列順に並べようとするものの、クローディアには乱雑すぎてなかなか上手くできない。


 それでもゆっくりと、時間をかけて整理していった。


 テレサ・ランヘルという女性は恋人ではなかったとはいえ、七年もの間、何の音沙汰もなかったことは変わらないし、二年前の結婚前と結婚当初、セドリックはクローディアのことを覚えていないと言っていた。


 結婚後も、ノエルを介しての悪評は聞こえていたし、実際セドリックは家には帰ってこなかった。ただそれは、彼は仕事で忙しいからだとローナは言っていた。


 けれど仮に、噂の内容が本当だったとしても、ローナたちは男主人と女主人、双方に気を遣って事実をそのまま伝えたりはしないだろう。


 分からないのは、ここ最近はセドリックが家に帰ってきていることだった。

 ローナが言うには、携わっていた仕事が一段落ついたかららしい。


 そして、セドリックにはずっと身に覚えのない悪評が付きまとっていたとも言っていた。


 そうなると、学院の構内で聞いた新しい噂の方はどうなるのか。

 非認可だとか、公文書館の鏡板だとか、クローディアのまったく知らない噂を聞いた。


 ノエルからもローナからもそんなことは言われていなくて、あの日、分かったこともあるけれど、分からない事も増えてしまっている。


 ローナと言えば、学院から戻ってから彼女の様子もどこかおかしかった。


 兄との間に何があったのかと不安にさせてしまったのか、こちらの家に来る前、子供だった頃、どんな事があったのかと何度となく聞いてきた。


 そうして、やけに立ち入った話をしたがるようになったかと思えば、ここに二、三日は突然と無口になってしまっている。


 彼女の問いかけに、クローディアは困っていたから、それにはひと安心していた。

 昔のことなどを話したら彼女は――私僕たちは悲しむだろう。


 実家にいた頃もそうだった。セドリックへと何度となく手紙を書いても、彼からの返事はない事を、毎日毎日クローディアへと報告しなければならない私僕たちは、いつも悲嘆に暮れていた。


 そんな彼らの顔を見るのは、手紙の返事がもらえないことと同じくらい辛くて、クローディアが実家に帰りたくはないと思う本当の理由はそれだった。


 彼らの助言や引き止める声を聞かず、ほとんど独断で嫁いでおいて結局別れる羽目になっている現状を知ってしまったら、彼らの嘆きはいかほどのものか。


 それはきっと、旧リッテンバーグ邸の屋敷私僕にも言えることだろう。


 だからこそ、クローディアとセドリックの間に何があったかなど、彼らは知らない方がいいに決まっていた。


 そうして、どうしてもあちこちにばらつく思考を何度も何度も引き戻しながら、クローディアは何時間も何日もかけて順序立てていき、やがてある結論へと辿り着く。


 得てして複雑怪奇に見えるこの問題には、たったひとつ、完膚無きまでに確実な解決方法があった。


 セドリック自身に、直接聞いてみればいいのである。


 それだけのことに気付いたクローディアは、身体の四肢が竦むのを感じた。

 彼ともう一度、真正面から対峙して質問するなど軽々しく行えるものではない。


 すでに二度、容赦なく拒絶されている。

 たとえ聞けたとしても、きっとまた、知らないと言って一蹴されるだけだろう。


 そんな考えが、心の底にこびり付いていて剥がれない。


 どれほどの気力を以てすれば、もう一度立ち向かうなどという考えなしの行動を選べるというのか。







 同日の夜、旧リッテンバーグ邸の後邸にある私僕居室で、屋敷私僕二体は向き合っていた。


 「何のつもりだ、ローナ」


 荒げそうになる声を抑えながら、ローレンスは彼女を問い詰めた。

 するとローナは、あくまでも取り澄ました顔で答える。


 「言ったでしょう。私は、奥様のお気持ちを確かめるつもりでいるって」


 「だからって今回の事はやりすぎだろ。中庭の件はまだいい。私は納得していないが、あの方法なら奥様に害が及ぶことは無かったのは分かる。だが、今回のは違うだろ」


 「…………」


 「あたかも奥様の危機を装って、旦那様を誘い出すなど……嘘を付くなとは言わない。私も似たようなことをしたからな。だが、程度というものがあるだろう」


 なじるように言えば、ローナは返答を避けるように目を伏せた。


 「……旦那様には、お詫び申し上げるわ。でも……」

 「でも?」


 ローレンスは聞き返すが、ローナはそれきり黙り込んでしまった。


 ほんの半日ほど前、ローナから呼び出される形で、ローレンスと男主人のセドリックは『仮植の部屋』まで誘い出された。


 あの時ローレンスは、円柱の裏に隠れているクローディアの位置を正確に把握していた。


 しかし、それをセドリックに伝えないようローナから口止めされ、ばかりかセドリックをその場に止めておくよう言い渡されたのである。


 彼女が何をしようとしたのか何度も説明を求めたが、結局理由は明かされぬまま、直後にクローディアの兄が乱入してきたため、うやむやになってしまった。


 さすがに(あれ)はローナも予想外だっただろう。ただ、セドリックはあの後、警士(リクトル)からしつこく事情を聞かれるはめになる。


 警士は、クローディアの存在にももちろん気付いてた。

 しかし、彼女の素性を調べていた際、あの場にいた全員が彼女の関係者だったため、一体どういう事態なのか警士も困惑していたようだった。


 彼女にも事情を聞くため、騒ぎの途中で現れた金髪の魔導士見習いと共に呼び戻されかけたが、それはセドリックが食い止めた。


 クローディア・ヘインズはあくまでも別件で学院を訪れたにすぎず、その根拠となるマキオン老師の口添えもあって彼女まで聴取の手が及ぶことはなく、仮植の部屋で起こったライナス・クラインとの悶着も、親戚関係だったということで、どうにか内輪の揉め事で済ませられた。


 「奥様のお気持ちを確かめるのもいいが、下手な事を言えば、あと一年は絶対に別れられない。奥様にとって、この家での生活が苦痛でしかなくなると念を押していたのはお前自身じゃないか。どうしてあんな軽率な行動を取ったんだ?」


 「…………」

 「……ローナ?」


 さらに聞き返しても、ローナは応えない。


 彼女がこんな頑なな態度を取ることは滅多にない。それほどの事情が彼女にはあるということなのだろうか。


 それでもローレンスはひとしきり返答を待ち、待ってから意見を曲げることにした。


 「……分かった、ならいい。それより、奥様のご様子はどうなんだ? 不可抗力だったとはいえ、旦那様に対する誤解がひとつ解けたんじゃないか? ライナス・クラインという兄のせいで、テレサ・ランヘル様を旦那様の恋人だと思わされていたんだろ?」


 「……もちろん、どういうご心境なのか、それとなく探ったわ」


 ローナが口を開いてくれたことに、ローレンスは少し安心する。


 「それで、奥様はどう?」


 「――いいえ。探ってはいるけれど、そのほとんどに反応を返してくれないの。まだお考え中なのだと思う。今日あった出来事を受け止めるには、もうしばらく時間が必要なのよ」


 「そうか……なら、ひとまず様子を見るべきだな」


 待つしかないというのはかなりもどかしいが、無理に聞き出したとしてもおざなりな答えしか返ってこないなら意味はないだろう。


 「……もう用が済んだのなら、私は奥様の元へ戻るわ」

 「――いや、待て」


 まるで逃げるように去ろうとしたローナを、ローレンスはとっさに引き止める。


 「さき程はつい先走ってしまったが……改めて聞く。今日、奥様が学院を訪れたわけだが、面談の内容やその前後の事柄に関して私に報告しておくべき事があるだろ」


 「……報告すべきこと? ……いいえ。これといって無いわ」


 さらりと言ってのけるので、ローレンスは驚きに目を見張った


 「…………本当に、無いのか?」

 「ええ。無いわ」


 「では聞くが、今日、奥様と共にいたあの魔導士見習いの男は誰だ?」

 「奥様の許可を得ていないから、話せないわ」


 「…………」


 そうきたか。と、ローレンスはもう一度意表を突かれた思いにさせられた。


 しかし、だいたいの予想はついている。


 おそらく、クローディアが孤児院『緑の園』で正導学の基礎を教えたというノエル・ハイマンだろう。身上書に書かれてあった内容と年の頃とも合うし、見習いである彼ならば十人委員会の一人との仲立ちも難しくはないはずだ。


 だが、ローレンスが知りたいのは、奥方とはどういう間柄にあるのかの一点に尽きた。

 それも、なるべく内情に踏み入った部分について知りたい。


 理由は、ローレンスの主人が、魔導士見習いに抱えられて部屋から脱出するクローディアの様子をしかと目撃しているからだ。


 ローレンスが視認したのは、見知らぬ十歳ほどの少女だったが、『女主人の指輪』の反応は確かに彼女から返ってきていたし、何より、その頭部には銀細工のチョウに扮したローナを身に付けていた。


 魔導士見習いの首にすがりつく、やや薄い亜麻色の髪をしたその少女が誰なのか、ローレンスは察するのと同時に自らの主人を見つめてしまっていた。


 彼の横顔は、連れて行かれる少女に向けられたまま微動だにしなかった。


 それから本人は何事もなかったように振る舞っていたが、まず間違いなく気付いているのだろう。一度も顔を上げることのなかった少女の正体に。


主人の心中を思うと、いらぬ世話だと分かっていてもノエル・ハイマンについて調べておきたいのだが、ローナがこの様子では望めそうもない。


 とはいえ、魔導士見習いならもっと別のルートから情報を得られるだろうと、その話題はひとまず横に置く。それよりも、


 「……なら、マキオン老師との面談内容も私には話せないのか?」

 「ええ。奥様の許可を得ていないから、話せないわ」


 予想通りの返答に、ローレンスは苦い顔をするしかない。

 けれど、それほど間を置かずしてローナは「でも」と続けた。


 「……今日の面談に関しては、すぐに老師の方から旦那様へ呼び出しが入ると思う」

 「――――……それは…どういう、意味だ?」


 思わず聞き返したが、当然ローナは答えない。


 クローディアが王立学院まで出向き、十人委員会であるロイド・マキオン老師と会っていたのは、実家から持参したある品物を売却するためだと聞いている。


 それは老師本人から報されたことだから、面談内容も同じように明かされても不自然ではないが、だとしたら、ここでローナが言い渋る理由が分からない。


 よほど、まっとうではない事情でもない限り、隠すメリットはないはずである。


 ローレンスは、ローナがこうもローナらしくない行動を取ったわけを察した。

 十人委員会の一人から呼び出される。それだけで嫌な胸騒ぎをおぼえてならないのは、彼ら(・・)からの呼び出しに碌なものがあったためしはないからだ。


 「…………大丈夫、なのか?」


 「…ええ、奥様はまだ」

 「違う。お前の方だローナ。お前独りで抱え込める問題なのか?」


 すると彼女は、思ってもみなかったことを言われたような顔をした。

 ずっと視線を避けるようにしていたのに、ローレンスを真っ直ぐと見上げてくる。


 半ば呆然とした表情のまま口を開いた。


 「ローレンス、私……私、この二年のあいだ何をしていたのかしら」


 声は、震えていた。


 「もっとちゃんと奥様の事を知れば良かった。この二年、クローディア様がどんな思いでお暮らしになっていたのか。毎日毎日、何を考えていらっしゃったのか。どんな思いでこの家を出て行かれようとしていたのか。もっときちんと知ろうとしていれば良かった」


 ローナは、自らの胸元で祈るように両手を握りしめる。


 「もういっそのこと旦那様が――セドリック様がクローディア様を今も想われていることを明かしてしまおうかと思ったわ。でも、やっぱり考えてしまうの。もうクローディア様にはお気持ちがないかもしれない。もしそうなら、ただでさえ苦しんできたあの方を、さらに苦しめる結果にしかならないじゃない。だから私は、どうしてもクローディア様のお気持ちを先に知らないといけないの。でも―――」


 その先を言おうとして、ローナは言葉が喉に詰まったような声を漏らす。


 「でも私は、クローディア様からまったく信用を得られていないわ。私が何を言っても、きっと彼女の心には届かない。そんな気がしてならないの」


 「ローナ……」


 そんなことはない、そう言ってやろうとしてローレンスは押し黙る。


 主人に己の言葉が届かない虚しさは、痛いほどよく分かっていた。

 だからこそ、これまでに幾度となく女主人の心の内に働きかけてきたローナに、そんな安直な言葉をかけることは出来なかった。


 ローレンスは、自分が彼女にしてやれることを考えて、その細い肩に手を置いた。


 「……ローナ。どうしても辛いなら、“担当”を変えてやることもできる」


 ぴくりと、ローナは動いたが、何も答えず俯いたままだった。

 ややしてから首を横に振りつつ、顔を上げた。


 「ごめんなさい。違うの。ただちょっと、弱音を吐きたくなっただけ」

 「……だが」


 「それとも、こんな主人の愚痴を言う屋敷私僕は、侍女(レディースメイド)として失格だと思う?」


 「……いや、そんなことはないだろ。それを言うなら、家令(わたし)だって旦那様に関して言いたいことは山ほどある」


 「そうなの? なら、私もローレンスの愚痴を聞いてあげるけど」


 言われて、ローレンスの脳裏を横切っていくのは、一筋縄ではいかない男主人との試行錯誤な日々。


 「――…いや、うん…一つ二つじゃ済まないと言うか…長く、なるからな……」


 思わず遠い目をしてしまうローレンスを、ローナが小さく笑った。

 はからずも彼女から笑顔を引き出せはしたが、微笑みにはまだ憂いが見て取れた。


 「……本当に、もう大丈夫よ。情けない泣き言を聞いてくれてありがとう。私はまだ、お二人を諦めるつもりなんてないもの。 ……まだ、何も決まってなんかいないもの」


 それは、自分への言い聞かせのようにも聞こえた。


 「そうよ、まだ何も決まっていないの。だから、何が奥様の利益になるのか分からない。だから、私からは何も言えない。でもね、この先どうなろうとも、私は最後まであがくつもりだから……だから、ローレンス。貴方も、セドリック様を最後の最後まで支えて差し上げて」


 「…………」


 ローナの言葉は、間違いなくローレンスへの警告だった。

 彼女にしてみれば、己に許容できるせいいっぱいの示唆だったのかもしれない。


 だがしかし、これから先に待ち受けるだろう良くない事の前兆としては、充分過ぎるほどの報せだった。






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